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それは悪魔か救世主か

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『――悪魔にだけは逆らうな。縁など繋ぐなどもってのほか』

 と、育ての親であるジジイは口癖のように言っていた。

『ンなこと言ってもさ』

 俺は決まって面倒くさそうに鼻を鳴らす。

『ジジイいつも、魔法すら発明で再現出来るって言ってるじゃねえかよ。じゃあ、その悪魔とやらもお得意の発明で撃退できるっつーことだろ』

 そう。妙ちきりんな発明ばっかりのジジイは、表向きは修理屋で何でも屋。でもその実、人使いは荒いわ意味のわからねえモノは作るわの変人でしかなかった。
 
 それでもそれなりに修理屋としての腕は確かなのと、儲けとか度外視で依頼を受けてやってるせいか変人なりに村人との交流は盛んだった。

『ふん、口だけは達者なクソガキめ』

 忌々しげに、でも目元は笑って悪態をつく。俺はそんなジジイが嫌いじゃなかった。いや、わりと好きだったよ。
 
『いいか、メイト』

 ジジイは俺が小さい頃、寝床で決まってする話がある。

『よく聞けよ。悪魔と人間、そして魔王になった人間の話だ』

 それは子供だましのおとぎ話。
 ひとつの村があって人間の男がいて。そこへ旅人がやってくる。
 
『旅人はひどく疲れていた様子で金を差し出して一晩泊めてくれ、と』

 しかし男は、村の中央にここよりずっとちゃんとした部屋のある宿があるからと金を突っ返した。
 しかし悪魔はこの家でないとダメなのだと言う。

『首をひねりながらも、必死な様子の旅人に男は了承した。でも金は頑として受け取らなかった』

 困るから受け取ってくれ、いや要らない。の押し問答を数度して、ついに旅人は折れた。

『後で必ず借りを返させて欲しい、と言ってひとつしかないベッドに潜り込んで眠ってしまった』

 よく見れば身なりも悪くない。では何故、こんな町外れのボロ屋に泊まるのだとますます不思議に思ったが男は深く考えなかった。
 その代わりに、目覚めた旅人のために朝食の用意をした。

『粗末ではあるが心のこもった朝食に、旅人はたいそう喜んだ。そしてまた金を差し出すが、やはり男は微笑んで断った』

 これは商売でないんだ。人との交わりであり情というものさ、と穏やかに言う。
 旅人はついに諦め、小さくため息をついて口を開いた。

『我が悪魔であると知っていても、か』

 と。
 男はそれでも動揺することなく。

『知っているよ、だって君の顔は人間にしては美しすぎるからね』

 と返した。
 確かにゾッとするほど美しい。旅人は悔しげに顔をしかめた。

『契約が得られなければ、我ら悪魔の不名誉だ。これから先もお前に取り憑いてやるぞ』

 どうぞご自由に、と男は涼しい顔。
 その日から男は悪魔憑きとなった。とは言っても、村人の目からはいつの間にか女を家に入れて結婚したという風に見えただろう。

 美しい嫁さん捕まえやがってと冷やかされ、男は。

『むしろこちらが捕まったようなものさ』

 と困ったように笑ったという。

 それが数年、いや十数年が過ぎた頃。
 男は罪人として牢の中にいた。
 
 突然のことだった。友人と思っていた者とその親族から、いわれなき罪をでっち上げられ拘束されたのだ。
 不当な扱いと裏切られたことで、男は茫然自失。それでも悪魔の契約への囁きに断固として拒否をしていた。

 しかし男は見てしまう。
 卑劣な犯罪者として死刑場まで引かれる時、歪んだ嘲笑を浮かべこちらを指さす友人だった者の姿を。

 やはり裏切られていた。何かの間違いだと思い込もうとしていた心に、決定的な致命傷を与えたのだろう。

『その瞬間から、男は魔物となった』

 悪魔に願ったのは力。強大で、何者も覆すことのできない能力スキル
 そしては人間が持ち合わせることがかなわないもの。

『裏切られた憎悪はついには人間へのそれへと広がっていく。人間から魔物、そしてついには魔王へと変貌した男の後ろには常に美しい悪魔がたたずんでいるという』

 そこまで話をしてから、少し俺の顔を覗き込み。

『悪魔と関わるな。一度関われば歯車が狂う』
 
 と怖い顔でおどかしてくるんだ。
 っていうか、寝る前にする話じゃねえよな。
 そもそも男が大人しく金をもらっとけばこの悲劇はなかったかもしれない。

『悪魔とは関わるな、いいか。悪魔とは――』


 ジジイはそう言うと俺の髪を不器用に撫でた。





※※※


「――ほう、呑気に走馬灯とは。えらく余裕があるな」
「!」

 ハッとして辺りを見渡す。
 目の前を覆う巨大な大きな手。湿った土の匂いの地面からは無数の手が伸びている。
 そして狂喜と恍惚の表情で杖をかかげるカツパと、なにか叫んで駆け出しそうになっているアルワン。意識を失ってぐったりとするヴィオレッタと、あいかわらず眠っているスチル。
 
 異常なのがそれらすべてが停止していること。
 舞い散る砂埃ですらピタリと宙にとどまっていて、奇妙でシュールな光景だった。そしてこれは前に遭遇したことのある光景で。

 そして目の前にいるのは、あの男。痩せた青白い頬、そして黒ずくめの姿をと記憶通りだ。
 すると奴は悪魔で、ここは。

「まさか」
「ほう、一応覚えていたか。微生物レベルの脳ミソで感心だ」

 思い切りバカにされてるのは伝わった。そしてムカつくより先に、あの体験が一度きりの夢や幻覚じゃなかったことに驚く。

「貴様はわれと契約をした、もしや忘れてはおるまいな?」
「あ、ああ」

 確かに叫んだ気がする。
 あの時は必死だった。無数のナイフに狙われる危機、そう死ぬ瀬戸際だったんだ。だから仕方なく。

「よろしい。では契約主の貴様にまずは前回のを要求しよう」
「!?」

 支払いって。確かに命拾いはしたが、あれは本当にこいつがやったことなのか。
 ってそもそも悪魔と契約しちまってた事に唖然とした。
 
 そこでジジイの言葉を思い出す。
 
「ふむ。クーリング・オフを希望か」
「く、くーりんぐ?」
「いや貴様は知らなくていい。むしろ記憶から消せ、能無し」
「えぇ……」

 俺って一応契約したんだよな? だったらなんでこんなに上から目線で怒られにゃならんのだ。
 スチルといいヴィオレッタといい、ナメられ過ぎじゃねえのか。俺は。

 腑に落ちない感情をおさえつつ、まずは改めて状況を整理する。

「前回の支払いってのは、あの時のことだよな」

 あのエセ貴族の男に嵌められたときのだ。
 灰色の髪の男は笑った。そこでふと思う、以前よりだと。
 よりハッキリと表情まで認識できるようになった視界。これにどんな意味があるのか、今の俺にはわからないが。

「で、どうすりゃいい」
「そうだな。貴様の左手でどうだ」
「え?」

 左手、とは。
 思わず手を隠した俺に、奴はふき出して言った。

「なにも切り落とせなどといわん。そんなことをしても我に利益なんぞないからな。そうでは無い。貴様の左手の感覚を我と共有させろということだ」
「?」

 全く意味がわからねえ。
 首をかしげれば、やれやれの言った様子で。

「早い話、今後貴様が左手で触れた感覚が我に伝わるということだ。我は、この世界からなかなか出ることが出来ぬ。つまり貴様と感覚を同じにすることで、知らぬ世界の事をその左手を通して知り感じる事ができるのだ。分かるか?」
「ま、まあ……」

 つまりこいつと俺たちは別次元、というか別世界に存在するわけか。
 こうやってなんの拍子かで俺はこちらへ干渉するが、逆は難しいと。

 だからこそ俺との契約で左手の感覚共有 (そんなこと出来るかすら知らんが) すれば、多少でも好奇心を満たせるということか。

 まあ理解は到底できないが。

「分かった」

 了承するしかない。こいつは悪魔だ。下手に関わりを長引かせるのは――。

「で、今回の対価は」
「すでに契約する気満々かよ」

 すかさずつっこむ。なにこのしつこい営業みたいな流れ。
 とはいえこの状況はまた契約せざる得ない。そうしなきゃ、間違いなく死ぬ。

「今なら格安にしとくぞ」
「やかましい!」

 くそっ、絶対足元みるタイプの顔しやがって。
 とはいえ悪魔って案外普通っつーか、そう怖い存在には見えないというか。

「前回も言ったが、悠長に話し合う時間はないと思うが」
「え゙っ」
「我とて時間を止めるのは面倒なのでな。例えれば筋トレでノルマの10回余計にこなすくらいの忍耐力はいるわけだ」

 こいつ、妙にリアリティのある例えだしやがる。
 さっさと決めろってことだな。

 俺は大きく息を吸った。

「対価はこちらで決める」
「ほう?」

 正直、何の因果か。そもそも理由も道理も分からず悪魔と契約しちまっている自分にパニック状態だ。
 しかし今はそんなこと言ってられない。
 このまま俺だけじゃなく皆が死ぬような事があってはならないだろう。

 そりゃあ。スチルはともかく、あの兄妹とは浅い付き合いだ。でもここまで来れば命を守りたくなる。
 少なくとも俺はそうだ。

 だから言ってやった。

「左目をくれてやる。だから俺を……いや、を助けろ」

 その瞬間、男は微笑んだ。
 とても美しく。でも虫唾が走る笑みだった。

「よろしい――心臓に刻め、明ければ我こそ契約者コル・クリプ・ルーキス・パクトゥム

 地の底から響くような声。
 身体の芯に再び、あの稲妻が走った。



 
 
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