カイザー・デルバイスの初恋

宵の月

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王太子 カイザー・デルバイス

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 カイザーと手を繋いだまま王宮の行政区画を抜け、王族の居住区画へと向かう。
 道すがらひどく驚いて振り返る行政官達の視線に、サリースは眉を顰めた。やっぱり反応が過剰すぎる。そのうち行政官の一人が驚きすぎて書類を取り落とし、尋常じゃなく慌てながら書類を掻き集める。その様子をサリースの手を引いて前を歩くカイザーが、肩を震わせて忍び笑った。

「……驚かせてしまっているな」
「あの、昨日もですがちょっと皆さん驚きすぎでは? カイザー様が女性を連れて来るのは見慣れているはずなのに……」
「……いや? ウチ王宮に連れてくるのは初めてだ」
「初めて?」

 ローテーションしてたのに? ご機嫌なカイザーを見上げて、サリースはきょとんと首を傾げた。確かに声の響きに嘘はない。それでもついサリースは確かめてしまった。

「……一度もですか?」
「一度もだ」

 嬉しそうにニコニコするカイザーの美しい赤金の髪と瞳を、見上げていたサリースはハタと気づいた。他国でもその色の美しさを讃えられていた王太子の色彩が、ゲロをかけられてうっかり忘れ去っていた事実を思い出させた。
 情の深い好青年、辣腕の切れ者。囁かれるデルバイス国の王太子の印象は、一貫性がなく一律の印象を許していない。それは裏を返せば、相手や状況によって見せる表情の印象さえ変わるということ。耳にするたびにおそらく意図してそうしているのだろうと、祖国の王太子の優秀さにサリースは感心していた。外交手腕に長けた、ものすごく優秀な王太子なのだ、と。
 恐る恐る視線を巡らせると、行政官達が書類を抱きしめ、好奇心と不安を混ぜたような表情で二人を見ている。

(嘘じゃないんだわ……じゃあ……)

 足が震え出したサリースは、カイザーと繋いでいた手を思わず離した。目の前で猫好きが猫を見るような顔をしているカイザーを見上げる。そして気づいた。王太子は支配者は誰なのかを。
 あのロイドに重婚を了承させ、側近として仕事をさせている。奇才すぎるエイデンの研究を実用化し、結婚と血筋を存続を成し遂げた。たった一人、何一つ譲ることなく、望むもの全てを手に入れているのは一体誰か。
 デルバイスの双璧のお茶係で、息子さんの反抗期に落ち込み、双璧の子供達にも蹴られまくる王子。でも目の前のカイザーこそが正真正銘デルバイス国の王太子。
 震え出したサリースにカイザーは、ニヤリと笑みを浮かべた。それはサリースがまだ知らずにいた、王太子としてのもう一つのカイザーの顔。

「……ああ、サリー。残念だがもう手遅れだ」

 そのまま足が止まったサリースを、カイザーがヒョイと抱え上げる。その場にいる行政官達に見せつけるように、のしのしと居住区画に向かって歩くカイザーを、サリースは青ざめて見上げた。

「カイザー様……私……」
「想定よりずいぶん早く気づかれてしまった。さすが俺のサリー。王妃の素質は十分で、父上が泣いて喜ぶよ」

 カイザーが口元が、満足げに釣り上げる。強国を率いるのに相応しい支配者の笑みに、気さくで親しみやすい王太子はもうどこにもいない。でも見逃していたのはサリースだった。
 巨乳美女を三ヶ月周期でローテンションして、恋人の褒めるところはたわわな胸ばかり。どう聞いても頭がハッピーセット。でもちゃんと欠片は潜んでいたのだから。

『カイザーが二ヶ月以上交際していなかった期間は記憶にない。最低週に一日、多くて週に三日……』
 
 一番街に拠点を持つほど遊び歩いていても、政治の中枢である王宮に一度も女を連れ込まない。公私を厳格なまでに分け、引いた一線に容易に立ち入らせない強固な理性。派手に遊んでいても、その実一度も欲に理性を手離したことがない王太子。
 そんな常に己の立場と言動の影響力を正しく理解している王太子が、初めて隠し立てもせずに見せびらかすように私室に連れ込む女。歌劇へ誘われた時のように、何気ない行動でごく自然に埋められていく外堀り。カイザーの公然の恋人。その意味の重さに今更気づいたサリースに、カイザーが楽しそうに囁く。

「サリー、王太子相手に火遊びを期待していたなら、悪いが覚悟を決めてくれ」
「わた、私……そんな覚悟は……」

 辿り着いたカイザーの私室の前に、怖気付いたサリースは簡単に開けられた扉に踏み出せなかった。

「……カイザー様は王太子です……」

 理解していたはずの事実を口にすると、サリースの胸が重く沈み込む。最初から王太子と分かっていた。でも気さくで優しいカイザーをカイザー・デルバイスとして王太子ではない、一個人として見てしまっていた。
 サリースを隠さずにいてくれるのが嬉しかった。でも隠されていてもよかったのだ。カイザーは王太子だから。望まずとも聞き取れてしまう本音だけを、隠さずにいてくれるなら。王太子の私室ではなく、一番街のホテルで構わなかった。

「ただカイザー様が好きで……」

 「好き」その気持ちだけでここまできてしまった。カイザーの隣は未来の王妃の席。その重い事実より、目の前の好きに夢中になって。カイザーが好き、側にいたい。目の前のそれだけで精一杯で、なんの覚悟もなく夜を過ごし肌を重ねてしまった。デルバイス国の王妃。そこまでの気持ちを持って、ここにきたわけではなかった。

「カイザー様、申し訳ありません……私……」
「サリー、大丈夫……」

 覚悟もない自分がカイザーの私室で、過ごすべきではない。分かっているのに子供をあやすような穏やかな声を、優しく引かれる手を拒めない。カイザーはサリースを誘い入れると、カチリと後ろ手に鍵を閉めた。鍵がかかる音に、サリースの喉奥が震える。カイザーは入り口で動けずにいるサリースに微笑みかけた。

「サリー、そんなに怖がるな。今は重く考えなくていい。俺を好きでいてくれるだけでいいんだ。覚悟を決めていい男だと思ってもらえる努力をするのは俺の役目だ。決定権はサリーにある」
「で、でも……王太子がいつまでも独り身なのは……相応しい方との縁談だって……」
「デルバイス国は政略結婚を必要としていない。従って結婚を急ぐ必要もない」

 言葉に嘘は聞こえない。でもいつまでもではいられない。
 ここはデルバイス国。豊かで強大な王国は、その力を誇示するように多様性を寛大に受け入れてきた。同性婚、一夫多妻、一妻多夫ですら。カイザーは国を率いてきた象徴で、そして国を守る義務を負う王族だから。
 
「……今は必要なくても、いつか必要になったら……」

 その王族が多様性に不寛容であることはきっと許されない。サリースはカイザーを見上げた。美しい赤金の髪と瞳。優しく笑う心豊かな王子様。今サリースだけを見つめてくれる視線も、抱きしめる腕もいつか誰かと共有しなくてはいけない未来が来るかもしれない。それは強国の王妃となる覚悟より、ずっと決め難い覚悟な気がした。
 
「……絶対にないと俺は約束してやれない。俺は王太子だから……」

 抱きしめてくれる温かい腕を、サリースはきゅっと握りしめた。サリースのための優しい嘘を選ばなかった誠実な声は、王太子としての覚悟をサリースに聞き分けさせた。
 いつかカイザーは政略にしろ心変わりにしろ、他の誰かを妻に迎えるかもしれない。抱きしめてくれる腕の温かさに、サリースは胸が痛んでキツく目を閉じた。

「……だが俺は受け入れ難い婚姻を甘んじて受け入れるだけの、無能な王太子ではないつもりだ。生涯君だけだと約束してはやれなくても、君が隣で幸せだと笑ってくれる夫となる努力をし続ける約束はできる」
「カイザー様……」
「今すぐ答えは求めていない。ただ側にいて欲しい。君が覚悟を決められるだけの男だと証明してみせるから」

 ずるい。サリースの潤む瞳を見つめるカイザーはただ笑っている。サリースが断らないと分かっている表情が、とても悔しかった。知らずにいた王太子としての顔も、腹が立つほどかっこよく見える。もうカイザーにも答えが分かっている。どうにか一矢報いたくなったサリースに、カイザーは余裕の笑みでトドメを刺してきた。
 
「サリー、受け取ってくれ……」

 カイザーが部屋を横切り、机から持ち出したものを差し出してくる。
 目の前に差し出された絵本に、瞳で涙で潤ませたサリースは完全敗北を悟った。差し出されたのは読み込まれて擦り切れた、「黒い猫と白い猫」。世界的な絵本作家が手がけた名作絵本。

「俺はサリーのように絵本に明るくないが、子供の頃母上が俺に読んでくれた絵本なんだ。俺はこれくらいしか絵本は知らないが、でも君に捧げるとしたらこの物語しかないと思ってる。どうか受け取って欲しい……」
「こんなの……ずるいです……」

 楽しそうに笑みを浮かべたカイザーが、サリースの手を引いてソファーへと導く。まるで子供に読み聞かせるかように、サリースを背後からカイザーがすっぽり抱き込む。
 年季の入った物語が目の前で開かれて、低く優しい誠実な美声がゆっくりと物語を紡ぎ始めた。

 
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