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異世界でも奴隷

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「おい、皮は剥けたのか。次は豆を潰せ。ぼーっとしてる暇はないぞ」
 目が覚めた瞬間、誰かに叱り飛ばされる。え、皮? 豆を潰す??

 なんのこと言ってんだ。ここはどこだ。
 おれ、先輩の粗○ンを噛んでやって、逃げて、車に轢かれた、よな?

「ウミト! ぼーっとするな! 海峡の鮫の餌になりたいのか?」
 もう一度、今度ははっきりとおれに向かって言葉が投げかけられたのがわかった。〈海峡の鮫の餌にするぞ〉が、この世界で子供を躾ける定番の脅し文句であることも、なぜかわかったのだ。
「まったく、名前だけ立派で、使えない奴隷を掴まされたな」
 ど、奴隷? なんだか日常で聞いちゃいけない言葉を聞いた気がする。
 でもそれよりなによりおれが引っかかったのは〈使えない〉の部分だった。

「すぐやります!」
 おれは、いつの間にか膝の上に乗っていた芋の皮を次々むいていった。刃物をあてがって、縦方向にすいすいとやっつける。店でも、タルトの上に飾るキウィの皮むきばかりを来る日も来る日も来る日も来る日もやらされていたから、こんなのお手のものだ。

「次はなんだ、豆?」
 怒鳴りつけてきた太った男――どうやらこの厨房の親方らしい――に芋を渡すと、おれは釜の前に立つ。
 そう、釜。
 どうやらここが厨房らしいのはわかったが、なんだかすべての器具が古い。ステンレスのガス台なんてなく、かまどで薪が燃やされている。そしてでかい。鍋なんか、子供ひとりくらい煮込めそうな大きさだ。
 その中に、あまり馴染みのない豆がゆであがっていた。黄色くて、一部が小さなくちばしみたいに飛び出している。たしかこれ、ひよこ豆とかってやつだろ。これをペースト状にして料理の付け合わせにしたり、揚げ物にした料理の写真を見たことがある。ということは、付け合わせはなめらかにして、揚げ物にする方はちょっと食感を残したほうが楽しいかもしれない。

 おれは豆を半量ずつにわけると、それぞれに適した状態に潰し、親方の前に並べた。親方はしばらくそれを眺めたあと、むすっとした顔で背を向ける。
 さっきまで感じていた、高揚した気持ちがあっという間にしぼんでいく。まずい。
社会人になったら、気が利くのはいいことだ。だけど人間は不条理にできていて、気を回しすぎると今度は「余計なことをするな」「生意気だ」と先輩たちに言われたりする。
珍しい食材を扱えるのが嬉しくて、つい調子に乗りすぎた――
でも、青ざめているおれに、親方は言った。
「海老を茹でろ。茹ですぎるなよ」
「――はい!」

 というわけで、わけがわからないながらも楽しく厨房仕事をしているうちに、あっという間に夜になった。
 おれはあてがわれた部屋で布団を被って、まだ寝つけずにいる。
 どうやらここは異世界だ。車にはねられて転生する、というやつ。
 まさか自分がそんなことを体験するとは思ってもみなかった。
 一日楽しく仕事しながら観察したところによると、ここはイルディズという国らしい。意味は〈星〉。

 雰囲気は、あれだ、オリエンタルっていうのか? 建物の至る所に、植物柄とか、幾何学模様のタイルが使われている。
 暑い国だから、水や植物を連想させる青や緑が高貴な色とされているらしい。
 食べるものを見ると、カレーっぽいものもあるし、ハンバーグやロールキャベツっぽいものもあるし、洋風とアジア風が混ざっていいとこどりという感じがした。 
 
 スルタンって呼ばれる偉い王様が頂点で、ここはそのスルタンの後宮。

 後宮は、おおざっぱにいうと、スルタンが公務に使う外廷ってとこと、生活をする内廷ってとこ、さらにその奥のハレムにわかれている。ハレムには、スルタンのお相手をするための女の人が何百人も暮らしているらしい。日本でいったら大奥だ。どうりで鍋がでかいわけだった。

 で、おれはそんな後宮の内廷、厨房奴隷に転生したらしい。今他の奴隷と雑魚寝している部屋も、だだっぴろい後宮の一角にある。

「現世でも貧乏人のオメガに生れて、転生しても奴隷って、クソかよ……」
 ひどすぎる人生だ。
 一瞬、そんなふうに神様を呪った。
 でも、おれは、仕事をしながら聞き耳を立てて、ひとつの情報を得ていた。いいのか悪いのか、前世でも、仕事中に先輩パティシエの様子をうかがっていたのが、こんなところで役に立った。

 この世界の奴隷、どうもそんなに待遇が悪くない。

 優秀なら教育を受けさせてもらって、スルタンの補佐官になる奴隷もいるんだそうだ。最下層から一気にトップの側近だ。だいぶ夢がある。
 厨房奴隷の場合、腕を磨いて、厨房の親方、奴隷長、皇后様、スルタンとみんなに認められていけば、なんとここから外へ出て、自分の店を持つことも許されるんだそうだ。あと、女の人のいるハレムに入らず内廷で仕事する奴隷は、ちょん切らなくてもいい。(良かった)

 そしてこの国、宗教上の理由で飲酒が禁じられている。
 だから、男の社交の場に欠かせないのは珈琲。
 珈琲と一緒に出されるといったら、甘い菓子だ。
 そう、菓子がこの世界では珍重される。年に一度〈砂糖祭り〉なんていう、甘味を讃える祭りまであるそうだ。

 これって、一応パティシエを目指していたおれには、かなり有利な状況じゃないか?

 現世では、クソみたいな年功序列で、なかなか菓子作り本番までいかなかった。でも、ここでは、今日一日ですっかり親方に気に入られ、調理に直接関わらせてもらえるようになった。明日には菓子作りもさせてもらう約束だ。
 どうせ一度失った命だ。

 菓子作りでどんどん認められて、外に店を持つぞ……!

 異世界転生なんてとんでもない目に遭ったのに、おれは今までの人生かつてないくらい前向きな気持ちで、眠りについた。


 料理や菓子作りに直接関わらせてもらえるおかげで、毎日が楽しくてしかたがない。一週間は瞬く間に過ぎた。

 その間、実にいろんな食材を目にした。どうもこの国は大陸の交易の重要な位置にあるらしくて、とにかく豊かだ。ざっと見た感じ、現代日本にあっただいたいのものが手に入る。そしてそれ以上に見たことのない食材も。
 つやつやした果物の山。でっかい麻袋から量り売りする香辛料。いろんな種類の魚。肉は羊がメインで、最初は抵抗があったけど、すぐに慣れた。クミンとニンニクと唐辛子のパウダーをまぶした串焼きなんて、噛み締めるとちょっと癖のある脂がじゅわっと口中に広がって、最高に美味い。

 ところで、こっちの菓子は甘い。
 
 全部甘い。パイ生地に甘いペーストを挟んで、さらにシロップに漬け込んだりする。酒の代わりの嗜好品だから、どんどんエスカレートしていったんだろう。
 なんでもだいたい手に入りそうだったけど、ぱっと見、チョコレートはないようだった。でも、たしか原材料のカカオは温かい国で作られてるはずだ。気候的にはイルディズも似たような感じなんだから、探せばどこかにあるんじゃないだろうか。
「じゃあ、いち早く見つけて、おれがなんとか加工すれば、おれの未来の店は大繁盛――」

 おれが仕事の合間の妄想で夢と鼻の穴をおっぴろげていると、なんだか急に厨房が慌ただしくなった。
 慌ただしくなったというか、不穏? 何人かの同僚に囲まれている親方の顔が、なんだか険しい。耳を澄ませていると「スルタンが」「今月も来たか……」なんて囁きが聞こえた。
 スルタンっていうのは、要するに王様だろ? 王様がハレムに来るのは当たり前のことなのに、なんでちょっと騒然としてるんだろう。どこの国でも上司は煙たがられるってことなのかな。
 
 どうやら、誰がスルタンに食事を運ぶかでもめているようだった。

「いつもみたいに、女官に渡せばいいんじゃねえの?」
 ハレムに詰めている女性たちへの食事は、そうしてる。
 それに、食事を運ぶという名目でスルタンに近づけるのは、ここの女性たちにとってはチャンスなんじゃないのかな。
 容姿を気に入られれば、夜のお相手に選ばれる。さらに気に入られたら、宝石とか、身分とかを与えられてちやほやされる。そんな展開、漫画なんかでよく見る気がするんだけど。

 親方は、口ひげを蓄えた口元をむすっと引き結んだまま告げる。
「普段ならそうだがな。今日のスルタンは誰も近づけたがらない」
「ん??」
 ハレムにやってきてるのに? だって、ハレムは大奥で、大奥ってつまり〈そういうこと〉をするための場所、だろ? 聞いた話じゃ、たしかスルタンは三十ちょっと手前。いわゆる、一番お盛んなときじゃないのか。

 おれの疑問を感じ取ったのか、先輩奴隷が先を続けた。
「スルタンは、月に一度、たいそうご機嫌が悪くなられるんだ。ご公務もお休みになり、ハレムの一室にこもられる」

 おれはまだあまり中をうろついたことがないけど、ハレムと一口にいっても広い。
 おれのいる厨房部門だけでも何部屋もあるし、王族の方々が暮らすエリアもあれば、公務に使うエリアもある。正直ちょっとした街くらいある。普段スルタンは内廷の居住エリアで暮らしているけれど、一月の内一週間くらいは、内廷とハレムの間にある狭い一室にこもるのだそうだ。
 理由は誰も知らない。
 ただ、気遣って声をかけた家臣や女奴隷たちにも、物を投げつけたりするのだという。
「なにそれこっわ。信長タイプなの?」
 どこの世界でも、上の人間ってそういうものなんだろうか。うんざりだ。
「ノブナガ……?」
「いや、なんでも」
「無駄口をきくな」
 親方がおれたちをぎろりと睨む。おれに説明してくれた先輩も、一緒に睨まれてしまって申し訳ない――と思っていたら、親方がおれに食事の載った盆を持たせた。
「んん??」
「無駄口の罰だ。行ってこい」

 うっそだろ。
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