令嬢は闇の執事と結婚したい!

yukimi

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第5話(2) 無礼な客人

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 誤魔化す言葉も浮かばず、あわあわとまごついている間に視界の中で執事が動きだしたことに気付いた。

 なぜかシドが真っ直ぐテーブルに近付いて来たのだ。


 どうして、と混乱しているうちにスタスタとフィリアの傍らまで来て姉妹へ体を向き直し、大仰に左手を腹へ当てた。
 当たり前のように教科書通りの優しい微笑が添えられている。

「ルルアンナ様、ピューレ様、ようこそオリーズ侯爵家へ。少々失礼致します」

 二人が同時にシドを見上げる。その容姿を確認するなり、よく似た二つの赤い口元は見事に綻んだ。

「「まあ、素敵な執事さん、何かしら」」
「お時間となりましたので、本日のメニューのご説明をさせて頂きたく思いまして」
「「どうぞ、教えてくださいな」」

 弾んだ声にシドはまた優しく微笑した。

「恐縮でございます。まずは現在皆様が召し上がっておられる紅茶についてです。これはお二人の為にフィリアお嬢様が選りすぐりになられました当侯爵領原産のマキユシという自慢の品種でございます。嫌味の無い芳醇な香りを誇る最高級のセカンドフラッシュをご用意致しました。お味の方はいかがでしょう」

 問われれば、二人は感心したように「ほぅ」と息をはき、カップ越しに香りを味わってから一口含んだ。

「とても美味しいわ。これが有名なマキユシなのね。一度いただいてみたいと思っていたの、ね、ピューレ」
「ええ、姉さま。しかもセカンドフラッシュでしたのね。嬉しいわ」

 シドは微笑を絶やさずに頷く。

「お喜び頂けまして何よりでございます。また、マキユシによく合うお菓子と致しまして、当家専任シェフによる特製のマキユシスコーン、マカロン、タルト、それから軽食用にアスノール特産のトマトを使用した特製サンドイッチも添えております。

「まあ、このスコーンにはマキユシが練りこまれていましたのね。変わった味だと思っていましたの、ね、お姉さま」
「ええ、私これ大好きよ!」
「お気に召していただけて光栄でございます。フィリアお嬢様のご提案でお土産にも添えておりますのでご自宅でもお楽しみ下さい」
「「まあ、嬉しい。フィリア様ありがとう!」」

 完全にシドのペースに嵌りこんだ二人を見てフィリアは感動してしまった。
 執事は普通茶会で料理の説明なんかしない。シドは助けに来てくれたのだ。一瞬目が合っただけで、困っていることに気付いてくれたのだ。

 もう一度シドが微笑すると、ルルアンナが即座に立ち上がり、彼に駆け寄って腕を絡ませた。

「ねぇ、あなたもお茶に参加なさいよ。一緒にマキユシを飲んでお話しましょう。私あなたのお話が聞きたいわ」
「それはいい考えだわ、お姉さま。私もこの方のことを知りたいと思っていたところなの。あなたはどこの出身ですの? 家の名前はなんとおっしゃるの? 年齢は? 恋人はいらっしゃるの?」

 ピューレもおもむろに立ち上がり、テーブルを回って行ってシドの反対側の袖を鷲掴みにする。獲物を見る目がらんらんとしている。

 シドは、まるでこんなことは想定内だとでも言うように静かに笑った。
 立場の弱い使用人に対して強引な要求をする令嬢は時々存在するものだ。なまじ容姿が良いからシドはこういう事には慣れているのかもしれない。きっと放っておけば簡単にその場を凌いで見せただろう。けれど、フィリアはどうしても口を挟まずにはいられなかった。

「い、いけませんわ、彼には彼のお仕事がありますから。うちの執事を困らせないでくださいな。ほら、お放しになって」

 牽制しながら立ち上がって両腕を伸ばし、二人の手から強引にシドを解放した。令嬢達が驚いてフィリアを見る。

「どうして? そのくらい良いじゃありませんの。私達が望んでますのよ」

 ピューレが不満気な声をあげ、ルルアンナも「そうよ!」と同調した。

 おずおずとなりながらも、フィリアはなぜか引き下がれない。シドに触れられるのが嫌だ。シドを意味ありげな目で見られるのが嫌だ。

「だ、駄目ですったら、お二人とも、席についてくださいな」

 フィリアはシドと姉妹の間に立ち、それ以上触れられないように両手を広げて壁となった。しかし、それはさながらガラスの壁だ。まるで簡単に破れると言わんばかりに姉妹はシドだけをうっとりと見ている。

「嫌よ、執事さんもテーブルにおつきなさいな。ちょっとそこの女中さん、気が利かないわね、椅子。早く椅子を一脚持ってきなさいよ。グズグズしないで、ほら、早く!」

 ルルアンナに鼻で指図されたミーナがビクリとして戸惑っている。
 フィリアはこの時、この日一番の苛立ちを覚えた。すでに帰ってもらいたいくらい不愉快なのに、フィリアの親友といっても過言ではないミーナを鼻であしらうなど、例えどこの高貴な令嬢であろうと許せない。

 急激に怒りのオーラを発し始めたフィリアは二人をキッと見据えた。こんな人たちをこのプライベートの大事な場所へ連れてくるんじゃなかった。これ以上無礼なことを一言でも発したらすぐにでも追い出してやる!
 怒りに震えながら両手をぎゅっと握りしめた、その時だった。

 突然、フィリアを引き止めるように、背後から両肩にふわりと手が乗ったのだ。しなやかで温かい白手袋の両手が。

 心臓がドクンと跳ねる。首筋の辺りがキュッとなった。

「これはルルアンナ様、ピューレ様、お美しいお二人からのお誘いは恐悦至極でございます。しかしながら私めはフィリアお嬢様と侯爵家に生涯使用人として忠誠を誓っている身の上。どのようなお美しいご令嬢とお知り合いになることができましても、深く親交を深めることができません。後で涙を呑むのは私でございましょう。傍らに立って花のようなお三方をお眺めしている方がずっと幸福であり、安らぎなのでございます。どうぞご容赦を」

 シドがそう言うと、双子はぽかんと口を開けた。ピューレが大きく瞬きをする。

「まあ、執事さんたら……フィリア様に忠誠を誓ってらっしゃるの?」
「はい、お嬢様と侯爵家に。お三方のようなお美しいご令嬢を前にして花も贈れないとは、なんとも悔しい限りでございます。どうしてよいのやら」

 シドはまた困ったように笑った。

「まあ……お上手ね。そんなこと考えたこともなかったわ」
「こんなに良い男が生涯使用人のままだなんて、こっちこそ悔しい限りですわ!」

 頬を緩ませた二人は、キャラキャラと笑い、それなら仕方ないといった様子で再び席に戻っていった。それを見届けると、シドはフィリアの肩から手を放し、一礼してから東屋の柱へ戻って行く。

 令嬢の扱いと社交辞令に妙に小馴れている謎の執事。

 体温が急激に上昇した事に気付かれてしまっただろうか。べつに、あのくらいなら許されるけれど、バゼルだってフィリアの体に触れたことなんかなかったから、かなり驚いた。おかげで怒りなどどこかへ吹っ飛んでしまった。

 その後も茶会は続けられたが、フィリアの好きな男性のタイプの話は全く忘れ去られ、最後までひたすらシドが素敵だとか、どこへ行けば若い執事を雇えるのかとか、どうしたら忠誠を誓わせることができるのかとか、執事を入手する為の話で持ちきりだった。


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