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本編
50 幸せを願って
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沖合いに浮かぶ、ダイアナ達が待つ船に乗る頃には放心状態となっていた。
苦痛にまみれて殺された、あの時以上に辛いことがあるとは思わなかった。
もう、泣くことすらできなかった。
レインさんは、何も隠さずにありのままを報告していた。
自分がレオンを殺したのだと。
ダイアナはもちろんのこと、船に乗っていた騎士達は、レオンとレインさんの兄弟仲を知っている人ばかりだ。
だから責める人はいなかった。
でも、だからと言って、レインさんの心が軽くなるはずがない。
月の大陸に戻ってからも、見守るように近くにいてくれたけど、私のことを正面から見ようとはしない。
レインさんだって、私に恨言の一つでもぶつけたらいいのに、自分の思いを何も語らないまま時間だけが過ぎていった。
一年。
それが、私に残された時間だった。
最初は、レオンがいない時間をどう過ごせばいいのか分からなかった。
レオンがいない。
たったそれだけのことのはずなのに、ぽっかりと空いたものが埋まるはずがなく、行き場のない想いが、空虚な時間を生んだ。
そんな時を過ごしたけど、一人でいたわけじゃない。
ずっと、ダイアナが気にかけてくれていた。
ダイアナだって、レオンと過ごした時間は私よりもずっと長い。
レインさんと私の間で、辛かったはずなのに。
心を砕いて、私を励ましてくれようとする人がいる。
このままではダメだと思うと、レオンが何も変わらない生活を送ってほしいと言った事を思い出していた。
自分がやりたかったことをと考えてみると、すぐに真っ白いドレスを作り上げた。
それに、ほとんどの時間を費やして、たくさんの刺繍をした。
とても満足のいく出来上がりだった。
ダイアナに着てもらいたい。
これが、残された時間を使った理由で、私が遺したいと思うもので、生きた証になるものだった。
最後の仕上がりを確認すると、外に出て、空を見上げながら一人で歩く。
最期に行きたい場所があったから、そこに向かっていた。
あの国を、あの大陸を、この世界を救うつもりなんかなかった。
今ですらそう思っている。
ただ、置き去りにされたレオンがさらに暗い海の底に沈むのは嫌だと思っているだけだ。
それと、モフーは元気にしているかなって、いつも思っていた。
あっさりと、何かに食べられたりしていないかな。
自由に駆け回って、美味しい食べ物を見つけられていたらいいなって思っていると、ちょうど、小さな動物が横切って行った。
緑の絨毯のように広がる芝生の上で歩みを止める。
目的地に着くと、その時の訪れは、ごく自然なものだった。
私も、とうとう本来の在るべき所へ還る時が来た。
イリーナの身体で生きた時間に、終わりを告げようとしていた。
形だけのレオンの墓碑の前で、膝をつく。
もう、立ち上がる力は残っていない。
「シャーロット」
私の名前を呼んだのは、ダイアナだ。
いつもそばにいてくれたから、今も心配してここまで来てくれたんだ。
「この体は、イリーナにお返しします。だからせめて、これをレオンの墓碑に添えてください」
首から下げていたネックレスを、近寄って来てくれたダイアナに手渡した。
手元から離れた赤い宝石を見つめる。
あの時は言わなかったけど、これが贈られた日からずっと思っていたことがあった。
コロンとした赤い宝石に緑色の平な宝石が添えられていて、それが苺みたいに見えて、本当はとても気に入っている物だった。
そんな感想を言っていいものなのか分からなかったけど、それを伝えたら、きっとレオンは私の所に毎日、苺を差し入れしてくれたことだろう。
死の間際にあって、こんな事を思うだなんて、その光景が想像できて小さく笑いがもれる。
一度は経験した死だから、もう怖くはない。
腐り落ちた肉片を晒す事なく、大切だと思う人の元に行けると、思い描くことはできるのだ。
贈った相手との絆を繋いでくれるって、レオンが教えてくれた“石言葉”が思い起こされるけど、私はレオンが言ってくれたような、敬愛される存在ではなかったかな。
ただの幻想だと、自覚している。
来世で再び出会えるなどと、そんなことを信じてはいない。
ましてや、私はたくさんの命を見殺しにしている。
私のような者に、死後の救いがあるはずがない。
でも、叶うことがないのだとしても、それをほんの少しでも願うことができるのは、幸せなことではあった。
全てを恨み、恐怖と苦痛の中で死んだあの時に比べたら。
生まれ変わりがあるのなら、どこかで出会うことがあるのなら、今度もまた、私から声をかけてみたいな。
その瞬間を、ちゃんと覚えていたい。
そして、今度こそあの言葉の続きが聞きたい。
ちゃんと、恋がしたい。
我慢せずに人を愛したい。
私も、好きだと言いたい。
夢物語みたいな事を、子供のように空想を膨らませて可笑しくなってくるけど、叶うのなら、せめて人を恨まずにすむ世界で生きたい。
今も精霊は私の願いを聞いてくれている。
あの大陸に留まり、レオンのそばにいてくれている。
私が死んでも、レオンが眠る場所を守り続けてくれるはずだ。
それは、結果的にはあの大陸を救ってしまうことになるのだろうけど、私が初めて義務と思わずに願ったものだ。
愚かな者達を、助けたいと思えない。
許してはいない。
あの者達を、許してはいない。
あの恐怖と怒りと痛みを忘れてはいない。
ただ、レオンへの想いのおかげで、あの人達への恨みなど、入り込む隙がないのも事実だ。
ヒンヤリとした土に倒れ込むと、ダイアナが膝の上に抱き起こしてくれる。
この大陸ではなんの役にも立たないのに、私を助けようとしてくれた人達。
ここで、普通の町娘のように過ごせた。
それは、ダイアナも守ってくれていたからだ。
ダイアナはどんな思いで、私に、もう何の義務もないと言ったのか。
どんな思いだったのかな。
なんの務めも果たせず、放棄してしまったものだけど、それでも聖女の役目から解放される事にホッとしている。
でもダイアナは、まだまだ、死ぬまでその役目が付きまとう。
彼女の膝の上で空を見上げていた。
ここは、抜けるような青空が広がっている。
あの大陸の上でも、穏やかな天候が続いていることだろう。
天候は、もう、人々を脅かさない。
それを人は奇跡と呼ぶのか、それとも誰か他の、祭り上げられた人を崇めるのか。
結局、誰にも認めてもらえない聖女だった。
でも虚しくはない。
やっぱり、レオンがいてくれたからだ。
「貴様が聖女たらんとした事を、俺がこの世界の終わりまで覚えていてやる」
いつからいたのか、皇帝の声も聞こえた。
世界の終わりまで生きる、不死の存在。
それは孤独ではないのだろうか。
「私は貴女のことを友人と思っていました」
ダイアナの言葉を、今は素直に嬉しいと思っている。
「ドレスを着てくれますか?ダイアナの為に作りました。幸せを願って」
「これ以上ないほどの贈り物です。大切にしますね」
私に微笑む姿は、家族に向けるようでもあった。
「レインさん」
ダイアナの近くにいるはずだ。
名前を呼ぶと、気配が感じとれた。
私の傍に膝をついてくれるから、レインさんの額に触れた。
『あなたのもとに、安らかな夜が訪れますように』
残りの魔力を使って、祝福を与えるかのように願った。
もう、苦しまないでほしい。
誰よりも家族想いの人だ。
幸せになってほしい。
レオンも、こんな気持ちだったはずだ。
「レインさんのそばには、ダイアナがいてくれますか?」
「はい。約束します。私は大陸を支えているのです。彼一人くらい、支えてみせます」
そこで、初めてレインさんの泣きそうな顔を見た。
やはり今この時でも、想うのは、願うのは、大陸の安寧などではなく、目の前にいる大切な人達のことだった。
ダイアナの腕の中は心地良い。
何となく脳裏に浮かんだ光景があった。
ダイアナの腕の中で眠る小さな存在。
その子を、レインさんが覗き込んでいる。
そこに、もう一つの光景が重なる。
いつかの時を生きる、ダイアナとレインさん。
二人が見つめている小さな赤ちゃんを、子供の姿のレオンも一緒に見ている。
幸せそうな光景。
そこに私がいないことが残念だった。
そんな幻を見ていると、二人にちゃんとしたお別れの言葉も告げぬまま、永遠の眠りが訪れていた。
苦痛にまみれて殺された、あの時以上に辛いことがあるとは思わなかった。
もう、泣くことすらできなかった。
レインさんは、何も隠さずにありのままを報告していた。
自分がレオンを殺したのだと。
ダイアナはもちろんのこと、船に乗っていた騎士達は、レオンとレインさんの兄弟仲を知っている人ばかりだ。
だから責める人はいなかった。
でも、だからと言って、レインさんの心が軽くなるはずがない。
月の大陸に戻ってからも、見守るように近くにいてくれたけど、私のことを正面から見ようとはしない。
レインさんだって、私に恨言の一つでもぶつけたらいいのに、自分の思いを何も語らないまま時間だけが過ぎていった。
一年。
それが、私に残された時間だった。
最初は、レオンがいない時間をどう過ごせばいいのか分からなかった。
レオンがいない。
たったそれだけのことのはずなのに、ぽっかりと空いたものが埋まるはずがなく、行き場のない想いが、空虚な時間を生んだ。
そんな時を過ごしたけど、一人でいたわけじゃない。
ずっと、ダイアナが気にかけてくれていた。
ダイアナだって、レオンと過ごした時間は私よりもずっと長い。
レインさんと私の間で、辛かったはずなのに。
心を砕いて、私を励ましてくれようとする人がいる。
このままではダメだと思うと、レオンが何も変わらない生活を送ってほしいと言った事を思い出していた。
自分がやりたかったことをと考えてみると、すぐに真っ白いドレスを作り上げた。
それに、ほとんどの時間を費やして、たくさんの刺繍をした。
とても満足のいく出来上がりだった。
ダイアナに着てもらいたい。
これが、残された時間を使った理由で、私が遺したいと思うもので、生きた証になるものだった。
最後の仕上がりを確認すると、外に出て、空を見上げながら一人で歩く。
最期に行きたい場所があったから、そこに向かっていた。
あの国を、あの大陸を、この世界を救うつもりなんかなかった。
今ですらそう思っている。
ただ、置き去りにされたレオンがさらに暗い海の底に沈むのは嫌だと思っているだけだ。
それと、モフーは元気にしているかなって、いつも思っていた。
あっさりと、何かに食べられたりしていないかな。
自由に駆け回って、美味しい食べ物を見つけられていたらいいなって思っていると、ちょうど、小さな動物が横切って行った。
緑の絨毯のように広がる芝生の上で歩みを止める。
目的地に着くと、その時の訪れは、ごく自然なものだった。
私も、とうとう本来の在るべき所へ還る時が来た。
イリーナの身体で生きた時間に、終わりを告げようとしていた。
形だけのレオンの墓碑の前で、膝をつく。
もう、立ち上がる力は残っていない。
「シャーロット」
私の名前を呼んだのは、ダイアナだ。
いつもそばにいてくれたから、今も心配してここまで来てくれたんだ。
「この体は、イリーナにお返しします。だからせめて、これをレオンの墓碑に添えてください」
首から下げていたネックレスを、近寄って来てくれたダイアナに手渡した。
手元から離れた赤い宝石を見つめる。
あの時は言わなかったけど、これが贈られた日からずっと思っていたことがあった。
コロンとした赤い宝石に緑色の平な宝石が添えられていて、それが苺みたいに見えて、本当はとても気に入っている物だった。
そんな感想を言っていいものなのか分からなかったけど、それを伝えたら、きっとレオンは私の所に毎日、苺を差し入れしてくれたことだろう。
死の間際にあって、こんな事を思うだなんて、その光景が想像できて小さく笑いがもれる。
一度は経験した死だから、もう怖くはない。
腐り落ちた肉片を晒す事なく、大切だと思う人の元に行けると、思い描くことはできるのだ。
贈った相手との絆を繋いでくれるって、レオンが教えてくれた“石言葉”が思い起こされるけど、私はレオンが言ってくれたような、敬愛される存在ではなかったかな。
ただの幻想だと、自覚している。
来世で再び出会えるなどと、そんなことを信じてはいない。
ましてや、私はたくさんの命を見殺しにしている。
私のような者に、死後の救いがあるはずがない。
でも、叶うことがないのだとしても、それをほんの少しでも願うことができるのは、幸せなことではあった。
全てを恨み、恐怖と苦痛の中で死んだあの時に比べたら。
生まれ変わりがあるのなら、どこかで出会うことがあるのなら、今度もまた、私から声をかけてみたいな。
その瞬間を、ちゃんと覚えていたい。
そして、今度こそあの言葉の続きが聞きたい。
ちゃんと、恋がしたい。
我慢せずに人を愛したい。
私も、好きだと言いたい。
夢物語みたいな事を、子供のように空想を膨らませて可笑しくなってくるけど、叶うのなら、せめて人を恨まずにすむ世界で生きたい。
今も精霊は私の願いを聞いてくれている。
あの大陸に留まり、レオンのそばにいてくれている。
私が死んでも、レオンが眠る場所を守り続けてくれるはずだ。
それは、結果的にはあの大陸を救ってしまうことになるのだろうけど、私が初めて義務と思わずに願ったものだ。
愚かな者達を、助けたいと思えない。
許してはいない。
あの者達を、許してはいない。
あの恐怖と怒りと痛みを忘れてはいない。
ただ、レオンへの想いのおかげで、あの人達への恨みなど、入り込む隙がないのも事実だ。
ヒンヤリとした土に倒れ込むと、ダイアナが膝の上に抱き起こしてくれる。
この大陸ではなんの役にも立たないのに、私を助けようとしてくれた人達。
ここで、普通の町娘のように過ごせた。
それは、ダイアナも守ってくれていたからだ。
ダイアナはどんな思いで、私に、もう何の義務もないと言ったのか。
どんな思いだったのかな。
なんの務めも果たせず、放棄してしまったものだけど、それでも聖女の役目から解放される事にホッとしている。
でもダイアナは、まだまだ、死ぬまでその役目が付きまとう。
彼女の膝の上で空を見上げていた。
ここは、抜けるような青空が広がっている。
あの大陸の上でも、穏やかな天候が続いていることだろう。
天候は、もう、人々を脅かさない。
それを人は奇跡と呼ぶのか、それとも誰か他の、祭り上げられた人を崇めるのか。
結局、誰にも認めてもらえない聖女だった。
でも虚しくはない。
やっぱり、レオンがいてくれたからだ。
「貴様が聖女たらんとした事を、俺がこの世界の終わりまで覚えていてやる」
いつからいたのか、皇帝の声も聞こえた。
世界の終わりまで生きる、不死の存在。
それは孤独ではないのだろうか。
「私は貴女のことを友人と思っていました」
ダイアナの言葉を、今は素直に嬉しいと思っている。
「ドレスを着てくれますか?ダイアナの為に作りました。幸せを願って」
「これ以上ないほどの贈り物です。大切にしますね」
私に微笑む姿は、家族に向けるようでもあった。
「レインさん」
ダイアナの近くにいるはずだ。
名前を呼ぶと、気配が感じとれた。
私の傍に膝をついてくれるから、レインさんの額に触れた。
『あなたのもとに、安らかな夜が訪れますように』
残りの魔力を使って、祝福を与えるかのように願った。
もう、苦しまないでほしい。
誰よりも家族想いの人だ。
幸せになってほしい。
レオンも、こんな気持ちだったはずだ。
「レインさんのそばには、ダイアナがいてくれますか?」
「はい。約束します。私は大陸を支えているのです。彼一人くらい、支えてみせます」
そこで、初めてレインさんの泣きそうな顔を見た。
やはり今この時でも、想うのは、願うのは、大陸の安寧などではなく、目の前にいる大切な人達のことだった。
ダイアナの腕の中は心地良い。
何となく脳裏に浮かんだ光景があった。
ダイアナの腕の中で眠る小さな存在。
その子を、レインさんが覗き込んでいる。
そこに、もう一つの光景が重なる。
いつかの時を生きる、ダイアナとレインさん。
二人が見つめている小さな赤ちゃんを、子供の姿のレオンも一緒に見ている。
幸せそうな光景。
そこに私がいないことが残念だった。
そんな幻を見ていると、二人にちゃんとしたお別れの言葉も告げぬまま、永遠の眠りが訪れていた。
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