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第10章 後宮
第375話 皇子の来訪
泉妃を尋ねて1週間ほど経過したある晩。
いつも通り、就寝の準備を整えた翠玉と冬隼が寝屋で寛いでいると、少し前に下がった陽香が慌てた様子で部屋の扉を叩いた。
「どうしたの?」
後宮勤めが長く、普段どっしり構えている彼女がこんなに慌てることも珍しいと思い、すぐに扉を開ける。陽香は部屋に転がり込むなり、あわあわと説明を始めた。
「惺殿下が!第2皇子殿下が侍女を一人伴って、馬車にてお越しにございます!」
「は?」
あまりに唐突で、そして意外な名前に、一瞬翠玉も冬隼も、上手く情報が処理できずに穂茫然と立ち尽くした。
「お付きの侍女によれば、御身の危険が迫っており、叔母上である翠玉様へ保護を求めて参ったと……」
陽香自身も信じられないと言う様子だが、とりあえず事実を整然と報告してくれた。
御身の危険……とりあえずそれだけが引っかかって、冬隼と二人同時に、歩が出た。
「お前は、ゆっくり来い」
冬隼に肩を掴まれ、言い含められる。
咄嗟に足を止めると、それを了と受け取ったのか、冬隼は陽かおを伴って足早に、部屋を出て行った。
翠玉が、なるべくゆっくりと門に到着すると、後宮の紋の入った馬車が一台停められていた。
そして馬車の前には年若い侍女が1人、礼をとっていた。
歳のかさは20を超えた頃か。
若いが、臆する様子もなく凛とした瞳が翠玉を捉えた。
翠玉の姿を確認した彼女は、ようやくそこで夜分に突然の訪問をした事を詫びる口上を紡いだ。
そして、胸元から書簡を出すと冬隼ではなく、翠玉に手渡す。
一度冬隼と目配せをすると、「受け取って開いて見ろと」頷かれる。
しっかりと香の焚かれた高級な用紙を開いてみると、まず目に入ったのは、姉の印章だった。
中身は至って簡素だった。
ただ、『惺殿下の後見を一任する』と時節の挨拶も無く書かれているのみだ。
これでは手紙でも無く、ただの契約書のようなものである。
これだけでは、異母姉の意図がわかるわけもなく、首をひねる。
覗き込んできた冬隼も、いぶかしげな顔をしている。
「どういう事だ?」
冬隼が付き添いの侍女に問いかけるものの、侍女は深く首を垂れて。
「私にも詳しくは……貴妃様の御身が拘束される運びとなりましたので、その前に殿下の御身を安全な場所にと言うことで、こちらにお送りするよう命を受けましたので」
感情を一切殺したような淡々とした口調で説明した。
「拘束!?」
「何があったんだ!?」
冬隼と顔を見合わせるものの、互いにそんな話は初耳であった。
目の前の侍女は頭を下げたままで、その先の説明をするつもりはないようだった。
「とにかく、時間も遅い。惺殿下を中に!部屋の準備をさせろ」
冬隼が側に控えていた陽香に指示を出す。
この場に桜季がいないということは、すでに彼女が動いている可能性は高いだろう。
「俺は、兄上の所に行って状況を確認してくる。殿下の事を頼む。落ち着いたら早めに休んでくれ」
肩に冬隼の手が置かれる。その間にも側仕えに、馬の手配を指示して、警護についても指示を飛ばしていく。
「分かったわ。気をつけて」
頷くと、彼の大きな手が頭をポンと一つ叩いた。すぐに彼は着替えのために自室に足を向けて離れて行く。
冬隼の姿が見えなくなると、翠玉は一つ大きく呼吸をして、いつのまにか顔を上げている侍女に向かい合う。
「殿下をお通しして」
そう告げれば、彼女はすぐに馬車の扉側に回り、扉を叩いた。
すぐにカチリと音がして、中の鍵が外され、扉が開く。
出てきたのは1年ほど前、異母姉の足にまとわりついて怯えていた少年で間違いなかった。
以前に比べて少し背が伸びただろうか。
異母姉譲りの、整った顔立ちはまだ幼く丸みがあり、翠玉を見上げる瞳は、不安そうに揺れている。
しかし儚さが際立っていた以前と比べて、どこか凛とした雰囲気を感じるのに、この1年での彼の成長を感じた。
「こんばんは惺殿下」
動揺を悟られないよう、落ち着いた調子で声をかける。
皇子の頬が緊張するのがわかった。
「こんばんは、叔母上様。やぶんに突然の訪問、申し訳ありません」
それでも翠玉をしっかりと見据えて、彼は軽く一礼した。
その姿が何故かとても痛々しくて、翠玉は側により身をかがめた。
「お母上様からの書状は確かにご確認いたしました。今夜はこちらでゆっくりお休み下さい」
そう告げると、皇子は明らかにほっとした様子で肩を下げた。
桜季が戻ってきて回廊の先で礼を取っていた。
とりあえず部屋の手配が完了していると言うことらしい。
「こちらです」と先を示せば、皇子の後ろに侍女が付き、後をついてきた。
皇子からも、侍女からも何も言葉は無かった。
部屋へ案内すれば、女官達がせっせと寝台や調度品を整えており、それを待つために卓に茶が用意されていた。
そこに2人で掛け、話を聞き出そうとするものの、どうやら殿下自身、何がどうなってこのような形になったのかは分からないと言うのだ。
ただ。いつものように眠ろうとしていた所に、母がやってきて馬車に乗せられたという。
その割に、随分と落ち着いている。
普通の9歳の子供ならば訳もわからず母から離され追い出されれば、混乱して泣いていてもおかしくない。
きっと何かある……それはわかったが、深夜にこんなに幼い子供を詰問する気にはなれなかった。
結局、身の回りに不自由がないかどうかを確認して、部屋が整ったところで翠玉は部屋を辞した。
警備の配置を確認して、2.3指示を出すと。そのまま部屋に下がった。
少し前には、この部屋で冬隼とのんびりと過ごしていたのに、随分と状況が変わってしまった。
すぐに冬隼が王宮に走ったが戻るのは何時になるのだろうか。
お前は休めと言われたが、正直休んでいられる状況ではない。
しっかり目が冴えてしまった。
仕方なしに寝台に横になり、ぼんやりと天蓋を見つめた。
きっと明日から忙しくなる。少しでも体力を温存しておかねば。
そう思いつつぼんやりしている内に、いつの間にか眠りについていた。
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