爽やかな出逢いの連鎖

稲葉真乎人

文字の大きさ
上 下
33 / 40

挨拶訪問

しおりを挟む
「いやいや、参ったね、沙紀さん、良一のついでに、わしもよろしく頼みますよ・・・、それにしても、あんたは賢い、職人は、多く語ることはいらんのだ、できた物が全てなのだ、そのひとの想いが分かる、それを知っているのが偉い・・・」
「いいえ、それは良一さんから・・・」
「そうか、それじゃあ、良一も褒めてやろう、でも、形にしたのは沙紀さん、あんただ、嫁に来てくれるのですか?」
智子が驚いて言った。
「お父さん、何を言ってらっしゃるの?、お見えになったばかりなのに、それでは良一が困るでしょ?」
「そうだったな、それじゃあ、内弟子にと言い換えるか、どうだね?」
四人が嬉しそうに笑う、緊張を取り払うのに時間はかからなかった。
良一が優しい顔で沙紀を見る。
「だから、心配はないって言っただろ?」
「はい、良かった・・・。小母様も、よろしくお願いします」
「はい、こちらこそ、良一共々、よろしくお願いしますね」
「智子、頂いてごらんよ、洋菓子とは言えないな、不思議な和菓子だ・・・。なかなか良く考えたね、もし、誤って裏返しで出されると一口カステラに間違えるね・・・」
「本当は、とても心配でした、今ホッとしています・・・。良かった、良一さんありがとう」
「うん、僕は信じていたけど、お菓子を本当に作ってくるとは思わなかったよ。和菓子職人にパンじゃないところが賢いな、偉いよ」
和やかな初対面を済まし、ふたりは京都御苑に散歩に出かけた。
夏休みに入った子供たちが、梅林の水場で遊んでいる。
木陰のベンチで涼んでいる若い母親たちがいた。
沙紀には、目に映るものが、みんな幸せに繋がって行く。
指を絡ませて繋いだ良一の長い指が、柔らかく沙紀の指を挟むように握っていた。
木々の間や砂利敷きの広い道を横切り、御苑の中の、緑の陰を選んで歩く。
話す言葉は少なくても、沙紀は、ただ幸せだった。
無事に両親に挨拶を終え、重苦しかった日々が終わる。
母親、久美子の前に現れた紳策の存在が沙紀を解放した。
百合子や留美を通して、力づけられたこともある。
良一の両親に会い、ふたりの優しい心遣いに気持が安らぎ、独りぼっちではないことが実感できた。
良一の顔を見上げると、良一も沙紀を見ている、こころの底から嬉しさが込み上げてきた。
日が陰りはじめ、ふたりは御苑の西南にある、地下鉄丸太町駅に向う。
良一は、改札で沙紀を見送って、ほっとした気分に浸る、ふと、思い立ってコーヒーを買いに寄る。

何となく、夕餉の食卓が賑やかだった。母の智子が品数を増やし、珍しくビアグラスが智子の前にも置いてある。
美雪は、まだ帰宅していない、樫原家の夕食は何時も早い時刻に始まる。
父の新蔵が、とりあえず乾杯だと言って、智子と良一にビールを勧める。
良一と沙紀が出かけた後、新蔵と智子は、沙紀のことを話し合った。
智子は一目見て気に入っていた、勿論、新蔵もそうだった。
良一は、両親が気に入ってくれたことが嬉しくて仕方ない。
暫く黙って食事をしていた。ことばを口に出さなくても、三人の表情は綻び、黙ってビールを注いだり注がれたりしていた。
良一が口を開いた。
「お父さん、沙紀さんのお菓子は本当に評価できるものだったの?、気を遣ったんじゃないよね・・・」
新蔵はビールを飲み干してから言った。
「良一、それは違うな、菓子としての完成度はどうとも言えん・・・、もっと改良できるかもしれんし、あそこが限界かもしれん・・・、ただな、あの娘の気遣いというか、想いだ、気付いたか?、先ず小豆の漉し餡は甘くして、粗く潰した空豆は、いい塩梅の塩味が感じられた、口に入れると、混ざって分かり難くかったが、丁度、餡の甘さを生かすように工夫していた・・・」
「そう言えば、そうかな?」
「そうだ、普通に食べるひとにはそれでいい・・・、わしが感心したのは、餡に混ぜる緑色だ、えんどう豆や着色剤を選ばないで、皮を剥いた空豆をそのまま使って淡い緑を、固形の粒で残していたことだ、似た和菓子があるだろ?」
「うん、栗羊羹の、栗の粒が空豆みたいな感じ・・・」
「そうだ、漉し餡と馴染ますのなら、えんどう豆でもいいが、皮をどうするかだ、技術はあるだろう、しかし和菓子のプロではない、皮の存在感はなくしたいが、柔らかすぎると粒感が消える、甘納豆のようにする手もあるが、沙紀さんは自分なりに考えたんだ、そこが偉いと思う・・・、経験のある職人なら、色々と手は持っているものだが、沙紀さんは若い・・・。わし達に自分の心を分かって貰おうと、一生懸命だったと思うな・・・。お前と一緒に居たいからだ。感心したのは本当だよ」
智子が言った。
「お父さんは、あなた達兄妹に、無理をして継がせたくないから、お弟子さんを採らなかったのに、偉く沙紀さんを気に入ったみたいよ・・・」
「あれは、本心だったの?」
「ああ、誰かが引き継いでくれれば、それはそれで嬉しいものだからな、暖簾とか菓子その物とか言う意味ではないぞ、技術というか、わしなりに身に付けたコツというか、それと心意気かな・・・、そんなものだな・・・」
「分からないでもないな、僕だって、なるべく自分独自の考え方と手法を生かして、作品を残したいと思う気持があるから・・・」
「良一、いい娘さんだ、大切にしろよ・・・。それと、あのときにも言ったが、この家はどうしようと構わんぞ・・・。わし達は雨露が凌げればいいからな・・・」
「うん、考えるよ、今日はありがとう・・・。沙紀さん、言ってたよ、物心付いた頃には、お父さんはほとんど出張だったって・・・、だから、家族で何処かに出かけたり、一緒に食事したりした経験があまりないって・・・。ちょっと、孝ちゃんとも似てると思った・・・」
「そうなの・・・、色々あるのね、孝司くんも、此処でみんなで食事していた時に、突然、涙ぐんだことがあったわね。留美さんの家は家族揃ってのことが多いって美雪は言っていたわ、遊びに行っても家族全員で食事をご馳走になるって、孝司くんも今度はその中に居られる訳ね、良かったじゃないの・・・。美雪も、いいひとを見つけてくれるといいわね」
「でも、留美さんの家も最近はあまり話しをしないって・・・、みんな時間がまちまちで、留美さんは紀夫さんと立花さんのことを知らなかったんだから・・・。まあ、美雪は結構慎重だから、お固いのを選んで来るよ、心配ないよ」
「家のお父さんは、他所さんと違って娘を自分の手元に置きたいなんて言うひとじゃないから、お母さんは偉いと思っているわ」
「お母さん、その時がきたら、きっと号泣するよ、な、お父さん・・・」
「いや、泣かんぞ、踏ん張ってもなあ・・・」
和やかで、ゆっくりした夕食が済み、寛いでいる処に美雪が帰って来る。
居間を覗くなり言った。
「どうだった?、お父さんお母さん、感想は?」
「最悪だよ、美雪、お兄ちゃんのために、何とかしてくれ?」
智子が言った。
「良一、冗談を言うんじゃないのよ」
「もう・・・、お兄ちゃんは・・・。心配していたのに・・・」
「悪い、悪い、気に入って貰った、沙紀さんも喜んでいたよ、ありがとう」
「良かった、あとで電話してみよう、わたしのお義姉さんになる第一歩を踏み出した訳だもんね・・・」
「わたしも、ビール飲んでいい?」
「わしも付き合おう・・・」
「お父さんは、もういいですよ」
縁側の風鈴が小さく鳴った。今夜は、いい夢を見られる、と新蔵が言った。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

異世界で新生活〜スローライフ?は精霊と本当は優しいエルフと共に〜

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:17,234pt お気に入り:511

異世界転移!?~俺だけかと思ったら廃村寸前の俺の田舎の村ごとだったやつ

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:33,499pt お気に入り:2,209

おバカな婚約者に説教していたらほとんど終わっていた件

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:71

【完結】無能烙印の赤毛令嬢は、変わり者男爵に溺愛される☆

恋愛 / 完結 24h.ポイント:213pt お気に入り:255

処理中です...