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2 出会い

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「はあ、一体どうして、こんなことになるのかしらね」

 舌打ちをして恨み言を口にしたいところだが、罵る相手が目の前にいないので、ラシェルはため息混じりで狭い馬車の中で手足を伸ばした。

 馬車は何度も大きく揺れて、停まる気配なく進んでいく。

 どこへ行くやら。小さな窓は板が貼られていて、外の景色が見えない。結構な雨が降っているようだが、それでも停まることなく馬を走らせている。そこまで急いでラシェルを王宮から追い出したかったようだ。

 離宮行きが決まった後、部屋で待機していろと命令され、部屋に閉じ込められた。早朝叩き起こされれば、雨の中馬車に突っ込まれた。それからずっと馬は走り続けて、停まっても食事もなければ水すらない。

 ラシェルは第一王子クリストフの婚約者候補だったはずだが、一晩で罪人に成り下がったようだ。

 どうしてこんなことになったのか、考えても仕方がないのだが、考えたくなる。
 ラシェルとクリストフの出会いは、偶然だった。

 子爵令嬢とは名ばかりの貧乏貴族であるラシェルは、夜行われていた精霊の祭りに、一人参加していた。夜祭のご飯やお酒は格別に美味しい。広場では出し物もあるし、皆が踊りを踊って、街中は賑わっていた。
 楽しそうな顔を見ているだけで、こちらまで楽しくなる。

 子爵令嬢でありながら、街で一人何をしているか。貧乏暇なし。ラシェルは街で平民に混じり、商売の手伝いをしていた。その帰りである。
 貿易を行いながら警備の男たちを雇う店で、事務的な仕事をしているのだ。帳簿を付けたり、情報をまとめたりしている。
 夜祭だから混む前に早く帰れと言われたが、そう言われて帰宅するラシェルではない。

「お酒おいしー!」
 甘いお菓子に甘いお酒。幸せに浸りながら混雑した道を歩いていると、道端で男たちに囲まれている、身綺麗な男を見つけた。

「お前がぶつかってきたせいで、シャツが汚れただろう!」
「ビールがこぼれちまったよ!」

 ずいぶんと、ちゃちな因縁をつけられているようだ。
 痩せ型で、平民の服を着ているが、身なりが良く見える。新品だからだろうか。いかにもお坊ちゃん風な顔の良い男なので、目を付けられたのだろう。相手の男たちはよっぽど汚い格好なのに、服を弁償しろとふっかけられていた。
 お坊ちゃん風の男は、ごろつきたちに恐れをなしたのか、ポケットから何かゴソゴソと取り出す。

「これくらいしか持っていないが」
 価値が分かっていて出しているのか。手に持っていたのは金貨だ。しかも、手の中にごっそりと乗せて、ごろつきたちに見せている。
 ごろつき相手にあんな量の金貨を渡すなど、金銭感覚が狂っている。平民ならば、あの金貨一枚で、一年分の食費が賄えるだろう。

 ごろつきたちは顔を見合わせて、ニヤリと笑った。
「それじゃ足りないよ、兄さん。もっと持ってないのか?」
「では、これでどうだろうか」

 あの男、本物のお坊ちゃんだ。持っていた懐中時計を出したが、遠目からでもわかる、大きな宝石がついていた。
 ごろつきたちは喜色満面の笑顔を浮かべた。

「お兄さん、そんなもの、出す必要ないわよ」
 さすがに見かねて声をかけると、ごろつきたちがこちらを見遣る。
「声を上げられたくなかったら、さっさと逃げた方がいいわ。こんな大通りの側で、悲鳴は聞きたくないでしょう?」

 大通りから外れた道ならまだしも、大勢のいる通りの小道だ。ラシェルが大声を上げれば、誰かがすぐに衛兵を呼ぶ。その意味で言えば、ごろつきの一人が大きく眉を傾げた。理解していないようだ。

「何を言ってやがる」
「おい、やめとけ。こいつ、商会の女だ。後で面倒になるぞ」
 ごろつきの一人はラシェルの顔を知っていると、仲間を止める。せっかくの獲物の前に引くのをためらったが、他のごろつきたちに引っ張られて、裏道へ逃げていった。

「大丈夫ですか? こんなところで、そんな大金を出してはダメですよ」
 残ったお坊ちゃんに注意をすると、お坊ちゃんは瞳を大きく広げてみせた。何を驚いているのか、じっとラシェルを見つめる。

「聞いています?」
「彼の服が、汚れたと言われたのだけれども」
「そのような大金を渡しても、ほとんどおつりで戻ってきます。ところで、お一人ですか。もう夜も遅いので、お一人では危険だと思いますが」
「あなたも一人だろう。女性なのに、このような時間に一人とは」
「私は慣れていますので。どなたか、お連れの方はいらっしゃいますか?」

 ラシェルが問うと、男はちらりと遠くを見やった。マントを羽織った体格の良さそうな男が二人、あちこち見回している。この男を探しているのだろう。

「早く戻られたほうが良いみたいですね」
「……まだ、戻る気はないので」
 お忍びで街を楽しみたいのか。長いまつ毛を頬に落として、残念そうな顔をする。

 しかし、随分な美人だ。服装は街に合わせ質素に見えるようにしているが、貴族感が抜けることがない。むしろ違和感がありすぎる。
 柔らかそうな長い金髪を後ろに結び、背中に流しているが、一切の乱れがない。絹のような髪だ。瞳はブロンズで、少しばかり垂れ目。まつ毛が長く、中性的だが、身長や体格が女性のそれではない。見目が良すぎるほど良い男だ。

 マントの男たちから見るに、かなりの身分なのではないだろうか。ここで気安く話しかけていて大丈夫なのか、少し心配になる。
 ここで名前を聞いて面倒にはなりたくない。そう思ったが、マントの男たちがこちらに向かってきていた。フードマントを被り、剣を持っている。

「こちらへ」
 つい腕を引いて男を誘導する。マントの男たちに気付かれて、逃げようとしていたからだ。

 このまま放置しておけばよかったと、後で後悔した。後悔しても後悔しきれない。




 マントの男たちから離れた後、お坊ちゃんは街をまわりたがった。逃亡の手伝いをした手前、仕方なく一緒にお店を周り、食べ物を買って、橋から湖を眺めた。

「また、会えないだろうか」
「こちらに来ることは、難しいのでは?」
「いや、この時間ならば。きっと」
 どこぞのお坊ちゃん。二度も来ることは難しいだろう。だから、名前を伝えた。

「私の名はラシェルです。会えたら、また会いましょう」
「僕は、く、あ、いや、アーロンという」

 明らかに偽名だろう。いいとこのお坊ちゃんが、こんな場所をうろつくことがおかしいのだ。ラシェルは突っ込むことなく、アーロンと呼ぶことにした。二度と会うことはないと思っていたからだ。
 そう思っていたのに、アーロンは少し経って会いにきた。ラシェルの働く店に終わった頃合わせ、夜にやってくる。働いているラシェルには、丁度いい時間だ。

 アーロンの金銭感覚はかなり抜けているが、庶民の暮らしに驚いたり、興味を持ってくれたりすることが楽しかった。
 世間知らずが過ぎて、むしろ笑ってしまう。この時点で気付けば良かったのだが、その時は気付くことができなかった。結構な頻度で街に遊びに来ていたからだ。

 遠くの領土から遊びに来ている、高位貴族の次男かそこらか。街のことを全く知らないので、その線が高いと思っていた。
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