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5章

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「バカなんです。貴族なんて!!」
 聖堂の告解室で、リアは聴聞司祭に訴えた。
「それに、それに……ふ、ふ、不感症だなんて……!!」
 つい声が大きくなってしまったことに気づいてリアは、あわてて口を押える。
「す、すいません。変なこと言って……でも、あたし、ずっと修道院で暮らしていたから、貴族の生活になれなくって……」
 床置き燭台の小さな灯火が揺れ、聴聞司祭は無言のまま、うなずくのが見えた。

 告解とは、聴聞司祭を代理人として神に罪を告白し、その許しを請うことだ。
 聖堂内に設けられた仄暗い小部屋で、聴聞司祭と告白者を隔てる格子のついた仕切りがある。
 告解室に入った時、格子窓の向こうにいるのがベルゼではないかと、リアは期待していた。
 ベルゼなら会えば、きっと声をかけてくれるはずだ。
 だが、薄闇の向こう側にいる聴聞司祭は、リアの顔を見ても何の反応もなかった。
 ――あらかじめ、あたしが行くことは、修道院に伝えたはずなのに。
 落胆したが、ベルゼも忙しい身であるのだから仕方ない。
 罪の告白というよりも、ほとんど鬱憤を吐き出しただけだったが、リアは祈りの形に両手を組み合わせた。

「聖なる母よ。慈しみ深くあたしを顧み、豊かな憐れみによって、この咎を許してください」
「聖なる母の御名によって、あなたの罪を許します」
 初めて、聴聞司祭が言葉を発した。
 薄闇の中で、聞いたその声は、しっとりと低い。



「……ベルゼ?」
 告解室は、司祭との間が遮られている。
 外衣スカプラリオを目深にかぶった司祭の顔は、よく見えない。
「ベルゼなの?」
 そう言いながら、リアは目の奥が熱くなるのを感じていた。
 涙をこらえると、今度は鼻の奥がツンと痛くなる。
 格子窓の向こうで衣擦れの音がして、司祭が外衣スカプラリオを外す。癖のない白金の髪が肩に滑り落ちると、微かに涼やかな香りがした。

「なんで、どうして?!」
 祈りのために使うひざまずき台を蹴倒す勢いで、リアは格子窓の向こうにいるベルゼに迫った。
「すぐに声をかけてくれなかったの。騙すなんてひどいわ」
 恨みがましく言うと、ベルゼは微かに笑ったような気がした。
「よく聞きなさい。リア、相手が誰であろうと、無防備に話すものではありませんよ」
 告解の内容は、昨夜の伯爵夫妻との会話と、リアが家庭教師を蹴り上げたという事実だけである。そこに到る同性愛的な行為については、どうしても言えなかった。

「ここは神に罪を告白する場所です。しかし、あなたの告白が、婚約者である公爵に伝わる可能性もありますことを注意なさい」
「そ、そんなこと」
 “ない”とは言い切れない。
 多くの修道院の運営には、貴族からの後援がなくては成り立たない。告解の秘密は守られるが、すべてではないのだ。
 そして、貴族とは家名の名誉を守るためだけに存在している。
 リアの伯爵令嬢としての役割は、家名を守り、継いでいくための子孫を残すことだけでしかない。
 “不感症”だけではなく“不妊”であったならば、その価値はなくなる。
 それに気づいた時、リアは自分が深い洞穴の中に取り残されたように思った。

「あ、あたし……帰りたい……」
 リアは心の中で、ため込んでいた思いを吐き出すように言った。
 自分でもどこへ帰りたいのか、分からない。漠然と帰りたいと思った。
 それがベルゼのそばであれば、修道院しかない。
「リア。あなたは勘違いしている。修道院の生活すら、あなたは貴族としての扱いを受けていたのですよ」
「でも、あたしは親から捨てられたのも同然だったんでしょ? 貴族の扱いなんて」
「修道院での生活は、あなたから見れば質素だったかもしれない。でも、本来の修道院の生活は、あんなものではありません」

 薄暗い告解室の向こうから、ベルゼは静かに諭すように言う。
「庶民の捨て子が送られる修道院は、暖炉もなく、夜の祈祷のために眠る時間もない。食事は日に一度きり。過酷な環境の中で修道士たちの寿命は短い」
 リアは、少しでもベルゼに近づこうと、目の前の格子窓に身を寄せる。
 ベルゼ自身、多くの修道士たちの死を見送ってきたのかもしれない。
 彼が生き残ったのは、その膨大な知識量によるものだ。
 本来なら修道院長としての地位にあってもおかしくないのに、貴族ではないことがベルゼの出世を妨げている。
「今のリアの年齢で、死ぬ者など珍しくはないのですよ」
 強く言い切られて、リアには返す言葉もない。

「あなたは、あなたの置かれた場所で、より善く生きるべきです。ここではない“どこか”を見ても、何も見つかるものはありません」
 ベルゼは、聴聞司祭らしい助言をする。
 だが、それはリアの欲しい言葉ではない。
「……貴族の結婚は、跡継ぎを残すことで……それが自分の役目だってことは、理解しているつもりです」
 ――違う。あたしが言いたいのは、そんなことじゃない。
 そんな気持ちが、不満とともにリアの口からこぼれた。

「だって、ベルゼは知らないから……あんなこと……」
「あんなこととは?」
 ベルゼは、強い口調で聞き返した。
 切れ上がったきつい双眸に見据えられて、リアは震えあがった。
「なんでもありません……ごめんなさい……」
 叱られたのだと思うと、もう耐えられなかった。
 リアがうつむいて謝罪の言葉を繰り返すと、ベルゼの声はいっそう低くなる。

「リア、顔を上げなさい。あんなこととは? 誰に、何をされたのですか?」
 常にないベルゼの強い口調に、リアは怯んだ。
 両親に躊躇なく話せたことが、ベルゼには言えない。
 恥ずかしいさ。くやしさ。
 誰にも助けてもらえない孤独感。
 そんな気持ちがないまぜになって、リアは、その場で泣きだしてしまった。
 ベルゼは格子窓の向こうから根気強く、リアが泣き止むのを待ってくれる。
 以前のように、すぐ近くにいて、抱きしめてくれることはないのだと……あらためて気づかされた。
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