A*Iのキモチ

FEEL

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 思い悩む愛の表情を見て俺は顔が熱くなっていた。愛の言っている事はわかりやすくいうと照れている、という事だと思ったから、そう考えた瞬間気恥ずかしさが爆発した。
 同時に、そんな姿を見せる彼女が可愛いと思ってしまっている自分がいた。狼狽える彼女から再び目を離し、緊張で体を強張らせる。今の俺たちは周りの客からさぞかし奇異な目で見られていることだろう。

「だ、大丈夫。問題ないと思う。」
「しかし、今日は特別な日なのに何か問題が起きてしまったら……」
「問題なんかおきやしない、心配しすぎだよ」
「そ、そうでしょうか」

 愛の言葉に頷いてみせると、彼女は戸惑いを残しながらも落ち着きはじめる。
 この数日で、彼女はとても人間臭く見えるようになってきた。愛は困惑していたが、今見せた反応だって俺たちの年齢なら歳相応の振舞いのはずだ。彼女はどんどん人間に近づいてきている。

「そろそろ出ようか」

 話を切り上げるように席を立った。これ以上ここにいても気恥ずかしさでのぼせそうだったし、気持ちを切り替えて彼女の心配ごとを少しでも遠ざけたかった。相槌を打った愛が同じように席を立ち、俺たちは店を出た。
 時間は丁度いい具合だった。バス停まで歩いて向かうと、これまた丁度いいタイミングでバスがやって来た。バスの中はガラガラで、二人分の椅子に並んで座った。
 さっきまでの会話をまだ引きずっていた俺は、横にいる愛にどきどきしっぱなしだった。幸い窓際の席に座っていたから、視線を外して車窓の風景を眺めていた。途中、窓に反射して愛の姿が目に入った。真っすぐ前を見る彼女の姿は教室でよく見たもので、私服に変わっても相変わらずの存在感を出していた。



 バスに揺られて数十分。目的の水族館の前でバスから降りた。

「あんまり人がいなくて良かったな」

 やはり時間が早いせいか、視界に入るだけで五~六人の客しか見えず、かなり人が少なく感じた。これなら貸し切り気分で魚を見て回れるだろう。水族館の外観はパンフレットで見た写真よりも綺麗なもので、なにより大きく見えた。

「大きいですね、一日で見て回れるでしょうか」

 愛も似たようなことを考えていたようで、建物を見ながら言った。

「どうだろうね。とりあえず行こうか」
「はい」

 入場券を買って、水族館に入るとすぐさま魚たちが迎え入れてくれる。
 ホールには巨大な水槽が壁に埋め込まれていて、視界いっぱいに魚の泳ぐ姿が見る事ができた。群れをなして泳ぐ小魚たちは一糸乱れず行列を作って泳いでいて、その姿に圧倒された。

「素晴らしい光景ですね」
「うん。とても綺麗だ」

 明るいところを通るたびにキラキラと体を光らせる魚の群れは一つの生命体のようだった。

「昔絵本でさ、小魚が集まって大きな魚に見せるってのがあったんだけど、こうやって実際に見ると本当にそう見えるんだな」
「人間と似ています」
「人と?」
「えぇ。他の人間と関りを持って自身の存在を大きくする。それを見た個人が群れに加わり更に大きな群れに変化していき、次第に強大な存在が生まれる。とてもよく似ていると思います」
「はは。なんだかその例え方だと悪者みたいだ」
「あくまで生態を客観的に述べただけです。それに何事にも悪い面と良い面もありますから」
「確かに」

 相槌を打ちながら、Aのことが頭に浮かんだ。
 彼女の周りには常に人が集まり、笑顔と笑い声が絶えなかった。良いと悪いがあるのなら、少なくともAが構築した群れはいい群れだったと思った。

「私はどうなのでしょうか?」
「え?」

 呟くように言った愛に振り向いた。愛は水槽を眺めながら、言葉を続ける。

「私は、学校という水槽の中で良い仲間になれていますか?」
「……多分、どうしたんだ急に?」
「わかりません。群れの話しをして途端にそう思ったんです。また不具合が起きたのでしょうか」
「いや……そんなことないと思うよ」

 まだ日は短いが、少なくとも嫌われていることはないと思う。
 周りからどう見られているかなんてことは人間ならだれでも考えることだと思う。だから何ら不思議なことはない。ただ、愛には無縁の悩みだったから、気持ちの変化に困っているのだろう。そういうものも含めて、彼女は感情というものを急激に学びはじめている。

「では、翔琉君はどうですか」
「俺……?」

 水槽を見ていた目を離し、愛の方へ振り返る。彼女はすでに俺のことを見ていた。今日はいったい何度彼女に見つめられるのだろうか。
 愛の表情はいつもと違っていた。昼食の時から少しだけ変化があったが、今回は全く違う。柳眉をたわめて答えを聞くのを心配そうにしてこちらを見つめていた。もう『人間みたい』とは言えない。その仕草は人間そのものだった。

「俺……俺は」
「……ごめんなさい。続きを見ましょう」

 口ごもっていると、愛はそう言って先に向かう。答えずにすんだことに内心ほっとしつつ後を追いかけた。
 実際のところ、俺は彼女をどう思っているのかわからずにいた。人間みたく振舞う時、確かに可愛いとおもうし何気ない仕草にどきどきとさせられる。だがそれは愛に向けたものなのか判断はついていなかった。
 人間味を帯びた彼女の仕草はどこかAを感じさせる。愛が人間らしく振舞えば振舞うほど、俺は愛を通してAを見ている気分になっていた。つまり本当のところでは、愛という存在に感情を揺らされているのか、それともAの幻想に想いを馳せているのか、そこが判断できずにいた。
 そんないい加減な状況で、彼女の質問には答えられない。それは愛の尊厳に対する冒涜だ。
 通路に並ぶ水槽を見ている愛に見る。俺がそう感じているだけなのか、彼女の表情はどこか寂しそうだった。やはり俺の答えが気になるのだろうか。それともただの自意識過剰で、もうさっきの質問を忘れてしまっているのだろうか。
 どちらにしても、俺は自分の気持ちを整理しなければいけないと思っていた。過程はどうあれ、愛と一緒にいるのにこんな中途半端な気持ちを抱えたままでいるのは失礼だと思った。

「翔琉君」

 頭を悩ましていると、愛が俺の名前を呼んだ。

「なんだ?」
「水族館、楽しいですね」
「あぁ、楽しい。魚を見るのがこんなに楽しいなんて思わなかった」
「ふふ、相変わらず情緒のないことを言うんですね」
「ミスター無神経と呼んでくれ」

 ……待て。
 相変わらず、だって?

 愛の言葉に遅れて驚いて、俺は彼女を見た。
 言うまでもなく俺と愛ははじめてここに来た。それを彼女は相変わらずだと言った。

「……今、私、何を? 相変わらず……?」

 彼女を見ると愛はすっかり困惑していた。目を見開いて自分の発言を確認していた。すると、愛の様子はどんどんおかしくなっていき、怯えたように体を震わせ、狼狽している。

「なに、この記憶、知らない、私こんなの、私……? 私って、だれ……?」
「愛っ、どうした愛っ」
「翔琉――翔琉……君?」
「どうしたんだよ急にっ、しっかりしろっ」

 両肩をしっかりと掴むと、愛は俺の顔を見た。破顔した表情には機械の面影が一つもない。驚き、怯え、恐怖して、しまいには瞳から涙を溢れさせた。

「なんで、なに、これ……涙? そんな機能は私には……」
「落ち着け、大丈夫だから。まずは落ち着いて、どうしたのか説明してくれ」
「わ、私。おかしいんです。ここに一度も来たことがないのに、何も思い入れがないのに、なぜだか体がおかしくなるんです。頭が熱くなるんです。それにこの通路、一度通った記憶がある気がする。翔琉君と、翔琉と、一緒に話しながら……はなし、はな……はななななななななななななななななななななななななななななななななななななななななななななななななな」
「おいっ、おいっ!」

 がくがくと痙攣を起こした愛は突然力が抜けて体を預けてきた。ずしりとした重みをなんとか支えて声をかけるが、愛は全く反応しない。それでも、何がなんだかわからない俺は愛に声を掛け続けた。
 すると、彼女の閉じた目がゆっくりと開き、体を起こした。

「――システム再起動。シーケンスクリア。オールグリーン――」
「再起動……?」
「……翔琉――君?」
「愛、大丈夫なのか?」
「……うん、大丈夫……ではないかもしれません」

 目を覚ました愛はたどたどしく会話をして頭を抑えていた。なんとか応答することは出来るみたいだが、かなり状態が悪そうだ。

「とりあえずどこか、座れるところを見つけて休もう」
「いえ、腰を降ろしても休息にはなりえません。やはり早急にメンテナンスをしてもらう必要があります」
「お、おい……待てって!」

 独り言のように言った愛は来た道を戻る。足取りはたどたどしく、四肢は明らかに不調を訴えていた。その状態で歩かせる訳にはいかないと制止するが、愛は聞く耳を持たない。
 俺が悪かったのかと思った。ここに来るまでに愛は散々自分の不調を訴えてきていた。俺はそれを感情のもたらしたものだと勝手に思い込み、大丈夫だと促した。その結果がこれなのだろうか。
 愛は本当に何かしら問題を抱えていて、馬鹿な俺はそれに気づかずにここまで悪くさせてしまったのだろうか。愛の言う通り、一度十二月晦に相談すべきだったのだろうか。今そんなことを考えたとしても仕方がないということはわかっている。しかし考えずにはいられなかった。
 水族館から外に出ると愛はそのままバス停に向かう。しかしバスはタイミング悪く出発したところだった。愛は走っていくバスを一目見ると、追いかけるように歩く。

「まさか十二月晦の家まで歩くつもりか? ここからどれだけあると思ってるんだっ」
「時間がないんです、急いでメンテナンスしないと……」

 俺の意に介さず、愛は歩き続けた。真っすぐ、ただ真っすぐ。止まる気配を見せない愛に痺れを切らした俺は彼女に向かって走る。言っても聞かないのなら、捕まえてでも動きを止めるしかない。いつか屋上で見た彼女の攻撃が頭をよぎって肝が冷えたが、それでも何とかしようと近づいた。だがこの判断は、少し、ほんの少しだけ遅かった。
 なりふり構わず帰路に就こうとする愛は、信号を無視して歩いていた。そこに車が急にやってきた。
 愛の歩いている横断歩道からすぐ横はビルと街路樹に囲まれて視界が酷く悪かった。おまけに車道部分は坂道で、車は歩道と同じ高さまで登ることでやっと歩行者を確認できるという悪路だった。
 今日は全体的に人の姿が少ない。そのせいなのかわからないが、坂道から現れた車は勢いよく横断歩道に差し掛かる。
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