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2 恋の自覚

2-5 メイディの卒業研究

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「いいの? 私の予定に付き合わせて」

 放課後の廊下。ちらちらと探るような視線を浴びながら、メイディとアレクセイが向かうのは、ケビン先生の研究室。週に一度、サロンとして学生の入室が許可されるのだ。

「ああ。お前の卒業研究を、邪魔するのも悪いしな」
「ありがたいけど、そういうことじゃなくて。あそこに行っても、誰も見てないよ? ケビン先生、学生の恋愛になんか微塵も興味ないと思うし」

 メイディとアレクセイが連れ立って行動するのを、大勢に見せつけるのが目的だったはずだ。なのに前回はサルロにふたりで乗るだけ、今回はサロンにふたりで行くだけ。

「いいんだよ」

 何か考えがあるのか、アレクセイはきっぱりと断じる。

「いいなら、いいんだけど、さ」
「それとも、俺がいたら迷惑か?」
「そういうわけじゃないよ。アレクと居るのは、楽しい」

 そもそもが、学院に入学して以来、友達らしい友達はエミリーしかいなかったメイディである。放課後、楽しい時間を共に過ごせるアレクセイは、無二の存在となっていた。

「それにしても、週に一度しかサロンを開かないなんて、ケビン先生も大概だな」
「開いても誰も来ないからねえ。魔導具学をやりたければ、フーレル先生のサロンもあるし」
「フーレル先生は有能な学生を多数輩出していると言うな。良い教えを受けられるだろうに、どうしてそっちに行かなかったんだ?」
「フーレル先生は、将来有望な学生を欲しがってたから」

 熱心な教員は、毎日でもサロンを開き、学生を受け入れている。それは、サロンで教えた学生が魔導士団や騎士団で成果を上げたら、「学院での教えが良かった」とみなされるからだ。「良い教え」を施せる教員は評価され、研究費の増額や、出世が見込めるという。

「フーレル先生のサロンに行ったら、『君はお呼びでない』って言われたの。将来、魔導士団にも騎士団にも、入れる見込みはないからって」
「ひどい話だな。身分の別なく学ばせるのが、学院じゃないのか」
「それは講義で十分だ、ってことみたい。サロンは先生の私的な時間を使ってるから、貴重な時間を使うに値する学生しか入れないって言われた。怒らないでよ、確かにそうだと思うから」

 笑顔で言うメイディに、吊り上がっていたアレクセイの眉尻はしゅんと下がる。

「でもね、ケビン先生は、私のことも受け入れてくれた。私は卒業後は平民と同じだし、教えても時間の無駄なのにね。確かにサロンは回数も少ないし、人気もないけど、別に不満はないよ」
「そうか。……お前に諦めを学ばせたのは、この学院なんだな」
「そうだけど、入学前は、ここに来る以外の選択肢は思いつかなかったんだよ。早いうちに自分の限界を悟れて、良かったと思う」

 生粋の貴族とメイディの間には、努力でも越えられない高い壁がある。
 たとえ学院に来ない道を選んでいたとしても、平民同様で、女のメイディは、いずれその壁に阻まれたはずだ。積んだ努力のぶん、報われなかったときの虚しさは大きい。早めに人生に見切りをつけられた上に、学院内でなら成果を認められるという機会も得たのだ。入学したことを、後悔はしていない。

「……それに、アレクにも会えたし」
「俺?」
「うん。もし私が何も成せなくても、アレクが代わりに何かしてくれるんでしょ。それに、楽しければそれでいいって、言ってくれた」

 それは、メイディにとっては救いに近い言葉だった。
 何もできなくても、肩代わりしてくれる。そもそも、できなくても良いのだと認めてくれる。そんな風に言ってくれたのは、アレクセイが初めてだ。

「そうだな。楽しければ、それでいい。楽しく生きてたら、何かを成せる日も、いつか来るかもしれねえ」

 最後はまるで、自分に言い聞かせるように。言葉を紡いだアレクセイは、メイディを見下ろして「だろ?」と同意を求めた。
 メイディは、こくんと頷く。

 楽しければ、それで良い。努力も、成果も求めないアレクセイの言葉は、甘く、優しく、柔らかい。

 それでいい。

 心の中で復唱すると、心がふわりと軽くなる。彼の許しに身を委ねるのは、なんて心地良いんだろう。
 胸の奥が温かくなったのを確かめるように、メイディは自分の胸に触れる。鼓動が少しだけ、速くなっている気がした。

「うわっ! 何だよ、これ!」

 しみじみとしたメイディの気持ちは、つまずいたアレクセイに手を引っ張られて終わった。彼は、自分をこけさせた犯人である小物を睨みつけている。

「それ、ケビン先生の試作品だよ。失敗したら外に置くんだって」
「試作品? これも、これもか?」

 アレクセイは、左右の壁を指し示す。壁に沿って小物が高く積まれており、そのせいで廊下の幅はずいぶんと狭い。

「うん、全部そう」
「いらないなら、捨てればいいだろうに」
「魔導具の材料は高いからね、ここから使えるものを取って再利用するの。……まあ、このへんは使えるとこ全部取ってるから、ただのごみだけど」

 奇跡的なバランスで積み上がり、今にも崩れそうながらくたの山に手を伸ばすアレクセイを、「だめ」と制する。

「触ったら呪われるかもしれないよ」
「はあ? そんな危険なもん置きっぱなしにしてんのか」
「もし呪われたら、エリム先生のとこに行けばいいってことみたい」
「光魔法の? ケビン先生は、自分の不始末を他の教員に押し付けんのか。……いや、まあ、そういう人だな」

 勝手に納得するアレクセイの手を引き、目的の扉の前に立つ。メイディはポケットから手袋を出し、片手にはめた。

「何してんだ?」
「素手で触れると、魔法が発動するから。ケビン先生、ここに突風の魔法をかけてるんだよね。気づかないで触ると、反対側の突き当たりまでぶっ飛ばされるの」

 初めてここへ来たとき、まさか教員が自室に危険な魔法をかけているなんて思わず、反対側まで飛ばされたのは記憶に新しい。大怪我をするかとおもいきや、衝突間際に逆方向へ風を吹かせるよう設定しているため、体は無事だった。

「うわ、ほんとだ。とんでもねえな……」

 扉に刻まれた紋様を確認し、アレクセイが顔をしかめる。手袋をつけた手でノックすると、「はいよ」と声が返ってきた。

「ケビン先生、こんにちは」

 雑然とした室内で、資料や材料が山となった机の向こうに、埃っぽい白髪が揺れる。ひょこ、と顔を出したのが、メイディの指導教官、ケビンだ。鼻の下に生えた髭を無骨な指先でねじりながら、その金の瞳を細めてふたりを出迎える。

「よく来たのう、メイディ。おお、今日はふたりか。お前にも友人ができたんじゃなあ」
「恋人です、ケビン先生」
「恋人お?」

 見開いた目をぱちぱちと瞬きしてから、ケビンは口を大きく開けた。

「はっはっは! そりゃあ傑作じゃな、メイディ。おぬし、恋するような情緒をいつ身につけたんじゃ」
「恋愛小説を読んで勉強したんです」
「はっはっは! お前らしいのう、メイディ。何にせよ、良いことじゃ。恋は人生を豊かにするからの。ではメイディ、宿題を出しなさい」
「はい、先生」

 メイディは鞄から、封筒を取り出す。中から取り出した陶器の破片を、急に真面目な顔つきになったケビンに差し出した。彼が素手で受け取ると、陶器に刻んだ紋様が、赤に染まる。

「説明してみなさい」
「先生が送ってきたのは、火の精霊サモフの力を借りて、その陶片自体が熱を持つものでしたよね。一瞬で火傷するくらい熱く。危険な温度なので、熱さを指定する部分を加工して、低温にしました。冬場に、指先を温められるくらいの温度です」
「ふうむ」

 ケビンは、親指と人差し指で陶片を挟む。指の腹ですりすり、表面をなぞった。

 ケビンは「宿題」と称して、不備のある魔導具をわざと送ってくる。それを加工して有用なものにし、サロンに持参して評価を受けるのだ。
 毎回の宿題を検分されるときは、いやに緊張する。背筋が伸びて、ごくん、と飲み込んだ唾液の音が大きく聞こえた。

「ぎりぎり合格じゃ」

 ふう、と詰めていた息を吐いた。肩の力が抜ける。

「もろい陶片じゃからの。加工を最小限にして、壊れるのを防ごうという工夫は認める」
「ありがとうございます」
「じゃが、面白みがない。お前は、細かい紋様を刻むのが得意じゃろう? 針先で削れば、別の精霊の力を借りる紋様を刻めたはずじゃ。陶片が壊れるのを恐れるなら、陶片自体を強化する紋様を刻んでしまえば良い。そのために、紋様は片面にしか刻んでおらんのだからな」

 確かに、紋様の裏側はつるりとして、元の陶器の名残を残していた。両側に紋様を刻んだら割れそうだったのでやめたのだが、なるほど。

「テリアで土を出して、ウリスの水で湿らせて、サモフの熱で焼き上げれば、陶片は壊れないってことですか」
「まあ、やり方はいろいろある。自己再生の紋様を工夫して刻んで、魔導具の寿命を伸ばさんと、日常的には使えんからなあ」
「そうですね、確かに……」
「ま、わしはこんなもの使わんがの。冬になったら、部屋を暖めて外に出なければ、指先なぞ冷たくならん。おぬしが気づいたか知らんが、魔導具学の講義室には、暖房の魔導具を置いてるんじゃ。わしの特製。あの部屋が冬でも全く冷えないのは、わしのおかげじゃよ」

 そうして彼の話は、自分の作った魔導具の話から、昔話、新たな魔導具についての思いつきと変遷していく。
 止まらない話を聞き流しながら、メイディは机上の陶片を拾う。鞄の中の魔導具加工用品から、針を取り出した。

「意外と、ちゃんと指導されてるんだな」
「……あ、アレク。うん、そうなの」
「お前、俺のことを忘れてたろ。ケビン先生も一瞬で自分の世界に入っちまったし、全く、お前ら師弟は」

 アレクセイは、メイディの横から手元を覗き込む。

「それ、どうすんだ?」
「自己再生の紋様を入れてみる。壊れちゃうかもしれないけど」

 薄い陶片をひっくり返し、つるりとした面を出す。針先を軽く刺し、硬さを確かめた。引っ掻けば、削ることができそうだ。

 魔導具に刻む紋様は、複数の要素の組み合わせだ。まず大切なのは、精霊に呼びかける部分。精霊ごとに、刻むべき紋様は決まっている。
 精霊に向けた紋様の続きには、詠唱と同等の内容を刻んでいく。魔導具に刻む詠唱には、口頭で唱えるよりも具体的な内容を記さなければならない。水を出すのなら、どのくらい出すのか。温度を上げるなら、どのくらい上げるのか。魔導具には、想像力はない。魔法は刻んだ紋様の通りに発動するので、表記が曖昧だと、事故が起きかねないのだ。

 少し削っては息を吹きかけ、細かな破片を吹き飛ばす。手先が狂うと、紋様が歪んで全て台無しだ。
 紋様を削り終えても、終わりではない。魔導具にするためには、精霊の力を通す血液が必要だ。

「え。おい、メイディ。何してるんだ」

 ちくり。針を指に刺すと、傷からぷくりと血が滲む。アレクセイが、指から出血するメイディの手をぐっと握った。

「何って、自分の血を使うの」
「何でだよ。魔導具には、魔獣の血だろ。自分の血を使うって、何考えてんだ」
「魔獣の血って高いし、私に安く売ってくれる商人はいなかったから」

 魔法は、精霊の力が血管を通ることによって発動する。魔導具の紋様に魔力を流すためには、血がないといけないのだ。もちろんそれは、人間ではなく、魔法を使う魔獣の血でも構わない。
 騎士団が捕らえた魔獣は、王家によって管理されている。まずは王宮騎士団や魔導士団が必要な分を抜き、その余りが、商人を通じて売られていく。量は限られていて、しかも客を選ぶとなると、価格は必然と高くなる。

 商人たちは貴族との伝手が欲しいらしく、貴族学院の学生には学生価格で安く売ってくれるらしい。メイディも買いに行ったが、一代男爵の娘だと知られていて、定価で買えと言われてしまったのだ。
 節約のため、魔獣の血を使うのは、大きい魔導具を作るときだけ。この陶片のように小さい魔導具なら、自分の血だけで十分足りる。

「……俺のやった金は?」
「あれは後期の教材代と、卒業研究に使う素材を買うのに使うの。……テリアよ」

 机上に土を出し、指先から垂れた血を混ぜ込む。針先に土を付け、赤っぽい土を少しずつ押し込んでいく。均一に塗り込むのが、なかなか難しい。少しでもはみ出すと、紋様の意味が変わってしまう。
 血を含んだ素材を紋様にきっちりと塗り込み、表面が剥がれないように加工する。今回は、サモフの高熱で仕上げた。

「うん、いい感じ」

 指先で摘むと、表には赤い紋様が、裏には3色混ざり合った複雑な紋様が光る。自己再生の魔法がうまく発動しているようだ。

「おい、指貸せ」

 アレクセイは、先ほど刺したメイディの人差し指を取り上げる。

「なに?」
「血を出しっぱなしでいいわけないだろうが。ラミーよ。この者の溢れる血を堰き止めよ」

 怪我を治癒するため、光魔法を詠唱するアレクセイの横顔は、やけに真剣だった。
 彼は自分のために、こんなに真剣な顔をしてくれている。その横顔を見たとき、メイディの胸の奥は、不思議な感じで締め付けられた。

「……わ。照れる、な」

 人差し指に触れられたから。そんな理由で、いつも通りに発音したつもりが、妙に感情が乗った。その瞬間、メイディは頬に熱が集まるのを感じた。白い光を帯びた人差し指が、熱い気がする。きっと、顔も赤らんでいる。心臓はどきどきして、落ち着かない。「楽しい」とは、大きく違う感覚。
 照れるって、こういうことなんだ。鼓動する胸に、指先でそっと触れる。

「お? できたかの」

 資料の向こうで何やら作業をしていたケビン顔を上げ、完成した陶片を拾い上げた。
 まじまじと検分するのを見ているうち、鼓動がだんだんと収まってくる。メイディは、小さく深呼吸した。

「……よろしい。やはりおぬし、細かい作業に長けておる。魔導士団に入るような学生でも、ここまではできんぞ。……まったく、魔導士団はいつまでも貴族にしか門戸を開かんから、メイディのような逸材を逃すんじゃ。もったいないのう」
「ありがとうございます。そう言ってくれるのは、先生だけですよ」
「まったく。どいつもこいつも、見る目がないのう」

 髭をなぞって文句を垂れるケビンを見ていると、メイディは胸のすく思いがする。彼は、身分にかかわらず、メイディの努力を認めてくれるのだ。

「いっそ、ランドルンにでも行ったらどうじゃ? お前の腕なら、引く手数多じゃよ」

 隣国ランドルン。海に面しており、遠方の国との貿易も盛んな貿易国だ。多くの国の人が出入りする特性から、身分に縛られず、有能な者が登用されるという噂は、メイディも知っている。

「そんなこと、許されないじゃないですか。知ってますよ、私」
「国のためにある貴族が、他国のために働くなど言語道断、というやつじゃな? くだらん。都合の良いときばかり、メイディを貴族扱いしやがって」

 ふん、とケビンは不満げに鼻を鳴らす。

「大体、どうするかを決めるのはメイディじゃろ。わしは、そういう選択肢もある、と提示しただけじゃ。あとは自分で、楽しめるほうを選べば良い」
「楽しめる、ほうを?」

 目を丸くして呟くメイディに、ケビンは口端を歪めた、悪戯っぽい笑みで返した。

「ああ。人生は楽しんだもの勝ちじゃからの、メイディ」

 人生は、楽しいのが一番。楽しんだもの勝ち。

 メイディを許してくれた人と、メイディの努力を認めてくれた人が、同じことを言うとは。

「それも良いのかもしれないなあ……」

 学院でできるだけのことを成して、あとは余生だからどうでも良い。そう考えていたメイディにとって、「楽しい人生」なんて、考える余地のないものだった。
 けれど、信頼する人たちがそう言うのなら。自分の「楽しい人生」について、少し真面目に考えてみたくなる。
 暗かった目の前に光が差したような、なにか不思議な気分だった。
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