逸撰隊血風録~安永阿弥陀の乱~

筑前助広

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 友三郎は、城後村の自室で一人酒を飲んでいた。
 珍しく、落ち込んでいた。その自覚がある夜である。
 大杉が下手を打った。友三郎の命令で、慈光宗を襲ったが逆撃を被って捕らえられてしまったのだ。
 当初は逃げるという算段をしていた。逃げ切れなければ、自害。或いは闘死。虜囚の辱めを受けるなど、指図役としては言語道断だった。腹も立つが、親友とも呼べた大杉に会えない悲しさもある。
 そして失敗は、すぐに〔あのお方〕の耳に入り、厳しい叱責を受けた。平伏して許しを乞うたが、脇息を投げつけられてしまった。

「全く……」

 友三郎は深い溜息を吐いて、猪口を置いた。
 部屋の障子は開け放たれ、見事な満月が見える。しかし、それを風流だと感じる心のゆとりは無い。
 確実に逸撰隊が近付いてきている。大杉を捕らえた事で、更に大きく前進するだろう。〔あのお方〕からは、自供する前に殺せと言われたが、逸撰隊の屯所に忍び込むという事は自殺行為に等しい。

「お逃げになられなくてよいのですか?」

 大杉の捕縛を耳にした野枝が、珍しく訊いてきた。だが、友次郎は「いや、いい」と、首を横にした。
 腹が立てども、大杉は友である事には変わりない。あの男を信じてみたい、そんな気持ちがあった。
 大杉は親友なのだ。友次郎の三十七年間の人生で、唯一と言っていい存在である。父との逃亡の日々で、友という存在をついぞ作れなかった。そんな自分の友になってくれたのが、十年前に出会った大杉だった。
 だから、友次郎は賭ける事にした。もしもの場合に、友次郎は偽の拠点を四つ作っていて、何かあればその場所を自供するように伝えている。もし逸撰隊が偽の拠点に向かえば、大杉は自分との友情を守った事になる。
 とりあえず今出来る事は、〔あのお方〕から逸撰隊の目を逸らす事だ。その為に、幾つかの殺しをするつもりでいる。そうすれば、逸撰隊はますます自分と〔あのお方〕との関係を切り離すはずだ。
 ただその前に、大きな仕事がある。大獄院仙右衛門だいごくいん せんえもんという男に会い、火縄銃の取引に立ち合う事だ。仙右衛門は浅草一帯の裏を仕切る首領おかしらで、今までに何度か組んで仕事をした事がある。今回は客と売り手という立場で、仙右衛門が買い付けた火縄銃を購入するのだ。
 今、〔あのお方〕は銃火器を必死に集めている。先月は密かに阿蘭陀オランダと取引して、大砲まで手に入れたそうだ。それだけでなく、鉄砲鍛冶も拉致をして作らせている。当然ながら、友次郎もそれに一役買っていた。
 そこまでして、銃火器を集めている理由は一つしかない。天下だ。〔あのお方〕は天下を望んでおられるのだ。
 肥大した妄想が、遂にここまできたのかと思うと、呆れると同時に、胸が躍るものがある。
 友次郎は、手酌で酒を満たした。幾ら飲んでも酔えそうにもない。その理由は明確だ。羅刹道が、滅びの道を歩んでいるからだ。
 幕府に勝てるはずはない。冷静に考えて、勝算は万が一にも無い。それでも従っているのは、〔あのお方〕の最も近い場所で夢物語の行き着く先を見たいからだった。
〔あのお方〕は勘違いをしているのだ。ちょっと奉り上げられただけで、自らが神君家康公と同列かのように思っている。その勘違いが、どこまで天下を揺るがすか、友次郎は楽しみで仕方がない。

「誰だ」

 庭の奥に人の気配がした。

「出て来い」

 と言うと、黒装束の男が姿を現した。〔あのお方〕からの使者だ。

「どうした?」
「一つ、報せがございます」

 使者が片膝をついた。

「阿部志摩守様からの情報が入りづらくなりました。古河様におかれましては、阿部様に接触しませぬよう」
「ほう。まぁ私が阿部様に接触する事は無いが、何かあったのか?」

 阿部志摩守は、大身旗本かつ田沼意次の側近の一人。と同時に、〔あのお方〕の熱心な門徒でもある。故に、幕閣や逸撰隊の情報をこちらに流し、今まで捜査を掻い潜っていたのだ。

「どうやら、監視の眼が付いているようで。恐らく逸撰隊の局長が内偵をしているようで」

 逸撰隊局長・甲賀三郎兵衛。切れ者で噂の男だ。

「わかった。この村も阿部の知行地。私も気を付けよう」
「それと」
「どうした?」

 友次郎は酒を呷って訊いた。

「大杉様は、そのまま捨てて置かれるのですか?」
「奴は俺の友だ」
「〔あのお方〕は、す事を望まれています」
「失せろ」

 友次郎が即答すると、使者はすぐにいなくなった。
 大杉を殺せるわけがない。奴への想いだけが、自分の中に残る僅かな人間らしい感情なのだ。

◆◇◆◇◆◇◆◆◇◆◇◆◇◆

 翌日、友次郎は大川の西岸にある河岸に来ていた。浅草今戸町の傍。連れているのは、手下の中でも精鋭の五名である。全員が浪人の恰好だった。
 夜。既に夜は深くなっている。ただでさえ、秋も深まりつつある季節だ。川面を凪ぐ風は肌寒い。
 待ち合わせの刻限には、まだ幾らかの時があった。静寂の中、友次郎は係留された船に目をやった。
 父と旅をしていた時、筑前早良郡ちくぜんさわらぐん袙浜あこめはまという漁村に半年ほど逗留した事がある。そこで友次郎は村の子供と船に乗り、遊んだ事があった。あの頃は、漁師になりたいと何となく考えていたものだ。
 手下に声を掛けられ、友次郎は思考を断った。

「来ました」

 目をやると、猪牙舟が三艘こちらに向かってきている。

「気を抜くなよ」

 そう言うと、手下たちの短い返事を背中で聞いた。
 三艘が河岸に接舷し、ぞろぞろと男が降りて来る。数は十人。事前に打ち合わせた通りで、最後にゆっくりと降りたのが、大獄院仙右衛門だった。
 大柄で、やや肉がついた初老の男。舟遊びが好きなのだろう。顔は潮焼けしていて、その肌に不釣り合いの白い歯が印象的だった。

「待たせたかな」

 男は自分の風格を見せつけるかのように、鷹揚に笑って見せた。

「いえ、私どもも今来たところで」
「そうかそうか、それはよかった。それでは、取引に入ろうか」

 仙右衛門が後ろを向いて、顎で合図を出す。それで、仙右衛門の子分たちが、猪牙舟から、九つの木箱を下ろした。

「荷の改めをしてもらっていいかね」
「はっ」

 木箱の中身は火縄銃だ。一箱に三丁入っているので、全部で二十七丁ある。これは注文より二丁多い。

「二丁、多いですよ」

 すると仙右衛門は快活に笑って見せた。

「私からのご祝儀だよ。羅刹道には何かと世話になっているからね」

 その名を出され、友次郎の胸が一瞬だけ波打った。外ではその名を出さないというのが、羅刹道の決まりなのだ。

「わかりました。私から伝えておきましょう」
「よろしく頼むよ。〔あのお方〕にも」

 仙右衛門は〔あのお方〕の門徒である。多額のお布施もしているし、子分にも入信を勧めている。腕力で浅草一帯を抑えた大親分を麾下に加えた事が、〔あのお方〕の躍進の一助になった。そして、天下を望むようになったのも、ちょうどその頃からだ。仙右衛門を門徒に出来るなら、将軍も天皇も門徒に出来ると勘違いしたのだろう。

「あと、もう一つ」

 と、船から一人の男が引きづり下ろされた。手足を縛られ、口が塞がれている。小太りで背が低い。

「この者は?」
毒蛙どくかわず万蔵まんぞうという、ちんけな盗人ですよ。しかし、盗賊界隈の事に対しては、中々耳が敏いらしく」

 地面に転がった万蔵がもがいている。その腹を、仙右衛門の子分が蹴飛ばした。

羅刹道あなたがたの事を、逸撰隊に売ろうとしたのです」
「ほう」

 友次郎は、万蔵に目をやった。こきざまに首を振る。「俺はやっていない」と必死に訴えているかのようにも見えた。

「私も〔あのお方〕に仕える身、これはいけないと捕らえたわけですが。余計なお世話でしたかな?」
「なんの。私こそ、斯様な輩がいたとは知らず。申し訳ございません」
「いえいえ。それでは、この荷物は城後村に運びますかな? 耶馬行羅殿」
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