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 食べるのは好きだ。お酒を飲むよりも食べる事で幸せを感じるし、ストレスも解消できる。
 最近では女子力なるパラメーターが存在するらしいので、それを上げるのに料理は手っ取り早くて好都合だ。
 別にクリスマスシーズンと言う事を意識しているわけではない。
 ただ、明日は祝日だしちょっと手の込んだ料理を作って、録画したバラエティ番組を観て笑い転げたいと思っただけだ。
(それに……スーパーもクリスマス推しだしね)
 鶏もも肉のトマト煮とサーモンとアボカドのタルタル。ベイクドポテトと更にパスタを茹でようとしたところで果梨は我に返った。
 一人暮らしでどんだけ食う気だよ。
(………………知るか)
 疑問を一蹴し手を止めはしなかった。
 何故か茸とほうれん草の和風パスタを作り、満足して小さなテーブルに向かう。
 藤城のただっ広い部屋とは違う、物が多いこじんまりとしたワンルームの内装は、白い壁とグリーンの大きなドット柄のカーテン、それと同じベッドカバーで一応揃えられている。
 芝生っぽいラグの上に、木目が可愛いという理由で買ったローテーブルと赤いクッションが置いてある。小さなそれに皿を並べ果梨はリモコンを握り締めた。
 バラエティ番組を観ながら、果梨は鶏に箸を付ける。ぼんやりと内容を追いながら果梨は鳴らない電話を気にする自分に気が付いた。
 多分絶対間違いなく、果梨が飲み会に『居ない』と気付いた瞬間に着信が有る筈だ。
 一応サイレントモードにしてはあるが……鳴れば気が付く。そして出る気は毛頭ない。
(まだ来ない……)
 それはつまり、羽田が上手く誤魔化していると言う事なのか。それとも怒り心頭で電話する余裕もないのか……。
 不意に不安で鼓動が跳ね上がり、果梨はぶるぶると首を振った。
 今は……死ぬほど怖いし、逃げ出したいくらい恐怖を感じている。電話が来るのか来ないのかで生きた心地がしないが、長い目で見れば絶対にこれでよかったと言えるはずだ。
 藤城部長は、果穂が話してくれた部長像と百八十度違っていた。
 自分の眼で見て、話をして、感じたのは仕事にストイックで冷徹、部下を甘やかしもしなければ放任もしない。
 男としては、トンデモナク独占欲が強くて面白い物に興味が有り過ぎる。強引で俺様で原始人。
 ……でも果梨を欲しいと全身で訴えて来る。
(だからだ……)
 縛りたいし、縛られたくない。
 そんなもんだろと笑った藤城と、縛ることを良しとしなかった果梨。真逆の価値観にどうしても惹かれて行く。
 そう、惹かれて行く。
 元彼は縛られたくないし、縛りたくもない人だった。女は黙ってついて来いという感じだろうか。
 供給ばかりを要求する人だった気がする。
 だから自然と果梨も、彼に合わせて、彼の望みを優先し続けた。
 その究極がアレだ。
 だが藤城は違う。彼は求めろと言う。
 自分と同じくらい求めろと。望めと。そして同じくらいに望んでいると甘く甘く囁くのだ。
 それが……ぺしゃんこに潰れていた果梨の自尊心に麻薬のように沁みたのだ。
(駄目なのになぁ……)
 ぱくり、とトマトの酸味と旨みが凝縮された鶏肉を口にした瞬間、涙が滲んだ。
「激うま! あたし超天才!」
 本当は違う意味での涙なのに、果梨は強引に気持ちを切り替えようとした。声にすれば、形を持たない胸の中の想いなど蹴散らせると思ったのだ。
 だが蓋をして押さえつけようとする度に、水を入れ過ぎた瓶のように縁から溢れて零れて行く。
 零れて零れて……全部無くなって空っぽになればまた、普通に、彼を知らない頃の果梨に戻れるだろうか?
「こんなに料理上手なのに、貰い手が居ないとか世の中の男、全員死んだ方が良いんじゃね?」
 更に強く明るく告げる。
 だが、何故か柔らかく美味しかった鶏肉は、食べれば食べる程塩味が強くなって行った。
「…………塩入れすぎたかな」
 認めたくない気持ちを無視すればするほど、何故か鶏の味が塩っぽくなり果梨は閉口した。頬を乱暴に拭って、彼女は他の料理も一気に掻きこみ始めた。
 旨みと塩味で……辛さと苦さの全部を腹の裡に呑み込んでしまえ。
 そうすればきっと……もっと早く自分は『回復』出来る。
 撃ち砕かれたハートが元に戻る筈……。
 次の瞬間、待ちすぎて気が変になっていたスマホが震動した。雷鳴のような、腹に響く震動を感じて果梨の心音はあり得ない速さへと駆け上がる。
 一瞬で冷たく、なのに汗ばんで震える手をスマホに伸ばす。表示されている名前を確認し、果梨は目を閉じて深呼吸をした。
 そして徐に、電源ボタンを押して拒否をする。
 途端、震えていた電話は沈黙し、乾いた笑い声を上げるバラエティ番組の音声だけが空間を満たした。
 血液という血液が、全身から後退するのを感じながらも果梨はソファの上にそっと電話を置き、くるりと背を向けた。
 後はただひたすら……徐々に冷めて行く料理を口に詰め込む機械と化したのである。






 女にだって友情はある。
 それは「俺達は戦友だ」と荒廃した大地で、今さっき自分と死闘を演じて倒れた敵に手を差し伸べて、にかりと笑う少年誌のような友情だったり、「あの子と付き合うと、レベル高い男回してくれんのよねぇ」と艶やかに笑うレディコミの味のある脇役と結ばれたりするそれだったりする。
 複雑怪奇だが取り敢えず存在しているのだ。



「部長~、松原さん、何とかしてくださいよぅ」
 立場上下座に座る事の叶わない康晃は、どうにかして座敷の出入り口付近をキープしようとしていた。営業部の参加者は三十余人。加えて今回は建設の連中も混じっている為規模が大きくなっていた。
 その人の中に果梨の姿は見えないが、幹事たる香月に問い合わせた所「会費は支払われてますよ」と含みの有りそうな笑顔で言われた。
 だから多分……どこかに居るとは思うのだが参加した瞬間から、部下がかわるがわる押し寄せてちょっと聞いてください、と珍しく仕事のノウハウを問いただしてくるので確認しようがない。
 苛立ちながら時計を確認すれば、十九時を少し過ぎた辺りだった。開始から一時間弱という所か。
 今や羽田までが康晃に絡んできている。
 この間まで本橋狙いだった筈なのに、どういうことだ?
 遠慮なく康晃の腕に自分の腕をからませて、引っ張る。柔らかな胸が押し当てられて康晃は眉間に皺を寄せた。
「おい」
「私、何度も言ってるんですよ、部長! おタバコは身体に悪いし、副流煙は女性の大敵なので吸わないでって。なのにぃ」
「飲み会の席で吸わないなんて! 愛煙家にだって人権はあるんです!」
「やだ! 部長~盾になってくださいッ」
 酔っぱらってる松原が天井に向かって煙を吐く。幼稚な言い争いにうんざりしながら康晃は背中にしがみつく羽田を引き剥がした。
「ここは分煙してないんだから我慢しろ」
 目を見開く羽田に、康晃が更に声を高くした。
「そして松原! いくら無礼講でも嫌がる人間が居る事も配慮しろ。あと、営業ならなんで吸いたいのか、吸う事でどんな利益があるのか羽田に説け」
 無理です部長~、と泣き付く松原を尻目に康晃は段々苛立って行った。
 そもそも果梨が「出席しないとオカシイ」と言うから来たのであって、もともとバックレるつもりだったのだ。なのに当の本人はここに居ない。
「はい、私を助けてくれた部長にぃ、ビールです」
 きゃ、と笑う羽田を振り返り康晃は再び眉間に皺を寄せた。
 相変わらずこの女は身体の一部を康晃に押し付けてきている。ふと目を上げれば、建設の連中に絡まれて動きが取れない香月が射殺さんばかりの視線を羽田に送っていた。
 ここで羽田相手にいちゃついてみようか。
 そんな考えが頭に過るが、触れ合っている太腿に特に感慨がわかない。
 ただ単に、ホッカイロが足に当たっている位の感慨しかわかないのだ。
「部長、あと何食べますぅ?」
 私、お給仕しますよ?
 身体を前のめりにさせて、計算しつくされた視線を下から見せて来る。大きく開いたセーターから白いデコルテが広く見え、ああナルホドこうやって落とすわけだと頭の隅で考えた。
(つか、俺が狙いなのか? 本気で?)
 だとしたら一ミリも興味が無い事を伝えなければ……。
 そうしてふと視線を落とした康晃は、見上げる瞳が意外と冷静なのに気が付いた。
 自分に向けられる女の視線がどういうものか、彼は良く知っている。
 標的を狙うハンターのような目や、愛撫を強請るような蕩けた目、そして尊敬が滲んだモノだったりと大抵は康晃への溢れんばかりの興味と打算が滲んでいた。
 だが、珍しく羽田の眼にあるのは単なる「素」だった。
 何の感慨も滲んでいない……そう、ただ面倒な上司を見上げる部下の眼だった。
 途端、康晃の辟易していた気持ちが百八十度変わった。センサーが働く。
 この女は何か計算があって……それも、自分の利益の為ではない計算があって、仕方なく絡んでいるのだと反射的に悟った。
 それは何だ?
「……羽田」
「はあい」
「…………狙いは何だ?」
 ちらっと落とされた部長の凍れる視線に、麗奈は心の中で舌打ちした。もうちょっと粘れると思ったのだ。
 だって男なんて胸押し付けて、太腿見せて、秘められた箇所をチラ見させれば下半身でしか物を考えられなくなると思って居たからだ。
 柔らかな肢体が絡まって、甘い声で自分の名を呼ばれたらどんな男だって「据え膳ッ!」と飛びつくに決まっていると。
 だが、例外もある。
(ここまでか)
 退勤間近に渡された果穂からの封筒。それにはこの飲み会の会費と、メモが入っていた。
 高槻果穂からの、珍しいお願い事。
 それは「私が参加しているように装って、部長を引き付けてくれ」というモノだった。もちろんこれだけで麗奈が動くはずがない。
 動いたのは「今度白石さんに頼んで、設計関係の人、紹介してもらうから。絶対、必ず、命に掛けて」と記載されていたからだ。
 これには確かに食指は動いたし、実際にこうやって部長を引き留めた。「今なら部長、ご機嫌ですよ~」なんてデマを流してどうしても仕事のアドバイスが欲しかった連中をけしかけた。自らおっぱい押し付け作戦を決行したりもした。
 純粋に興味もあったのだ。
 この氷の営業部長に自分の技術がどこまで通用するのだろうかという、素朴な興味。
 普段ならこの技は恐らく通用するのだろう。そう……藤城部長が高槻果穂にご執心でなければ。じゃなきゃ麗奈のプライドが許さない。
「部長ぅ」
 ひるむことなく、ほんの少しだけ持っていた……そう、共闘する戦友に抱くような友情を思いながら……しかし麗奈は「果穂の為」に果穂を裏切った。
 決して私利私欲からではない。
 そう、違う。断じて違う。
 果穂がこの後被るであろう甚大な被害を思って飲むお酒は非常に格別だろう、なんてこれっぽっちも持っていない。
 ないない。思ってない。思う訳ない。大事なトモダチなのだ、うん。
 麗奈はにっこりと笑って見せた。
「ちょっと耳寄りな情報があるんですがぁ……聞きたいです?」

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