傷ついて四葉のクローバーになる

八月朔 凛

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5話 我ら滅び失せる獣に等しい

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 悲しいことがあっても、嬉しことがあっても時間は平等に流れ、教会の近くにある手向けの花は花をこぼし、若々しい新緑の葉はエメラルドのように煌めいていた。

「アンさんからちょうど1ヶ月ですね……」

 アンドリューが食堂で昼食を食べていると、ソフィーが目の前の席に座って来た。いつものようにニッコリと笑っているが、その瞳の奥はどこか寂しさと怒りが混じって濁っていた。

   『あれ』と暈す様な言い方にアンドリューは一瞬はてなを浮かべかけたが、たまたま近くにあったカレンダーを見て思い出した。

「5月5日……そうだなぁ……ズッヒャーハイトを奪還してそんなに経ったのか……」

 アンドリューはあえて別の事柄を言うと、ソフィーはハッと目を見開いてそれから口角を少し上げた。

「……1週間程度そちらに行けてないが、ソフィーがそういった雰囲気を出すということはなんかあったのか?」

 アンドリューは少し声を高くして、恐る恐る聞くと、ソフィーは少し俯いたような姿勢で話し始めた。

「経過は良好ですよ……今は車椅子で移動できるようになりました。……ただ、元々ミカエラを嫉妬して嫌っていた人達がこの機会に軍から下ろそうとしているんですよ!」

「下ろそうとするのは構わないです!私もそう思っていますから……虫さえ殺せない彼の性格上軍人は似合わない……もっと平和な……」

 それからソフィーはスープの中に入っていたじゃがいもを勢いよくフォークで刺して口に運ぶ。

「許せないのは、下ろす時の感情なんです!性格上や任務か遂行出来ないじゃなくて、嫉妬や『こいつを下ろしたら出世が出来るかも』という汚い感情なんです!」

「無表情だから?アマデウス人だから?気弱だから?それとも……最年少で少佐になったから?」

ソフィーは更に強い力でフォークで具を刺す。

「なんにも知らないくせに!話したことないくせに!周りの否定的な意見や噂ばかり呑んで勝手に想像して妬んで!肌の色が違うから?迫害民族だから?はい、排除?!ふざけるのも大概にしてよ!」

 「というか、この国の国民性としてまず最初に上げられるのが嫉妬しやすいですよ!神話に出てくるレヴィアタンとか、よく分からないけどいい迷惑ですよ!」

「彼はただコツコツ勉強をしたりして頑張っただけ。なのに周りはまるでミカエラに母親を殺されたような顔で『才能強い能力があっていいですね』って」

「確かにこの歳で少佐まで上り詰めたのは才能や能力とかもあるかもしれない。だけどその才能を開花させたのは、紛れもなく努力したから手に入った結果なんだよ!」

それからソフィーは一呼吸した後

「噂を盲信しているだけの人は知らないでしょ?彼が息を乱しながら、能力の制御をしていたこと。間違っても誰かを傷つけることが無いようにと、毎晩一生懸命練習していること」


   この国で信仰されている宗教の神話によると、国の名前の由来となったレヴィアタンという海で怪獣が暴れ、何時でも津波に襲われて、困り果てていたところに、コランという東洋からやってきた花売り少女に退治をさせたそうだ。その後人々はちょうど来ていた飢饉から飢えを凌ぐため、神聖な動物なので食べてはいけないというコランの言いつけを破り、人々は飢えを凌ぐために食べてしまったことによって、『能力』を授かったが、その代償として『嫉妬しやすい』 という呪いを抱えてしまった。だからこの国の人は、自分が持っている素晴らしいものを見ようともせず、無いものねだりばかりしている。

 ーーそれは自分自身も例外ではない

「……そうだな……俺もそう思うよ。」

自分自身で発した言葉がブーメランのように返ってくる。
お前だってに嫉妬していた癖に。届かないと分かっていた癖にその星がたまらなく欲しくてズルをしようとした癖に。
客観的に見てるもう一人の自分のようなものが耳元でそっと囁く。

 アンドリューは大きく息を吸ってコップを置くと、ため息をついた。

「やっぱり若くして士官になると苦労するなぁ……」

「で、アンさんそいつら許せないのでぶっ飛ばしてもいいですか?上官命令出してくださいよ!」

 光が無い目でケタケタと笑いながら、こちらを見るソフィーの姿に背筋に変な寒さがゾッと走った。

「駄目だ。上官命令はそうやって使うものじゃない。ソフィーお前は大人しくしてろ!」

「あはは……冗談ですよ!冗談!」

 どう見ても冗談に見えない。とアンドリューは思ったが口にはしなかった。ソフィーは其れを誤魔化すように、絹のような歯を見せて大きく笑いながら手を合わせると「ご馳走様。それじゃお先に……お疲れ様です」とゆっくりと席を立った。



     部屋に帰ると、書類やら封筒が溜まった机が目に見えた。重い気持ちで椅子に座ると、ため息をついてからある文章を作成し始めた。

『非常に残念なお知らせですが、ご子息のユーリウス・アウレール・エルネスト少尉  は1886年4月5日  ズィッヒャーハイトの作戦中にて戦死されられました。』

 アンドリューはそこまで打つと、タイプライターから手を離し、溜息をついて書類を封筒の中に入れた。1ヶ月近く前からやっている『遺族に送る手紙』も、もうあと数枚だが、残っている人間は全員アンドリューの部下というのもあり、一単語さえ打つのも辛くなる。

「あぁ、クッソ……!あのクソジジイなんて仕事任せてんだ……ああ、畜生verdammt!」

 つい独り言で叫ぶと、近くで人形遊びをしていたネロがびっくりしたようにこっちを見た。

「アンタんこわあいネ」

 アンドリューは一瞬驚いたような顔をしてから、申し訳なさそうな顔になり「ああ、ごめんよ」と言うと、ネロはニパっと笑い「いいよー」と言うとこちらに来て飴を机の上置いていった。
 アンドリューはニヤケそうなのを必死に我慢していつも通りの仏頂面でネロを撫でる。
   よく周りから「その顔で撫でるな。怖い」と言われているが、アンドリューにとって、誰であろうと綻んだ顔を他人に見せるのが恥ずかしいのだ。

「ねえ、サッきかラなんのシごとをシているのネ」

 ネロは机の下から必死に背伸びをしてこちらを見ようとしているが、身長が足りなくてあと寸でのところで見れないらしい。

「戦死した仲間の遺族への死亡通知だ」

 アンドリューはもう1枚紙を取り、タイプライターにセットした。次はレオンハルトのだが、彼は3年前に起きた『イーリス大爆発』という戦艦同士がぶつかり、街がひとつ吹っ飛んだ事故で母親を失っている為、父親はその1年後流行りの疫病で死亡している為、親戚は彼の事を無視している為送る相手がいない。それでも書こうとするのは……やはり一番最初に遺体を見つけたのに、その死を受けれられないからかもしれない。アンドリューは静かに目をつぶった。 

  怨霊のような感情が頭の中を駆け巡る。希死念慮らしい考えを持つ彼にとってはああ、良かったのかという感情がポコりと湧き出て、慌てて嘘だと否定しながら可哀想まだ18歳なのにという憐憫、なんで先に死んでしまったんだという怒り、盛り上げ役が居ない寂しさが込み上げてきた。

「……嗚呼……本当になんで良い奴ほど早く死ぬんだよ……畜生!」

 自分より若い……いや、若い奴はそれなりに未来があるのだから死んではいけない。死なせてはいけない。
 アンドリューは一瞬机に飾ってある、女性が笑顔で写っている写真を見て、そっと額縁を指で撫でると、またタイプライターを打ち始めた。

   「ーーくん!アンドリューくん!」
 はっと気がつくと名前を呼ばれていた。横を振り向くと、軍服の上にきっちりと白衣を着たヴァルトが立っていた。

「うわぁ……いつの間にいたんですか……不法侵入じゃないですか……」 

「きちんと名前も呼んでノックもして入ったよ」

「それでどうしたんですか?ここまで来るなんて珍しいではないですか?」 

 ヴァルトは少し躊躇ったような顔をしてから、息を吐き、腕を組んだ。

「……大佐が呼んでいるよ。ここに来たのはそのパシリ……」

 今1番会いたくない人に呼ばれるとは運が悪いなと思った。何よりも顔を見た瞬間思いっきり椅子や生ゴミを投げる気しかしない。いや、絶対に投げるだろう。

「あのクッソジジイ……なんの用事だ……要らんことに呼ぶな……また嫌味か?」

 口から出る声は自然と低く、重く、そして尖った言葉が次々と出てくる

「アンドリューくん殺意がこもった目をしないで怖い。君ただでさえ顔怖いんだから。そして仮にも君の上司だからね……?」

 ヴァルトは困ったような笑顔で笑いつつ、「まぁ分からなくもないけど」と小声でぽつりと呟いた。


    「久しぶりだ。野良猫……どうだ?仕事は順調か?」
 少し高めの落ち着いた優しげに聞こえる声だが、アンドリューを見るなり大佐は見下したような笑顔でほくそ笑む。
     大佐はアンドリューのことを野良猫と呼ぶ。野良猫というのはレヴァンの言葉でアバズレの子という意味を含んだ蔑称がある。
その言葉に一瞬眉間に皺を寄せたが、一呼吸すると、元の顔に戻った。

「はい、遺族への死亡通知の件はほぼ遂行しました。しかし、あと5名ほど……未完成なので、もう少しだけお待ちください……」

「ははは、遅かったな。やっぱり学がない人はキツかったか……」

 少将は醜い皺をピクピクと動かし、下品な声で笑う。それを見た瞬間、顔面をナイフでめった刺したい衝動に襲われたが、グッと唇を噛み締め、拳をより固く握りしめた。
     5000人近くの死亡者遺族への手紙を1人で、しかも約1ヶ月で処理するのは困難を極める。それでも間に合わせる為に、自分の睡眠時間や食事の時間を削り、ミカエラが入院した時も、ネロが遊んでいる時も実は横で様子を見ながらずっとやっていたが、やはり間に合わなかった。

「……お言葉ですが、それは学がある無し関係ないかと思います」

 あくまでも謙虚で腰が低そうな態度を取りながらアンドリューはそっと言うと、大佐は急に大声で怒鳴り始めた。

「いんや、お前が無学で阿呆だからだ。アバズレで下品な淫乱娼婦の穢れた血を持つからだ。こんな簡単なことが出来ないなんてそうに決まっている」

「名門家出身の天才な俺はこれくらいちゃちゃっと出来るけど、なんせ教育受けてなく、阿婆擦れから生まれた野生児がこんなこと出来るわけねえもんな。出来ないのに期待してすまない。ああ、こんなやつの上司なんて……俺が可哀想」

 アンドリューは思わずキッと睨んでしまった。するとそれに気づいた大佐は勢いよく立ち上がり、すごい剣幕で怒鳴る

「なんだ!その反抗的な目は……!この俺の……俺の言うことに逆らうなんて!俺はお前の上司なのに?逆らうのか!」

「目上の人に敬意が無いなんて、常識がねえやつだな。流石娼婦の腹から生まれた子だ。蛙の子は蛙。それで人間としてよくのうのうと生きていけるよ。あぁ可哀想……俺だったら到底無理だわ。生き恥晒すくらいなら潔く戦地で死んでみせる」

「そうした方が俺の株も上がるしな」

 次々しわくちゃの唇から出される罵詈雑言の言葉を、アンドリューは半分諦めたような気持ちで黙って聞いていた。
   しばらく罵詈雑言タイムが続いていたが、五分ほどたった頃だろうか?急に間抜けな声で「アッ」っと声をだしてから、急に真面目な顔になって「さて本題に入ろうか」と言い出した。前置きが長すぎるとアンドリューは思ったが、言うとまた悪化するので、それは心の中だけに留めて置くことした。

「ミカエラ=レア少佐の処遇についてだ」

 自分のことのように心臓が激しく打ち、体が強ばるような感覚を覚える。祈るのは彼を軍から去らせること。それはソフィーが言っていた自分の事情で下ろしたい人達のような感情では無く、戦闘が終わった時に必ず見る泣いた顔、そしてその夜に後悔と恥辱の言葉を吐きながら、身体を震わせ過呼吸ぎみになる姿を見る度に、胸が痛くなり、軍を去った方が彼の為では無いかと思うからである。それと同時に自分の身勝手な考えに嫌気が差した。

「あれはまだ使える。我が軍にとっての兵器みたいなもんだ」

 あれはという人を物のように言う言い方にアンドリューは眉間にシワを寄せる。

「あれは……って言い方……ミカエラは物や兵器では無いです!れっきとした人間です!」

「いんや、あれは兵器のような化け物だ!……天使の皮をかぶった化け物だ!いや……左半分の見た目が化け物らしいから、化け物でいいか……」

 アンドリューは机を勢いよく叩いた。普段なら何を言われても反論だけで済ませていたが、もう怒りの限界だった。そして着けていた白手袋を雑に机の上に置く。手は傷だらけで、掌の中央はもう元の姿にはならないだろうと思うほど、抉れている。

「……っ!あの子が自分の顔をどれだけ気にしているか!分かっているんですか?!」


 掌から出ている血を見ると、少将は少し焦ったようか顔を一瞬浮かべたが、やがてしわくちゃの唇をゆっくりとあげた。

「事実じゃないか。それに厭世家のお前がそんなことするんだ?言うんだ? 大事な部下だからか? 」

 言う通りだ。ミカエラ達はそれなりには大切にしている。そして、自分が厭世家なのも事実だ。だからなるべく人と関わりたい無い。しかし、それよりも人の地雷を踏み潰して楽しむ姿、本人の目の前で人の愚痴を言う姿、あっちに言っていいことを言ってこっちに言っていい事をいう八方美人、金と地位に眩み人を傷つけ、自己保身の為になんでもする人。それをやる人間は許せなかった。それが誰であろうとも。

「例え事実であろうとも言ってはいけないことがあります!発言を撤回してください!」

 アンドリューは満月のような濃い黄色の目をカッと見開き、強い口調で言った。言うべきことはきちんと言わなくてはいけない。

「撤回なんてするものか。とにかくこれは上の決定事項だ。お前らのような人間にそれを覆す力は無い」

「それと今回だけ俺はとても優しい人間だから温情で見逃すが、次にたてついたら、君を北へ飛ばす!……ここまで来て左遷されるのは嫌だろぉ?」


 大佐は気持ち悪いほどの笑顔で言うと、アンドリューの顔を見た。自分の良さに酔った顔、本当に気持ちが悪い。

 ーーああ、本当にこの人は人間としての屑だーー

  アンドリューはその問いには答えず、手袋をはめ直し、丁寧にお辞儀と敬礼をすると「では、失礼します」とだけ言い、部屋を去った。

   しばらくしたところで窓から外を眺めているソフィーを見つけた。

「やだ~アンドリューさん顔が怖いですね~!!!!」

 ソフィーはいつもより高い声で明るく言う。アンドリューはほんの一瞬だけ、視界の端で今にもボタンが弾けそうなほど、膨らんだ胸を見た。

「……やるならもっと徹底的に相手を観察、考察してやれ!マリア=プラトー」

 アンドリューは呆れたような声と表情で言うと、ソフィーの顔をした目の前の人は少し驚いたような表情を浮かべ、顔の前で手を振るような仕草をすると、鳶色の瞳で海色のカールがかかったロングヘアの女性になった。

「よく分かりましたね。少し戸惑うと思ったのに……」

「まず体!特に胸!それから服!ソフィーは赤色は嫌いだ……それから言葉遣い!それら全てが違う!」

「マリアの能力はその容姿を真似するだけで、真似した本人しか持ちえない能力や性格などは再現できない。だからこそやるなら、もっと徹底的に怪しまれないように、やらなければいけない」

 マリアはつまらなそうな顔をしてから、少し棒読みで「はい」と、だけ言った。

「私、中佐のような人間を見ていると何故かむかむかします」

 マリアは突然口を開くとそう言った。

「俺も君を見ていると何故か落ち着かない」 
 
   窓の外で新緑の木の葉が風に吹かれて、はらはらと散っている音以外は何も聞こえない。
 それから2人ともお互い顔を見合わせずに、別々の方向に歩いていった。
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