ラジオの向こう

諏訪野 滋

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第二章 オリエンテーション

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「ボードが目立ちたいための道具に過ぎないなんて、嘘だ!」

 だめだよ、朝倉くん。

「会長がさっき言ってました。あなた、毎日ここで滑ってるんですよね? 毎日ボードに乗っている人がそれを好きじゃないなんてこと、あるわけないじゃないですか!」

 君の世界を、手放しちゃいけないよ。

「毎日何かを続けることがどれほど大変なことか、私は知っています。それでもそうしないといけないだけのものが、そうせずにはいられないものが、それにはあるんですよ。それが、きっとあなたを支えてるんですよ。私のラジオのように」

 そうですよね。石田さん、みやじー。

「ラジオ? 会長、こいつ誰だ。お前、いったい何の話をしてる」

「目立ちたいなんていうあなたの気持ち、私には全くわかりません。目立ちたくないと思ってこそこそと生きてきた私には。けれど、あなたがスケートボードを好きだという気持ちは、私にはわかります。だから、だから」

 私は大きく息を吸った。

「自分の好きなものを、そんな風におとしめるな!」

 ぐっと言葉に詰まった様子の朝倉くんは、顔を赤くして私に怒鳴り返した。

「勝手言ってんじゃねえ。お前にボードの何がわかるって言うんだよ」

 朝倉くん。君のその言葉こそが、スケートボードが好きだという何よりの証拠だよ。いい加減に目を覚ませ、好きなものを好きと言えなくて悔しくないのかよ。

「この臆病者。あなたが意地でも嫌いだって言うんなら、私が好きになってやる。貸して!」

 私は彼の足元のボードを素早くひっつかんだ。

「おい、やめろ。出来るわけねえだろうが」

「出来る出来ないじゃない、やるかやらないかよ。やろうとしないあなたより、私の方がうまいに決まってる」

 だめだ、もう引っ込みがつかない。私はごくりとつばを飲み込むと、両足を板の上にのせて運を天に任せた。ふらつくボードの上で、私の身体がつかの間の均衡を保つ。おお、私立ててる?
 と、不意に重心が後方に流れ、次の瞬間には私の目には青い空だけが映った。

「八尋さん!」

 白倉さんの悲鳴が聞こえたような気がした。会長、書記の仕事、何も出来ずに申し訳ありません。やっぱり学年成績三位の人を、次の書記にするのでしょうか。それはそれでちょっと寂しいなあ。などと支離しり滅裂めつれつな思いが走馬灯のように浮かぶ中、後頭部の衝撃を予想して固く目を閉じた私の身体は、誰かにがっしりと支えられていた。

「……おまえ、言うこともやることも無茶苦茶だぜ。こんな後先考えない奴が、本当にうちの生徒か?」

 恐る恐る目を開けると、間近に朝倉くんの顔がアップで見えた。ひええ、リアル男子はやっぱり怖い。私を抱えてしゃがみ込んだまま、あきれたように首を振る彼の横で、白倉さんが私たち二人を笑って見下ろしている。

「当然。彼女は八尋環季さん、学年成績首位の才媛さいえんよ。クラスが違う朝倉くんも、名前くらいは聞いたことがあるんじゃない?」

 朝倉くんは驚いたように、改めて私の顔を見た。

「嘘だろ。この無鉄砲女が」

 人と目を合わせるのは本当に苦手だわ、と私は思いながら、とりあえず自己紹介はしておく。

「今度生徒会の書記になりました、八尋です。よろしくお願いします」

「あ、ああ」

「私、確かにスケボーを経験しました。怖くて好きにはなれませんでしたけれど、あなたが夢中になるのもわかる気がします。だから、もし誰かにスケボーについて聞かれたら、あんなものくだらないわよ、なんてことは絶対に言わないと思います。朝倉くんも、もう言いませんよね?」

「……さあ、どうだかな」

 朝倉くんは照れたように目をそらした。私、にらめっこで他人に勝ったのは生まれて初めてだ。ちょっと感動しているところへ、白倉さんが私たちに冷たい一瞥いちべつをくれる。

「こら、八尋さん。いつまでそうして朝倉くんとくっついているつもりなの」

「あ、ああ? ええー!」

 白倉さんが伸ばした手を慌ててつかんだ私を、彼女は強く引っ張って朝倉くんと離れさせる。不機嫌に彼をにらみつけていた白倉さんは、やがてふっと表情を緩めた。

「どう、朝倉くん。八尋さんの言葉に、何か思うところがあったかな?」

「まあ、な」

「でもあなたは、一つ誤解をしているようね。私はここでは滑らないでとは言ったけれど、もう滑るな、なんて一言も言ってないわ。はい、これ」

 白倉さんは厚手の紙片を制服の胸ポケットから取り出すと、朝倉くんに差し出した。彼はそれを胡散うさん臭そうに受け取る。

「なんだ、こいつは」

「ちょっと遠いけれどね。福岡市内のボードパーク、そこの無料体験チケットってやつかな。せっかくいい滑りしているんだから、こんな公園だけでくすぶらせておくには、ちょっともったいないんじゃない? きちんとしたパークなら、思う存分に自分の力を試せるでしょ」

 朝倉くんは少し困った表情だ。

「買いかぶりすぎだな。俺くらいの奴なんか、そこら中にごろごろしてるぜ」

 白倉さんは片方の眉を上げて、同じポケットからさらに一通の封筒を取り出した。

「果たしてそうかしら? はい、これも」

 朝倉くんは渡された封筒の表書きを見て、さらに困惑の度を深めたようだ。

「……紹介状?」

「朝倉くん。大黒おおぐろ来希らいきって人、知ってる?」

「RAIKIさんか。福岡のボーダーならだれでも知ってるさ、地元出身のプロだろ? それがどうした」

「でも、彼がうちの隣町の工業高校の卒業生だという事までは、知らないでしょう? 来希さん、そこのボードパークで指導員として勤務されてるんだよ。彼宛てのその手紙の中で君のことを紹介している、滑るところを見てやってほしいって」

 朝倉くんは、あきれたように白倉さんを見た。

「何言ってんだ。いきなりそんなものを持って行ったって、プロが相手にしてくれるわけがないだろうが」

 ここからが白倉さんの真骨頂、まさに面目めんもく躍如やくじょだった。彼女は腕を組むと、例のいたずらっぽい笑みを浮かべた。

「ここで君が滑っているところ、悪いけれど隠し撮りさせてもらったわ。そして来希さんにメールでその動画を送ってみた。彼、君に非常に興味を持ってくれたみたいよ。すじがいいし同郷のよしみもある、一度会ってみたいってさ」

 朝倉くんは驚いて、白倉さんの顔と手元の封筒を交互に見ている。彼女のあまりの用意周到さに、私も舌を巻いていた。なるほど、これが白倉さん流の生徒会の仕事のやり方なのか。それにしても隠し撮りなんて、やはり彼女は個人情報保護法を遵守じゅんしゅするつもりなどさらさらないらしい。

「後は、君次第かな。いくら朝倉くんがスケートボードを嫌っていても、プロになんかなったりしたら、嫌でも注目されることになるでしょうけれどね」

 そこまで言って白倉さんはさっさときびすを返すと、すたすたと公園の出口へ向かう。私は慌ててその後を追おうとした。

「待てよ、学年首席」

 背中からかけられた声に、私は意地悪で返す。

「その呼び名は嫌いです、二度と使わないでください。書記って呼んでくれないと、絶対に振り向きませんから」

「じゃあ、八尋書記さんよ。お前ってさ、ガリ勉女の割には結構イケてるよな」

 顔を赤くしてうつむいた私を見て、白倉さんがくすくすと笑う。朝倉くんに書記と言い直されても、やはり私は振り向くことは出来なかった。



 夕暮れ時の遊歩道で、白倉さんは鼻歌などを歌いながら、ご機嫌の様子である。

「これでもう、朝倉くんはこの公園で滑ることはないでしょ。苦情も処理できたし、これで彼が本当にプロになってわが校の宣伝をしてくれたら、言うことなしね」

 白倉さんはあくまで学校の評判のために働いた風でいるけれど、それは彼女一流の照れ隠しなのかもしれない。白倉さんが圧倒的な人気で生徒会長を任されている理由の一端を、私は垣間かいま見たような気がした。

 意気揚々と弾むように歩く白倉さんに、私はおずおずと声をかけた。

「すいません、会長。私、お仕事の邪魔をしてしまいました」

「何言ってるの、ナイス・アシストよ」

 白倉さんは私の横に並ぶと、満面の笑顔で私の腰をぐっと抱いた。

「この調子で新学期からもよろしく、八尋書記」

「はい、会長!」
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