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逃げたら良いと思います。
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気がつくと、知らない部屋で眠っていた。
でも、装飾や調度品からは、見慣れたような安心感を受ける。
「――――おはよう」
「ベルン様……」
馬車の中で、ベルン公爵に抱き着いた後の記憶があいまいだ。
安心してしまったせいだろうか……。
「ここは」
「執務室の奥の……俺の部屋」
たしかに、最近模様替えをして、毎日ベルン公爵が好きだという花も飾り華やかになってきた執務室に比べて、こちらの部屋は家族の絵が一枚だけ飾られている以外は殺風景だ。
「――――ここが、ベルン様の部屋ですか……」
「そう、俺がずっと過ごしていた部屋だよ」
「――――ベルン様、私のこと入れてよかったのですか」
「セリーヌが入ってはいけない場所なんて、この屋敷には一つもないから」
柔らかい感触で、ベルン公爵が私を抱きしめてくる。
その体から、不安や悲しみが伝わってくる気がして、私は思わず強く抱きしめ返す。
「あまり……無茶するな」
「え?」
なぜか、ベルン公爵の体から震えが伝わって来て、私を動揺させる。私には、無茶をしたなんて自覚がないのに、何か勘違いさせる要素があっただろうか。
確かに、馬車に乗ってベルン公爵に抱き着いた瞬間から、全身の力が抜けてしまった。緊張が強かったせいだと思ったのに……。
「――――無意識なのか。……確かに俺にかかった呪いも、意識せずに解いているみたいだからな」
「なにかあったのですか?」
「あの瞬間、王太子殿下の婚約者から強大な魅了の魔法が発せられた。……セリーヌが周囲の人間から、魅了の魔法を解いたんだ。たぶんそれで、体内の魔力がなくなってしまったんだろうな……」
「――――え? そんなことが起こっていたんですか。いや、むしろ他の誰かが助けてくれた可能性の方が」
その瞬間、ベルン公爵が何とも言えない顔をした気がした。相変わらず良く表情が見えないけれど、最近のベルン公爵は、とてもわかりやすい。
「それで……ここに運んできてくれたんですね」
再び、ベルン公爵に強く抱きしめられた。
「あの時みたいに、なるかと思った」
「え……?」
あの時って? でも、流石に私でもわかる。わかってしまう。
ベルン公爵が、あの時というなんて場面は、きっと一つしかないのだから。
私は出来る限り慎重に言葉を選ぼうとした。
でも、たぶんどんな言葉で聞いても、心の傷は痛むのだ、きっと。それなら。
「……誰の姿と重ねたんですか?」
その瞬間、確かにベルン公爵は目を見開いた。そして、ゆるゆるとその瞳が伏せられる。たぶん、辛い過去を思い出して。
本当は、何も思い出したりしないで、ただ私と一緒に笑っていて欲しい。でも、それではダメだと、部屋に飾られた家族の肖像画が私に訴えてくる。
だって、一人でこの部屋にこもっている間も、ベルン公爵はこの絵を外すなんて出来なかったのだから。
悲しみが大きいのは、それだけ大切な思い出がそこにあるからなのだから。
長い沈黙の間、私たちはただ、お互いの体温を確かめ合うみたいに抱き合っていた。
どれくらいそうしていただろう。
「姉だ……。呪いから俺の命を救った」
その言葉からは、悲しみでも感謝でもなく、なぜか憎しみのような呪いのような負の感情が感じられる。
「そして、ずっと憎んできた。こんな場所に俺を一人で残した、最愛の家族を」
「――――お姉様は、ベルン様のこと大切にしていたのですね」
「ああ……」
「まだ、憎んでいますか?」
俯いたまま緩々とベルン公爵は、否定をその動きで表す。泣くことすらできなくても、前に進んだから見えてくるものがある。
「姉の気持ち……今なら分かる。俺だって、もし同じ場面になったら」
「……ダメですよ」
「セリーヌ」
「残された側の気持ち、誰よりも知っているんでしょう? また、残された人間に呪わせたいですか」
その瞬間、顔を上げたベルン公爵は、信じられないものを見たかのように私を見つめた。
「セリーヌが……誰かを呪う?」
「私が、とは言ってませんが」
「……想像できないな」
――――ベルン公爵は、私のことを聖人か何かだと思っているのだろうか。
あいにく私の設定は、悪役令嬢だ。呪いとはお友達の存在だ。
でも、きっとベルン公爵が誰よりも許せなかったのは、その時何もできなかった自分自身なのだろう。
「たぶん、私も呪ってしまいそうです。……自分を」
「――――っ。じゃあ、同じ場面が来たら」
「全力で逃げましょう?」
私は、震えの止まったベルン公爵の体を、全力で抱きしめながら、願い事を口にした。
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