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22:熱を持つ視線
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案内をするものの、この時期の庭は愛でるための草花は植え替えの時期でもあり、ガーベラくらいしか花を咲かせているものはない。
私に歩幅を合わせ、ゆっくりと歩いてくれるアルバートさんはそれでも楽しそうに微笑んでいた。
「気晴らし…とは何かあったんですか?」
不意に掛けられた言葉に、足が止まってしまった。
私は笑みを作り、「何でもない」と返した。
「私は、あと3日この国に滞在するのですが、何処か土産話になりそうな風光明媚な場所はないでしょうか」
「3日ですか。出かけると言ってもこの時期は庭を見ても判る通り花も咲く時期ではありませんし…これと言って観光できるような場所は王都近郊にはないのです。少し足を延ばせば渓谷も御座いますが日帰りは少し難しいですし」
「そうですか。では…名物料理など教えて頂けませんか?従者はカミルと言うのですが彼は食いしん坊でね。各地の名物料理を食べる事を生きがいにしているような男なのですよ」
「まぁ」
私は骨付きの肉を食べている手振りをするアルバートさんを見て笑ってしまった。
「ではトナカイのシチューなどは如何でしょう」
「トナカイ?!あの角がある鹿のような?」
「えぇ.禁猟期間があるのですが、今時期は解禁しているはずです。時期的なものですし…お店によっては臭みもあるので必ずしも美味しいと思って頂けるかは判りませんが」
「ご紹介頂いたとあらば、是非食してみましょう。で?貴女は何がお好きですか?」
足を止め、私を見てアルバートさんは「スイーツでも何でもいい」と言う。
「女性と言えば甘い物・・・でもないという事でしょうか?」
「いいえ?大好きですわ」
だが、私は直ぐに答えられなかった。
トナカイのシチューは確かに時期的なものだが名物料理でもある。珍味に近いかも知れない。遠方や国外の方には冗談も交えて勧める事がある料理だ。
甘い物と言われ答えに窮したのは、問われてみれば思いつかない。
いや、思いつくのだがそれら全てにバレリオ様が絡んでいるのだ。
「困る質問をしてしまいましたか?」
「そうではないのですが…種類が多くて」
咄嗟に誤魔化してみたが、私の目線に合わせ屈んだアルバートさんと目が合った。
その瞳に自分が映っているのを見て私は背筋にピリリっと痛みを覚える。
――なんだろう。この感覚――
初めての痛みを伴う感覚に私は戸惑ってしまった。
「この先にも行きましょうか」
「え、えぇ」
繋いだ手から熱が伝わってくる。
私の手のひらは汗でじっとりしているのではないか。そう思えるほどに。
「貴女のお名前は…ルディさん?だったかな?」
「えっ?名前?」
「そう。先程ライム氏がそう呼んでいたので」
繋いだ手を少し引いてみるが、強く握り返されて手が解けない。
「姉達はルディと愛称を呼びます。トルデリーゼ。それが名前です」
「トルデリーゼ様。可愛い名前ですね」
そう言いながらアルバートさんは繋いだ私の指先に唇を軽く触れた。
反射的に指先がピクリと小さく動くと、嬉しそうにアルバートさんが微笑む。
「明日、貴女を誘う権利を頂けませんか?」
「誘う?どちらに?」
「どこでも。貴女が楽しみたいと思う場所に」
「それは…」
私はまた困惑をしてしまった。
これもまた、行きたい場所と言われても思いつかないのだ。
いつも出掛ける先はバレリオ様が指定した場所だった。私は頷くだけで肯定も否定もしない人生だったのだ。
「貴女は困った顔をよくする人だね」
「申し訳ございません」
「謝るような事ではない。困らせてしまう私が悪いのだから」
「いえ、表情に出るようでは令嬢失格ですわ」
「そんな事はないと思うけどね。そんな事、誰が決めたんだろうね。人間なんだ。喜怒哀楽が表現できて素晴らしい事だと思うよ」
アルバートさんは不思議な人だった。
翌朝、マルス子爵家で朝食を取っていると客が来たとボンドが知らせに来た。
来客の予定は無かった筈だと思ったが、玄関で待っていたのはアルバートさんだった。
約束をした事になっていたのかと驚いたが、曖昧なままで流してしまった事もあり私は侍女を伴ってアルバートさんと出かける事になってしまったのだった。
出がけに着替えを手伝ってくれた侍女に他国の方をもてなすのに良い場所はと問うたがこの時期のお勧めはない。水場は風が吹き冷たく感じるし、見頃の花もない。
わざわざ別の国に来てまで観劇をする必要もない。
困り果てた私は買い物がしたかったわけではないが、商店街が立ち並ぶ通りにアルバートさんを案内したのだった。しかしこれも到着をしてみて失敗だったと気が付いた。
販売している品の多くはカドリア王国からの輸入品で、衣類や宝飾品の最先端もカドリア王国なのだ。
「申し訳ございません。不勉強でした」
「謝る事はないよ。とても楽しいよ。何より君が隣にいる事に私は喜びを感じているんだ」
アルバートさんの瞳に熱を感じるのは気のせいではない。
気配りをしているように見えて、実はリードされている事も自覚をしている。いや…振り回されていると言った方がいいだろうか。
「一目惚れをしたんだ。出来れば…私の妻となりカドリア王国へ来てほしい」
「一目惚れ?…信じられません。ご冗談がお好きですのね」
「冗談だと思っている?」
「勿論。ただ気の利いた冗談ではないと申し上げておきます」
「辛口だね。それもまた私の心の琴線に触れてしまうという事まで計算した上での事かな」
「まさか。ただ出会って昨日今日の間柄。信じろと言う方が無理が御座います」
「人を好きになるのに時間は関係ない。それに私は帰国しなければならないから時間がないというのも加味してくれないかな」
アルバートさんは翌日も、その翌日もマルス子爵家にやって来た。
「外堀から埋める気はない」と帰国の日、手紙を書くと言い残しマルス家から帰国の途についた。
好きだと言われ嬉しくない筈はないが、その言葉を信用するのには時間が足らない。「好き」だの「愛している」と言う言葉は今の私にとっては棘でしかないからだ。
週に1通届く手紙。返事をどうするか迷ったのは最初の2,3か月だった。
恋愛は誰しも焦がれてしまうものだ。
そのうち手紙を心待ちにしている自分を想像してゾッとしてしまった。
――返事は数通おきにしよう――
全く返事を出さないと言うのは失礼にあたる。
それに届く先はもう1人の男性、カミルさんの屋敷だというのも気にかかる。
事情があるにしろ、他家に居候をしているのか。
それとも明かせない事情があるのか。
どちらにしても関わり合いになるのはやめたほうが良い。
手紙の内容は私の心を見透かしているのか、愛を語るような言葉はない。
ただ、季節の移り変わりを示す言葉の最後に「君に見て欲しい」と添えられていた。一緒にとあれば枷になったかも知れないが、私の自発を待っている言葉に心が和んだのは事実だ。
手紙のやり取りを始めて、間もなく半年が経とうとした頃にアルバートさんがまたライム子爵家とエルドゥ様を訪ねてこちらの国にやって来るという文字を見つけた。
気が付けばすっかりバレリオ様との事を忘れている自分がいた。
アルバートさんの手紙の効果かも知れないが、本当の意味で前を向いて歩けそうな気がした。
私に歩幅を合わせ、ゆっくりと歩いてくれるアルバートさんはそれでも楽しそうに微笑んでいた。
「気晴らし…とは何かあったんですか?」
不意に掛けられた言葉に、足が止まってしまった。
私は笑みを作り、「何でもない」と返した。
「私は、あと3日この国に滞在するのですが、何処か土産話になりそうな風光明媚な場所はないでしょうか」
「3日ですか。出かけると言ってもこの時期は庭を見ても判る通り花も咲く時期ではありませんし…これと言って観光できるような場所は王都近郊にはないのです。少し足を延ばせば渓谷も御座いますが日帰りは少し難しいですし」
「そうですか。では…名物料理など教えて頂けませんか?従者はカミルと言うのですが彼は食いしん坊でね。各地の名物料理を食べる事を生きがいにしているような男なのですよ」
「まぁ」
私は骨付きの肉を食べている手振りをするアルバートさんを見て笑ってしまった。
「ではトナカイのシチューなどは如何でしょう」
「トナカイ?!あの角がある鹿のような?」
「えぇ.禁猟期間があるのですが、今時期は解禁しているはずです。時期的なものですし…お店によっては臭みもあるので必ずしも美味しいと思って頂けるかは判りませんが」
「ご紹介頂いたとあらば、是非食してみましょう。で?貴女は何がお好きですか?」
足を止め、私を見てアルバートさんは「スイーツでも何でもいい」と言う。
「女性と言えば甘い物・・・でもないという事でしょうか?」
「いいえ?大好きですわ」
だが、私は直ぐに答えられなかった。
トナカイのシチューは確かに時期的なものだが名物料理でもある。珍味に近いかも知れない。遠方や国外の方には冗談も交えて勧める事がある料理だ。
甘い物と言われ答えに窮したのは、問われてみれば思いつかない。
いや、思いつくのだがそれら全てにバレリオ様が絡んでいるのだ。
「困る質問をしてしまいましたか?」
「そうではないのですが…種類が多くて」
咄嗟に誤魔化してみたが、私の目線に合わせ屈んだアルバートさんと目が合った。
その瞳に自分が映っているのを見て私は背筋にピリリっと痛みを覚える。
――なんだろう。この感覚――
初めての痛みを伴う感覚に私は戸惑ってしまった。
「この先にも行きましょうか」
「え、えぇ」
繋いだ手から熱が伝わってくる。
私の手のひらは汗でじっとりしているのではないか。そう思えるほどに。
「貴女のお名前は…ルディさん?だったかな?」
「えっ?名前?」
「そう。先程ライム氏がそう呼んでいたので」
繋いだ手を少し引いてみるが、強く握り返されて手が解けない。
「姉達はルディと愛称を呼びます。トルデリーゼ。それが名前です」
「トルデリーゼ様。可愛い名前ですね」
そう言いながらアルバートさんは繋いだ私の指先に唇を軽く触れた。
反射的に指先がピクリと小さく動くと、嬉しそうにアルバートさんが微笑む。
「明日、貴女を誘う権利を頂けませんか?」
「誘う?どちらに?」
「どこでも。貴女が楽しみたいと思う場所に」
「それは…」
私はまた困惑をしてしまった。
これもまた、行きたい場所と言われても思いつかないのだ。
いつも出掛ける先はバレリオ様が指定した場所だった。私は頷くだけで肯定も否定もしない人生だったのだ。
「貴女は困った顔をよくする人だね」
「申し訳ございません」
「謝るような事ではない。困らせてしまう私が悪いのだから」
「いえ、表情に出るようでは令嬢失格ですわ」
「そんな事はないと思うけどね。そんな事、誰が決めたんだろうね。人間なんだ。喜怒哀楽が表現できて素晴らしい事だと思うよ」
アルバートさんは不思議な人だった。
翌朝、マルス子爵家で朝食を取っていると客が来たとボンドが知らせに来た。
来客の予定は無かった筈だと思ったが、玄関で待っていたのはアルバートさんだった。
約束をした事になっていたのかと驚いたが、曖昧なままで流してしまった事もあり私は侍女を伴ってアルバートさんと出かける事になってしまったのだった。
出がけに着替えを手伝ってくれた侍女に他国の方をもてなすのに良い場所はと問うたがこの時期のお勧めはない。水場は風が吹き冷たく感じるし、見頃の花もない。
わざわざ別の国に来てまで観劇をする必要もない。
困り果てた私は買い物がしたかったわけではないが、商店街が立ち並ぶ通りにアルバートさんを案内したのだった。しかしこれも到着をしてみて失敗だったと気が付いた。
販売している品の多くはカドリア王国からの輸入品で、衣類や宝飾品の最先端もカドリア王国なのだ。
「申し訳ございません。不勉強でした」
「謝る事はないよ。とても楽しいよ。何より君が隣にいる事に私は喜びを感じているんだ」
アルバートさんの瞳に熱を感じるのは気のせいではない。
気配りをしているように見えて、実はリードされている事も自覚をしている。いや…振り回されていると言った方がいいだろうか。
「一目惚れをしたんだ。出来れば…私の妻となりカドリア王国へ来てほしい」
「一目惚れ?…信じられません。ご冗談がお好きですのね」
「冗談だと思っている?」
「勿論。ただ気の利いた冗談ではないと申し上げておきます」
「辛口だね。それもまた私の心の琴線に触れてしまうという事まで計算した上での事かな」
「まさか。ただ出会って昨日今日の間柄。信じろと言う方が無理が御座います」
「人を好きになるのに時間は関係ない。それに私は帰国しなければならないから時間がないというのも加味してくれないかな」
アルバートさんは翌日も、その翌日もマルス子爵家にやって来た。
「外堀から埋める気はない」と帰国の日、手紙を書くと言い残しマルス家から帰国の途についた。
好きだと言われ嬉しくない筈はないが、その言葉を信用するのには時間が足らない。「好き」だの「愛している」と言う言葉は今の私にとっては棘でしかないからだ。
週に1通届く手紙。返事をどうするか迷ったのは最初の2,3か月だった。
恋愛は誰しも焦がれてしまうものだ。
そのうち手紙を心待ちにしている自分を想像してゾッとしてしまった。
――返事は数通おきにしよう――
全く返事を出さないと言うのは失礼にあたる。
それに届く先はもう1人の男性、カミルさんの屋敷だというのも気にかかる。
事情があるにしろ、他家に居候をしているのか。
それとも明かせない事情があるのか。
どちらにしても関わり合いになるのはやめたほうが良い。
手紙の内容は私の心を見透かしているのか、愛を語るような言葉はない。
ただ、季節の移り変わりを示す言葉の最後に「君に見て欲しい」と添えられていた。一緒にとあれば枷になったかも知れないが、私の自発を待っている言葉に心が和んだのは事実だ。
手紙のやり取りを始めて、間もなく半年が経とうとした頃にアルバートさんがまたライム子爵家とエルドゥ様を訪ねてこちらの国にやって来るという文字を見つけた。
気が付けばすっかりバレリオ様との事を忘れている自分がいた。
アルバートさんの手紙の効果かも知れないが、本当の意味で前を向いて歩けそうな気がした。
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