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第三章 母を追って
043 母の泣き顔
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祖母の作る豆大福は、手の大きさに似合わず大きめだ。
祖母は心配そうに見つめていた。
手に取ると指が食い込むほど柔い。しっかりした塩味が甘さを際だたせている。
「……美味しい」
母がぽつりと漏らすと、祖母は目を細めて何度も頷く。
「そうかいそうかい」
「こんなに美味しいものだって、どうして気づかなかったんだろ……何もかも遅すぎよね……。人の優しさを踏みにじって生きてきたのに、今それを感じるなんて」
「私はいいんだよ。長い反抗期くらいにしか思ってないからね。それより、自分の息子としっかり話しなさい」
普段優しい口調の祖母だが、このときばかり語尾が強く上がった。
母はこちらを見る。息子を見るような愛しい目ではなく、怯えが含んだ瞳だ。
「どうしても聞きたいことがあります」
横で見守るアーサーを感じつつ、呼吸を整えた。
「どうして、女の子の格好をさせていたんですか?」
彼方の頭を一瞬だけ見ては、すぐに逸らす。それを何度か繰り返した。
「親の身勝手な思いがそうさせてしまったのよ。彼方は何にも悪くない。単純に女の子がほしかった。可愛いお洋服を着て、一緒にお出かけしたかった。それに元旦那の血が混じっていると思ったら、なおさら男の子の格好はさせたくなかったのよ。将来はああなってほしくなくて。願望をあなたに擦り付けていた」
「僕が嫌だって訴えたとき、あんな風に怒って、僕がしたい格好でいられなくなりました」
「ごめんなさい。謝っても謝ってもあなたの人生は返ってこない。よければなんだけど、髪を切らせてもらえないかしら」
そんな風に言われるとは思いもしなかった。
恐る恐るこちらを覗き見る彼女に、彼方はまっすぐに見つめ、首を横に振った。
「あなたにとって和菓子が呪いの象徴なら、僕にとってこれが呪いの象徴です。切っても伸びるし、きっと根本的には解決しないと思います」
どうすれば呪いから解放されるのか、彼方自身が一番知りたい。
鏡を見ないようにしていても、世間は放っておいてはくれず、窓ガラスや水面に姿が映る。人の言葉も同時に降りかかり、身動きが取れなくなるのだ。
助けを求めるようにアーサーを見ると、待っていましたと言わんばかりに距離を縮めてきた。
「たくさん苦しまれてきたのですね。私は一部の成美さんしか存じませんが、最愛の息子さんを連れて海外へ旅行したのは、愛だとも思っています。しようと思えばお一人で旅行できたわけですから」
アーサーの言葉をきっかけに、母は涙が止まらなかった。後悔の涙がいくら流れても、時間は戻ってはくれない。けれど後悔のない人生を送る人は少ないだろう。
アーサーが差し出したハンカチはすぐに色が濃くなり、新しいタオルまで必要になった。
会えなかった日々を懐かしむことはせず、今の現状をお互いに話した。
再婚はしていないが、一緒に住んでいる人がいること、後悔の一つに酒絡みが占めており、病院に通って減らそうとしたこと、昔に比べると酒の摂取量は激変したこと。
母は丁寧に話してくれた。
「一ミリの摂取もしないって誓ったときもあったのよ。かえってストレスになってしまって。それなら減らす方向でってアドバイスをもらって、今はグラス程度しか飲んでないわ」
申し訳なさそうに、息子を見ながら反応を伺う。
「できなかったことができるようになるのは、良いことだと思います。他人からすれば当たり前にできても、みんなスタートラインが違うんですから」
母は同居人を紹介したいと言ったが、丁重にお断りをした。
「僕は父がいないものと思ってます。会っても何を話したらいいか分からないです」
父と口にすると、喉の奥が震えてしまい目が熱くなった。
「……浮かぶ顔は、アーサーさんのお父さんです。ああいう人が父だったらと」
「息子に構いすぎなところがありますが」
父親を褒められ、アーサーはまんざらでもなさそうだ。
すっかり遅くなり、母は同居人に遅くなると話をしていないため、今日は帰ると立ち上がった。
玄関まで見送ると、無言の空気が流れる。
「お母さん」
勇気を出して呼んでみた。
「うん」
「また会える?」
「もちろん」
「おばあちゃんが寂しがるから、また来て」
「……ありがとう」
やっぱり、母は母だ。
いなければ寂しいし、けれど許すこともできない。
いろいろな感情が涙になって溢れ、玄関先で声を上げて泣いた。
会えなかった日々は遅いか早いか判断できないが、会えてよかったと心から思う。
玄関まできた祖母は、母に紙袋を持たせた。中身は大量の和菓子だ。それを見て、母も声を出して泣く。
彼方の泣き方は、母親そっくりだった。
泣きすぎたせいとアルコールの効果も重なり、次の日は頭痛が朝から続いていた。
祖母は朝食にお茶漬けを作ってくれ、隣でアーサーは少しテンションが上がっている。
「昨日のお話なんですが、」
「はい」
「『夏頃に会いたいと願った人に会える』って、誰かに言われたとお母さんは電話で言ってました」
「内容的に占い師かと思いました。あなたも充分にご理解しているかと思いますが、悪徳商法をする輩もいます。余計なお世話ではありますが、少し心配してしまって」
「僕もちょっと気になりました。お母さんとは連絡先を交換しましたし、それとなく聞いてみたいと思います。どうしました?」
「いえ、私はカナがお母さまと仲良くしている様子しか知りませんでしたから。会えなかった日々でいろんなことがあり、離れ離れになり、またご一緒にいる姿を見られて嬉しく思います」
「アーサーさんは、僕のラッキーアイテムみたいな人です。こうしてまたお母さんにも会えたわけですから」
「そういう考えはとても素敵です。二度と会いたくないと思うか、会って過去を見返して清算しようとするのかは、考え方次第ですから」
「アーサーさんのお母さんにも、ぜひ会いたいです」
「そうですね……あちらが会ってくれるかどうかです」
「日本人は嫌いなんですか?」
「いえ、むしろ好ましく思っているかと。ただ、仕事を優先する人ですから。父とはまた違った性格の持ち主です。ぜひまた家に遊びにきて下さい。必ずカナを紹介します」
「フィンリーさんたちにも会いたいなあ」
「アレに会いたいのですか。そうですか。カナは変わり者ですね」
棒読みで述べると、アーサーは残りの漬け物に箸を伸ばした。
お茶漬けとみそ汁、漬け物という質素で日本らしい朝食を、アーサーはとても気に入ってくれた。
帰りは絶対に買っていくと言い、ほんの少し寂しくなった。
祖母は心配そうに見つめていた。
手に取ると指が食い込むほど柔い。しっかりした塩味が甘さを際だたせている。
「……美味しい」
母がぽつりと漏らすと、祖母は目を細めて何度も頷く。
「そうかいそうかい」
「こんなに美味しいものだって、どうして気づかなかったんだろ……何もかも遅すぎよね……。人の優しさを踏みにじって生きてきたのに、今それを感じるなんて」
「私はいいんだよ。長い反抗期くらいにしか思ってないからね。それより、自分の息子としっかり話しなさい」
普段優しい口調の祖母だが、このときばかり語尾が強く上がった。
母はこちらを見る。息子を見るような愛しい目ではなく、怯えが含んだ瞳だ。
「どうしても聞きたいことがあります」
横で見守るアーサーを感じつつ、呼吸を整えた。
「どうして、女の子の格好をさせていたんですか?」
彼方の頭を一瞬だけ見ては、すぐに逸らす。それを何度か繰り返した。
「親の身勝手な思いがそうさせてしまったのよ。彼方は何にも悪くない。単純に女の子がほしかった。可愛いお洋服を着て、一緒にお出かけしたかった。それに元旦那の血が混じっていると思ったら、なおさら男の子の格好はさせたくなかったのよ。将来はああなってほしくなくて。願望をあなたに擦り付けていた」
「僕が嫌だって訴えたとき、あんな風に怒って、僕がしたい格好でいられなくなりました」
「ごめんなさい。謝っても謝ってもあなたの人生は返ってこない。よければなんだけど、髪を切らせてもらえないかしら」
そんな風に言われるとは思いもしなかった。
恐る恐るこちらを覗き見る彼女に、彼方はまっすぐに見つめ、首を横に振った。
「あなたにとって和菓子が呪いの象徴なら、僕にとってこれが呪いの象徴です。切っても伸びるし、きっと根本的には解決しないと思います」
どうすれば呪いから解放されるのか、彼方自身が一番知りたい。
鏡を見ないようにしていても、世間は放っておいてはくれず、窓ガラスや水面に姿が映る。人の言葉も同時に降りかかり、身動きが取れなくなるのだ。
助けを求めるようにアーサーを見ると、待っていましたと言わんばかりに距離を縮めてきた。
「たくさん苦しまれてきたのですね。私は一部の成美さんしか存じませんが、最愛の息子さんを連れて海外へ旅行したのは、愛だとも思っています。しようと思えばお一人で旅行できたわけですから」
アーサーの言葉をきっかけに、母は涙が止まらなかった。後悔の涙がいくら流れても、時間は戻ってはくれない。けれど後悔のない人生を送る人は少ないだろう。
アーサーが差し出したハンカチはすぐに色が濃くなり、新しいタオルまで必要になった。
会えなかった日々を懐かしむことはせず、今の現状をお互いに話した。
再婚はしていないが、一緒に住んでいる人がいること、後悔の一つに酒絡みが占めており、病院に通って減らそうとしたこと、昔に比べると酒の摂取量は激変したこと。
母は丁寧に話してくれた。
「一ミリの摂取もしないって誓ったときもあったのよ。かえってストレスになってしまって。それなら減らす方向でってアドバイスをもらって、今はグラス程度しか飲んでないわ」
申し訳なさそうに、息子を見ながら反応を伺う。
「できなかったことができるようになるのは、良いことだと思います。他人からすれば当たり前にできても、みんなスタートラインが違うんですから」
母は同居人を紹介したいと言ったが、丁重にお断りをした。
「僕は父がいないものと思ってます。会っても何を話したらいいか分からないです」
父と口にすると、喉の奥が震えてしまい目が熱くなった。
「……浮かぶ顔は、アーサーさんのお父さんです。ああいう人が父だったらと」
「息子に構いすぎなところがありますが」
父親を褒められ、アーサーはまんざらでもなさそうだ。
すっかり遅くなり、母は同居人に遅くなると話をしていないため、今日は帰ると立ち上がった。
玄関まで見送ると、無言の空気が流れる。
「お母さん」
勇気を出して呼んでみた。
「うん」
「また会える?」
「もちろん」
「おばあちゃんが寂しがるから、また来て」
「……ありがとう」
やっぱり、母は母だ。
いなければ寂しいし、けれど許すこともできない。
いろいろな感情が涙になって溢れ、玄関先で声を上げて泣いた。
会えなかった日々は遅いか早いか判断できないが、会えてよかったと心から思う。
玄関まできた祖母は、母に紙袋を持たせた。中身は大量の和菓子だ。それを見て、母も声を出して泣く。
彼方の泣き方は、母親そっくりだった。
泣きすぎたせいとアルコールの効果も重なり、次の日は頭痛が朝から続いていた。
祖母は朝食にお茶漬けを作ってくれ、隣でアーサーは少しテンションが上がっている。
「昨日のお話なんですが、」
「はい」
「『夏頃に会いたいと願った人に会える』って、誰かに言われたとお母さんは電話で言ってました」
「内容的に占い師かと思いました。あなたも充分にご理解しているかと思いますが、悪徳商法をする輩もいます。余計なお世話ではありますが、少し心配してしまって」
「僕もちょっと気になりました。お母さんとは連絡先を交換しましたし、それとなく聞いてみたいと思います。どうしました?」
「いえ、私はカナがお母さまと仲良くしている様子しか知りませんでしたから。会えなかった日々でいろんなことがあり、離れ離れになり、またご一緒にいる姿を見られて嬉しく思います」
「アーサーさんは、僕のラッキーアイテムみたいな人です。こうしてまたお母さんにも会えたわけですから」
「そういう考えはとても素敵です。二度と会いたくないと思うか、会って過去を見返して清算しようとするのかは、考え方次第ですから」
「アーサーさんのお母さんにも、ぜひ会いたいです」
「そうですね……あちらが会ってくれるかどうかです」
「日本人は嫌いなんですか?」
「いえ、むしろ好ましく思っているかと。ただ、仕事を優先する人ですから。父とはまた違った性格の持ち主です。ぜひまた家に遊びにきて下さい。必ずカナを紹介します」
「フィンリーさんたちにも会いたいなあ」
「アレに会いたいのですか。そうですか。カナは変わり者ですね」
棒読みで述べると、アーサーは残りの漬け物に箸を伸ばした。
お茶漬けとみそ汁、漬け物という質素で日本らしい朝食を、アーサーはとても気に入ってくれた。
帰りは絶対に買っていくと言い、ほんの少し寂しくなった。
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