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第2章.今現在の聖女

09.聖女の元カレ

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 結城さんとは十八歳から二十一歳まで付き合った。地元の高校のひとつ上の先輩でずっと憧れていた人だった。卒業して数年後に東京の大学で再会した時には、運命かもしれないだなんて喜んだものだ。声をかけられただけで嬉しかったのに、「付き合おう」と言われた時には、世界中の幸せを独り占めにした気がした。

 けれどもある日突然連絡が取れなくなってしまい、馬鹿なわたしは事故に遭ったのかと心配していた。そしてやっと大学で会えた時には、彼の隣には可愛い女の子が立っていたのだ。取り乱しなぜと尋ねたわたしに、「最初から好きってわけじゃなかった」と結城さんは答えた。

『付き合ったのも同郷だったからってだけで、寂しさが紛らわせるなら誰でもよかった。なのに、お前、女房みたいなツラし始めてうざったいんだよ。なあ、頼むからもう開放してくれよ』

 あのセリフには相当長く立ち直れなかった記憶がある。ところがその時わたしは自分の心の中から、彼への気持ちが消え失せていることに驚いた。あれだけ辛かったはずなのにすっかり思い出になっている。

 結城さんは目を瞬かせわたしを見つめた。

「お前、髪伸ばしたんだな。一瞬誰か分からなかった」

 お前という呼び方を不愉快だと感じることすらなかった。わたしは山田さんに「先に行っていて」と仕草で告げ、対外用の笑顔を浮かべごく普通の答え方をする。

「ええ、最近切らなかったので」

 わたしは胸元にこぼれる長くなった髪にそっと振れた。

――髪。

 あれから一度も染めていない私の髪。カレンドールではカラーリングなんてなかったから、三年の間にわたしの髪は根元から元の色に戻っていた。向こうでは金、銀、青、赤、茶の髪がほとんどで、黒髪はごくまれにしかいなかった。だからわたしは「黒髪の聖女」と呼ばれていたのだ。

 あれは旅も半ばに差し掛かった頃ことだっただろうか。フェレイドがわたしの髪を夜の闇を紡いだようだと誉めてくれたことがあった。

『サーヤ、わたしは子どもの頃には夜が怖かったんだ。長じてからは闇は光を飲み込むものでしかないと考えていた。けれども今は闇とは人々を包み込み、眠りの中で癒す聖なるものなのだと思える』

 そのたった一言が忘れられずにこうして髪を伸ばし続けている。

 結城さんは誘われるかのようにわたしの前に立った。戸惑いと驚きが混じる目でしきりにわたしを眺める。

「お前、なんか……変わったか?」
「いいえ? 髪型くらいですか?」

 後は間違いなく年齢ね……。

「いや、そうじゃなくて、雰囲気がすごく――」

 ところでそこで山田さんが大声でわたしを呼んだ。

「小嶋主任!」

 「山田さん、ナイス」と内心思う。

「あのう、内線で部長からお電話です~。緊急だそうで」
「ああ、分かったわ」

 わたしは「では」と頭を下げデスクへと向かった。電話を終えたころには結城さんの姿はすでになく、わたしはやれやれと溜め息を吐き席に腰を下ろした。隣のデスクの山田さんが興味津々で声をかけてくる。

「えー、何々、あの営業さんってまさか主任の元カレですか!?」
「さあ、どうかなー?」

 パソコンを起動しファイルを呼び出す。わたしは肩をすくめて笑うに留めた。久々の他人のゴシップが面白いのか、山田さんは女の子らしくはしゃいでいる。

「あの人ぉ、まだ未練たっぷりって感じですよね」

 あっさり捨てられたのは私なんだけどね。もう戻ってこないと分かっているのに、悪いところがあれば直すからと泣いた記憶がある。今思えばあの頃は重い女だったなと思う。

「教えて下さいよ~。何て言って振ったんですか?」

 この質問にはさすがに苦笑してしまった。山田さんは苦笑の意味をまた誤解したようだ。

「ごまかさなくていいですよ! 主任、すごくモテますもんね~! なのに飲み会にも全然来てくれないし。あの、わたしの同期の高橋君、主任のこと好きみたいなんですよ。年下ってダメですか? 彼、結構イケメンでしょ?」

「あはは、ありがとう。お世辞でも嬉しいわ」

「お世辞じゃないですよ。分かった!そうやって断ったんですね!! あ~あ、高橋君に伝えておかなくちゃ。ショック受けるだろうな~」

 わたしはそんなに美人でもなければ、スタイルがいいというわけでもない。山田さんの冗談だとしか思えなかった。

「さ、資料作成やるわよ。山田さん、エクセル立ち上げた?」

「うっ……。まだです」

「お昼休みは終わり! ここから先は仕事、仕事!!」

「はーい……」

 わたしは元カレなどすっかり忘れ、山田さんと仕事に没頭していった。
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