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 「槙野……伊織」


 平凡な女子高校生、岸田時雨が学校一の美男子と称され先輩──槙野伊織と初めて話したのはいつもより早目の時間に保育園へ妹の迎えに行ったその帰り道だった。

 高校に入学して早一ヶ月。
ドタバタした生活も少しずつではあるが落ち着き始めた。五月となれば大抵の一年生は放課後、部活動に励んでいる頃だろう。だが、時雨は違う。妹の迎えに、店の手伝いと忙しい日々を送る彼女は部活動に参加せずにいた。

 そして今日もまたいつも通り妹の迎えに向かっていたのだが、今日は少しだけいつもとは違って早めのお迎えとなっていた。
友人達から早めに解放された事を喜んでいた矢先、まさかその帰り道に通った小さな公園で あの”槙野伊織” と会うだなんて時雨は思ってもいなかった。また、そんな伊織が小さな女の子を連れている事など更に思いもしていなかった。

だから目が合ったとき、まずい。
そう思った時には遅かった。


 「君、一年生だよね?」


 突然そう聞かれ、時雨はビクッと肩を動かした。
 なにせあの槙野伊織に微笑まれているのだ。驚かない方が無理な話である。

 槙野伊織と言えば、学校一の美男子と称される程の整った顔立ちと、学年問わず誰もが知る有名人でる。そして……いつも女子に囲まれているチャラい人。

 それが伊織に対する時雨の印象だった。

 まだ学校に入学して一ヶ月だがよく女子生徒に囲まれチヤホヤされている伊織の姿は何度も見たことがあった。しかし、やはりこうして目の前で彼を見ると美男子と称される理由は痛い程よく分かる。整った顔立ちに、綺麗な茶色の髪は長過ぎず、短過ぎずといったこだわっているであろう髪型。初対面の人間に対する爽やかな態度と輝く笑顔。

 住む世界が違うと思った。

 「……はい」

 小さな声でそう答える時雨。
 今すぐこの場から去りたい、その一心だったが気付けば手を繋いでいた筈の妹の手がすっぽりと抜けており、妹は伊織の方へと駆けだしていた。
こんな幼い妹さえも伊織の美貌に惚れてしまったのかと一瞬焦った時雨だったが、どうやらそれは違ったらしい。妹のあんこは伊織と共に居た同じ猫のワッペンを付けた女の子の元へと向かったようだ。

 「しぐおねーちゃん! 藍ちゃんと遊んでもいい?」

 「え、でも……」

 時雨が困惑の表情をうかべた。

 時雨の実家は『きしだ』という和菓子屋を営んでいる。その為、時雨はいつも学校が終わると四番目の妹あんこを保育園に迎えに行った後、真っ直ぐに家へと帰り店の手伝いをしているのだ。とは言っても半場無理にだが。

 駄目、と言いたい所だったが、うるうるとした瞳で「しぐおねーちゃん?」と言われてしまえば時雨は何も言えず「少しだけね」と答えるしか選択肢は無かった。

 小さなこの公園には砂場と滑り台しか遊具はない。
 楽しそうに遊ぶあんこと藍を前にし、時雨と伊織はベンチに腰をかけていた。

 「君、なんで俺の事知ってるの? 初対面だよね?」

 ニッコリと微笑みながら伊織が時雨にそう尋ねた。
 その笑顔を時雨は怪訝そうな目で見つめる。

 確かに時雨の目から見ても槙野伊織という人間は美男子に映る。しかし、彼の笑顔は決して心の底から笑っているようには感じられない。つまり作り笑いと言うやつだ。

 下を向きながら、時雨は答える。
 出来るだけ目を合わせたくなかったから。

 「槙野さんは有名ですから。それに槙野さんこそ、なんで私が一年生だって分かったんですか?」

 「制服の胸元の紋章、学年によって違うんだよ。一年が黄色で、二年が赤、三年が緑」

 そう指摘され、初めて時雨は知った。
 確かに自分のブレザーの胸元には黄色の紋章、そして伊織のブレザーには緑の紋章があった。

 「……でも、それ以外に君を何処かで見た気がするんだけど、会ったことあったっけ?」

 「き、気の所為だと思います。私みたいで目立たない子、沢山いると思うので」

 「ふーん。もしかして、自分に自信ない?」

 「はい」

 即答する時雨に伊織が笑った。
 しばらく沈黙が続いた後、あまりの居心地の悪さに逃げ出したくなるのを時雨が必死に我慢していると、そんな時雨に気が付いたのか伊織が話を振る。

 「妹さんだよね? その割には歳離れてるみたいだけど」

 「えっと……私、四姉妹でして。あの子は一番下の子なんです」

 「あー、なるほど」

 「そう言う槙野さんこそ。妹さんですか? の割には歳がかなり離れていそうですけど…」

 「妹だよ。まぁ、藍とは血が繋がってないんだけどね」


 突然の言葉に時雨は反応に困った。
 もしかしたらお姉さん、もしくはお兄さんの子供。または従兄弟だと思っていた。だからまさか血の繋がらない妹だという突然すぎる告白に時雨は戸惑っていた。が、別に今どき珍しい話でもない気もした。

 「いつもお迎えに?」

 「そうだよ」

 「……良いお兄さんですね。藍ちゃんもきっと喜んでますよ」

 時雨がそう言えば、伊織は一瞬目を見開いた。
 そして

 「なんでそう思うの?」

 と尋ねられた。
 特に深い理由は無かった発言だったので、時雨は一瞬困惑したが質問にちゃんと答えてみせた。

 「だってわざわざ学校帰りに迎えに来てくれる……って本当に嬉しいと思うんです。あんこ……妹が言ってました。一緒に過ごせる時間が長くなって嬉しい、って。だから、藍ちゃんもそうなのかなーって」

 楽しそうに砂場で遊ぶあんこと藍の姿を見つめながら時雨が言った。
 気付けばあまり緊張せずに伊織とも話せるようになっていた。

 「……そうだといいんだけど」

 ポツリと呟かれた言葉はとても小さく、もし周りが騒がしかったら聴き逃してしまいそうだった。だが時雨はしっかりとその言葉を聞き、大きく頷いた。

 「そうに決まってますよ」

 「証拠も無いのに?」

 「無いですけど……ほら」

 時雨がそう言うと、伊織はあんこと藍の方へと視線をむける。
 泥遊びをしていたはずの二人はいつの間にかシロツメクサで花の冠を作っていたらしい。藍は綺麗とは言い難いが一生懸命に作ったであろうシロツメクサの冠を持ってこちらへと駆け寄ってきた。そして、それを伊織へと差し出す。

 「おにーちゃん! 藍からのプレゼントだよ!」

 満面の笑みを向けられ、伊織は小さく笑った。
 こんなに素敵な笑顔を嫌いな人になんか向ける訳が無いと時雨は思った。
 
 「あの、これが証拠じゃ駄目ですか?」

 だからそう時雨は尋ねた。

 それから短い針が五を指し、お別れの時間となった。
 まだまだ二人は遊び足りないようだが時間がきてしまったのだから仕方がない。
 時雨はあんこの手を取る。
 すると「ねぇ」と呼び止められた。

 「今日のこと、誰にも言わないでね」

 帰り際、そんな事を言われた。
 自分が誰かに言いふらすような人間に見えるのだろうか? だとしたらかなり心外だが 、時雨は「はい」とだけ答え、会釈して先に公園を後にした。

 もうここで会うことはないだろうな、とそう思いながら。
 


〇◇〇◇〇◇〇◇〇



 家に着くなり、四姉妹の三女、最中が既に帰宅していた。

 「お帰り、ねぇーちゃん」

 「最中。テレビ見る暇があるなら手伝いなさい」

 テレビを前に胡座をかく小四の妹、最中の足を軽く手で叩く。
 大袈裟に「痛いっ!」と反応する最中を呆れた目で見た後、急いで支度をして店の手伝いに時雨は入った。

 和菓子屋『きしだ』
 時雨の祖父母から始まったこの和菓子屋はまだまだ歴史は浅いもののとても人気のあるお店だ。四姉妹全員に和菓子の名前をつけるぐらい親は和菓子好きでもある。

 カウンターに立ち、今日もまた接客をする。
 今どき機械で和菓子を作る所もあるだろう。
 しかしこの『きしだ』は決して機械では作らない。従業員自らの手で作り上げ、それを売る。その為、毎朝両親は朝早くから仕事をしているので妹達の面倒は時雨がほぼ、と言っていいほど見ている。

 「しぐねぇ。私の体操服どこ?」

 店番中、店の奥からひょっこり顔を出したのは四姉妹の二女、さくらだった。

 「棚の中にないの?」

 「無いから聞いてるんだけど」

 「ちゃんと片付けなさいって言ったよ。もしかしたら皆の服に混ざってるかもしれないから探してみて」

 「はーい」

 さくらはそう言うと、また店の奥へと戻って行った。
 手伝ってくれてもいいのに、と時雨は思ったが口には出さなかった。
 きっと本音を言ってしまえば喧嘩になってしまうだろう。そうなれば面倒臭いし、何より疲れがさらに増える気がした。

 店の外から聞こえる楽しそうな女の子達の笑い声。
 恐らく部活帰りだと思われる女の子達が店の前を通っていくの姿を見で追いながら時雨は小さな溜息を吐くのであった。


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