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第4話 俺はおもちゃ。 *

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 図書館に足を踏み入れると、室温がとても低かった。資料保存のため、空調の魔法がかかっているのだろう。
 俺は勉強なんて興味がないので、図書館に来るのは久しぶりだ。
 入り口を抜けて、中央にあるカウンターへと進む。
 年配の男性司書が「何かお探しですか?」と気さくに微笑んだ。

「女神に関する資料を読みたいんですけど」
「左様ですか、幅広く取り揃えておりますよ。民間の女神信仰に関する資料ですか? それとも、女神の託宣にご興味があるのですか?」
「えーと、俺は女神が何を考えてるのか知りたいんですよ」
「それでしたら、託宣をお調べになるといいですね。地下書庫へどうぞ。『天』という標識がついた書架に、女神の託宣を扱った資料が集められておりますよ」
「ありがとうございます」

 俺は一礼すると、地下書庫に入るため利用者名簿に名前を記入した。ヴァンも当然のようについてくる。
 螺旋階段を下りて、地下書庫に向かう。
 一階よりもさらに冷える。俺は思わずヴァンの指先を求めた。

「図書館で手繋ぎデートをご希望ですか。学生らしくていいですね」
「違うよ! 指がかじかんでたら、本のページをうまくめくれないだろ」
「理由は何でも構いませんよ。エドゥアール様のぬくもりを感じられるのならば……」

 うっとりと目を細めるヴァンをひと睨みして、俺は『天』という標識を探した。見渡す限り、書架が並んでいる。まさに本でできた森だな、ここは。
 資料を傷めないために照明も制限しているらしくて、視界が暗い。俺はなかなか『天』という標識を見つけられなかった。

「ヴァン。どこに『天』があるか分かるか?」
「地下書庫に入る前に、地図を確認しておきました。このまま奥に進めば大丈夫ですよ」
「おまえって変態だけど、頼りになるな」
「どちらも褒め言葉ですね。俺が前を歩きますよ」

 ヴァンの先導によって、俺は迷子にならずに済んだ。
 やがて、『天』という標識が見えてきた。

「やった……!」

 俺が書架に近づこうとした時、「あっ」という色っぽい声が聞こえた。そして、「好きだ」という凛々しい声も。
 んんっ!?
 誰かいるな。
 一人じゃない。壁ぎわに大きな影と、小さな影が映っている。あの声はおそらく……クラスメートのオライオンとセルジュだ。
 二人は俺たちの存在に気づいてはいない。暗がりのなか、熱い抱擁を交わしている。

「もうすぐ卒業式だね。卒業したら、オライオンは祖国に帰ってしまうんでしょう」
「寂しい思いはさせないぞ、セルジュ。父にかけ合って、きみとの縁談を早急に進める」
「約束だよ。僕を一人にさせないで」

 セルジュの影が伸び上がった。たぶん、オライオンにキスしたのだろう。ちゅうっという音が俺がいる場所にまで届いた。
 色っぽい音はなかなか鳴り止まなかった。愛し合う二人が奏でる艶かしいリップ音が俺の耳をくすぐる。
 ちゅくちゅくと繰り返される濃厚なキス。
 互いの舌をすみずみまで味わっているのだろう。とっても深いキスなんだろうな。
 俺にとっては未体験の領域なので、ドキドキが止まらない。

「愛の営みとは美しいものですね、エドゥアール様」
「それは否定しないけど……」

 ヴァンの長い指が俺の指を絡め取った。

「俺たちも対抗しますか?」
「その、耳元で囁くの、やめろっ。おまえの低音、なんか腹の奥にくるんだよ」
「赤ちゃんが欲しくなりますか?」
「オヤジくさいこと言ってんな!」

 俺たちがくっついたり離れたりしているあいだに、セルジュとオライオンは衣擦れの音を立てて服を脱ぎはじめた。まさか、ここで致すのか。養護教諭のアリソン先生の言うとおり、学内でサカッているようだ。
 でも、オライオンは留学生だから、卒業したらセルジュとは離ればなれになってしまう。そう思うと、二人がところ構わず情を交わしたくなるのも無理はないと思った。

「オライオン……。あっ、だめっ」
「きみのすべては俺のものだ」

 セルジュとオライオンは粘っこい水音を立てて長いキスを交わしている。時折聞こえるセルジュの鼻にかかった嬌声がなんとも耳に毒だ。
 薄闇に紛れていても分かるほどに、オライオンの愛撫が濃さを増していく。セルジュの濡れた声を聞いているうちに、俺の下腹部は妖しい熱を持ちはじめた。
 嘘だろ。
 野郎同士のセックスを見て感じてしまうなんて。

「エドゥアール様。俺たちも気持ちよくなりましょうか?」
「ちがっ、そんな……。俺、別に……何もっ」
「あなたのココは違う意見のようですが」
「やっ!」

 つうっとヴァンの指先が俺の内股を撫でる。
 局部に触れられていないのに俺の背中にぞくぞくと電流が駆け上っていった。
 俺は思わず腰を揺らしてしまった。ヴァンの「ふふっ」という嬉しそうな吐息が耳に吹きかかる。くすぐったさと恥ずかしさのあまり、俺の背骨は日なたに置かれた氷菓のように溶け去りそうになった。

「女神の託宣など、読むまでもありませんね」
「ヴァン……」
「男が男を愛して何が悪いんですか? その結果、子どもが生まれたら幸せが倍増じゃないですか」
「でも俺、女の子じゃないよ……」
「分かっていますよ。俺は男らしくて、ちょっとお馬鹿さんなあなたが大好きなんです」
「お馬鹿さんは余計だ。は、……あぁっ」

 ヴァンが俺の耳たぶをかぷりと甘噛みする。
 俺……たぶんだけど、もっと強く食まれても嫌じゃない……。意地悪されると、頭がボーッとなって目がとろけていく。
 こうやって体を寄せ合っていると、俺とヴァンの境界線が消えてしまいそうだ。ヴァンとぬくもりを共有していることが嬉しい。
 ヴァンは、どんな時も俺のそばにいてくれた。
 俺がおねしょをしてしまった時も。いたずらに失敗して鼻血を垂らした時も。馬に乗るのが怖くて、鼻水まみれになって泣きわめいていた時も。みっともない俺をいっぱい見ているのに、「あなたは綺麗ですよ……」と囁いてくれる。

「ヴァン……」

 いつの間にか、セルジュとオライオンの情交の音が気にならなくなった。鋭敏になった聴覚がヴァンの甘い声と優しい吐息だけを拾う。ヴァンの体温は俺よりちょっとだけ高くて、このまま密着していると茹だってしまいそうだ。
 視界が暗いため、ヴァンの表情はよく分からない。翡翠の瞳はどんな風に輝いているのだろう。
 ミステリアスな状況がかえって俺を興奮させた。

「これも嫌じゃありませんか?」
「ん……」

 尻肉を揉まれる。さわさわという手つきがくすぐったい。
 
「よく分かんねぇ……」
「逃げないんですね」
「……前は触るな」
「俺はお預けができる犬ですからね。エドゥアール様の仰せのままに」
「だからその、低音響かせるのやめろ」
「地声です」

 俺は半勃ちになりそうな衝動を必死で抑え込んだ。賢者タイムよ、来い! 男同士で手足を絡め合って感じちゃうなんて、そんなの俺じゃない。俺は女の子が大好きで、ベッドでは……。
 えぇと、ベッドでは……。
 ……分からない。
 俺、いざ女の子とベッドインしたらどうするんだろう? 女の子をリードしたりできるのかな?

「エドゥアール様。もう少し気持ちよくなってみましょうか」
「いっ、あぁっ!」

 シャツの上から乳首をつままれた。
 思わず大きな声が出てしまった。オライオンとセルジュに聞かれてしまったかもしれない。

「大丈夫です。彼らに気取られてはいませんよ。あちらは体を合わせることに夢中のようだから……」
「お、俺は突っ込まれるのなんて嫌だからな!」
「ご安心ください。無理やり致すのは俺の趣味ではないので。俺はそうだな、エドゥアール様が俺のちんぽを欲しがって小さなアヌスを拡げて、可愛いらしいお尻を恥ずかしそうに振っているシチュエーションが好きですね」
「その方が無理やりより変態っぽいんですけど!? ヴァン、おまえは何年前から俺のことが好きなわけ?」
「揺りかごにいる時から。俺はカンの強い子どもでしたが、エドゥアール様が隣にいらっしゃる時は泣き止んでいたそうですよ」

 ヴァンの男らしく張り出した手のひらが俺の胸を撫でる。
 くそっ。
 この触れ方だと乳首への刺激が弱くて、微妙にむず痒い。もっと先端を集中して責めてほしい。 
 いや、何を考えてるんだ俺は。男の乳首なんて、スポットライトを当てる場所じゃないだろう? ましてや愛撫だなんて……。

「あ……、それ、やだっ。むずむずする……」
「では、もっと痛くしてほしいのですか?」
「んっ、知らない……」
「それならば教えて差し上げます。あなたはこういうのがお好みですよ」

 ぷちりと俺のシャツのボタンを外すと、ヴァンは俺の乳首を口に含んだ。そして、小さな粒にかりっと歯を立てた。
 痛みに限りなく近い、鋭い快感が俺を襲う。

「ひぁっ! や……あ、あぁっ。い、っ」
「嫌? それとも、イイ?」
「知るかーっ!」

 俺は半泣きになってシャツの前を合わせた。
 ふーっふーっと荒い息を立てる俺に対し、ヴァンは落ち着いている。余裕たっぷりの態度が憎たらしくて、俺はヴァンの下腹部を指で突いた。

「変態さんよぉ。ちょっと硬いんじゃねぇのか?」
「ふだんからこんなもんですよ。頑丈にできているので」
「さりげなく持ち物自慢かよ。俺、もう帰るからな!」
「女神の託宣は調べなくてよいのですか」
「……これ一冊だけ借りていく」

 俺は手前にあった本を書架から引き抜いた。タイトルは『基礎解説・女神の託宣』。うん。初心者の俺に優しそうな本だ。
 地下書庫から出た俺は、図書館のラウンジで本を広げた。さっと冒頭の記述に目を走らせる。
 この世界を創った女神は、愛を司る女神らしい。
 
『女神が考える愛にはいくつか種類があります。性愛もその一つです。女神は、儚き時を生きる人間が肌を通して愛を交わす行為を聖なる儀式として捉えております』

 要するにエッチ大好きってことだろ!
 しかも、男と女だけじゃなく同性もアリとか守備範囲広すぎだな、女神様ったら。
 
『古代語で「孕み受」または「種付け攻」と記されたアザの持ち主は、特に女神の寵愛を受けた選ばれし人間です』

「……ヴァン」
「なんです?」
「俺たち女神に選ばれし人間なんだとよ」
「それは光栄ですね」
「……俺はふつうがよかった。ふつうに女の子と結婚したい!」
「そうですか。じゃあ、俺はもうエドゥアール様にまとわりつくのをやめますね」

 俺は耳を疑った。
 おまえ、さっき俺のカラダにベタベタ触ってたじゃねぇか! 執着心たっぷりの手つきで。おまけに乳首を噛みやがったし。
 それなのにあっさり手放すのか?

「今まで失礼致しました」

 ……ああ、そうか。
 こいつにとって俺って、ただのおもちゃなんだ。いじればピーピー泣くから、いじめてて楽しいだけ。さっきの行為はヴァンにとっては、ただのいたずら。愛撫じゃなくて、意地悪。
 俺が従者としてヴァンをこき使ってるから、意趣返しをしてるんだな。そこに愛なんてない。
 ダメだ。
 俺たちはパートナーになんてなれっこない。ましてや子どもなんて。

「ヴァン、寮長に即刻かけ合って部屋を変更しろ! おまえと同室なんてもう無理だ」
「はい。仰せのとおりに致します。今までご不快な思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした」
「俺はこれから、女の子をナンパしに行くから。この本はおまえが返しておけ!」
「承知しました」

 ヴァンは流麗な所作で一礼をすると、本を携えて俺の前から去っていった。
 俺の隣にぽっかりとできた広いスペース。ヴァンの甘い声が聞こえてこない無音状態。腕と腕が触れ合った時に伝わってくるヴァンのぬくもりが感じられない、冷たい空間。
 これでよかったんだよな?
 大好物のデザートを取り上げられたような心地になっているのは、きっと気のせいだ。
 俺は図書館を出ると好みの女の子を探した。
 すれ違う子たちはみんな可愛い。
 みんな大好きだって思う。
 でも、彼女たちはヴァンではない。
 どれだけキャンパスを歩き回っても視線が彷徨うばかりで、俺は孤独を噛み締めることしかできなかった。
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