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1章 春嬢編
第十七話~ケイン~
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第十七話~ケイン~
「すまなかった。」
マリアとの面会が終わったあと、俺は兄貴と馬に乗って外へ出た。久しぶりに帰ってきた主人を見て、馬たちも喜んでいる。
「マリアさんを利用しようとしたこと、本当に反省している。」
「もういい。」
子供の頃から、兄貴は全てにおいて俺よりも優れていた。いくら勝負を挑んでも勝てたことはない。そんな兄貴が人知れず悩んでいたなんて考えたこともなかった。
「母上が死んで、お前も俺も山のようにやってくる縁談に辟易していただろう。それでも俺はどうしても希望を捨てられなかった。」
こうやってあの頃のことを兄貴と話すのは初めてだった。
「俺は父上と母上のような温かい家庭を作りたい。小さい頃からずっとそう思っていたんだ。母上のような女性が私の理想だった。」
「それならわざわざ留学する必要あったのか?」
母は淑やかな女性だった。この国の大部分の女たちと同じように。
「知っているか?あの頃、この国の貴族令嬢のほぼ全てが父の後妻候補だったんだ。」
「……マジかよ…。」
あり得ない話ではない。貴族たちは皆空いた皇后の席を狙っていた。
「母上は名もない地方の男爵令嬢だった。父上に見初められ恋に落ち、皇后の位に就いた。妬み嫉みもあっただろう。でもそれを表には出さず、俺たちに涙を見せたことはなかった。」
たしかに母の泣いた顔なんて見たことない。覚えているのは、病気で倒れた母の横で泣き崩れる父の姿だ。
「一度でも父上の後妻候補になった女性と恋をしたいとはどうしても思えなかった。お前だってそうだろう?」
「そうだな、考えただけで気持ち悪い。」
王族であれば誰でもいい。そう言われて喜ぶやつなんていないだろう。
「だから外に出ようと思った。世界を広げれば自分の気持ちも変わると思ったんだ。」
「その、兄貴の好きになった人は母さんに似てるのか?」
優しく遠くを見つめる兄の顔は誇らしげだった。
「そうだな、見た目じゃなく心が似てる気がするよ。」
初めてみる兄の幸せそうな顔。本当に真実の愛を見つけたのかもしれない。
「でもまさか自分のことでこんな問題に直面するとは思ってなかった。この国では話すことすらできないと思っていたし、マリアさんに聞いてもらえて良かったよ。」
「アイツは変わってるからな、普通の女じゃない。」
ふと兄貴がこちらを見つめていた。
「お前はどうするんだ?このままでいいのか?」
マリアとの契約は残り10日ほど。もう悩んでいる時間はない。
「お前は自分のしたいようにすればいい。俺はお前の味方だ。」
* * *
コンコンっ
この扉を開けるのにこんなに緊張するのは初めてだ。
「入るぞ。」
見慣れたその部屋の中に、会いたいと思った人の姿は見えなかった。
「…マリア?」
テーブルの上に昨日送った菓子の箱が置かれている。彼女のために取り寄せるまでマカロンなんて菓子は知らなかった。
「あれ?ケイン?」
浴室に続く扉から現れた彼女は火照った顔のせいで普段より幼く可愛らしく見える。今日は普通の寝着姿だ。
「悪い。変な時間に来た。」
いつもの時間よりだいぶ早かった。ただただ彼女に会いたかった。
「大丈夫だよ。でも今日は……。」
「分かってる。今日はなにもしない。」
一昨日まで寝込んでいた彼女を襲うつもりなんてない。風呂あがりの彼女はものすごく魅力的だが。
「本当に?」
「しねぇよ。獣か俺は。」
俺の顔を見上げる瞳は疑わしそうに細められている。近づくな胸元が見えるだろ。
「マカロンって美味いのか?」
「美味しかったよ!ありがとう!」
嬉しそうに笑う彼女は、あの時泣いていたのが嘘みたいだ。彼女にはずっと笑っていてほしい。
「じゃあ、今夜はどうする?」
ソファに腰かけ首を傾げる彼女。そう聞かれても答えられない。
「なにも考えてなかった。」
「ふふっなにそれ。変なケイン。」
お前に会いたかった。そう素直に言えればいいのに。
「私のお願いを聞いてくれない?」
「なんだよ?めんどくさいことは無しな。」
どうしたらもっと素直に彼女と話せるんだろう。
「一緒に寝てほしい。」
「バカ!だから今日はなにもしないって…。」
「そうじゃなくて…ただ隣で寝るだけ。今日だけでいいから。」
今日だけ。マリアはもうここを離れることを意識している。
「…わかった。別にそれくらいならいい。」
「ありがとう。」
パッと立ち上がり、彼女がベッドに滑り込む。灯りを消し、その隣に入ると彼女の香りが強くなる。
「くっつくな!」
「それじゃ、添い寝の意味ないじゃん。」
彼女とのこんなやり取りもあと少しで終わってしまう。
「おやすみ、ケイン。」
「さっさと寝ろ。」
まだ具合が悪いのか、疲れているのか。その後すぐに彼女の寝息が聞こえてきた。
眠る彼女の胸元には避妊のための魔法具であるネックレスが光っている。こんな小さなもので彼女は自分を守るしかない。彼女が戻るのはそんな世界だ。
「マリア、俺は……。」
お前が好きだ。眠っているお前じゃなく、必ず伝える。そうしたら…笑ってくれるか?
「すまなかった。」
マリアとの面会が終わったあと、俺は兄貴と馬に乗って外へ出た。久しぶりに帰ってきた主人を見て、馬たちも喜んでいる。
「マリアさんを利用しようとしたこと、本当に反省している。」
「もういい。」
子供の頃から、兄貴は全てにおいて俺よりも優れていた。いくら勝負を挑んでも勝てたことはない。そんな兄貴が人知れず悩んでいたなんて考えたこともなかった。
「母上が死んで、お前も俺も山のようにやってくる縁談に辟易していただろう。それでも俺はどうしても希望を捨てられなかった。」
こうやってあの頃のことを兄貴と話すのは初めてだった。
「俺は父上と母上のような温かい家庭を作りたい。小さい頃からずっとそう思っていたんだ。母上のような女性が私の理想だった。」
「それならわざわざ留学する必要あったのか?」
母は淑やかな女性だった。この国の大部分の女たちと同じように。
「知っているか?あの頃、この国の貴族令嬢のほぼ全てが父の後妻候補だったんだ。」
「……マジかよ…。」
あり得ない話ではない。貴族たちは皆空いた皇后の席を狙っていた。
「母上は名もない地方の男爵令嬢だった。父上に見初められ恋に落ち、皇后の位に就いた。妬み嫉みもあっただろう。でもそれを表には出さず、俺たちに涙を見せたことはなかった。」
たしかに母の泣いた顔なんて見たことない。覚えているのは、病気で倒れた母の横で泣き崩れる父の姿だ。
「一度でも父上の後妻候補になった女性と恋をしたいとはどうしても思えなかった。お前だってそうだろう?」
「そうだな、考えただけで気持ち悪い。」
王族であれば誰でもいい。そう言われて喜ぶやつなんていないだろう。
「だから外に出ようと思った。世界を広げれば自分の気持ちも変わると思ったんだ。」
「その、兄貴の好きになった人は母さんに似てるのか?」
優しく遠くを見つめる兄の顔は誇らしげだった。
「そうだな、見た目じゃなく心が似てる気がするよ。」
初めてみる兄の幸せそうな顔。本当に真実の愛を見つけたのかもしれない。
「でもまさか自分のことでこんな問題に直面するとは思ってなかった。この国では話すことすらできないと思っていたし、マリアさんに聞いてもらえて良かったよ。」
「アイツは変わってるからな、普通の女じゃない。」
ふと兄貴がこちらを見つめていた。
「お前はどうするんだ?このままでいいのか?」
マリアとの契約は残り10日ほど。もう悩んでいる時間はない。
「お前は自分のしたいようにすればいい。俺はお前の味方だ。」
* * *
コンコンっ
この扉を開けるのにこんなに緊張するのは初めてだ。
「入るぞ。」
見慣れたその部屋の中に、会いたいと思った人の姿は見えなかった。
「…マリア?」
テーブルの上に昨日送った菓子の箱が置かれている。彼女のために取り寄せるまでマカロンなんて菓子は知らなかった。
「あれ?ケイン?」
浴室に続く扉から現れた彼女は火照った顔のせいで普段より幼く可愛らしく見える。今日は普通の寝着姿だ。
「悪い。変な時間に来た。」
いつもの時間よりだいぶ早かった。ただただ彼女に会いたかった。
「大丈夫だよ。でも今日は……。」
「分かってる。今日はなにもしない。」
一昨日まで寝込んでいた彼女を襲うつもりなんてない。風呂あがりの彼女はものすごく魅力的だが。
「本当に?」
「しねぇよ。獣か俺は。」
俺の顔を見上げる瞳は疑わしそうに細められている。近づくな胸元が見えるだろ。
「マカロンって美味いのか?」
「美味しかったよ!ありがとう!」
嬉しそうに笑う彼女は、あの時泣いていたのが嘘みたいだ。彼女にはずっと笑っていてほしい。
「じゃあ、今夜はどうする?」
ソファに腰かけ首を傾げる彼女。そう聞かれても答えられない。
「なにも考えてなかった。」
「ふふっなにそれ。変なケイン。」
お前に会いたかった。そう素直に言えればいいのに。
「私のお願いを聞いてくれない?」
「なんだよ?めんどくさいことは無しな。」
どうしたらもっと素直に彼女と話せるんだろう。
「一緒に寝てほしい。」
「バカ!だから今日はなにもしないって…。」
「そうじゃなくて…ただ隣で寝るだけ。今日だけでいいから。」
今日だけ。マリアはもうここを離れることを意識している。
「…わかった。別にそれくらいならいい。」
「ありがとう。」
パッと立ち上がり、彼女がベッドに滑り込む。灯りを消し、その隣に入ると彼女の香りが強くなる。
「くっつくな!」
「それじゃ、添い寝の意味ないじゃん。」
彼女とのこんなやり取りもあと少しで終わってしまう。
「おやすみ、ケイン。」
「さっさと寝ろ。」
まだ具合が悪いのか、疲れているのか。その後すぐに彼女の寝息が聞こえてきた。
眠る彼女の胸元には避妊のための魔法具であるネックレスが光っている。こんな小さなもので彼女は自分を守るしかない。彼女が戻るのはそんな世界だ。
「マリア、俺は……。」
お前が好きだ。眠っているお前じゃなく、必ず伝える。そうしたら…笑ってくれるか?
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