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第二章 ツル

12.慟哭する白い羽 2/2

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 どれだけその場でそうしていたのか。

 外が暗くなり、白んで来た頃、ようやくクレインは立ち上がった。

 腕が痛いと思って見たら、壁や窓を叩き続けたせいか両腕ともに紫の斑紋が浮いていた。

 窓を見た。血が固まってついている。頭のどこかで、めんどうだけど掃除しねえと、と思う。思ったままのろのろと動き出して、雑巾を絞り窓を拭いた。

 動き出してみたものの、実際何をしていいのか、自分はどうすればいいのかわからない。

 寝室に引き返し、自分が起きだしたままの状態でそこにあるな、と思う。だけど、それが確認できたからなんだというのか。ここにピィが確かに居たのかなんて、わからない。本当は自分だけが、ずっとここにいたかもしれないなんて、そんな事をぼんやりと思う。

 龍の部屋へ、ピィに貸していたはずの部屋へ赴いた。

 絨毯以外は触るなと言いつけ、ピィはずっとこの部屋の絨毯で身体を休めていた。

 この部屋の扉越しにクレインとピィはたくさん話した、はずだ。
 楽しい話、少しだけ悲しい話、それから、どうでもいいような、今となってはよく思い出せないような話。何でも話したはずだ。だけど、そう言えば怪我が治った後の事は話さなかったかもしれないな。

 そこまで考えて、壁に造り付けてある戸棚が開いている事に気づいた。


 あいつ、どこも触るなと言ったのに


 クレインは吸い寄せられるように、ほんの少しだけ開いている扉へと近づいた。
 壁一面の戸棚の中には、クレインが龍の羽を思い出して織った布が何枚も畳んで積んである。
 何枚作ったのかも今となっては定かでは無いし、記憶はとても流動的で、幼い頃に見たあの西浮国の空を飛ぶ龍の模様も本当にこの目で見たのかすら曖昧になってきていたのだけど、それでも織らずにはいられなかった。
 扉に手をかけ、開く。整然と積み重ねられていたはずの布が一枚だけ引き出されて、目の前に丸めて置いてあった。
 その布は。布の模様は。色は。一体いつ作ったのか記憶もないその織物は。


「……ピィ……」


 ピィがこの島を去っていく最後、クレインの眼前に広げられたあの羽の模様だ。ピィの羽の色だ。ピィの羽と全く同じような色柄の織物を、自分は過去に作っていたのか。

 思わず、と言ったように、クレインは織物に手を伸ばす。

 触れた途端、小さな小さな雷のような衝撃が起こり、次に目を開いたときには目の前に靄のように透けて揺らめくピィが立っていた。


「……は……?」


 目の前のピィは、今にも泣き出しそうな顔でにこりと微笑んだ。そうして語りだす。


『クレイン。あの……怒っていますか……怒られても仕方ないのですが……嫌わないで……なんて、もう、嫌われてしまいましたかね、……』


 何だこれは。
 追跡魔術の応用か……?
 目の前で光る靄のように現れて語りだしたピィを見て、クレインの頭は混乱する。ここにピィの本体が居ないことはわかるがしかし。
 あの織物を触ったら発動するように仕掛けておいたのか……?


『あの……とても言いづらいのですが……クレインにしか頼めない事があって、と言うか、クレイン以外には絶対に頼みたくない事があって、あ、あの、それはそれで、この織物すてきです。本当に、クレインの紡ぎ出す織物はどれもとても素敵で、私、いつもずっと作る様子を見ていたいって思っていたんですけど、とにかく、その中でも、この織物は本当の本当にすてきです』
「はあ……」


 自分柄の織物を突如褒めだすピィに、クレインの感情はなかなかついていけない。


『この織物見てると、私、あなたにずっと想われていたんだと実感できて嬉しいです。本当は持っていきたいのですけど、持っていったら、あなたに迷惑がかかるのでちゃんと置いていきます』
「……」


 言葉なんて何も出てこない。ピィは自分の意思で出ていったのだと今の言葉で思い知らされてしまった。
 胸の奥から突き刺すような痛みを感じる。大人になったら涙なんて出ないと思っていたのに、自分でもそうとわかる位にひどく傷ついたらしいクレインは、靄のようなピィを見つめながら涙をこらえている。


『クレイン、……織物の中に……私が魔術で創造した卵を入れておきました。クレイン以外には、託したくないんです。
 勝手ばかり言っているのはわかっているんですけど、孵化したら、育ててあげてください。普通の、本当に普通の人としての人生を歩ませてあげてください。私は、その人生を歩めなかった』
「えっ?! は?!」


 凄い言葉を耳にした気がする。
 今この目の前の靄は何と言った? 魔術で創造した卵?

 飛びつくように織物に手を伸ばす。触るのを躊躇いながらも、丸められた織物を恐る恐る開くと確かにそこにはクレインがここ一月の間で見慣れたピィの色、黒くて茶色で、よくわからない色の卵が一つ。

 呆然と卵を抱え込む。これを託されて、クレインはどうすれば良いのかわからない。混乱しかない所に、追い討ちをかけられ続けているようで、頭の中が正常に働いてくれない。


『クレイン、謝らないといけないことばかりで申し訳ないんですけど……。
 できるだけ早くこの島から逃げてください。私が連れ戻されたら、そう遠くない未来にこの島は攻撃されると思うんです。
 出来る限り止めますし、時間も引き伸ばしますし、魔術を使ってこの島に人が住んでいないように見せかけますが、万全を期して島を吹き飛ばすぐらいやりかねない人たちです。
 ……ああ、これ絶対クレインに怒られるな、本当にごめんなさい』
「はぁ……!?!?」


 靄のピィはえげつないことを言いだした。これ以上は、……既にいっぱいいっぱいのクレインだ。処理しきれない。


『あぁ……もっとたくさん言いたい事も話したい事もあるのに……時間がない……。
 クレイン……誰かに向ける特別な、……特別心地よい感情は全部あなたが教えてくれた。
 私にとって人とはただそこにあり自分を物のように扱う認識しかありませんでした。でも、あなたに会えて、あなたは違うとわかった。もっと、もっともっと早く、会いたかったです。
 もしかしたらこれを言ったら、あなたを縛る呪になるかもしれませんが…… 我慢が、できないので、伝えさせて。


 ――あなたの命がある限り、あなたを想っています、……クレイン』


 光が散り散りになるように、それきり目の前にいた泣き笑いのような顔のピィの形の靄は消えた。
 何だったんだ、今のは。
 夢か幻か。だけど、クレインの腕には確かに卵が抱かれている。

 結局のところ、何も確かな事はわからなかった。
 一連の出来事が全て現実のものだとしても、ピィの本名がピーファウルと知れたぐらいで、そんな事、だから何だと言う感じだ。


「なんだよあいつ……金龍の伝説の告白の言葉なんてそんなんじゃない、もっと別に自分の言葉で言いようあんだろ……自分も龍にでもなったつもりかよ」


 クレインの目から涙が溢れた。自分で自分の発した言葉に傷ついてしまった。
 龍なのだろう。
 数々のおかしな出来事も、世間知らずな所も、あの、異常な魔力も、龍であるなら一つもおかしな事はない。今ならわかる。
 だけどわからずにいたかったし、クレインはただの何色かよくわからない、ちょっと変だけど素直でかわいいピィを好きになったのだ。
 勝手すぎる。
 あいつは本当に勝手な男だ。
 最初から最後まで、勝手じゃない部分なんて一つもなかった。クレインの中も外も、全部かきまわしてぐじゃぐじゃにして、最後も勝手に去っていってしまった。


 何も考えられずに、卵を抱え込んだまま庭へ向かった。


 庭へと続く扉の取っ手に手をかける。あれだけ何をしても開かなかった扉は普段と同じく、特にひっかかることもなくすんなり開いた。
 そのまま庭に出て地面を見ると、たくさんの爪跡が残されていた。一番家に近い所で外向きについているのがピィの足跡だろう。跪いて、指でそのあとをそっとなぞる。

 羽根の一枚でも落としていけば良いのに、何一つ落ちていない。

 見事にさっぱりと行ってしまった。

 だめだ。動き出してはみたものの、どうしていいのかわからない。どうすれば。

 その時。

 抱いていた卵が中から動いた。こつん、こつん、と音が聞こえる。


「え、もう?」


 くるんでいた織物ごと地面に置き、見守ることしばし。程なく、光の粒と共に何かが産まれる。光の粒は青く輝きを増して周囲へと広がり、ついでぎゅ、と凝集するように一点に集まり消えた。光が消えた先、割れた卵の中には。


「ピイ!」


 産声よろしく元気に鳴きながら飛び出したのは、ピィによく似た、色のはっきりしない茶色の髪。全く目立たない小さな小さな茶色の羽。肌の色は薄いが目立つほどではなく、細い脚には派手ではあるが見ようによっては保護色にも見えるオレンジ色。唯一唇だけはクレインによくにた赤色の。
 孵化したばかりの裸の幼児が、クレインを認めて元気に鳴く。ピィ、ピィ、と鳴きながら周囲を飛び跳ね、完全にクレインを親と認識してしまったようで。


「……」


 両手のひらで掬い上げられるくらいの小さな幼児を抱き上げた。

 まだ、自分は全然大丈夫じゃない。
 出来る事ならこのまま一人寝室に引きこもり、何も考えずに寝てしまいたいし、ピィに悪態をついて恨み辛みをぶつけながら落ち込んでいたい。

 だけど、動くしかないようだ。
 この手のひらの上の小さな存在を、ピィが望む通り普通の人として育てないといけないのだろう。

 心も身体も全然大丈夫じゃないながら、無理やりクレインは立ち上がった。

 まずは引っ越しを考えないといけない。本当かは知らないが、ピィは島が攻撃されると言っていた。それは困る。クレインもいつかは死ぬだろうが、それは今ではないはずだ。


 いつの日か。
 ピィとまた会う日がきたら。


 会えるかなんてクレインにはわからないが、会えたら。



 会えたら。



 会えたら。



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