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第七章 孤独な鳶は月に抱かれて眠る
103 二つの約束※
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肌の匂い、というものを、ユエを抱いてから意識するようになった、とカイトは思う。
例えるなら、桃だ。
柔らかく、薄い皮に守られた、熟れた果肉。皮の中から香ってくるような、遠く、もどかしい匂い。
蜜がじわじわと浸み出して、ふわっと甘く発散する。
繊細な上皮を傷つけないよう、そっと唇で触れる。
しかしすぐに、それだけでは足りなくなる。
もっと奥から、深い香気を引き出したい。吸いついて、吸い出して、蜜をすする。
満足するまで吸い尽くすと、場所を変えて、また。繊細な表面は色を変え、征服した証が広がっていく。
上皮を味わい尽くすと、今度はナカが気になってくる。
守られている果肉に直接かぶりつきたい。剥ぐように歯を立て、めくるように表面をこそぎ──。
「あっ……」
けれど、桃とは違って肌を剥ぐことはできないから、こうして繋がることだけで唯一内側に触れることができる。
肌のナカはジュクジュクに熟して、カイトが突き立てた刃にまとわりつく。
後ろから繋がって、背中の全体像が見えるまで離れると、そこには一面、自分がつけた跡が花びらのように点在している。
満足げにひと撫ですると、「ふ、ぅ……んっ」と背中に波が立つ。
背骨に沿って中心に舌をはわせ、浮き出た肩甲骨に歯を立てる。
「ふっ……!」
骨まで綺麗だと思うなんて、大概だな、とカイトは自分に苦笑いした。
「ここ……」
「んんッ」
「羽根みたいだな。人魚なのに」
天使のような羽毛ではなく、透き通った羽根を想像したのは、最近ずっと妖精のことを考えていたからだろう。
妖精なら羽根がある場所に、もう一度歯を食い込ませると、「ンっ、ぁ……!」ユエのナカがキュッと締まって反対に食いつかれる。
久しぶりに訪れた剛直を、ユエの身体はよく覚えていて歓迎している。それでもやはり準備にはそれなりの時間がかかったため、焦らされた快楽を早く与えてくれと、急かされているのが伝わってきた。
一度、ユエだけイかせてやろうと、カイトはしとどに濡れた前を刺激する。
「ンんっ、んっんっ」
強く、二、三度こすっただけで、もう限界だった前は弾けて、カイトの手に白濁を吐き出した。
これがまだ序章だとわかっている身体は、次に向けてすでに助走を始めている。
余韻に震える肩を引き、このまま立て続けにしても大丈夫か表情から確かめようとしたところ、「ふっ、ふっ」と口許に手を当てて苦しそうに息を吐いているユエに気づく。
そういえば今日はなぜか声を殺しているな、と控えめだった喘ぎを思い出し、わざと自分で苦しくしているような手を剥ぐと、「声、我慢するな」開かせるように唇を撫でる。
「ン、え……?」
無意識だったようで、ユエはぽやんと聞き返した。
そうか、とカイトは理由に思い当たる。
最近はずっと声を気にするような場所──壁の薄い宿や人様の家──ばかりだったから、声を押し殺すことが癖になってしまったのだ。
噛み締めて赤くなった唇を労わるように舐めて、カイトは今夜の宿の貴重さを改めて感じる。
安全で安心で、誰にも邪魔されない一夜──それはフローラのおかげだ。
この時になってやっとカイトは、フローラのよくわからない言い訳を理解する。わざわざ二人きりにしてくれたのだ。それも、別の部屋という距離ではなく、別の建物という大きな距離を取って。
「……ユエ、今日は我慢しなくていい。声、出せ」
フローラの気遣いは、カイトのためではなくユエのためだろうという気がしたから、カイトは照れくさく思うより、ありがたく堪能することにした。
ゆっくりと穿ちながら、「あっ」と口が開いたところで指二本をそこに潜り込ませる。こちらのナカも熱く濡れていて、舌と交代するころにはカイトの指がふやけていた。
「ああっ……!アッ、そこっ……ぅ、んあっ……!」
声を出すことを思い出したユエは、もったいぶらずにいくらでも聞かせてくれる。
「っ、ここ、か?」
「うん……っ、そこっ、あっ!きもちぃ……!……あっンん、もっと、つよいの、して……っ」
「ふっ……!」
「ンあっ!!」
自分で望んだくせに逃げようとする身体を捕まえて、腰だけ高く上げさせた格好で、カイトは肌が鳴るほど強くパンッ!と打ちつける。
「っあァ!!」
パンッ!パンッ!!と続けると、へたった肢体がグニャリと崩れ落ちそうになった。慌ててカイトがお腹に腕を回して支える。張り詰めっぱなしだった太ももが、ガクガクと限界を訴えてきた。
「ユエ?大丈夫か?」
「ん……へいき。でも、このかっこ、も、ムリ、かも……脚、つりそう」
ただでさえ歩き詰めで疲労が蓄積していたところに、トドメを刺してしまったようだ。
理性を総動員して、カイトは一度自身を引き抜く。中途半端に止められたそこは痛いくらいだが、今は自分の快楽よりも優先したいことがあった。
仰向けになるよう誘導してやると、くたりと力を失った身体の中で、お腹だけが忙しなく上下している。
落ち着かせるようにそこに置かれたカイトの手に、ユエの手が重ねられる。
「やだ……」
「ん?どうした」
「まだ、やめないで」
カイトの振る舞いが後戯に思えたらしく、ユエはここで終わらせるつもりなのだと勘違いして、潤んだ瞳で続きを懇願してきた。
それにふっと笑って、「こっちこそ、続きをお願いしたいんだが」と、カイトからも懇願し返した。
今度は座位で繋がる。これなら脚も楽だろう、とカイトが訊くと、ユエはぎゅうっと首に抱きついて「……でも」と言い澱む。
「でも、なんだ?」
「カイトは、いいの?」
「……どういう意味だ?」
「だって……カイトは後ろ向きのほうが、すきなのかと思って」
まったく考えにないことを言われて、カイトは「は?」と首をかしげるしかない。
「え、ちがうの?」
「……なんで、そう思った?」
「だってカイト、最近いつも──っていうか、おれが髪切ってから、かな。挿れるの、いつも後ろからだったから」
「そんなこと──」反射的に否定しかけたカイトの脳裏に、甘い夜の記憶が襲いかかる。
(確かにあの日は──それからあの夜も……──あとはあの宿でも……?──)
記憶を整理してみると、どう考えてもユエの言い分が正しい。
「……そう、だった、かも?」
「そうだよ。それでいつも、背中とか首の後ろとかいっぱい口づけしてくれるから、カイトは前からより後ろからのほうがすきなのかなって」
無自覚の性癖を指摘されて、カイトはかなり動揺した。
ユエは別に非難しているわけではないのに、なぜか顔を手で覆って「わるかった……」と謝ってしまう。
「……カイト、もしかして」ユエはそんな珍しいカイトをのぞき込んで、またも予想だにしないことを言う。「おれ、髪、切らないほうがよかった?」
「……べつにそんなことは」
「それとも、長いより、短いほうがすき?」
確かに思い返してみると、転換期はユエが髪を切ったときのような気がする。
それから偏執的になったとすると、自分で思っていたよりずっと、ユエの変化に影響を受けたのかもしれないと、カイトは自分を分析した。
嫉妬なのかもしれない。
いつも髪で隠されていたうなじが、今は露わになって、不特定多数の目に晒されている。
でも、触れることができるのは俺だけだ、と勝手な主張をするため。
それともユエの言うように、実は髪を切ってほしくなかったのだろうか──自分の気持ちを探すカイトの目に、今のユエが映る。
「……長くても、短くても、どっちでも好きだ」
それがカイトの結論だった。
「……ほんと?」
「ああ。でもやっぱり少しだけ、惜しい、とも思ってる」
くしゃ、と髪に指を通しても、すぐに通り抜けていってしまう。
「ここから、あそこまで──出会ったばかりのころの長さまで伸びるには、かなり時間がかかるだろうなと思うと、な」
「じゃあ、もう切らない。これから伸ばすよ」
「ははっ、言ったろう。どっちも好きだって。だから伸ばすのも切るのも、お前の好きにしたらいい」
「でも、おれは特にこだわりないから」
「ん、そうか。それなら……また、長いのも見せてくれ」
「うんっ……!」
未来の約束に、ユエは力強くうなずいた。
***
ほんわかとしたやり取りになって、二人は一瞬、今の状況を完全に忘れていた。真っ最中だったということを思い出して、ハタと目が合うと、なんだかおかしくて笑ってしまう。
「あはっ、あ、まって。笑うと振動が……!」
「ふっ、本当だな。締まる……」
そこからは一段、一段階段を登るように、快楽を積み重ねた。
「あ、あ、あっ……!」頂上に着く前に絶頂が訪れる。後ろだけで達したユエに続いて、カイトも隘路に精を注ぐ。
ぺったりと合わせた胸と胸が、汗でずるりと滑る。ずっとカイトの胸筋に擦りつけていたユエの乳頭は、ぷっくりとふくらんで色づいている。
示し合わせたように、唇と唇が触れる。
少しの隙間もなくすように、ユエはカイトの首に腕を巻きつけて引き寄せ、カイトは後頭部を抱えるようにして密着させる。
まだ上があることを知っているから、ひたすら高みを目指して二人は突き進む。
口づけは互いの官能を煽るため。まんまと煽られて、どちらからともなく腰の動きが再開していく。
「あ……カイト、また……っふうぅ……んっ」
ひくひくと腹を波打たせて、ユエはもう一段階段を登る。
「もう、おぼえたな。ここだけでイクこと」
「あ、だめっ、さわったら……っ」
口いっぱいに頬張っている淵をくすぐられて、ユエの腰がかくん、と揺れる。
「ふ、ぁ……っ!あ、あ……お、おく、きちゃう……っ」
「っ……奥も、もう痛くないだろ?」
「っうん、ん……っ、かん、かんじる……っ、じわって、くるっ、あっ、くるぅ……!」
「くっ……!」
ゆっくり時間をかけて登った頂上を、二人は噛みしめるように味わう。すぐに降りてしまうのはもったいなくて、ゆらゆらと腰は円を描いて余韻を長引かせている。
カイトは気がついたら、ユエの首筋に舌をはわせていた。
髪をつかんでのどをさらさせ、太い血管に沿って下から上へと舐め上げる。汗の味と、血液が流れる感触が舌に伝わってくる。
嗅覚と味覚は繋がっているんだな、とカイトは妙に冷静に考えた。
肌の甘い匂いが嗅覚を独占すると、塩辛いはずの汗の味さえも甘く感じて、いつまでも啜っていたくなる。
もしかしたら血も甘いんだろうか、とかなり猟奇的な想像をして、そんな自分が少し怖くなった。
肌を食い破る前に、カイトは口を離す。
とろん、と目許を蕩けさせたユエは、一段、階段を降りて、でもすぐにまた引き返せるようにその場で待っている。
「カイト……もっと、ぎゅっとして」
「ん……汗がすごいな。引いたら、冷えてくるかも」
「へいき。くっついてれば、あったかいよ」
「そうだな」
「……ふふ、やっぱり、こっちのほうが安心する」
「こっち?」
「こうやって、ぜんぶ服脱いで、ぴったり肌合わせて、抱き合うの。服着たままだと、なんか……」
「そう、だな。裸で抱き合えるってのは、それだけこの場所が安全ってことでもある。……ガレノスに感謝だな」
そこにはフローラとこの家の主人だけでなく、歴代、そして今生きているすべての『ガレノス』への気持ちがこもっていた。
ユエはカイトの肩に乗せていた顔を、互いの表情が見える位置まで離すと、「ね、」慈愛に満ちた笑みを向ける。
「ガレノス家はまるで、カイトの親戚みたいだよね」
「……血は繋がっていないがな」
素直に認めないながらも、カイトは言い得て妙だと納得する。
仲間とも友人とも違う、不思議な縁。綿々と続きてきたそれは、確かに血縁のようだ、と。
「だからかな」
「うん?」
「スミュルナにいたのはほんのちょっとの時間だったはずなのに、なんだか、懐かしい感じがして」
「……まるで、『故郷』に帰ったような?」
「そう。それも、海よりもよっぽど『故郷』っぽい」
「海よりも、か?」
「たぶん、故郷の海にはカイトとの思い出がないからだ」
それは『故郷』の定義として真理かもしれない、とカイトにも思い当たる。
いくらメーディセインが生まれ故郷であっても、何も思い入れがない今はまだ『故郷』とは思えないように。
帰りたいと思える場所を『故郷』と呼ぶのなら、そこには思い出と待っていてくれる人が必要なのかもしれない。
「……スミュルナもいいなぁ」
ユエは自分の想像に自分で笑いながら、再びカイトに全体重を預けて身も心も委ねてくる。
「ユエ?」
「一番はアスカ村がいいかなって思ってたけど、スミュルナもいいなって」
わざと回りくどい言い方をしたのは、照れていたかららしい。顔を隠すようにカイトの肩にひたいをぐりぐりと押しつけて、ユエはこそっと、秘密を教えてくれるように云う。
「……おれとカイトの、『家』」
「い、え……?」
「そ、おれたちの家をつくる場所」
「家……」
あまり反応がよくないカイトに、ユエは「もう」と眉根を寄せる。
「カイトは考えたことないの?どんな家がいいかな、とか、どんな場所がいいかな、とか」
「ない、わけじゃないが……具体的な場所までは想像したことないな」
「じゃあ、想像して」
ユエに引っ張られたこともあって、カイトの頭に浮かんだ『家』の代表は、アスカ村のフェザントの家とスミュルナの今は亡きガレノスの家だった。
けれど、そこに自分とユエが暮らしているという想像は、上手く描けない。
それはカイトがまだ、そこまで先の未来を想像する余裕がないことの表れだった。
自嘲しかけたカイトを、「おれはね、」というユエの軽やかな声がすくい上げる。
「あんまり人が多くない、静かな場所がいいな。アスカ村やスミュルナみたいな。それでね、家もあんまり大きくなくていいんだ。どこにいてもカイトの姿が目に入るような、こじんまりした家がいい。朝、『おはよう』って起きて、一緒にごはんを食べて、夜は……夜はね、」
ぐい、とユエに肩を押されて、「お、おい」油断していたカイトは簡単に後ろへ倒される。ギシ、と寝台がきしんで、背中を受け止めた。
寝転んだカイトの上に座り込む形になって、話の間ずっと繋がっていたことを思い出すように、くいっ、と腰が動く。
「ユエ……っ」
「夜は、こうやって抱き合って、それから、一緒に眠りたい。安心できる場所で、なんにも気にしないで、誰にも邪魔されないで、ふたりっきりで──」
「ユエ……」
それからユエはいい笑顔で、こんなことを付け加える。
「毎日、したい」
「毎日、か……?」
「……カイトは、したくない……?」
カイトが怯んだのが伝わったのだろう。ユエの目が不安に揺れた。
即座にカイトは「そんなことない」と否定する。
「ほんと?」
「ああ、もちろん」
「……毎日、してくれる?」
「ああ、お前が望むなら」
(それと、俺の体力が続くなら)と心の中で付け足して、カイトは自然と笑っていた。
ユエと抱き合う毎日を想像しても、不思議と爛れた日々にはならず、それどころか清々しいような気さえしてくる。
朝、『おはよう』と起きて、一緒にごはんを食べて、夜、抱き合って眠って、そしてまた朝は──同じことの繰り返しを、つまらないなどと思わない。
そんな日々が、待ち遠しい。
「んっ」ゆすっ、と今度は明確な意思を持って、ユエの腰が揺れた。
「……今日、もう一回したいって言っても、してくれる……?」
試すような問いに、カイトは即答する。「もちろん」
それと同時にユエの中で硬さを取り戻しつつある陰茎をぐん、と押し込んで、態度でもってそれを証明する。
「あっ……」
ユエが本当に幸せそうに目を閉じるから、それを見ているだけでカイトも、こんな時ばかりは難しいことを考えるのはやめて幸せに浸ろうと思えてくる。
──庭で、野菜を育てよう。小さな台所でそれを料理して、美味い酒を片手に、並んで食べよう。
初めて具体的に想像した『家』を、明日の朝になったらユエに伝えよう、とカイトは決めた。
******
一族同士の話というのは方便だけでもなかったようで、翌日、寝不足顔で朝日に目を細めたのはカイトとユエだけではなかった。
「ハハハ、自分で言ったくせに、夜更かししてしまいました……」
バツが悪そうながらも、フローラは言いたいことを言えたとスッキリしていて、「これでおばあちゃんにいい報告ができます」と笑顔になる。
父親が亡くなったことをフローラから聞かされて初めて知ったことで、何やら心情の変化があったのか、ガレノス先生は昨日より穏やかな雰囲気になっている。
そしてユエとカイトも、そろってすっきりした顔をしている。
こそっと「ありがと」とユエからお礼を言われ、「いえいえ」と笑うフローラは、鼻をかいて明後日の方向を向いているカイトのことは見ないフリしてあげた。
***
「さて、と」
わざとらしく場を仕切ったカイトが、真面目な顔を作って、昨日の続きに取りかかる。
話題は、前日の世界の謎という大きなものから、もっと身近で身に迫った質問へと。
聖軍の元軍医という経歴から、臓器売買の黒幕が聖会である可能性をどう見るか訊いてみると、先生はこともなげに「あり得るな」と皮肉な笑いを見せる。
さらに踏み込んで、仲間たちが推測したように、聖軍が主導をしているという可能性について意見を求めると、こちらには「どうだろうな」と首をひねる。
懐疑的な理由として先生は、二十年前から、という長期的な計画であることを例に挙げた。
「最近始めたならまだわかるが、二十年も前に妖精の谷らしき場所を占拠したんだろう?その時はまだ、法王が軍をある程度は統制していた。だから軍の独断専行ってのはちょっと腑に落ちないぞ」
「……ならば、こういう可能性は?二十年前の法王が軍を使って始めた計画を、今は軍が単独で引き継いで続けている──」
カイトは今思いついたのではなく、最初からその質問を用意していたような淀みなさで訊く。
「なるほど、それならあり得るかもな。発案者は法王だったが、その死後、軍が完全に主導権を握った。んで今は、本部──現法王やら司祭側には内緒で続けている、と」
長く軍に在籍していただけあって、先生は軍人をよく理解している。
「『再生の水』──ケガが治るなんていう技術、軍人こそ喉から手が出るほど欲しいだろうよ。実用化できれば、戦場でかなり優位に立てる」
「だが、奴隷商人たちに臓器を集めさせていたのは、臓器の入れ替えのためだろう。それは戦場のケガ人の対策ではなく、病人や……あとは老人が求めるもののような気がするが」
カイトの指摘に先生は「金のためじゃないか」と反論する。「臓器のほうは金持ち相手のエサ、資金集めのためにやっている、とか?病気が治るならいくらでも払う、なんて金持ちは多いだろう」
「……本部からの支援がないとすると、軍だけでやっていくには金が必要、か」
一応納得して、カイトは矛を収める。
そしてひと呼吸置いて、これだけは確認しておかなければならないという義務感から、カイトは口を開く。
「……二十年前の法王とは、どのような人物だった?」
「二十年前というと……マスティマ法王だな。法王の座についた時点でかなりの高齢だったはず。それでも五年くらいの在位期間があって、その後、短命の法王が続くようになったんだよな」
「もしかしてそのマスティマ法王……聖会の孤児院出身じゃなかったか?」
具体的なカイトの質問に、ガレノス先生は「っなんでそんなこと知ってる」と驚きを通り越して、得体の知れないものを見るように目を見開いた。
フローラとユエも、アイビスたちからの手紙にそんなこと書いてあったかな、と顔を見合わせるが、心当たりは浮かばない。
カイトは三人をあえて放置して、念押しで確認する。
「孤児院出身で、実験のために『赤の大聖堂』に連れてこられ──八十年前の革命で解放された子どものひとり、なんだな?」
「っカイト、それって──」
ユエの悲鳴のような驚きは、「おいおいおい」ガレノス先生のさらに不審を増した声にかき消される。
「なんでそんなこと知ってる?異例の経歴だから末端のおれでも知ってるが、それでも外部まで漏れることはないはずだ。なんせ、普通なら法王の素性なんぞ、内部の人間だって上の方しか知らないもんだぞ」
「……愚かなことをしたものだ」
そのひと言に、カイトは怒りも失望も込める。
そうかもしれないと思いながら、そうであってくれるなと願っていたのに。
「カイト、それって……アディーン大司教の……?」自分と同じ感情が浮かぶユエの瞳を見つめて、カイトの中で失望が上回る。
「そうだ、リイルと同じ境遇だった子ども──言うならば、幼馴染のような存在だ」
どこで道が別れたのか。
ひとりは多くの子どもを助ける道を選んだのに対し、もうひとりは、罪のない人の命を奪うきっかけを作ってしまった。
ユエの瞳の色が、カイトに対する労わりに変わる。
「カイトも知ってる人ってこと?」
「……当時会ってはいただろうが、どの子だったかまでは……」
カイトは事情を把握していないガレノス二人のためにも、最初から説明することにした。
***
死の直前のリイル・アディーン大司教との語らいの中で、かつての仲間たちのその後について言及があった。
それはカイトの身の安全のために、アディーン大司教が集めた置き土産だった。
共に聖会の革命を成し遂げながら、カイトその人こそが不老のノクスだと知ったことで、仲間たちとは後味の悪い別れになった。
中には、何年も経ってからこれまた思い出したくもない最悪な再会をした数人(何人かはカイト自身の手で最期を看取っている)もいて、カイトにとっては最大の脅威にまでなっていた。
そのため、アディーンからの「全員の死を確認した」という報告は、カイトを安心させるものだった。
しかしそれと同時に、かつての仲間の死を数えていたことに自己嫌悪することにもなったのだが。
『赤の大聖堂』でカイトと深く関わった上にノクスの資料を直接見て、カイト=ノクスと知ることになったのは、全部で三十六人。そのうちの五人が、アディーンを含めた、実験体にされていた子どもだった。
三十六人のほとんどは、二十代、三十代と若くして亡くなったらしい。
そして長く生きたとしても、あまり穏やかとはいえない最期を迎える者ばかりだった。
それについてアディーンは、影響を与えた側としてのカイトをこう諭した。
「私の人生は私が選んだもの。彼らも同じです。だからあなたが責任を感じる必要は一切ないのですからね」
むしろ影響を与えられた側としての責任を背負って、時すでに遅しとわかっていても、こう嘆かずにはいられなかったようだ。
「あなたとの出会いを、もっと糧にできたはずなのに……」
三十五人の中で、アディーンがもっとも心残りだと語ったのが、例の法王まで上り詰めた男のことだった。
「死後に知ったのですよ、彼が法王にまでなっていたことを」
聖会を出てからまったく交流がなかったから仕方がないのですが、と言いながら、ひと言の報せもなかった不義理に悲しそうな顔をして。
「彼は私とはまた違った方向で、カイトを尊敬……というより、崇拝しているように感じたので、法王になってなにかを変えてくれたのではないかと期待したのですが……」
力無く首を振ったあの時のアディーンの心境が、今のカイトには痛いほど理解できる。
アディーンはその男のことを、マスティマ法王という洗礼名ではなく、『エル』という幼名で最後まで呼び続けていた。
カイトにとってのリイル・アディーンが、年を取ろうが偉くなろうが、大司教ではなく『リイル少年』だったように、アディーンにとって彼は法王ではなく『エル』だったのだろう。
リイル少年もエル少年も、少年時代は徹頭徹尾、被害者だった。
親を亡くすか捨てられるかして天涯孤独になった子どもたちは、実験体として『赤の大聖堂』に集められた。
彼らはカイトのように丁重に扱われることなく、死んだら次を補充するような使い捨ての存在だった。
仲間たちが次々いなくなっていく中、恐怖と実験に耐え、生き残って──被害者が加害者へと立場を変えてしまった。
***
行き場のないやるせなさを飲み込んで、カイトは思考を切り替える。
「……これで順番が整理できた」
「順番?」
「聖会は妖精の谷を探していて、たどり着いたのがメーディセインだった、ではない。俺の故郷だからメーディセインを調べて、そこが妖精の谷だと知った、という順番だったんだ」
カイトは数奇な巡り合わせに、感嘆していいのか、それとも嘆くべきか迷う。
長年、多くの人が探し求めてきた『妖精の谷』──一直線に求め続けた者には与えられず、ひょんな横道から迷い込んだ者に、無造作に与えられたのだ。
必然と偶然は表裏一体だと、カイトは口の中が苦くなる。
自分がどの道を選ぶか、その結果が左右するのが自分の命運だけならば、カイトは迷わず突き進める。
もし自分の選択が、世界の命運を分けるものだったら──?
ずしっと、肩にのしかかる重みは気のせいだとわかっていても、カイトは触って確かめずにはいられなかった。
例えるなら、桃だ。
柔らかく、薄い皮に守られた、熟れた果肉。皮の中から香ってくるような、遠く、もどかしい匂い。
蜜がじわじわと浸み出して、ふわっと甘く発散する。
繊細な上皮を傷つけないよう、そっと唇で触れる。
しかしすぐに、それだけでは足りなくなる。
もっと奥から、深い香気を引き出したい。吸いついて、吸い出して、蜜をすする。
満足するまで吸い尽くすと、場所を変えて、また。繊細な表面は色を変え、征服した証が広がっていく。
上皮を味わい尽くすと、今度はナカが気になってくる。
守られている果肉に直接かぶりつきたい。剥ぐように歯を立て、めくるように表面をこそぎ──。
「あっ……」
けれど、桃とは違って肌を剥ぐことはできないから、こうして繋がることだけで唯一内側に触れることができる。
肌のナカはジュクジュクに熟して、カイトが突き立てた刃にまとわりつく。
後ろから繋がって、背中の全体像が見えるまで離れると、そこには一面、自分がつけた跡が花びらのように点在している。
満足げにひと撫ですると、「ふ、ぅ……んっ」と背中に波が立つ。
背骨に沿って中心に舌をはわせ、浮き出た肩甲骨に歯を立てる。
「ふっ……!」
骨まで綺麗だと思うなんて、大概だな、とカイトは自分に苦笑いした。
「ここ……」
「んんッ」
「羽根みたいだな。人魚なのに」
天使のような羽毛ではなく、透き通った羽根を想像したのは、最近ずっと妖精のことを考えていたからだろう。
妖精なら羽根がある場所に、もう一度歯を食い込ませると、「ンっ、ぁ……!」ユエのナカがキュッと締まって反対に食いつかれる。
久しぶりに訪れた剛直を、ユエの身体はよく覚えていて歓迎している。それでもやはり準備にはそれなりの時間がかかったため、焦らされた快楽を早く与えてくれと、急かされているのが伝わってきた。
一度、ユエだけイかせてやろうと、カイトはしとどに濡れた前を刺激する。
「ンんっ、んっんっ」
強く、二、三度こすっただけで、もう限界だった前は弾けて、カイトの手に白濁を吐き出した。
これがまだ序章だとわかっている身体は、次に向けてすでに助走を始めている。
余韻に震える肩を引き、このまま立て続けにしても大丈夫か表情から確かめようとしたところ、「ふっ、ふっ」と口許に手を当てて苦しそうに息を吐いているユエに気づく。
そういえば今日はなぜか声を殺しているな、と控えめだった喘ぎを思い出し、わざと自分で苦しくしているような手を剥ぐと、「声、我慢するな」開かせるように唇を撫でる。
「ン、え……?」
無意識だったようで、ユエはぽやんと聞き返した。
そうか、とカイトは理由に思い当たる。
最近はずっと声を気にするような場所──壁の薄い宿や人様の家──ばかりだったから、声を押し殺すことが癖になってしまったのだ。
噛み締めて赤くなった唇を労わるように舐めて、カイトは今夜の宿の貴重さを改めて感じる。
安全で安心で、誰にも邪魔されない一夜──それはフローラのおかげだ。
この時になってやっとカイトは、フローラのよくわからない言い訳を理解する。わざわざ二人きりにしてくれたのだ。それも、別の部屋という距離ではなく、別の建物という大きな距離を取って。
「……ユエ、今日は我慢しなくていい。声、出せ」
フローラの気遣いは、カイトのためではなくユエのためだろうという気がしたから、カイトは照れくさく思うより、ありがたく堪能することにした。
ゆっくりと穿ちながら、「あっ」と口が開いたところで指二本をそこに潜り込ませる。こちらのナカも熱く濡れていて、舌と交代するころにはカイトの指がふやけていた。
「ああっ……!アッ、そこっ……ぅ、んあっ……!」
声を出すことを思い出したユエは、もったいぶらずにいくらでも聞かせてくれる。
「っ、ここ、か?」
「うん……っ、そこっ、あっ!きもちぃ……!……あっンん、もっと、つよいの、して……っ」
「ふっ……!」
「ンあっ!!」
自分で望んだくせに逃げようとする身体を捕まえて、腰だけ高く上げさせた格好で、カイトは肌が鳴るほど強くパンッ!と打ちつける。
「っあァ!!」
パンッ!パンッ!!と続けると、へたった肢体がグニャリと崩れ落ちそうになった。慌ててカイトがお腹に腕を回して支える。張り詰めっぱなしだった太ももが、ガクガクと限界を訴えてきた。
「ユエ?大丈夫か?」
「ん……へいき。でも、このかっこ、も、ムリ、かも……脚、つりそう」
ただでさえ歩き詰めで疲労が蓄積していたところに、トドメを刺してしまったようだ。
理性を総動員して、カイトは一度自身を引き抜く。中途半端に止められたそこは痛いくらいだが、今は自分の快楽よりも優先したいことがあった。
仰向けになるよう誘導してやると、くたりと力を失った身体の中で、お腹だけが忙しなく上下している。
落ち着かせるようにそこに置かれたカイトの手に、ユエの手が重ねられる。
「やだ……」
「ん?どうした」
「まだ、やめないで」
カイトの振る舞いが後戯に思えたらしく、ユエはここで終わらせるつもりなのだと勘違いして、潤んだ瞳で続きを懇願してきた。
それにふっと笑って、「こっちこそ、続きをお願いしたいんだが」と、カイトからも懇願し返した。
今度は座位で繋がる。これなら脚も楽だろう、とカイトが訊くと、ユエはぎゅうっと首に抱きついて「……でも」と言い澱む。
「でも、なんだ?」
「カイトは、いいの?」
「……どういう意味だ?」
「だって……カイトは後ろ向きのほうが、すきなのかと思って」
まったく考えにないことを言われて、カイトは「は?」と首をかしげるしかない。
「え、ちがうの?」
「……なんで、そう思った?」
「だってカイト、最近いつも──っていうか、おれが髪切ってから、かな。挿れるの、いつも後ろからだったから」
「そんなこと──」反射的に否定しかけたカイトの脳裏に、甘い夜の記憶が襲いかかる。
(確かにあの日は──それからあの夜も……──あとはあの宿でも……?──)
記憶を整理してみると、どう考えてもユエの言い分が正しい。
「……そう、だった、かも?」
「そうだよ。それでいつも、背中とか首の後ろとかいっぱい口づけしてくれるから、カイトは前からより後ろからのほうがすきなのかなって」
無自覚の性癖を指摘されて、カイトはかなり動揺した。
ユエは別に非難しているわけではないのに、なぜか顔を手で覆って「わるかった……」と謝ってしまう。
「……カイト、もしかして」ユエはそんな珍しいカイトをのぞき込んで、またも予想だにしないことを言う。「おれ、髪、切らないほうがよかった?」
「……べつにそんなことは」
「それとも、長いより、短いほうがすき?」
確かに思い返してみると、転換期はユエが髪を切ったときのような気がする。
それから偏執的になったとすると、自分で思っていたよりずっと、ユエの変化に影響を受けたのかもしれないと、カイトは自分を分析した。
嫉妬なのかもしれない。
いつも髪で隠されていたうなじが、今は露わになって、不特定多数の目に晒されている。
でも、触れることができるのは俺だけだ、と勝手な主張をするため。
それともユエの言うように、実は髪を切ってほしくなかったのだろうか──自分の気持ちを探すカイトの目に、今のユエが映る。
「……長くても、短くても、どっちでも好きだ」
それがカイトの結論だった。
「……ほんと?」
「ああ。でもやっぱり少しだけ、惜しい、とも思ってる」
くしゃ、と髪に指を通しても、すぐに通り抜けていってしまう。
「ここから、あそこまで──出会ったばかりのころの長さまで伸びるには、かなり時間がかかるだろうなと思うと、な」
「じゃあ、もう切らない。これから伸ばすよ」
「ははっ、言ったろう。どっちも好きだって。だから伸ばすのも切るのも、お前の好きにしたらいい」
「でも、おれは特にこだわりないから」
「ん、そうか。それなら……また、長いのも見せてくれ」
「うんっ……!」
未来の約束に、ユエは力強くうなずいた。
***
ほんわかとしたやり取りになって、二人は一瞬、今の状況を完全に忘れていた。真っ最中だったということを思い出して、ハタと目が合うと、なんだかおかしくて笑ってしまう。
「あはっ、あ、まって。笑うと振動が……!」
「ふっ、本当だな。締まる……」
そこからは一段、一段階段を登るように、快楽を積み重ねた。
「あ、あ、あっ……!」頂上に着く前に絶頂が訪れる。後ろだけで達したユエに続いて、カイトも隘路に精を注ぐ。
ぺったりと合わせた胸と胸が、汗でずるりと滑る。ずっとカイトの胸筋に擦りつけていたユエの乳頭は、ぷっくりとふくらんで色づいている。
示し合わせたように、唇と唇が触れる。
少しの隙間もなくすように、ユエはカイトの首に腕を巻きつけて引き寄せ、カイトは後頭部を抱えるようにして密着させる。
まだ上があることを知っているから、ひたすら高みを目指して二人は突き進む。
口づけは互いの官能を煽るため。まんまと煽られて、どちらからともなく腰の動きが再開していく。
「あ……カイト、また……っふうぅ……んっ」
ひくひくと腹を波打たせて、ユエはもう一段階段を登る。
「もう、おぼえたな。ここだけでイクこと」
「あ、だめっ、さわったら……っ」
口いっぱいに頬張っている淵をくすぐられて、ユエの腰がかくん、と揺れる。
「ふ、ぁ……っ!あ、あ……お、おく、きちゃう……っ」
「っ……奥も、もう痛くないだろ?」
「っうん、ん……っ、かん、かんじる……っ、じわって、くるっ、あっ、くるぅ……!」
「くっ……!」
ゆっくり時間をかけて登った頂上を、二人は噛みしめるように味わう。すぐに降りてしまうのはもったいなくて、ゆらゆらと腰は円を描いて余韻を長引かせている。
カイトは気がついたら、ユエの首筋に舌をはわせていた。
髪をつかんでのどをさらさせ、太い血管に沿って下から上へと舐め上げる。汗の味と、血液が流れる感触が舌に伝わってくる。
嗅覚と味覚は繋がっているんだな、とカイトは妙に冷静に考えた。
肌の甘い匂いが嗅覚を独占すると、塩辛いはずの汗の味さえも甘く感じて、いつまでも啜っていたくなる。
もしかしたら血も甘いんだろうか、とかなり猟奇的な想像をして、そんな自分が少し怖くなった。
肌を食い破る前に、カイトは口を離す。
とろん、と目許を蕩けさせたユエは、一段、階段を降りて、でもすぐにまた引き返せるようにその場で待っている。
「カイト……もっと、ぎゅっとして」
「ん……汗がすごいな。引いたら、冷えてくるかも」
「へいき。くっついてれば、あったかいよ」
「そうだな」
「……ふふ、やっぱり、こっちのほうが安心する」
「こっち?」
「こうやって、ぜんぶ服脱いで、ぴったり肌合わせて、抱き合うの。服着たままだと、なんか……」
「そう、だな。裸で抱き合えるってのは、それだけこの場所が安全ってことでもある。……ガレノスに感謝だな」
そこにはフローラとこの家の主人だけでなく、歴代、そして今生きているすべての『ガレノス』への気持ちがこもっていた。
ユエはカイトの肩に乗せていた顔を、互いの表情が見える位置まで離すと、「ね、」慈愛に満ちた笑みを向ける。
「ガレノス家はまるで、カイトの親戚みたいだよね」
「……血は繋がっていないがな」
素直に認めないながらも、カイトは言い得て妙だと納得する。
仲間とも友人とも違う、不思議な縁。綿々と続きてきたそれは、確かに血縁のようだ、と。
「だからかな」
「うん?」
「スミュルナにいたのはほんのちょっとの時間だったはずなのに、なんだか、懐かしい感じがして」
「……まるで、『故郷』に帰ったような?」
「そう。それも、海よりもよっぽど『故郷』っぽい」
「海よりも、か?」
「たぶん、故郷の海にはカイトとの思い出がないからだ」
それは『故郷』の定義として真理かもしれない、とカイトにも思い当たる。
いくらメーディセインが生まれ故郷であっても、何も思い入れがない今はまだ『故郷』とは思えないように。
帰りたいと思える場所を『故郷』と呼ぶのなら、そこには思い出と待っていてくれる人が必要なのかもしれない。
「……スミュルナもいいなぁ」
ユエは自分の想像に自分で笑いながら、再びカイトに全体重を預けて身も心も委ねてくる。
「ユエ?」
「一番はアスカ村がいいかなって思ってたけど、スミュルナもいいなって」
わざと回りくどい言い方をしたのは、照れていたかららしい。顔を隠すようにカイトの肩にひたいをぐりぐりと押しつけて、ユエはこそっと、秘密を教えてくれるように云う。
「……おれとカイトの、『家』」
「い、え……?」
「そ、おれたちの家をつくる場所」
「家……」
あまり反応がよくないカイトに、ユエは「もう」と眉根を寄せる。
「カイトは考えたことないの?どんな家がいいかな、とか、どんな場所がいいかな、とか」
「ない、わけじゃないが……具体的な場所までは想像したことないな」
「じゃあ、想像して」
ユエに引っ張られたこともあって、カイトの頭に浮かんだ『家』の代表は、アスカ村のフェザントの家とスミュルナの今は亡きガレノスの家だった。
けれど、そこに自分とユエが暮らしているという想像は、上手く描けない。
それはカイトがまだ、そこまで先の未来を想像する余裕がないことの表れだった。
自嘲しかけたカイトを、「おれはね、」というユエの軽やかな声がすくい上げる。
「あんまり人が多くない、静かな場所がいいな。アスカ村やスミュルナみたいな。それでね、家もあんまり大きくなくていいんだ。どこにいてもカイトの姿が目に入るような、こじんまりした家がいい。朝、『おはよう』って起きて、一緒にごはんを食べて、夜は……夜はね、」
ぐい、とユエに肩を押されて、「お、おい」油断していたカイトは簡単に後ろへ倒される。ギシ、と寝台がきしんで、背中を受け止めた。
寝転んだカイトの上に座り込む形になって、話の間ずっと繋がっていたことを思い出すように、くいっ、と腰が動く。
「ユエ……っ」
「夜は、こうやって抱き合って、それから、一緒に眠りたい。安心できる場所で、なんにも気にしないで、誰にも邪魔されないで、ふたりっきりで──」
「ユエ……」
それからユエはいい笑顔で、こんなことを付け加える。
「毎日、したい」
「毎日、か……?」
「……カイトは、したくない……?」
カイトが怯んだのが伝わったのだろう。ユエの目が不安に揺れた。
即座にカイトは「そんなことない」と否定する。
「ほんと?」
「ああ、もちろん」
「……毎日、してくれる?」
「ああ、お前が望むなら」
(それと、俺の体力が続くなら)と心の中で付け足して、カイトは自然と笑っていた。
ユエと抱き合う毎日を想像しても、不思議と爛れた日々にはならず、それどころか清々しいような気さえしてくる。
朝、『おはよう』と起きて、一緒にごはんを食べて、夜、抱き合って眠って、そしてまた朝は──同じことの繰り返しを、つまらないなどと思わない。
そんな日々が、待ち遠しい。
「んっ」ゆすっ、と今度は明確な意思を持って、ユエの腰が揺れた。
「……今日、もう一回したいって言っても、してくれる……?」
試すような問いに、カイトは即答する。「もちろん」
それと同時にユエの中で硬さを取り戻しつつある陰茎をぐん、と押し込んで、態度でもってそれを証明する。
「あっ……」
ユエが本当に幸せそうに目を閉じるから、それを見ているだけでカイトも、こんな時ばかりは難しいことを考えるのはやめて幸せに浸ろうと思えてくる。
──庭で、野菜を育てよう。小さな台所でそれを料理して、美味い酒を片手に、並んで食べよう。
初めて具体的に想像した『家』を、明日の朝になったらユエに伝えよう、とカイトは決めた。
******
一族同士の話というのは方便だけでもなかったようで、翌日、寝不足顔で朝日に目を細めたのはカイトとユエだけではなかった。
「ハハハ、自分で言ったくせに、夜更かししてしまいました……」
バツが悪そうながらも、フローラは言いたいことを言えたとスッキリしていて、「これでおばあちゃんにいい報告ができます」と笑顔になる。
父親が亡くなったことをフローラから聞かされて初めて知ったことで、何やら心情の変化があったのか、ガレノス先生は昨日より穏やかな雰囲気になっている。
そしてユエとカイトも、そろってすっきりした顔をしている。
こそっと「ありがと」とユエからお礼を言われ、「いえいえ」と笑うフローラは、鼻をかいて明後日の方向を向いているカイトのことは見ないフリしてあげた。
***
「さて、と」
わざとらしく場を仕切ったカイトが、真面目な顔を作って、昨日の続きに取りかかる。
話題は、前日の世界の謎という大きなものから、もっと身近で身に迫った質問へと。
聖軍の元軍医という経歴から、臓器売買の黒幕が聖会である可能性をどう見るか訊いてみると、先生はこともなげに「あり得るな」と皮肉な笑いを見せる。
さらに踏み込んで、仲間たちが推測したように、聖軍が主導をしているという可能性について意見を求めると、こちらには「どうだろうな」と首をひねる。
懐疑的な理由として先生は、二十年前から、という長期的な計画であることを例に挙げた。
「最近始めたならまだわかるが、二十年も前に妖精の谷らしき場所を占拠したんだろう?その時はまだ、法王が軍をある程度は統制していた。だから軍の独断専行ってのはちょっと腑に落ちないぞ」
「……ならば、こういう可能性は?二十年前の法王が軍を使って始めた計画を、今は軍が単独で引き継いで続けている──」
カイトは今思いついたのではなく、最初からその質問を用意していたような淀みなさで訊く。
「なるほど、それならあり得るかもな。発案者は法王だったが、その死後、軍が完全に主導権を握った。んで今は、本部──現法王やら司祭側には内緒で続けている、と」
長く軍に在籍していただけあって、先生は軍人をよく理解している。
「『再生の水』──ケガが治るなんていう技術、軍人こそ喉から手が出るほど欲しいだろうよ。実用化できれば、戦場でかなり優位に立てる」
「だが、奴隷商人たちに臓器を集めさせていたのは、臓器の入れ替えのためだろう。それは戦場のケガ人の対策ではなく、病人や……あとは老人が求めるもののような気がするが」
カイトの指摘に先生は「金のためじゃないか」と反論する。「臓器のほうは金持ち相手のエサ、資金集めのためにやっている、とか?病気が治るならいくらでも払う、なんて金持ちは多いだろう」
「……本部からの支援がないとすると、軍だけでやっていくには金が必要、か」
一応納得して、カイトは矛を収める。
そしてひと呼吸置いて、これだけは確認しておかなければならないという義務感から、カイトは口を開く。
「……二十年前の法王とは、どのような人物だった?」
「二十年前というと……マスティマ法王だな。法王の座についた時点でかなりの高齢だったはず。それでも五年くらいの在位期間があって、その後、短命の法王が続くようになったんだよな」
「もしかしてそのマスティマ法王……聖会の孤児院出身じゃなかったか?」
具体的なカイトの質問に、ガレノス先生は「っなんでそんなこと知ってる」と驚きを通り越して、得体の知れないものを見るように目を見開いた。
フローラとユエも、アイビスたちからの手紙にそんなこと書いてあったかな、と顔を見合わせるが、心当たりは浮かばない。
カイトは三人をあえて放置して、念押しで確認する。
「孤児院出身で、実験のために『赤の大聖堂』に連れてこられ──八十年前の革命で解放された子どものひとり、なんだな?」
「っカイト、それって──」
ユエの悲鳴のような驚きは、「おいおいおい」ガレノス先生のさらに不審を増した声にかき消される。
「なんでそんなこと知ってる?異例の経歴だから末端のおれでも知ってるが、それでも外部まで漏れることはないはずだ。なんせ、普通なら法王の素性なんぞ、内部の人間だって上の方しか知らないもんだぞ」
「……愚かなことをしたものだ」
そのひと言に、カイトは怒りも失望も込める。
そうかもしれないと思いながら、そうであってくれるなと願っていたのに。
「カイト、それって……アディーン大司教の……?」自分と同じ感情が浮かぶユエの瞳を見つめて、カイトの中で失望が上回る。
「そうだ、リイルと同じ境遇だった子ども──言うならば、幼馴染のような存在だ」
どこで道が別れたのか。
ひとりは多くの子どもを助ける道を選んだのに対し、もうひとりは、罪のない人の命を奪うきっかけを作ってしまった。
ユエの瞳の色が、カイトに対する労わりに変わる。
「カイトも知ってる人ってこと?」
「……当時会ってはいただろうが、どの子だったかまでは……」
カイトは事情を把握していないガレノス二人のためにも、最初から説明することにした。
***
死の直前のリイル・アディーン大司教との語らいの中で、かつての仲間たちのその後について言及があった。
それはカイトの身の安全のために、アディーン大司教が集めた置き土産だった。
共に聖会の革命を成し遂げながら、カイトその人こそが不老のノクスだと知ったことで、仲間たちとは後味の悪い別れになった。
中には、何年も経ってからこれまた思い出したくもない最悪な再会をした数人(何人かはカイト自身の手で最期を看取っている)もいて、カイトにとっては最大の脅威にまでなっていた。
そのため、アディーンからの「全員の死を確認した」という報告は、カイトを安心させるものだった。
しかしそれと同時に、かつての仲間の死を数えていたことに自己嫌悪することにもなったのだが。
『赤の大聖堂』でカイトと深く関わった上にノクスの資料を直接見て、カイト=ノクスと知ることになったのは、全部で三十六人。そのうちの五人が、アディーンを含めた、実験体にされていた子どもだった。
三十六人のほとんどは、二十代、三十代と若くして亡くなったらしい。
そして長く生きたとしても、あまり穏やかとはいえない最期を迎える者ばかりだった。
それについてアディーンは、影響を与えた側としてのカイトをこう諭した。
「私の人生は私が選んだもの。彼らも同じです。だからあなたが責任を感じる必要は一切ないのですからね」
むしろ影響を与えられた側としての責任を背負って、時すでに遅しとわかっていても、こう嘆かずにはいられなかったようだ。
「あなたとの出会いを、もっと糧にできたはずなのに……」
三十五人の中で、アディーンがもっとも心残りだと語ったのが、例の法王まで上り詰めた男のことだった。
「死後に知ったのですよ、彼が法王にまでなっていたことを」
聖会を出てからまったく交流がなかったから仕方がないのですが、と言いながら、ひと言の報せもなかった不義理に悲しそうな顔をして。
「彼は私とはまた違った方向で、カイトを尊敬……というより、崇拝しているように感じたので、法王になってなにかを変えてくれたのではないかと期待したのですが……」
力無く首を振ったあの時のアディーンの心境が、今のカイトには痛いほど理解できる。
アディーンはその男のことを、マスティマ法王という洗礼名ではなく、『エル』という幼名で最後まで呼び続けていた。
カイトにとってのリイル・アディーンが、年を取ろうが偉くなろうが、大司教ではなく『リイル少年』だったように、アディーンにとって彼は法王ではなく『エル』だったのだろう。
リイル少年もエル少年も、少年時代は徹頭徹尾、被害者だった。
親を亡くすか捨てられるかして天涯孤独になった子どもたちは、実験体として『赤の大聖堂』に集められた。
彼らはカイトのように丁重に扱われることなく、死んだら次を補充するような使い捨ての存在だった。
仲間たちが次々いなくなっていく中、恐怖と実験に耐え、生き残って──被害者が加害者へと立場を変えてしまった。
***
行き場のないやるせなさを飲み込んで、カイトは思考を切り替える。
「……これで順番が整理できた」
「順番?」
「聖会は妖精の谷を探していて、たどり着いたのがメーディセインだった、ではない。俺の故郷だからメーディセインを調べて、そこが妖精の谷だと知った、という順番だったんだ」
カイトは数奇な巡り合わせに、感嘆していいのか、それとも嘆くべきか迷う。
長年、多くの人が探し求めてきた『妖精の谷』──一直線に求め続けた者には与えられず、ひょんな横道から迷い込んだ者に、無造作に与えられたのだ。
必然と偶然は表裏一体だと、カイトは口の中が苦くなる。
自分がどの道を選ぶか、その結果が左右するのが自分の命運だけならば、カイトは迷わず突き進める。
もし自分の選択が、世界の命運を分けるものだったら──?
ずしっと、肩にのしかかる重みは気のせいだとわかっていても、カイトは触って確かめずにはいられなかった。
応援ありがとうございます!
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