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偽夫婦、挨拶回りしました

2話

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 さて、管理人の仕事のメイン、夕食づくりだ。朝夕に事務所から届けられたものを、レシピ通りにつくればいいという、比較的楽だが、人数が多いと意外と大変な作業。
 青陽寮の食堂の厨房は、先任者も丁寧に使っていたんだろう。かなりこざっぱりしている。流し台の下の棚にはフライパンも鍋も大きさはよりどりみどりで入っているし、オーブン付き電子レンジもあるから、ちょっとした温めることも簡単そうだ。
 今時ガス台は久々に見たけど、金輪が五つあるのはなかなかに贅沢だ。家庭用だと三つまでが限度だもんな。
 その日届けられたのは、豚汁に鰤の煮付け、金平ごぼうの材料という、昔ながらの和食という献立だった。材料のほとんどは既に切られているし、調味料まで備え付けてある。おまけに料理手順まできっちり書いてあるから、至れり尽くせりだなと思いながら、俺は米を洗って炊飯器にセットする。

「なんか意外ですね、大学生ってもっとがっつりとしたもんを食べたいのかとばかり」
「がっつりしたものって、具体的にどんなものですか?」

 白羽さんは届けられた豚肉と根菜を炒めながら尋ねる。給食用の鍋よりは小さめだけれど、家庭用にしてはかなり大きめの鍋でじゃんじゃんと炒めている。俺は自分の十代の頃を思いながら「うーん……」と唸り声を上げた。

「唐揚げとか、ハンバーグとか……」
「どうでしょうねえ、その辺りだったらファミレスで安価で食べられたりしますし、なんでしたら大学の食堂で食べられますよ?」
「そういえばそうですね。だとしたら、こういうのって、案外食べられないもんなんですかね?」
「鰤の煮付けもスーパーで買えますし、金平ごぼうもお惣菜で売っていますけど、豚汁って地味に外で食べようと思っても出てこないですし、これだけ野菜がいっぱいなものってレトルトでもありませんから」

 なるほど、大学寮の食事のコンセプトは、家庭でなかったら食べにくいものを出すって感じなのかな。ひとり暮らしをはじめてからは、好きなものを好きなように食べるって考えだったから、その発想はあんまり出てこなかった。
 炒めた豚汁の材料にだしパックと一緒にお湯を注ぎ入れると、あとは沸騰し次第だしパックを取り出してから味噌を溶き入れるんだろう。俺は金平ごぼうと鰤の煮付け、どちらをやろうと白羽さんの隣に立つと、白羽さんは「じゃあ金平をお願いできますか?」と頼まれた。
 俺は金平ごぼうの調理手順を確認しながら、先にごぼうを炒めようと油を手に取ろうとしたら、白羽さんはにこにこと笑う。ええっと……?

「えっと……俺、手際悪かったですか?」
「いえ。なんだか意外だったんです。お料理率先して手伝ってくれるんで」
「ええー……これでも自炊は長かったんで。原稿の直しを待っている間は、料理か酒、あとアニメくらいしか楽しみがなかったんで」
「まあ……アニメ、管理人室で見られますかねえ……録画機能確認しましょうか」
「あ、余計な気を遣わんでください……っ、本当本当。今はネットの無料視聴ありますし、ひとりでパソコンで見ますから!」

 学生用にWiFiも完備しているんだから、アニメくらいはひとりで見たい。というか、アニメに興味なさそうな白羽さんを巻き込んで見るのは気が引けるというか。
 俺がそうあわあわと言っていたところで、食堂に誰かが入ってきた。まだ食事の時間からは一時間以上あるはずだけれど。
 琴吹さんが俺たちのことを紹介してくれたのか、寮生の子たちが「ほんとだ、新しい管理人さんたち若い!」「お菓子ありがとうございましたー!」と、カウンター越しに次々と顔を出して声をかけてくれる。
 そのたびに、白羽さんが柔和な雰囲気で「いいえ」「ごめんなさいね、食事はまだなんですよ」と返していくから、大したもんだ。正直、ひとりふたりだったらともかく、あれだけ大量の女子相手に挨拶は、俺だったらひるんでしまって無理だった。
 それにしても 意外だなと思ったのは、皆トレーナーにスラックスという出で立ちだということ。事務所に行くときに学生の服装を眺めていたけれど、大学生が一番自由な感じがしていたから、琴吹さん以外にもユニセックスな雰囲気の格好なのは意外だった。
 俺が寮生の子たちを眺めていると、ひとりぴょこんとカウンター越しに覗き込んできた。さっきから寮生の子たちはラフな格好の子ばかり見ていたから、比較的化粧をして、カーディガンにロングスカートの出で立ちなのは、大学だったらともかく青陽館だと目立ちそうだった。

「あれー、本当だ。今回の管理人さんたち若いですねえ」
「うわっ」

 思わず俺が仰け反っていたら、白羽さんが苦笑しながら助け舟を出してくれる。

「どうしましたか? ごめんなさいね、もうちょっとしたら夕食できるんですけど」
「いや、すみません。前の管理人さんたち、年寄りのご夫婦だったんで、若いの珍しいなあと思って見に来たんです。新婚さんですか?」

 いきなりこの子はグイグイ来るなあ。それとも惚れた腫れたに興味ある年頃か。自分の十代のときを振り返っても、あの頃は小説書いているか友達と遊んでいるかで、ぜんっぜん興味なかったしなあ……。考えあぐねていたら、ひょいと白羽さんが出てきた。

「内緒です」
「わおっ!」
「ところで、あなたの名前は聞いても?」
「あっ、そうだ言ってなかった。あたし、七原長閑《ななはらのどか》でーす。なにかありましたらよろしくお願いしまーす」

 そう間延びした声出して、さっさと他の子たちと混ざっておしゃべりしはじめた。

「ずいぶんマイペースな子ですね?」

 俺の想像する女子らしい女子っぽい子だなという印象だった。それに白羽さんは頷く。

「ああいう子が、意外とムードメーカーなんですよね」

 そんなもんなのか。
 俺がごぼうを炒めて備え付けの調味料で味を付けている間に、白羽さんは手際よく鰤の照り焼きをつくってはお皿に載せていく。
 白羽さん俺の料理手順を褒めていた割には、相当料理できるほうだよなあと、ぼんやりと思う。家庭用で十人分以上つくるなんて、せいぜいカレーのつくり置きくらいなのに、それをものともせずにこなしているからな、白羽さん。
 俺なんてひとり分つくるのにはそこまで時間を食わないのに、料理手順も調味料も揃っているっていうのに、金平ごぼうをつくるのにもたもたしている。いつもつくっているものより量が多過ぎて、同じ感覚でつくれないのだ。
 どうにか完成したところで、お椀に豚汁を入れ、茶碗にご飯を盛り、小鉢に金平ごぼうを入れていく。それを備え付けのトレイに載せて、最後にお箸もセットしてから、どんどんカウンターに載せていくと、食堂でしゃべって待っていた子たちがどんどんと持っていく。

「いただきまーす」

 皆がわいわいと食べていく中、待っている子たちに挨拶してから、ひょっこりと琴吹さんがこちらに寄って来た。

「すみません、管理人さん。ちょっとだけいいですか?」
「あら、食事になにかありましたか?」

 こちらは事務所に言われたとおりにつくって出しただけだけれど、なにか問題でもあるのかなと思っていたら、琴吹さんはこそこそと俺と白羽さんにだけ聞こえるように言う。

「多分、食事の時間に来られない子がいると思いますんで、ふたつ残しておいてもらえますか? ひとつは自分が部屋まで運びますけど」
「あら、ふたり? 課題とか?」
「ええっと……ひとりは本当になかなか皆の前に出たがらないんで。ちょっとあとひとりの子はなかなか帰ってこられないみたいなんですよ……」

 それに俺と白羽さんは顔を見合わせた。なんだろ、大学だとしたら、ゼミで帰ってこられないとか? 知らんけど。
 白羽さんは少しだけ困った顔をしつつ、ひとまずひとり分の料理をトレイに載せて、カウンターに載せる。

「うーんと、ひとまずひとり分は部屋に持っていってあげてね。あとひとりの子はちょっと考えておくから」
「本当にありがとうございます……」

 昼間はもっと快活だったと思った琴吹さんが、なんとも歯に物でも詰まったようなしゃべり方をする。そんなまずいことなのかな。
 琴吹さんがさっさと料理を部屋まで運びに行くのを見届けてから、調理の終わった道具を洗っていたら、さっさと食べ終わった子たちが食器を返しに来た。七原さんも混ざっている。

「ご馳走様でーす! そういえば、管理人さんたち若いですよね。年いくつですかあ?」

 七原さん、相変わらずぐいぐい来るなあ。今までの管理人さん夫婦はどうやり取りしてたんだろ。
 俺が言葉を詰まらせていると、白羽さんがやんわりと言う。

「私は29で、亮太くんは26ね」
「わあ、姉さん女房……!」

 寮生たちが一斉に歓声を上げる。いったいなにがそんなに面白いんだ……。この子たちのテンションがわからないでいたら、今度は別の子が聞いてくる。

「なら、プロポーズはやっぱりお姉さんのほうで?」
「うーん、まだ婚約したばかりだから、保留ってことで」
「そっかあ、そっかあ……!」

 比較的テンション高くてキャッキャとしているのに、俺はしばし呆気に取られていた。なんというか、恋愛への食いつきのよさって、高校時代でも女子って訳がわからんなあと思っていたけれど、それは年齢関係ないのか。
 白羽さんはにこにこと笑いつつも「ここ片付けたらお湯入れてくるから、さっさと入浴済ませてね」と言って、寮生たちが嫌がらん程度にさっさと退散させた。
 女子の会話にしばし唖然としていた俺に、彼女は「すみません」と頭を下げてきた。

「すみません、いきなり馴れ馴れしく名前で呼んでしまって。あの手の話って、一度乗っておかなかったら、勝手に話をつくられてしまうんで、適当に話を合わせて切り上げないと駄目なんですよ」
「わわっ、こっちこそ本当に気が利かなくってすんません! そうだったんですか……」
「誤解がないように言っておきますけど、恋愛に興味ある女の子もいれば、ない女の子もいるってだけです。たまたまさっきの子たちが興味あっただけで、他の子もそのノリが通じるかはわかりませんし、私の年代でも恋愛に全く興味ない人もいますから。結婚して幸せな家庭を築くのが好きな人もいれば、ずっと現役で働いていたいって人もいるってだけですよ」
「あー……それはちょっとだけわかります」

 出版界の飲み会に行っても、家庭の話をしている人もいれば、仕事の話以外しない人もいるっていうだけだ。それは男女問わず変わらないんだろう。
「そこで、なんですけど……」と白羽さんが提案してくる。

「私たちがそれぞれ次の仕事が見つかるまでは婚約者扱いなんですから、一度名前呼びにしませんか?」
「え……っ」

 ……最後に女子のことを名前呼びしたのはいつだったかと記憶を探ってみても、ちっとも出てこない。少なくともイキっていた中高時代ですら、女子を下の名前で呼んだことはなかった。
 白羽さんは言う。

「多分さっきの子たちみたいに、なにかと世間話で私たちの話を聞きたがる子っていると思いますから」
「人の関係をつつき回すより、動画見るなりマンガ読むなりすりゃいいじゃないですか」
「残念ながら、人間関係が一番の娯楽って人たちは今でも多数派ですから」

 ……俺がわからなかったのは、実は女の子の書き方ではなくって、世間一般の人間の書き方だったんじゃないかと、頭がクラクラしてくる。
 でも下手にこちらの偽装結婚がバレて、事務所に密告でもされたら、俺たちは再び仕事も住居も失うんだから、ここは白羽さんの提案に乗ったほうがいいんだろうか。

「ええっと……素子……さん?」
「はい、亮太くん」

 あまりにも普通に白羽さ……素子さんは返す。わからん。女子って生き物は本当にわからん。羞恥と照れで、とうとう俺は座り込んでしまった中、素子さんはおろおろしながら励ましてくれる。

「頑張ってくださいね。こういうのは合わせちゃったもん勝ちですから」
「あーうー……はい。なんとか頑張って慣れます……」

 彼女いない歴年齢の俺には、なかなか難しいのだけれど、素子さんはペースが全く乱れない。
 照れているのはどうもこっちだけみたいだし、ここで照れてボロが出たら、そっちのほうが互いに負担になる。素子さんは既に開き直ってしまっているから、ここはもう、俺が慣れてしまったほうがいいんだろう。
 そう自分を納得させながら、俺たちは一旦片付け終え、風呂の準備を済ませてから管理人室へと戻った。いろいろ気になることはあるけれど、まずは仕事に慣れてから考えようと、一旦後回しにすることにした。
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