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第一章 クイナ

05.朝から笑える羽無し ※

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 初めてやった日以降、自分から誘うのはやめた。

 自分から能動的に動くのもやめた。言われない限りこちらから奉仕らしい事をする事もなければ、二度目を求める事もない。
 自分は動きもせずに、カジュリエスと言う男に受動的に快感だけをもらう、いけすかない人間になってしまった。

 でも、本当の所は違う。

 思う相手に遠慮なく好き勝手に振る舞えるのは、思われているという自信や思い込みがあってこそだ。今のレイルにそれは無い。だから、何もできない。何かをして嫌われるとは思ってはいないが、下手を打ってこの関係を解消したくない。
 自分でも呆れるくらいにカジュリエスを想っている。

 ただカジュリエスの性欲を受け入れるだけのレイルであるべきなのに、蓋をしたはずの恋心は微妙に開いた隙間から時折顔を出す。

 だから、夢にカジュリエスが出てきた日のレイルは、これ幸いと乗っかって好き勝手に動くことにしている。
 夢は良い。特に、レイルのように夢を夢と認識している人間には好都合だ。
 何をしても現実ではないし、本物のカジュリエスにはしない事も夢ならできる。
 その日、久しぶりに夢にカジュリエスが出てきた。レイルが帰宅するといつものソファに座りこちらを見て微笑んでいる夢だ。
 レイルはさっさとカジュリエスの上にのしかかり、小さく好きだと囁きながら目蓋から順に口付けていく。
 好きだなんて、現実では絶対に言えない。反応が怖い、呆れられて二度とうちに来なくなったらどうする。
 その点レイルの夢は自由で良い。

 目蓋、頰、顎、首筋、そして鎖骨。

 顔を両手で撫でて、そっと唇に指で触れる。カジュリエスがその指を舐めてくる。実際に刺激があるわけではないのに、それだけで震えるほどに感じるなんて、どうかしている。
 その手をやんわりと外して、服の前を開き、更に下がる。胸に、腹に、臍に、舐めて吸って齧り付く。都度、口にカジュリエスの震えが伝わるのが楽しくて仕方がない。

 程なく、一番のお楽しみにたどり着きとっとと前立てを開く。焦らしも余韻も何もない、自身が楽しむ為だけの行為だ。

 既に限界まで勃ちあがるカジュリエスの陰茎を見つめながら、毎回、こんなに大きかったか? と思う。初回以来、まともに見ていないから記憶に頼るところが大きいのだと思うが、毎回思う。おおきい。

 ここまで来ると、あまり動かなかったカジュリエスがようやく頭を撫でてくれる。それに促されるようにレイルは目の前の大きくぱつぱつに張った陰茎を舐める。亀頭部分を中心に、くびれた部分を味わうように舌を這わせる。

 実際にカジュリエスがこの行為をレイルに強いた事は一度も無かったけれど、レイルはいつも舐めたいと思っている。

 亀頭を唇で覆うように口腔内で刺激して、流れ出たレイルの唾液で滑りの良くなった側面や裏筋は左手で擦る。カジュリエスがするように、喉の奥まで咥え込む事は大きさ的に難しい。それでも、精一杯自分の手で、口で、気持ちよくしたい。唾液をからめ、先走りを吸い、唇で、舌で、上顎で、レイルの思いつく全部でカジュリエスに快感を。

 ちらり、と目をあげると、髪を撫でてくれているカジュリエスは眉間にシワを寄せながら酷く気持ちよさそうにしているから。
 思わずあいた手で、自身の陰茎を探る。当然大きくなっているし、なんなら先走りが先っぽから出てきて、そこをぐりぐりと指で刺激するだけでイってしまいそうだ。

 左手も、右手も、口も、全てをばらばらに、はやく。
 レイルの頭を撫でていたカジュリエスの手が止まり、小さくレイルの名を呼ぶ声がして、レイルの手は、口は、益々はやく動く。このまま、口の中で出して欲しい。ちゅう、と吸いだすような動きにカジュリエスの腰が震えて、程なくレイルも吐精した。

 朝に強いレイルは普段は早朝でもすっきりと目覚める事が多い。なのに、その日の目覚めは怠すぎた。

 まさか。
 この年で夢精するとは。
 確かに昨夜は過去に無いほど盛り上がってしまった。夢の中、1人で、だが。
 余りに驚いて目覚めて暫くは呆然として、自身の下半身を見つめ続けてしまった。

 この際夢精はいい。いや、良くはないが、まぁいい。それよりなにより、身体の怠さがきつい。たかが夢精したからといって、ここまで身体が怠く辛い事があるものか。あるわけがない、これはただの体調不良だ。ああ、動きたくない。

 とは言え、仕事を休むと言う選択肢はない。気力を振り絞って起き上がり、冷たい水を浴びた。多少持ち直すかとの根拠のない素人判断は所詮素人、あまり意味はなかったし、当たり前だが、ただただ寒かった。

 浮島亭に着いても、怠い。立っているのが辛い。顔も火照り、胃のあたりが気持ち悪く、下腹も地味に痛い。
 本格的に何かがおかしいのはわかるが、元々健康で体調を崩すことのないレイルにとって、何がおかしいのかまではわからない。
 医術師に診せる選択肢なんて、はなから無い。そんなことをしたら、唯一の趣味である本を買うお金がなくなる。
 そういえば、世の中には気流師などと言う、視ただけでその人の身体の不調がわかり、一本の針でその不調の全てを治す人間もいるそうだが、西浮国には王室に数名いる程度と聞いた事があるくらいで、そんな奇人はレイルの中ではもはや都市伝説の域だ。気流師生誕の地と言われる中草国に行けばその辺を歩いていたりするのだろうか。

 いずれにしても、医術師も、気流師も、レイルの人生にはお呼びではない。

 と、よそ事を考えて気を散らそうと頑張ってはみたが、本格的に頭がぐらぐらしてきて、同じく早番の同僚が「お前、なんかマジでやばそうだって。帰って医術師の所に行け」と言い出したので、その言葉に甘えさせてもらって帰った。
 もちろん医術師の所には行っていない。

 立っていられず、帰宅早々に寝室のベッドに倒れ込む。

 昨日の朝食以降何も食べていないのに空腹も感じない。目を閉じて少しでも休もうと試みるが、動悸が激しく眠りも訪れない。これは、本格的にまずいかもしれない。無理矢理でも眠って、早く身体を治さないと良くないことが起こる、そんな予感すらしてくる。

 それから、数時間、結局レイルは全く眠れないまま、体調は良くならず、むしろ悪いままで夕方を迎えた。
 この調子では明日も店に行くのは無理だなと早々に諦めて同僚へと連絡したは良いが、明日には良くなっている保証もない。心底困ってどうしたものかと考えていたときに、玄関が開く音が聞こえた。ノックもせず、呼び鈴も鳴らさずに勝手に入ってくる人物なんてカジュリエス以外居ない。

 ああ、……クソ

 今日はダメだ、帰ってもらおう。カジュリエスが何を目的にここに来ているのかはわからない。
 だが、性欲を発散する為にきているのだとしたら、今日応える事は難しい。


「おいレイル、いるんだろ、話しが……」


 気遣っているような声音で呼びかけながら扉を開けて中へと入ってきたのは、やはりカジュリエスで。
 そのカジュリエスを目にした途端、レイルの内から悦びに似た激しい感情が噴き出し、身体の隅々まで痺れたような気持ちになった。誰かと会うことができて嬉しいとか、幸せだとか、そういう気持ちを今までも持っていたが、そんな過去の感情が霞むほどに強烈な愉悦の感情。
 正直、混乱の極みだ。何故こんな急に。突然。今までだって素直になれないだけで、似たような……会えて嬉しい、そんな感情を持ってはいたけれど、ここまで激しいのは。


「おい……? 大丈夫か……?」


 全く大丈夫ではないし、動悸は更に激しいし、レイルの意識全てがカジュリエスへと向かっているのが自分でもわかる。
 だが。


「カジュ……おまえ、悪いけど今日は帰れよ、……おれ昼から調子悪くてさ。仕事も途中で抜けさせてもらって」


 精一杯の強がりだ。
 カジュリエスがレイルの家に来る意味はわからなくても、レイルがどれ程来てくれて嬉しいと思っていたとしても、それでも、カジュリエスに性欲すら発散できない使えない相手だと思われたくない。


「俺に連絡しろよ、すぐに」


 その言葉に、思わず笑ってしまう。


「なんでだよ、意味わかんね」


 心底意味がわからない。連絡してどうする。連絡すれば、わざわざやれもしないレイルの家に寄らずとも済んだという事か。もしそうであるなら、本当に笑える。自虐的な笑いだ。


「医術師に診せたか?」
「診せるわけないだろ、……無茶言うなよ、医術師って高いんだぞ。てか相手すんの、辛い、まじで帰れって」


 その言葉で、カジュリエスは大人しく部屋を、と言うか、レイルの家を出て行った。

 大丈夫か? と気遣ってくれていた。それだけでもありがたいと思うべきか。
 帰れと言ったのはレイルなのに、本当は離れたくないなんて、自分が面倒くさすぎて心底笑える。
 そういえば、話しがある、と言っていたような気がする。それだけでも聞けば良かったか。いや、こんな状態の時に、改まって持ち出してくるような話しなんて聞くべきじゃない。だいたいにして身体も辛いが、今のレイルは心もぐちゃぐちゃだ。

 明日の朝になっても落ち着かなければ、仕方ないから医術師の所へは行こう。
 その後は……。どうすればいい。

 もしかしたら、自分で思っていた以上に、今の関係が自身に負担だったのかもしれない。だから、今回身体に不調が現れたのかもしれない。
 かもしれない、ばかりで本当の所なんて何もわからないけど、このまま身体も心も制御できない状態でずっと過ごしていくのはレイル自身が辛い。

 体調が治ったら、今後について真剣に考えてみよう。自分自身が割り切れない身体だけの関係なんて、もういっそ、無い方が良いのかもしれない。別れは辛いが、いっときの感情と割り切って離れてしまうのもありだろうという気持ちにもなってきた。

 そこまで考えた時、また、玄関から誰かが入ってきた気配がした。

 カジュリエスは先程帰したはずだし、その上足音は一人分ではなさそうだ。今度は一体誰だ。この心底怠い日に限って何だってこんなに何度も人が来るんだ。

 イライラと寝転んだまま扉を見ていると、帰ったはずのカジュリエスが顔を覗かせた。


「カジュリ、エス……? 帰れって言ったろ……?」
「帰るわけないだろ。おい、こっちだ、入れよ」


 カジュリエスが扉の外に呼びかける。男が入ってきた。


「お邪魔します。はじめまして」


 カジュリエスに勝るとも劣らない大きな身体。背の高さと同じくらいあるように見える大きく黒い羽、薄灰色のような色の肌に、短く刈りそろえられた髪、優しそうに見えて鋭い瞳。
 薄暗い室内においても、見目の良い人だとわかる。

 見たことのない男だ。なんだかにこにこと愛想が良くて気安い感じだ。だが、一目でわかる。本当に気安いわけではなく気安さを演じているのだろう。自分たちのような市井の人間とは違う。カジュリエスとは違う職だろうが、何かしらの官職に就いているような人間だ。

 心底意味がわからない。
 この愛想のいい男をわざわざ今連れてきた意味は。


「あの、おれ、……ちょっと調子が悪いので今日は」


 暗に帰れと言ったつもりだったのに、カジュリエスはその場を動かないし、連れてこられた男は。


「そうですよね、調子が悪いんですよね、カジュリエスから聞きました。私は、カジュリエスの仲間なんです」


 自己紹介をされる始末だ。だから何だ。
 おれはカジュリエスの性欲処理の相手です、とでも自己紹介でもすれば良いのか。心は不愉快だし、身体は益々不快だ。
 レイルが困っていると言うのに、カジュリエスは真剣な表情でやりとりを見ているだけだ。連れてこられた男はそんなカジュリエスに全く構わずにレイルに近づいてくる。


「カジュリエスからつがいの話しをされて、急いで来たんです、ちょっといいかな?」


 その言葉を耳にしたレイルは。

 レイルの頭の中は。胸の内は。全身に鳥肌が立つほどの不快感と、荒れに荒れる内側。何も食べていないのに、今すぐにでも吐きそうだ。
 確かに、身体だけの関係は限界だから今後について真剣に考えてみようとは思っていたが、それは体調が治ったら、の話だ。
 カジュリエスもカジュリエスだ。何もこちらがこんな状態の時に、こんなにかっこいい番を見せつけに来なくても良いじゃないか。何をしたって、レイルには勝てそうにもない。
 が、カジュリエスのしたかった話しなのか。自分の番を紹介することが。
 調子が悪いから帰れ、と再三お願いしている哀れな身体だけの関係の人間に、自分の番を自慢すること、それは、今やらなくてはいけないのか。
 カジュリエスのことが本当にわからない。わかりあえない場所にいるヒトなのだと改めて感じてしまった。
 涙が出そうだ。元々熱で潤んでいたレイルの眼球は、簡単に潤いを増す。


「カジュリエス」


 思わず、呼びかける。
 カジュリエスは視線だけで、何だ、と促しているようだ。多分。だってもう、潤いは涙になり、更に視界が悪くなってしまいレイルにはカジュリエスの表情すらよく見えない。


「本気で頼む。もう、本当に、そこの人連れて、今度こそ帰れよ。
 カジュリエスの番とか紹介されてもどうしていいかわかんねぇよ、おれ今、起き上がるのも辛い。どうしても番って紹介したいなら、こんな……弱ってる時じゃなくて、元気な時にしてよ、……きっつい」
「レイル……大丈夫か、泣いて、いるのか?」
「泣いてないよ。熱で、なんか涙が出そうになってるだけだから、……そこ察する事ができるなら、わかるだろ、帰って」
「いや……わからないが……番が、いやなのか?」


 どうしてレイルがカジュリエスの番に会うことが嫌じゃないと思っていられるのか、不思議だ。
 普段ここまで察しの悪い男だと思った事はなかったが、今のカジュリエスはレイルにとってまるで知らない人と対峙しているようだ。


「言葉通りだよ、連れてきたお仲間さんを連れて出て行って。話したかった事って、これだろ? 言いたいことは、わかったから、もう改めて話しにこなくて良いよ、……お願いだから帰って」


 連れてきたお仲間、と言ったのはレイルのせめてもの抵抗だ。ばかみたいだが、連れてきた番、だなんて言いたくなかった。


「こいつを連れて帰ったらダメだろ、お前を会わせる為に連れてきたのに」
「おれは会いたくなかったよ、カジュリエス、……どうしたらわかるの、何て言えば理解するの、帰れよ、出ていけよ」
「レイル……良いんだ、金のことは心配するな、まずはこいつと話してくれ」
「……金って、なんだよ……」


 思わず、大きな声を出してしまいそうになった。心底身体が怠くて良かったと思う。こんな身体の状態では、大声を出すのも一苦労だ。
 カジュリエスにも、この目の前のかっこいい男にも、みっともない所は見せたくない。
 だけど二人とも、いくら言葉を尽くしても全く出て行く気配はないし、終いには体調が悪いのだと寝ているレイルに、慰謝料の話しなんかしてくる。
 カジュリエスに番が居るとわかっていたら、最初から自分を抑えて、あんなあからさまに誘いをかけたりしなかった。

 番のいる男と寝たら罪になるかどうかはレイルにはわからないが、官職の二人がこうして目の前で、番と金の話しなんて出してくるのだから、多分罪なんだろう。


 ちくしょう。
 だったら、番の事を話さずに自分を抱き続けたカジュリエスだって同罪じゃないか。

 なんだか、がっかりだ。
 カジュリエスの酷い行動に、酷くがっかりしている。でもそれ以上にがっかりなのは、それでもこの男が好きだと思ってしまう自分自身にだ。がっかりだし、滑稽だ。笑える。今日は朝から笑えることばかり起こる。


「あの、お仲間さん?」


 カジュリエスでは埒があかない、お仲間にお願いしよう。


「はい? カジュリエスのお仲間さんは、バルチャーと言います。覚えておいてくださいね。そろそろ診せてくれる気になりましたか?」


 相変わらずにこにこしながら、名を名乗る。とは。一体何を。この人にも、話しが通じていないようだ。再三帰って、と、お願いしているのに、まだ居座る気か。


「いや……見せるものなんて何もないし……どうして、あんたたちは、おれの言う事をわかってくれないんですか。
 さっきから、おれは具合が悪いから帰って欲しい、って言ってるだけなんです、それの意味わかります?」
「ん……? わからない? かな?」


 だめだこれは。
 全くだめだ。
 この具合の悪いなか、仕方なく慰謝料の話しを最後まで聞くか、なぜか家主であるレイルがここを出ていかない事には、この二人からは離れられそうにない。


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