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第2章
sideレナルド 1
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中継ぎ聖女の守護騎士。
それは、どちらかというと、誰もが避けたい役割だ。
騎士として生きていくのなら、聖女とともに魔獣と戦い命を散らすことを、望むものが多いだろう。
だが、平和な時代であれば、聖女は、空っぽの偶像でしかない。
俺も、あの瞬間まで、そう思っていた。
むしろ、この役割を、誰かほかの貴族に押し付けようとすら考えていた。
――――まるで、たった一人、荒野に投げ出された幼子みたいだ。
それが、聖女を見た時の第一印象だった。
その姿は、どこか過去の自分と重なるような気がした。
床に座りこみ、誰にも手を差し伸べられることもなく、不安げに瞳を揺らしている。
聖女の名を冠するには、あまりにも頼りない普通の少女が、そこにいた。
庇護欲というのだろうか。
それとも、この気持ちは、すでにその時に芽生えていたのだろうか。
それが、リサと俺の出会いだった。
初めは、ただの同情だったのかもしれない。
でも、リサのことが気になって仕方がない。
出会った日から、彼女のことを考えない日などない。それは事実だった。
「レナルド・ディストリア卿。ディストリア家が、今回の担当だったな? まあ、中継ぎではあっても、聖女は聖女。不本意やもしれないが、守護騎士の役目を全うするように」
断ろうと思っていたのに、彼女に興味を持ってしまった俺は、もう、決めていた。彼女の守護騎士になると。
「は……。陛下のお言葉の通りに」
周囲のざわめきが、静かになっていく。
まさか俺が、守護騎士を受け入れるとは、誰も思っていなかったらしい。
俺自身がそうなのだから……。
平凡な娘だ、という言葉を残して、国王陛下が退室していく。
そこで初めて、俺は聖女に歩み寄る。
手を差し伸べれば、しばらくの間、茫然と俺の顔を見つめた後、泣きそうな顔で少しだけ笑い、彼女は俺の手を取った。
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侍女との会話から、異世界から現れた聖女が、リサという名前と知った時、名前で呼びたいと思った。
それにも関わらず、小さな花のように可憐な響きの、その名前を口にしようとして、できないことに愕然とする。
騎士としての精神力も、持っている魔法も、大抵の呪術、魔法に抵抗できると自負している。
――――聖女の名前を呼ぶことができないなんて、ただの言い伝えや儀式の類で呼んではいけないだけだと思っていたのに。
どんなにその名を口にしようとしても、リサという単語が出ない。
おそらく彼女のことは、聖女様としか呼ぶことができないのだろう。
「――――聖女様。そのお名前は、神聖なもの。ご本人であっても、簡単に口にしてはいけません」
たしか、この侍女は、男爵家の令嬢だったな……。
彼女が、せめて心穏やかに暮らすためにも、侍女は替えたほうがほうがいいだろう。
侯爵家にも、穏やかな性格のリサと年が近い侍女がいたはずだ。
退室していく侍女を横目で見ながら、俺は一つの決意をしていた。
「あの……」
「私はレナルド・ディストリアと申します。聖女様の守護騎士を拝命いたしました」
その瞬間、彼女の黒曜石のような、それでいて水晶のように澄んだ瞳が、悲し気に伏せられた。
「――――あなたも、私のことを名前で呼んではいけないの?」
「もちろんです。聖女様」
そうとしか答えようがない。
呼ぼうとする者がいないのと、呼ぶことができないのでは、次元が違う。
いたずらに不安がらせるわけにもいかない。
だから、俺にできることは一つしかない。
後から考えても、初対面の人間に、人生で一度きりの忠誠を捧げるなんて、おかしいとしか言えない。
それでも、心の奥底に芽生えてしまった感情に、突き動かされるように、その言葉を告げていた。
「そうですね、では、守護騎士の誓いを……。一度だけ、その神聖な言葉を口にすることをお許しください。守護騎士として授かった栄誉、この剣に誓い、リサ様をお守りいたします」
守護騎士の誓いだけは、その名を呼ぶことが正式に許されていると、聖女に関する文献には書いてあった。
多分意味が分からないのだろう、その可愛らしい瞳を瞬いて、リサが俺を見つめる。
「赦しますと、ただ一言」
そうすれば、守護騎士は俺一人。
どうしても、リサに受け入れてもらいたかった。
「あの。ゆるします?」
その瞬間、俺たち二人の足元から桃色の光があふれ出した。
――――聖女の初めてには、大きな意味がある。
桃色の光は、俺の剣に吸い込まれていった。
文献に書かれていた。ある聖女が、初めて使った魔法で、守護騎士の剣は聖剣になったのだと。
守護騎士になった瞬間、リサを守りたいという気持ちは、より強くなる。
これは、守護騎士の誓いによるものなのかもしれない。
それでは、もう一つ、心の奥底に生まれてしまった、ドロドロとして熱い、小さなマグマのようなものは、何なのだろうか。その問いに答えが出るのは、あの日。もう一度、彼女からの初めてを受け取った日に、俺はその気持ちの蓋を開けてしまうのだ。
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後日、リサは本当に申し訳なさそうに、俺に声をかけてきた。
「あの、守護騎士様……」
「レナルドと呼んでもらえませんか?」
「――――レナルド様、あの、守護騎士の誓いは、お互い生涯にただ一人としか結べないって……。あの、後悔していませんか」
「後悔していませんよ? それに、聖女様のはじめての魔法を頂いてしまって、逆に申し訳なかったかもしれませんね」
そう、たしかに、後悔なんてするはずもない。
もし聖女の魔法で愛剣に加護が受けられると知られれば、それだけで多くの騎士が守護騎士になりたいと願い出るだろう。
だが、そんな理由で、守護騎士になったわけではない。
勘違いされないように、俺の剣が聖剣になった件については、あえて伏せた。
ただ、守りたくなった。その言葉のほうが、よっぽど理由としてしっくりとくる。
侯爵家から連れてきたリーフという名の侍女には、誠心誠意仕えるように命令した。
だが、いつのまにかリーフは、リサに夢中になってしまったようだ。
真の主はリサだとばかりに、リサの置かれた状況を逐一俺に伝え、改善を願ってくる。
「聖女様は、お肉を食べてはいけないって、王宮では粗末な野菜料理しか出ないんです!」
彼女は、今日もリサの置かれた状況に、憤慨していた。
「そうか……。守護騎士として王宮にいることも多い、俺に卵料理の入った食事を届けるよう、執事に伝えておくように。ああ、最近空腹になることが多い。卵料理は多めに、毎回種類を変えてくれ」
「かしこまりました」
リーフは若くても、侯爵家で厳しい侍女としての教育を受けている。そんな淑女の見本のような彼女が、うれしそうに小走りに去っていった。どれだけ、リサが好きなのだろう。
男爵家令嬢のリーフは、珍しいことに貴族であっても、異世界から来たという聖女を低く見ることはない。彼女に言われるがまま、俺はリサのドレスやアクセサリーを揃えていった。
「淡い水色やラベンダーが多くありませんか?」
一度だけ、半眼になったリーフに、呆れられたが、言われるまでその事に気が付かなかった自分に、驚いた。そして、食事の準備が整う。
「――――食べている姿を見ていて、おなか空きませんか?」
まさか王宮で、守護騎士と聖女が一緒の食卓で食事をするわけにもいくまい。
「ふ。空きませんよ。鍛えていますから」
リサは、いつも食事を少し急いで食べる。
それでも、元の世界で教育を受けていたのだろう。その所作は美しい。
「よろしければ、こちらもお召し上がりください。俺のと同じで申し訳ないのですが」
「え? あ、卵料理……。あの、お気遣いいただきありがとうございます」
「――――好きなんです。卵料理」
そう言ったせいなのか、リサは遠征先では俺の分まで、卵料理を作ってくれるようになったのだった。
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