彼にはみえない

橘 弥久莉

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episode3 転入生  神崎 嵐

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「つばさが欲しい」

その言葉の意味を理解した数秒後……

「はっ!!?」

つばさは、声をひっくり返らせて斗哉の顔を見ていた。

「ばか。声がおっきい!」

斗哉が唇に人差し指をあてて、周囲を見渡す。

噴水の向こうをカップルが歩いていたが、ちらりとこちらを見た

だけで、他に人影はなかった。

「だっ、だって、斗哉がヘンなこと言うからっ」

ひそひそ声でそう言ったつばさの耳に、ちゅ、と濡れた音がする。

斗哉に耳たぶを吸われたのだと、わかった瞬間、ぞくぞくと背中を

何かが駆け抜けた。腕の中で躰を硬くしているつばさに、斗哉は

それでも、甘く囁くのをやめなかった。

「どうしても、嫌?俺は、つばさが欲しくてしょうがないんだけど」

囁きながら、斗哉の唇がつばさの頬を滑り、瞼に触れて、

また軽く唇が濡らされる。まとわりつくような甘い刺激に、

つばさはもう、抗えなくなってしまった。

「怒られちゃうよ。そんなこと、したら」

「うん。それでも……俺は、したい。つばさは?」

がっしりと、抱きしめられた斗哉の腕の中で、つばさは声もなく頷いた。

斗哉の胸に顔を埋めれば、さらに抱きしめる腕の力が強くなる。



自分たちに、こんな夜が来るなんて………想像もしていなかった。



これから知るとしての斗哉に不安を感じながら、つばさは、

きつく斗哉のコートを握りしめた。




薄暗い部屋の中、つばさはタオル地のバスローブを身にまとって、

ベッドに腰掛けていた。あの場所から少し歩いたところにある、

ビジネスホテルにすんなりと入れたのは、意外だった。

外見上、斗哉は問題なくても、自分は幼く見えてしまうだろうと、

思っていたからだ。斗哉がチェックインの手続きをする間、

つばさはずっとどきどきしながら、フロントの椅子に腰かけていた。

斗哉に手を引かれるまま部屋に入ってみると、あまり広いとは

言えない部屋の真ん中にシングルのベッドが2つ。開け放たれた

カーテンの向こうに、さっきキスをした高層ビルが見えた。

「先にシャワー浴びておいで」

と、つばさを浴室に促した斗哉は、バスローブを羽織って出てきた

つばさに、冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターを差し出してくれた。

「俺も浴びてくる」

斗哉の姿が浴室に消える。つばさは、緊張しすぎてなんだか

ふわふわする躰をベッドに預けながら、何をするでもなく、

ただ斗哉を待っていた。

「飲まないの?」

いつのまにかシャワーを浴びて出てきた斗哉が、つばさの前に

立っていた。その声にはっとして顔を上げた瞬間、心臓が跳ねる。

ゆったりと羽織ったバスローブの隙間から、ほどよく引き締まった

斗哉の胸板が見える。放たれる色気がすごくて、見慣れている

はずの斗哉の躰からつばさは目を逸らした。

「あ、うん。……飲もうかな」

ぎこちなく笑って、つばさはペットボトルの蓋を開けようとした。

が、手が震えて上手く力が入らない。まごまごしているつばさの

手からペットボトルを抜き取ると、ぺりり、と勢いよく蓋を捻って、

斗哉はつばさにペットボトルを渡した。

「ありがと」

ひとくち、ふたくち、すっかり生ぬるくなった水を飲んで、息を吐く。

すると、斗哉は「俺にもくれる?」と言って、つばさが口をつけた

ばかりのミネラルウォーターを喉に流し込んだ。


----間接キスだ。


なんて、今さらそんなことを思うのはおかしいだろうか?

もう何度も、唇を重ねているのに、ペットボトルに口をつける

斗哉を見て、またどきどきしてしまう。ほとんど空になった

ペットボトルをサイドチェストに置くと、斗哉は、ぎし、と音を

させてつばさの隣に座った。
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