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第1章 水の研究者、異世界へ
第6話 初めての殺し合い
しおりを挟む興行師に背中を押され、通路を進めと促された。
俺が入れられていた牢屋の前は薄暗い通路になっている。背中を押された先は外に繋がっているようで、光が差し込んでいた。俺はその光に向かって重い足を進める。
その途中、隠し持った武器に腰布の上から軽く手を当て、『これが準備してあるから大丈夫だ』──と自分自身を鼓舞しながら歩いていった。
「……眩しいな」
朝食を出されてから数時間。太陽が高く昇っているからちょうど今は昼頃なのだろうか。ずっと薄暗い牢屋に入れられていた俺には、久しぶりに浴びる太陽の光は眩しすぎた。
しばらくして目が慣れてくる。
そこは円形の広場だった。
広場を囲うように観客席が設けられていて、そこには数万はいるのではないかと思うほど多くの人がいた。彼らが俺に注目している。
ここまで来て改めて実感する。
俺は騙されて奴隷になり、そこで買い手がつかずに剣闘士として売られ、その結果ここにいるのだと。
今いる場所から一歩前に踏み出せば、剣闘士として戦わなければならない。かといって牢屋まで戻ろうとすれば、興行師の横で刃物をチラつかせていた男に切り殺されるだろう。
やるしかないんだ。
躊躇しながら、震える足を前に出した。
「חֲסַר יְכוֹלֶת!」
「הוא רועד」
「זר לא כשיר──」
「「「למות בקרוב!!」」」
「「「לָמוּת! לָמוּת! לָמוּת!」」」
地面が震えていると思うほどの怒号が俺に向かって放たれる。
たぶん俺をディスってるんだと思うが、当然ながら彼らがなんて言っているのかなんて全く分からない。今だけは言葉が通じなくて良かったと思う。
覚悟を決め、闘技場の入口から一歩前に出る。
それと同時に通路の扉が閉められた。
「הזה רק לחוקות」
司会者と思われる男が観客席の最前列で大声を張る。
「אנשים רבים התעצבנו」
会場は彼の声を聞くためか静かになっていた。
「כדי לה השדים, הם מפעילוחם」
「זה נכון!」
「מה שאתה אוהב」
「לא צריך גיבור!!」
どんな演説をしているのか見当もつかないが、観客席からは司会者の言葉に同意するような反応が多くみられた。
「נקום את ה נגד גיבור פלגתו」
「זהו זה!」
「「「לָמוּת! לָמוּת! לָמוּת!」」」
観衆たちが繰り返す“ラムト”という言葉。これって“死ね”もしくは“殺せ”を意味するんじゃないか? こうやって場面を限定し、同じ言葉を繰り返し言ってくれるなら少しづつだが難しい発音でも言葉を覚えられるな。
そんなことを考える余裕があった。
腹を括れた、ということだろう。
さぁ、相手は誰だ?
いきなりライオンとかの猛獣は困るな。
……いや、人を殺すよりはマシなのか?
「היריוא ריד5, גלדילקה !!」
俺の相手が対面の通路から現れた。
その男は脛と腕になんの防具も身に着けていないが、頭を守る兜と胸当てはかなり強度のありそうなものを装備していた。そして人間の半身ほどありそうな巨大な斧を携えていた。
司会者の言葉で、俺は“バメッシュ”という単語を聞き取った。それは奴隷市でも何度か耳にしたもの。“数字の5”を示す単語だ。
ということは俺の相手は5級とか、5位とかそんな実力を示す等級に属する存在なのではないだろうか。何級まであるうちの5級なのかは不明だけど、目の前の男の力が5級相当であることは覚えておくべきだと思う。
俺は今日を生き延び、明日以降もここを出られるまで戦い続けなければいけない。そのためにもこれから自分が戦う相手の実力を少しでも把握できるようにしておく必要があった。
「פשוט עשה זאת」
「לַהֲרוֹג!」
盛大な歓声の中、戦いが始まった。
敵は俺に斧の先を向けながら、口元には笑みを浮かべている。
「לחתוך יחד עם החושן!」
「אני מקווה」
装備の差からも分かるが、俺が殺される側で、相手が殺る側。これはそういう催しなんだ。戦闘訓練を積んだ剣闘士じゃなく、奴隷が剣闘士になった存在はいつだって殺される側。
俺が元居た世界の過去には、稀に奴隷剣闘士が一般の剣闘士を倒してしまうこともあったそうだが、勝った後の奴隷剣闘士は“処分”されることも多かったようだ。
だからと言って諦めることはしない。
やれるだけやってやる。
それにここは異世界だ。元の世界のような風習なのかも分からないじゃないか!
俺は隠していた武器を手に取った。
右手に装備し、身体側面で回転させる。
「בַּעַל,זה…,יידוי אבנים!?」
俺が牢屋の中で作ったもの。それは最も手軽に作れる遠距離攻撃武器である“投石器”だ。ただ石を投げるだけと侮るなかれ。
「せいっ!!」
アンダースロー気味に回した紐の方端をリリースする。手甲で作った発射台の上に乗せた無数の礫が斧の男目掛けて高速で飛んで行った。
「גיאה!」
男が悲鳴を上げて地面に倒れた。俺が放った礫の内ひとつが、装備のない足に直撃したようだ。
この方法による投石は5メートルほど離れた距離で、厚さ3センチの木板を真っ二つにする威力がある。高校の部活で、仲間といかに早い球を投げることができるか競っていた際に、投石器を自作しボールを投げて遊んだ経験がこんな場所で活きるとは……。
問題はコントロール。
投石器による攻撃はまず当たらない。10発投げて、1発でも目標に当たれば良い方だ。そのため俺は1発目を散弾──つまり小石を複数放つことにした。
敵を近づけないための牽制になれば良しと思っていたが、思いのほか初撃で行動不能にさせることまでできてしまった。
俺はゆっくり、投石器に次弾を装填する。
斧の男はまだ起き上がらない。人間の皮膚や肉は硬いから貫通はしていないだろうが、足のかなり深くまで石が突き刺さったようだ。
だが、痛みで倒れているのが演技かもしれない。支給された鉄剣で敵に止めを刺しに行ったところで反撃されたら危ない。そもそも剣での直接攻撃はまだできそうにない。そこで俺は、遠距離攻撃を続けることにした。
司会者や観衆は静かなままだ。
決着をつけなければ。
「殺るか、殺られるかなんだ。すまん」
投石器を回転させ、リリース。
失敗、右に逸れた。
再び装填、回転、リリース。
失敗、今度は男の兜を掠めて飛んで行った。
高速で石が飛んできたことに恐怖を感じたのか、斧の男が小さく悲鳴を上げて身を屈めた。怖がらせる気はない。俺だってできれば一撃で戦闘不能にしてやりたい。
石を装填し、回転、リリース。
命中した。
斧の男は頭を守るように手でガードしていたが、その隙間を縫って俺の放った石は男の首の骨を破壊した。3発で決められたのは、運が良かった。
相手は死んでいないようだ。身体が小さく痙攣している。人間の構造上、あの角度で投石が当たれば間違いなく行動不能になる。投石が頭部に当たらず、生きているのは相手の運が良かったから。
俺はこれで勝負がついたとアピールするように観客に向けて両手を広げた。
当の観客たちはというと──
「אל תהיה טיפש!」
「לא לקבל מכה!!」
「שדה טיפש, דגים קטנים」
「תהרוג אותי」
「「「לָמוּת! לָמוּת! לָמוּת!」」」
やっぱり、異世界でもこうなるのか。
もとの世界で見た映画と同じ流れだ。勝ってもそれで終わりじゃない。剣闘士は勝者のみしか生き残ることができない。勝った側は、倒した相手に止めを刺す必要があるみたいだな。
俺はゆっくり男に近づき、彼が手放した斧を手に持つ。
とても重かった。
これから人の命を奪う重圧だ。
俺は斧を振り上げ、無心でそれを振り降ろした。
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