その男、幽霊なり

オトバタケ

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長月

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「拓也はカニなんとかが大切なんですか?」

 小さな口でストローを咥えてイチゴ牛乳を飲む海老原を眺めながら、これで男の成仏への道が近付くのかなと考えていると、終始黙って俺達の会話を聞いていた男が口を開いた。

「カニじゃない、エビハラだってさっきも言っただろ。大切とか考えたことないけど、友達だとは思ってる」

 男が見える海老原には会話を聞かれても差し障りはないが、海老原の話をしているのを聞かれるのはばつが悪いので、聞こえないよう男に耳打ちする。

「彼の容姿を見て気持ちが揺らいだのではないですか?」
「びっくりはしたけど、海老原は男だし気持ちなんか揺らがない。アンタ、海老原にも欲情したとか言うのか?」
「可憐だとは思いましたが惹かれてなどいません。僕を欲情させるのは拓也だけですから安心してください」
「安心ってなんだよ。それより俺以外にもアンタを見られる奴がいてよかったな」

 また下半身に繋がる話にいきそうだったので、進展をみせるかもしれない男の身元調べの話に話題を変えると、男は眉を顰めた。

「拓也は、僕が拓也以外に見られても平気なんですか?」
「平気って、言ってる意味が分からない。アンタは俺以外の奴にも見られたかったんじゃないのか?」

 今の男の存在を知っているのが俺だけだったから、俺の記憶に残るように必要以上に絡んできてたんだろ?

「僕が見つめるのは拓也だけ、僕を見つめるのも拓也だけがいいです」
「はぁ? 馬鹿じゃねーの。それじゃいつまで経ってもアンタの身元が分かんないし、成仏できないんだぞ」
「拓也は、僕に早く成仏して欲しいんですか?」
「アンタが成仏したいから身元を調べてくれって頼んできたんだろ!」

 何の為に暑い中、俺は寺や神社を回ったんだと思ってるんだ。
 頭に血が昇って怒鳴り、男を睨み付ける。

「あのー」

 海老原が困惑顔で口を挟んでくる。
 海老原には、男の姿は見えるけれど声は聞こえないのだと思い出し、はっとなる。

「一人で怒鳴ってて気持ち悪かったよな」
「ううん。なんか喧嘩してるなってのは見てて分かったから」

 ハハハと乾いた笑い声をあげた俺に、ブンブンと首を横に振った海老原が、気持ち悪くなんかなかったよ、と言うみたいに笑いかけてくれる。

「宇佐美くんに霊が憑いてるのを見た時はどうしようって思ったけど、そのイケメン幽霊さんはいい人そうだね」
「いい人? 無駄に整った顔に騙されてるんじゃないか?」

 燕尾服をビシッと着こなして品が漂っている男の見た目はソフトで、人当たりが良さそうだ。
 声が聞こえないのならば嫌悪感を抱かないだろうが、会話をしたらいい人だなんて言葉は出てこない。

「幽霊さんと話してる宇佐美くん、凄く生き生きしたいい顔してるよ。心を許した友達と本音で言い合ってるみたいで、ホントに仲良しさんなんだなぁって見ててホッコリしちゃったよ」

 生ゴミの臭いを嗅いだように顔を顰めて吐き捨てるように言った俺に、海老原がとんでもない言葉を返してきた。
 誰と誰が友達で仲良しだって?

「彼は本質を見抜ける目を持っているんですね」

 海老原の言葉に目を見開いた男が、それを糸のように細めて俺の耳元で嬉しそうに囁いてきた。
 本質を見抜ける目って何だよ? 男の本質を見抜いて、男を喜ばせる言葉をつらつら並べる能力か?
 ガンガンしてきた頭を抱える。

「幽霊さんは自分の記憶を取り戻して天国に行きたいんだったよね?」

 飲み終えたイチゴ牛乳の紙パックに息を吹き込みパンパンに膨らませて遊んでいた海老原が、何かを思い出したようにパチンと手を叩くと口を開いた。

「そう……だ」

 そうだった、と言おうとして言い換える。
 当初はそういう話で、俺も男を成仏させる為に夏休み中動き回っていたのに、さっきは成仏したくないみたいなニュアンスのことを言ってきた。
 海老原には男の言葉は聞こえないので、男は成仏したがっていると伝えて協力してもらおう。
 男がどんなに成仏したくないと足掻いても、身元が分かればあの世に連行されるはずだ。

「幽霊さんの格好と丁寧だっていう話し方から考えると、お坊っちゃまか、お金持ちに仕える執事か、どちらかだろうね」

 なるほど、執事みたいだなと思ったことはあったが、金持ちのボンボンだとは考えなかった。
 時折見せる寂しげな瞳は、裕福で満たされている人のものに見えなかったからだ。

「最期に見たドレス姿の女性が天国に行くのを足止めしてるんじゃないかな? 女性は幽霊さんの恋人で、一緒に天国に行こうって約束してたとか」
「ドレスの女は、まだ生きてるってことか?」

 愛する人の為にこの世に留まる、なんてあり得そうな話だ。
 男が昭和初期位に死んだのなら、ドレスの女は今も生きている可能性がある。

「それは分からないな。男は最初の恋をずっと覚えてるけど、女は最後の恋しか覚えてないっていうから、ドレスの女性は最後に恋した相手と天国に旅立っちゃってるかもね」

 そう言ってふっと口許を弛めた海老原は妙に大人びて見えて、俺の知らない遠くの世界の住人のように感じた。


 逆方向に家がある海老原と校門で別れ、太陽の照り返しで皮膚が痛いアスファルトを足早に歩いて家に帰る。
 教室を出る時はあんなに騒いでいた腹の虫は、いつまで経っても食い物にありつけずに不貞寝してしまったようで、一つの皿に乗せられて用意されていた昼食の蟹クリームコロッケだけ摘まんで、サラダとお握りはそのまま冷蔵庫に戻した。
 着替えるからここで待っていろ、と自室のドアの前に男を待たせて制服から部屋着に着替える。

「アンタ、ドレス姿の女が好きだったのか?」

 ドアを開け、男を招き入れながら聞く。

「さあ、過去のことは何も分かりません。彼女が僕の恋人だったのだとしても、今の僕が求めているのは拓也ですから」

 すうっと滑るように部屋に入ってきた男は、俺の頬に手をあてニコッと微笑む。

「ドレスの女が好きすぎてあの世に行けないのかもしれないのに、よくそんなこと言えるな」

 男の手を振り払い、逃げるようにベッドに倒れ込んで枕に顔を埋める。

 この世で、ずっと一緒に過ごすはずが突然離れなければならなくなって。ならばあの世で永久に共に過ごそうと、ドレスの女があの世に旅立つ日を待ち続けていたんだろ?
 そんな一途な思いは記憶を失っても心の奥に残っていて、唯一頼れる存在の俺にドレスの女に抱いていた思いを重ねているだけなんだろ?
 俺自身なんかちっとも見てないくせに、歯が浮く台詞ばかり吐いて寒すぎるんだよ!

「拗ねているんですか? 本当に拓也は可愛いですね」
「ドレスの女の身代わりにされてアンタの睦言聞かされて頭が痛くなったんだよ。昼寝するから話し掛けるな」

 眠気など微塵もないのに無理矢理目を閉じて、夕飯の支度が整ったと呼ぶ母の声がするまでベッドから動かずにいた。


 男と離れられる入浴タイム。
 温めの湯に顎まで浸かりプクプクと泡を吐き出しながら、今後の男の身元調べについて考える。

 ドレスの女とあの世に行くのを待っているのならば、老婆になっているだろうドレスの女を探しだして男を引き渡すか、ドレスの女があの世に行くまで男と共同生活を続けるか。
 ドレスの女が既に別の男とあの世に旅立っているというのは……、考えないでおこう。

 時が訪れればドレスの女が男とあの世に旅立つ為に迎えにくるはずだから、これ以上男の身元調べに時間を割くのはやめようか。
 男なんか存在しないんだと無視することもできるが、命を助けてもらった恩もあるし、離れられないならば男の存在を認めて共同生活するしかない。
 共に暮らすなら嫌な思いはしたくないし、穏やかに楽しく過ごしたい。
 男を楽しませて満足させるのを続けていれば、ドレスの女が迎えに来る前に成仏できるかもしれないしな。

 怒りの原因の男の睦言は、ドレスの女と俺を混同しているんだと我慢して、はいはいと流せるようになればいい。
 その日に感じた男への怒りや憤りは風呂場で流して、楽しい思い出と笑顔だけを残して――。
 多めのシャンプーでアフロ状態になる位に泡を立てて脳内のモヤモヤを洗い流して、男の待つ部屋に戻った。
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