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2章 月に焦がれるきらきら星
月に焦がれるきらきら星#1
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「音楽室……めっちゃ遠ー……」
――高校一年生、春。昴は手に持った校内案内図を眺めながら、音楽室を目指していた。
先日上京してきたばかりでまだ東京にすら慣れていないのに、一切知人も居ない高校など異国のように感じる。地元の近所の高校は、まあ田舎で土地がある分広くはあるけれど『学校』と聞いてイメージする学校の校舎そのものと言った素朴なものだった。
しかし東京有数の私立の進学校である彗上学園高等学校の校舎はなんというか、豪華だ。しかも田舎の学校以上に敷地が広く、四階建ての校舎が五棟もある。そのうち二棟が一般教室棟兼管理棟となっていて、残りの三棟は特別教室棟だ。一階から三階までは各棟渡り廊下で繋がっているが、四階は繋がっておらず、エレベーターも無いから必ず三階から階段で四階に上がる形。音楽室は一般教室棟から離れた棟の四階の一番隅に位置していて、ちょっと行きづらい立地だ。
けれどピアノ弾きたさに渡り廊下を歩き進め、音楽室がある特別教室棟の四階を目指し階段を上っていく。四階まで上ったところで、ピアノの音が微かに廊下まで聞こえてきた。どうやら先客が居るらしいと気付く。
先客は軽いウォーミングアップで練習曲を弾いているらしかった。めた上手だなー、なんて思いながら音楽室に近付くと、ベートーヴェン作曲のピアノソナタ第14番、通称『月光ソナタ』の第一楽章に切り替わる。
美しい音色だった。けれど、どこか寂しい。そもそも月光の第一楽章は物悲しさを感じる曲だけれど、それだけではない寂しさを感じた。
どんな人が弾いているのだろう。そう思い音楽室の引き戸をそっと開けた瞬間、目に飛び込んできたのは窓から差し込む日の光に照らされた横顔だった。
「―――……っ」
思わず息を飲んだ。肌は青白く見えるほど透き通っていたけれど、薄い口唇は薄らとピンクに色付いていて血色が良い。濡羽色をした美しい黒髪は窓から差し込む光で天使の輪を作っていて、スッと通った鼻は高く、鍵盤を見つめる切れ長の目は吸い込まれそうな程に澄んでいた。
同じ詰襟の学生服を着ているはずなのに、彼が着ていると神父様のようだ。ピアノに向かう姿勢は凛と背筋を伸ばしていて、指先が紡ぐ旋律は気難しそうな神経質さを感じる。遊びがなく正確で、完璧な音色だ。ひとつのミスもなく、お手本のように正しい音を正しく奏でている。
昴がそれまでの生涯で見た中で――彼は一番、綺麗なひとだった。
いや、一番、と言うのはおかしい。比べるべくも無かった。表面上の人の美醜なんかに興味は無かったし、誰が可愛いだの付き合いたいだの、そういう感情は今まで持ち合わせたことが無い。けれど、彼を見た瞬間、美しいひとだと思った。
ピアノの音色というのは、弾く人によって変わる。正しく完璧でお手本通りな演奏の中にも、彼の感情が見えた。
『この綺麗なひとは、悲しいんだなあ』と思う。少し機械的にも感じる、正確な美しい音色の下に、深い悲しみと苦しみが透けて見えた。遊びなく自由を縛り付けられているような、物悲しく綺麗な演奏だった。
だから、楽しくしてあげたくなった。自由に弾いて良いんだよと言いたくなった。笑った顔が見たくなった。十五歳の昴が、他人に対して初めて覚えた感情だった。
「――僕もピアノ弾きたいんだけど、一緒に弾いても良い?」
そう声を掛けた時、目をパチパチ白黒しながら振り向いた理月の顔を、今も鮮明に覚えている。
――高校一年生、春。昴は手に持った校内案内図を眺めながら、音楽室を目指していた。
先日上京してきたばかりでまだ東京にすら慣れていないのに、一切知人も居ない高校など異国のように感じる。地元の近所の高校は、まあ田舎で土地がある分広くはあるけれど『学校』と聞いてイメージする学校の校舎そのものと言った素朴なものだった。
しかし東京有数の私立の進学校である彗上学園高等学校の校舎はなんというか、豪華だ。しかも田舎の学校以上に敷地が広く、四階建ての校舎が五棟もある。そのうち二棟が一般教室棟兼管理棟となっていて、残りの三棟は特別教室棟だ。一階から三階までは各棟渡り廊下で繋がっているが、四階は繋がっておらず、エレベーターも無いから必ず三階から階段で四階に上がる形。音楽室は一般教室棟から離れた棟の四階の一番隅に位置していて、ちょっと行きづらい立地だ。
けれどピアノ弾きたさに渡り廊下を歩き進め、音楽室がある特別教室棟の四階を目指し階段を上っていく。四階まで上ったところで、ピアノの音が微かに廊下まで聞こえてきた。どうやら先客が居るらしいと気付く。
先客は軽いウォーミングアップで練習曲を弾いているらしかった。めた上手だなー、なんて思いながら音楽室に近付くと、ベートーヴェン作曲のピアノソナタ第14番、通称『月光ソナタ』の第一楽章に切り替わる。
美しい音色だった。けれど、どこか寂しい。そもそも月光の第一楽章は物悲しさを感じる曲だけれど、それだけではない寂しさを感じた。
どんな人が弾いているのだろう。そう思い音楽室の引き戸をそっと開けた瞬間、目に飛び込んできたのは窓から差し込む日の光に照らされた横顔だった。
「―――……っ」
思わず息を飲んだ。肌は青白く見えるほど透き通っていたけれど、薄い口唇は薄らとピンクに色付いていて血色が良い。濡羽色をした美しい黒髪は窓から差し込む光で天使の輪を作っていて、スッと通った鼻は高く、鍵盤を見つめる切れ長の目は吸い込まれそうな程に澄んでいた。
同じ詰襟の学生服を着ているはずなのに、彼が着ていると神父様のようだ。ピアノに向かう姿勢は凛と背筋を伸ばしていて、指先が紡ぐ旋律は気難しそうな神経質さを感じる。遊びがなく正確で、完璧な音色だ。ひとつのミスもなく、お手本のように正しい音を正しく奏でている。
昴がそれまでの生涯で見た中で――彼は一番、綺麗なひとだった。
いや、一番、と言うのはおかしい。比べるべくも無かった。表面上の人の美醜なんかに興味は無かったし、誰が可愛いだの付き合いたいだの、そういう感情は今まで持ち合わせたことが無い。けれど、彼を見た瞬間、美しいひとだと思った。
ピアノの音色というのは、弾く人によって変わる。正しく完璧でお手本通りな演奏の中にも、彼の感情が見えた。
『この綺麗なひとは、悲しいんだなあ』と思う。少し機械的にも感じる、正確な美しい音色の下に、深い悲しみと苦しみが透けて見えた。遊びなく自由を縛り付けられているような、物悲しく綺麗な演奏だった。
だから、楽しくしてあげたくなった。自由に弾いて良いんだよと言いたくなった。笑った顔が見たくなった。十五歳の昴が、他人に対して初めて覚えた感情だった。
「――僕もピアノ弾きたいんだけど、一緒に弾いても良い?」
そう声を掛けた時、目をパチパチ白黒しながら振り向いた理月の顔を、今も鮮明に覚えている。
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