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2章

44 企み③

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「っ……霜苓どこへ行く?」
夜の闇が深くなり、わずかな風と虫の鳴き声だけが響く深夜。
 霜苓が身体を起こすと、隣で眠っていた陵瑜がわずかに目を覚まし問うてくる。
 

「しー」と指を立てて、珠樹を確認する。

「厠だ、珠樹を頼む」

 顰めた声でそう告げれば、陵瑜は何故かホッとしたように息を吐いて「珠樹は残るのだな?」と呟き、また瞳を閉じた。

すうっと規則正しい寝息が聞こえるのを確認して、霜苓はホッと息を吐く。もしここで、陵瑜にはっきり目覚められてしまったら計画の遂行を諦めねばならなかっただろう。

 実のとのころ、これが第一の関門だと霜苓は思っていた。
 
 今日だけではなく、なぜか陵瑜は霜苓が床を抜け出すことに敏感だ。
それに関しては、過去に相当な嫌なことがあったのだろうと霜苓は推測している。
 
 部屋を出て隣室に入ると、珠樹の昼間用の寝台に隠してあったそれを引き出して、身につける。この宮に来て数日、ただただ作法を習って生活していたわけではない。
 いざと言うときのため、必要なものは入手していた。

 ここの邸の衛士の格好を身にまとい、部屋を出る。
 庭に出て、建物を影沿いに歩いていくと、すぐに本邸と離れを隔てる回廊に到達する。当然離れと本邸の間の警備は厚いことは霜苓も確認済みである。


 影になった回廊の柱に手を伸ばし、するりと音もなく登る。今日は月の光が明るい、ゆえに影の部分の闇は一層濃い。
 用意しておいた、自前の外套をまとい、月影を探すように、歩をすすめる。
 高い城門の櫓にも見張りがいるため、影から出ないように慎重に進める。
 そうして本邸に入り込めば、あとは庭に降り立ち、影を伝うように、建物を回り込む。
 国によって邸や宮殿の作りに違いはある。銀鉤国の高貴な人間はどうやら池を望める庭を好むらしい。要人の居住区は庭に面した最中心部である事が多い。
さて、どの部屋だろうか

 正直外からでは、どの窓が彩杏妃の部屋であるかは見当がつかない、ならば、頭上から探すしかない。
 建物に近づき気配を探る。ちょうど、霜苓と同じ格好をした衛士が松明を片手に回廊をわたって行ったところだった。
 衛士の通過を見送って、ゆっくりと建物に近づく。その時、パタリとほど近い場所で扉が開閉する音が響き、霜苓は慌てて身を寄せると柱と生け垣間に身体を隠す。
 衛士とは違う、軽い衣擦れの音に、男のものとは違うかすかな足音は、どうやら女官のものだろうか。
 恐る恐る様子をみる。

 どうやら燭台を持つ女官が部屋から出てきた所らしく、彼女の手には、香炉が乗っている。
 香炉のかすかな香りは、安眠を促す効果のあるものに似ている。
 その上その侍女は、確か宴の最中にも、彩杏の側に仕えていたもので間違いない。
 はからずも、部屋の特定ができてしまったことに薄く微笑む。
 習慣であるのか、はたまた、宴のことがあってなのか、どうやら彩杏は寝付きが悪かったらしい。香を炊いてようやく眠りについたところを侍女が回収に来たのだろう。

好都合である。
 
 しかし部屋の前には数名の衛士が立っている。忍び込むには、コレをどうにかどけねばならないが、霜苓は来た道を戻る。
 庭に戻れば、また見張りの衛士が通過するところで、それを上手くやり過ごすと、建物の床下に潜り込む。湿気の籠もった床下をなれた動作で先に進み、突き当たった土壁の周辺を手探りで触れれば、硬い格子に手が当たる。
 静かにそれを外して、ぽっかりと空いた空間に身体をねじり入れる。
 どこをねじり動かせば狭い通路でも通過できるかは、郷の子供ならば、幼い頃に遊びを通じて学ぶ。中には関節を外してどこでも通過する猛者もいるが、あいにく霜苓はその技術を体得できる適正はなかった。
 しかしこれくらいの穴ならば、問題ない。
難なく穴を通過した。真っ暗な暗闇が広がる空間は、常人では鼻先ですら見えないものだが、霜苓には薄ぼんやりとその全貌が見える。柱の位置と床下の補強具合を確認し、体を進める。
 なんとなしに寝台の位置を特定して耳を済ませれば、女性特有の、少し早く柔らかい息遣いを感じる。かすかな香の香りと、強い香油の香りは、宴の時に彼女の体からわずかに香ったものと相違ない。
 
ならばここでいいだろう。
 
 胸のあわせから丸めた団子状のものを取り出す。ネズミや虫などの害虫を退治する際に作られるものによく似たそれに、霜苓は自身の指に装着した火薬を擦り上げて着火する。
 わずかな光とともに、ジリジリとその団子を焼くと、やがて団子から煙とともに、甘い香りが立ち込める。

 すぐさまそれをその場に置き、霜苓はその場を離れる。

 団子は霜苓が調合した香だ。しかし体の気を整えるものでもなければ、安眠につながるものでもない。

 急いで、しかし音を立てずに、霜苓が再び穴から抜け出して、格子をもとの位置にはめ込む頃、床下には煙が充満していた。
 すぐに腰の袋から、解毒薬の薬瓶を引っ張り出して飲み干す。
 すでに先程掻いていた肌が、少しばかりひりついている。
 とにかく、早めにこの場を離れ、離宮に戻ろらねばならない。
 注意深く、床下を抜け出した霜苓は再び、庭の影にその身を溶け込ませた。 
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