明日のきょうだい

まどぎわ

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明日の兄弟

19 あいの形貌

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 それから3日間、奏は学校を休んで秋の様子を見ていた。
 暖房が効く自分の部屋のベッドに秋を寝かせて、夜の間に隼が連れて行かないようにベッドの横に敷いた布団に自分が眠る。
 しかし、秋の体調は一向に良くならない。

(風邪って、寝てれば治るんじゃないのか……?)

 風邪をひくと食欲がなくなる。
 それは健康体の奏でも知識として知っていた。しかし、3日も何も食べないとなると心配になってくる。
 儚げな秋は一週間くらい何も食べなくても平気そうに見えるが、見た目に反して大量に食べることを奏は知っている。

 そして4日目、とうとう自力でトイレにもいけなくなった秋を抱えて、奏は病院に連れて行った。夜通し止まらない秋の咳で、隣で寝ている奏も酷い寝不足になっている。

 タクシーで到着した病院で2時間以上待たされて、10分の診察の後に秋の入院が決まった。

「入院……?」

「はい。今すぐに」

 ただの風邪だと思っていた奏は、薬だけ貰って帰るつもりだった。
 奏は生まれてから一度も入院をした事がないから、何の準備もしていないし、何が必要なのかもわからない。
 当人の秋は、無理矢理病院に連れて来られていつも以上に無口だった。
 希望的に見れば、喋る元気がないだけなのかもしれない。自力で体を支えられず、奏の膝の上に座って肩に額を付けて動かない。いつも自分から奏に触れようとしない秋にしては珍しい状態だから、本当に限界が近いようだ。

「お兄さんも中学生?保護者の方は?」

「保護者、は……」

 看護師に問われて、奏は返事に窮した。後でまた来るとでも言い訳をして誤魔化そうとしたが、看護師も医者も秋の入院の準備を進めながら返事を待っている。

(親は、頼れないよな……)

 母親は、きっと良い母親の役目を果たそうと秋を心配しているような顔で駆け付けて来るだろう。
 しかし、奏は母親の本心を知ってしまった。今の状態の秋を、あの母親を近付けるのは危ない。

(中学生じゃ無理か……でも、このまま帰っても良くならないし……)

 奏は財布から名刺を1枚出して看護師に差し出した。
 緊急事態用に持たされた、数年はまともに会っていない父親の名刺だ。

「ここに電話してください。秘書の人が出るけど、俺の名前を言えば本人に繋がりますから」

 名刺に書かれている、日本で知らない人がいないくらい有名な肩書を見て医者も黙る。こういう時に珍しい苗字は便利だった。


 *****


 2、3日も入院していれば、秋は体を起こせる程度には回復していた。
 奏は毎日学校の行き帰りに秋の様子を確かめていたが、日を追うごとに秋が元気になってその分退屈そうにしている。
 風邪以外にも隼に殴られた怪我がある。秋の体中の痣について病院から追求されないか奏は期待と心配を半々に待っていたが、それはこの病院の仕事ではないようで何も聞かれなかった。

(秋が暇そうだし、しょうがないから、ゲームを買ってやるか)

 奏は秋のためだと考えて、学校帰りにそのまま家電量販店に寄った。父親名義のカードで、受験生の奏はずっと我慢していたゲーム機本体とソフトを購入する。

(俺は教えてやるだけで、これも秋のため)

 奏が重い紙袋を振りながら病院に向かうと、ちょうど駐車場から出て来た黒い車とすれ違う。
 後部座席に男性の影が見えて、奏はその車のナンバーを確かめた。

「……あの車」

 父親の車だと、奏はすぐに気付いた。お抱えの運転手付きの車で、乗っていたのも父親だ。
 こんな病院に何の用だと一瞬不思議に思ったが、奏は秋が入院する時に父親の名刺を見せた。病院から電話をして、秋が入院していることも伝えたはずだ。息子が入院している病院に父親が見舞いに来る。奏には縁が無くても恐らく、一般的なことだ。
 奏は車を見送ってから、秋の病室に向かった。父親の名前を出せば、ただの中学生の飛び込み入院でも立派な個室が準備される。入院は絶対に嫌だと奏にしがみ付いて拒否していた秋だったが、奏の部屋よりも快適な個室に入れられて大人しく療養していた。

「秋」

 奏が呼びかけても、秋はベッドの上で寝っている。この様子だと、父親が来た時も眠り続けていたのだろう。顔を合わせたり話をしたわけではなさそうだ。
 病室には、奏が朝来た時にはなかった荷物が増えていた。黒い大きなボストンバッグがソファーの上に置かれて、値段が付いたままのコートが壁に掛けられている。
 バッグを開けると、未開封の下着と新品のパジャマが数枚出てきた。値段が安くて、同じ物が大量に店に並んでいることが特長の量販店で買った物だ。
 コートも一万円もしない安物で、母親は絶対に買わないし、奏もみっともないから買うなと言われている。

(でも、秋は服持ってないからなぁ……)

 バッグには服の他にタオルや歯ブラシといった消耗品が入っていて、その奥に真新しい書店のビニール袋があった。

(もしかして、息子が読みそうな雑誌でも考えて買ってきたのかな……)

 奏は好奇心から袋をひっくり返した。どうせ適当な漫画雑誌だろうと予想していたのに、出てきたのはイラストも写真もない分厚いだけの大学受験用の数学問題集だった。
 中学生の奏には全然理解出来ない。でも、秋なら好んで読むんだろうなと奏はすぐにわかった。

「……何で」

 奏は父親の車のナンバーや会社の売上高は覚えていても、父親の顔はぼんやりとしか思い出せない。奏が生まれてからずっと、奏の父親だというのに。
 父親は奏が好きなテレビ番組も知らないし、奏の成績も知らない。
 何が得意なのか、何が好きなのか、教えたこともない。

「何だよ、それ……」

 奏が問題集を握り締めると、袋がぐしゃりと音を立てる。音と気配に気付いて、目を覚ました秋がベッドの上でもそもそと起き上がった。
 黙ったまま立っている奏を見て、眠そうに首を傾げる。

「ううん。何でもない」

 奏は書店のビニール袋を背中に隠して、代わりに紙袋を秋に差し出した。

「秋、ゲーム買って来た!」

「……」

 病室の薄暗い空気を吹き飛ばすくらい元気な声で言ったのに、秋は全く興味が無さそうな顔で点滴の管を邪魔そうに引っ張っている。

「俺が教えてやるから、一緒にやろう!」

 ビニール袋をドアの影に隠して、奏は秋の前にゲームを広げた。
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