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赤ずきん【END3.赤いずきんの下】
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「よく狼に会わなかったな。まあ、君なら狼でも土岐でも素手で撃退するのだろうが」
わざわざ見舞いに来てくれた律華に、どうして礼を言えないのか。風邪を引いたときでさえ素直になれない自分に内心呆れつつ。彼女に対する申し訳なさもほんの少しだけ感じつつ――鷹人はベッドの上でひそかに溜息を零した。
「狼?」
危険な目に遭うことなど微塵も予想していなかった顔で、律華がきょとんと首を傾げる。
「蔵之介から聞かなかったのか?」
過保護な悪友がその忠告を忘れるのは珍しいと思ったが。
「森には狼がいる」
そう教えてやると、律華はふっと唇を微笑ませた。差し入れの入った籐籠をテーブルの上に置き、ベッドに近付いてくる。傍らで止まるかと思いきや、彼女はシーツの上に手を付いて、鷹人を押し倒すような仕草で、ゆっくりと体を傾けた。
「な」
近い。吐息が触れるほどの近さに、体が硬直する。
奇妙な優しさをともなった声が、熱っぽい囁きが、鼓膜に触れた。
「いいや、森にはいないな。狼は……」
そこで、言葉が途切れる。鷹人を見下ろしながら、彼女は空いた方の手でいつもかぶっている赤いずきんをするりと後ろへずらした――その頭には、
「狼は、ここにいる」
獣の、狼の耳が。
「がーお」
口を開け、尖った犬歯を覗かせながら彼女が冗談めかして吠えた。そのまま、鼻の頭に軽く噛み付いてくる。熱い舌が触れているのを感じながら、鷹人は視線をそらすことも、身じろぎすることもできず――
「うー……うー……」
「おい、石川。起きろ。そんなにうなされて、どうしたんだ」
声に、石川鷹人はぱちりと目を覚ました。目の前には心配そうに覗き込んでくる律華の顔がある。思わず悲鳴を上げた。
「ひっ! 犯される!」
「なんだ、その反応は。というか、どんな夢を見たんだ。まったく」
律華は呆れ顔で言って、あっさりと離れていった。
その反応を訝りつつ体を起こすと、額からずるりと濡れタオルが落ちた――交換したばかりだったのか、まだひんやりと冷たい。そこで鷹人はやっと思い出した。昼前に律華が訊ねてきて、ずっと看病してくれていたのだ。
「よかった、夢か」
どこか拍子抜けした、複雑な心地で呟く。いや、胸の内に生じたこれはおそらく安堵だ。断じて、絶対に、落胆はしていない――その、はずだ。律華はやはり訝しげに眉をひそめている。
「わけの分からないやつだな」
「いや、まあ夢を見たんだ」
「そうだろうな。酷くうなされていた」
「起こしてくれてありがとう」
「気にするな。ちょうど食事もできたところで、食べさせたかったし――」
確かに、部屋の中にはシチューの香りがただよっている。温めたミルクとチーズの匂いを嗅いで、鷹人の腹がぐうっと鳴った。その音は律華にも聞こえたのだろう。
「今、持ってくる。たくさん食べてよく眠れば、きっと明日の朝には体調も戻るはずだ」
笑いながら部屋の奥へ向かう。その背中に、鷹人はふと気付いて声をかけた。
「律華くん、スカートの裾が乱れているぞ」
「ああ、ありがとう」
肩越しに振り返り、
「危ない、危ない。尻尾がはみ出してしまうところだった」
「……!?」
「なんて、冗談だ」
唇に人差し指を当てて、律華はニッと笑った。
「よく狼に会わなかったな。まあ、君なら狼でも土岐でも素手で撃退するのだろうが」
わざわざ見舞いに来てくれた律華に、どうして礼を言えないのか。風邪を引いたときでさえ素直になれない自分に内心呆れつつ。彼女に対する申し訳なさもほんの少しだけ感じつつ――鷹人はベッドの上でひそかに溜息を零した。
「狼?」
危険な目に遭うことなど微塵も予想していなかった顔で、律華がきょとんと首を傾げる。
「蔵之介から聞かなかったのか?」
過保護な悪友がその忠告を忘れるのは珍しいと思ったが。
「森には狼がいる」
そう教えてやると、律華はふっと唇を微笑ませた。差し入れの入った籐籠をテーブルの上に置き、ベッドに近付いてくる。傍らで止まるかと思いきや、彼女はシーツの上に手を付いて、鷹人を押し倒すような仕草で、ゆっくりと体を傾けた。
「な」
近い。吐息が触れるほどの近さに、体が硬直する。
奇妙な優しさをともなった声が、熱っぽい囁きが、鼓膜に触れた。
「いいや、森にはいないな。狼は……」
そこで、言葉が途切れる。鷹人を見下ろしながら、彼女は空いた方の手でいつもかぶっている赤いずきんをするりと後ろへずらした――その頭には、
「狼は、ここにいる」
獣の、狼の耳が。
「がーお」
口を開け、尖った犬歯を覗かせながら彼女が冗談めかして吠えた。そのまま、鼻の頭に軽く噛み付いてくる。熱い舌が触れているのを感じながら、鷹人は視線をそらすことも、身じろぎすることもできず――
「うー……うー……」
「おい、石川。起きろ。そんなにうなされて、どうしたんだ」
声に、石川鷹人はぱちりと目を覚ました。目の前には心配そうに覗き込んでくる律華の顔がある。思わず悲鳴を上げた。
「ひっ! 犯される!」
「なんだ、その反応は。というか、どんな夢を見たんだ。まったく」
律華は呆れ顔で言って、あっさりと離れていった。
その反応を訝りつつ体を起こすと、額からずるりと濡れタオルが落ちた――交換したばかりだったのか、まだひんやりと冷たい。そこで鷹人はやっと思い出した。昼前に律華が訊ねてきて、ずっと看病してくれていたのだ。
「よかった、夢か」
どこか拍子抜けした、複雑な心地で呟く。いや、胸の内に生じたこれはおそらく安堵だ。断じて、絶対に、落胆はしていない――その、はずだ。律華はやはり訝しげに眉をひそめている。
「わけの分からないやつだな」
「いや、まあ夢を見たんだ」
「そうだろうな。酷くうなされていた」
「起こしてくれてありがとう」
「気にするな。ちょうど食事もできたところで、食べさせたかったし――」
確かに、部屋の中にはシチューの香りがただよっている。温めたミルクとチーズの匂いを嗅いで、鷹人の腹がぐうっと鳴った。その音は律華にも聞こえたのだろう。
「今、持ってくる。たくさん食べてよく眠れば、きっと明日の朝には体調も戻るはずだ」
笑いながら部屋の奥へ向かう。その背中に、鷹人はふと気付いて声をかけた。
「律華くん、スカートの裾が乱れているぞ」
「ああ、ありがとう」
肩越しに振り返り、
「危ない、危ない。尻尾がはみ出してしまうところだった」
「……!?」
「なんて、冗談だ」
唇に人差し指を当てて、律華はニッと笑った。
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