エリュシオンでささやいて

奏多

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第7章 Staying Voice

 5.

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「キャベツがコンビニの千切りキャベツで、パンがコンビニのベーグルで悪いけれど……」

 須王の料理をハラハラして見守っていたはずが、テーブルの上に置かれた料理に唖然としている。

 ほかほかと湯気をたてている、ジャガイモとベーコン。粗挽きこしょうとパセリが振りかけられている。

 お皿に添えられたのは、しんなりとしているキャベツ。

「即席で悪いが、これはまあ、簡単なジャーマンポテトだ。で、そのキャベツがザワークラウト(塩漬けキャベツ)の代わり」

「………」

「あ、見た目で、もう駄目か?」

 彼は苦笑する。

「そうじゃなくて。なんでそのカタカナの名前の料理が、ぽんと作れるのかなって。凄く手際よかったし。料理したことあるんじゃない」

「ああ。ドイツにいた時に、ただ飯も食えねぇからちょっと厨房の手伝いをしたんだ。まあさせられたというのが正しいけど」

 なんと! 王様自ら調理をしたと!?

「そんなんで、その時に作った賄い程度の簡単なドイツ料理なら作れる。ただ日本に帰ってきて一切作っていなかったから、味に自信はねぇけど」

「棗くんは?」

「あいつは、料理好きなんだ。ここに泊まる時は、マイ鍋セットを持参してくるほど。だから好き勝手にやらせている」

「そ、そう……」

 女子力が高い棗くんは、まるで須王公認の嫁だ。

 棗くん、あたしと女帝が作った料理を美味しいと言って食べてくれるけれど、須王がこの家で棗くんの調理を止めないということは、棗くんの料理はとても美味しいんじゃ?

 むむ。

 ちょっと棗くんに対抗心。
 須王との付き合いの年月は全く敵わないけれど、男の娘に負けるわけにはいかない。これだったら亜貴に会わせる顔がないじゃないか。
   
「お前さ、百面相してねぇで、食えよ。冷めるだろう?」

 須王がテーブルに肘をついて顔を乗せながら、極上の微笑みであたしを促す。

 心臓に悪いこの甘々な彼を意識しながら、本場仕込みだというジャーマンポテトを、口に入れてみる。

 もぐもぐもぐ。

 モグモグ、ただいまお食事中。

「どうだ?」

 痺れを切らしたように、須王が訊いてくる。

「美味しい!! 滅茶苦茶美味しい!!」

「口に合うか?」

「合いすぎ! とっても美味しすぎて、ほっぺた落ちちゃう!」

 あたしの顔がぱあっと明るくなると、早瀬は喜んで、自分の口にも優雅にフォークを運んだ。

 次に付け野菜のキャベツを食べてみる。

「ん~!! これも美味しいね。なに、この絶妙な味は! このキャベツ、どうしたらこんな味になるの!?」

 甘みと苦みと酸味が同在しているキャベツも、凄く美味しい。

「即席で作ったから、家にあったキャラウェイシードと、コンビニにあった安いビネガーで酸味を出している。本場はもっと酸っぱい」

「キャ、キャラ?」

「キャラウェイシード」

 初めて聞く名前だった。

「カレーとか、カクテルのカンパリ、あるだろ? あの中にも入っている、消化を促進させるハーブだ。キャラウェイは和名が姫茴香(ひめういきょう)といい、その種子がキャラウェイシードだ。クミンによく似ている」

 クミンとは、カレー粉の原料と言われているもの。
 残念ながら、あたしはその現物を見たことが無かった。

 どれだけハーブら調味料に、興味がなかったんだろう。

 あたしが作れば、ただのサラダや炒めものばかりになってしまう千切りキャベツを、美味しく食べれる別の方法があるのなら、あたしもハーブを勉強してみてもいい。
  
「恥ずかしながらあたし、まったく調味料については無頓着で、ハーブなんてハーブティーでよく聞く名前しかピントこないかも。まあ、タイムとかオレガノとか、ローリエは知っているし、肉の臭みを取るのに使ったことはあるけど」

「俺もそこまで詳しくねぇぞ? ドイツの屋敷の庭にハーブが沢山あって、どれが何という名前のものか、ちんぷんかんぷんだった」

 須王は笑いながらベーグルを手で千切って、言う。

「キャラウェイシードには、別の効能もあって」

「うん?」

 キャベツをを口に入れながら、彼を見る。

「愛するひとを繋ぎ止める、媚薬とも言われてる」

 彼はベーグルを口に入れながら、その目だけは情事を思わせるほどの艶っぽい流し目を寄越した。

「だから俺、お前に嫌いと言われたら、キャラウェイシードをお前に食わせるから。覚悟して」

「な……っ」

 つらりと真顔で言ってくる須王に口籠もっていると、彼は揶揄めいた眼差しで笑った。

「媚薬効果で俺が欲しくなったら、いつでも俺が抱いてやるから。素直におねだりしろよ? ピアノの上でのように」

 その目が次第と妖艶になって。

「ぶほっ! ゴホッ、ゴホッ」

 思わず咽せてしまうと、須王が大きな手のひらであたしの背中を撫でてくれる。

 この男、心臓に悪い。
 どうしてさらっと、とんでもないことを思い出させるのよ!

「あ……、飲み物忘れてたな。ちょっと待ってろ」

 動揺しているのはあたしだけじゃない!

 咳が一段落した時、須王は慌ててキッチンの方に行き、冷蔵庫から例の……甘ったるい匂いがしていた赤い液体を出してくる。

 そして棚をいくつか開け、小さな泡立て器のようなものを取り出すと、しゃかしゃかと混ぜ始めた。

 泡立て器があるというのも不思議だが、須王のことだ。またセットで買ったのかもしれない。使わないから、棚に入れているんだな、きっと。

 だけど、得体の知れないものを泡立てるってなに?
    
 そんなあたしの不安をよそに、須王が実に満足げだ。

「よし、できた」

 なに?
 一体なにを持ってくるつもりなの!?

 彼はそれをスープ皿に入れて持ってきた。

 泡立てられた表面は、うっすらと色づき始めたような淡いピンク色の泡がもこもことあり、真ん中に親指の腹くらいの大きさの、赤く丸いものが数個、泡に埋もれているようだ。

 とても綺麗で、毒々しさが薄まっていた。

「それはなに?」

「ハンガリーあたりで飲まれるフルーツスープ。お前、甘いの好きだろう? ……ベリーがなくて悪いが、サワーチェリー(酸味の強いチェリー)しか置いてなかった。泡立てるのは、恐らく個人の好みだろうな。俺はこっちの方が好きなんだ。色的に」

「え、フルーツスープって、この甘い匂いがしているのはスープなの?」

「ああ。本場ではメインの前に飲むらしい」

 メインの前の甘いスープ!?

「飲んでみろ」

 促されるまま、好奇心と不安さを半々に織り交ぜて、恐る恐るスプーンでひと口。

 泡の下は本当にピンク色の、冷たく甘酸っぱい液体だった。
 ジュースのようだが、そこまで軽さはない。

「美味しい!! これ、スープというよりデザートだよ!! え、このとろみはなに? 味もシロップじゃないよね?」

「サワークリームと生クリームや小麦粉が入って煮詰めている。ベリー好きなら、こういうの、好きかなと思って」

「好き、好き!」

 あたしは感激に目をうるうるさせて、興奮気味に言った。

「あぁん、もう! どうしてこんなにあたしのドストライクにくるんだろう。めっちゃ大好……んんっ!?」

 喜ぶあたしの口が、突如彼の唇で塞がれた。

「俺以外を、気軽に好き好き言うな」

 むっとして、スープを飲んでいるようだ。
 あたしは釈然としない。
  

「え、でも須王が作ってくれたのが美味しくて、好きだから……」

「……好きと言うのは、俺だけにしろ!」

 ……拗ねている。

「え、まさか……あなたの手料理にヤキモチ?」

「………」

「……まさかね。二十六にもなって、そんな大人げのない……」

「悪かったな!」

「……ぷぷ」

「………」

「ぷぷぷ。ぶはははははは!」

「むかつく。もう食うな、飲むな!!」

「駄目駄目、堪能する!」

「そっちばっかり堪能するな」

「そっちばっかりって、堪能するのはこっちでしょう?」

「ああ、くそ……なんかむかつく!」

 どうしても笑いがとまらないあたしのスープを須王が取り上げたため、その先は本気の争奪戦が始まった。

 ……あたしの力が敵うはずもなく。

「あたし、チェリー食べたい!」

「………」

「須王! あなたが作ってくれたんでしょう!?」

「うるせ」

 そして須王は、自分の口の中にチェリーを入れて、あたしにくれない。

「大人げないよ、須……」

 あたしの後頭部に手を宛て、須王があたしの唇を奪う。

 甘酸っぱいチェリーの匂いと、須王の匂い。
 頭がくらくらしていると、須王の舌が彼の口の中にあるチェリーを、あたしの舌に運んできた。

「んぅ……」

 取ろうと舌を伸ばすが、意地悪な彼の舌は器用にチェリーを奪いとり、彼との舌ばかりが絡み合い擦れて、息が上がっていく。

 彼の口の中に戻ったチェリーが、彼の唾液ごと、あたしの口に押し込まれる。須王の唾液は甘美な蜜のような錯覚を起こすあたしは、チェリーを求めているのか、彼の舌を求めているのか、よくわからなくなった。
  

 ただチェリーが行ったり来たりする中で、それを無視して故意的に絡み合い吸いついてくる彼の舌が欲しくて、口端から唾液が垂れていることにも気づかず、官能的なキスに夢中になる。

 彼が数度噛んだチェリーがあたしの口の中に入り、あたしも少し噛めば、漏れた甘酸っぱい汁が、繋がる口と舌に侵蝕して。

 いやらしく舌で奪われるあたしのチェリーは、もう原型を止めていないのに、チェリーを言い訳にして、彼の舌に吸い付くあたしに、彼の大きな手があたしの頭を優しく撫でた。

 彼はあたしからすると、こうやって頭を撫でることが多いなと思いながらも、あんなに睦み合ったのに蕩ける身体を彼に擦りつけて、無我夢中に彼の舌を追いかけるあたしは、浅ましい女なのかも知れない。

 クチャクチャとチェリーが噛まれていくに従い、あたしは彼に咀嚼されているような妙な気分となる。

 そしてあたしも彼を咀嚼して嚥下している――カルバニズム(人肉嗜食)は、愛の究極の形なのかもしれないと、ふと思った。

 禁断の門は募る愛に開かれ、それを犯罪者だと一括りにするのは、あまりにも切ない……そんな倒錯的な感傷に浸るあたしは、唇が離されていく様をぼんやりと眺めた。

「……くそっ。その顔、絶対俺以外に見せるなよ」

 一度離れた唇は、噛みつくようにしてまた重なって。
 
「柚、好きだ……」

 彼の言葉に悶えるあたしは、彼をぎゅっと抱きしめて、激情のようなキスに陶酔したのだった。

 ……幸せだと思えばほどに感じる、この胸騒ぎはなんなのだろう。
 急いたように相手を求めるのは、須王も同じ。

 あたしは須王の傍にいる。
 そう思っているのに、なんで不安になるのだろう。

 この幸せのツケが回ってくるような。
 あたしと彼は、結ばれてはいけない……そんな運命かのように。

 刹那的な激情に流されながら、それでもあたしはこの温もりを失いたくないと、幸せの時間を持続させようと、彼の手をぎゅっと掴む。
  
 ♪♪♪~

 突如電子音が鳴ったのは、須王の家に据え置かれてある、電話かららしい。

 須王は最初無視してキスをしていたが、長くなる電話に、あたしが及び腰になったのを感じてか、ふてくされたようにして電話に出た。

 渉さんの電話は出ないのに、誰からかわからない宅電はいいらしい。

 数度会話して、こちらに戻ってきた時には、彼の表情は平静さを取り戻し、あたしの手を引いて言った。

「プールと露天風呂、予約の時間だ」

「え……。あたし泳げないし、水着も……」

「水着はレンタルを頼んでいる。プールも泳がなくていいから、風景を楽しめよ。一面窓、東京の景色を見れるから」

 想像したら、気分が高揚する。

「超高級ホテル並に、贅沢だね!」

「ああ。俺には、お前が隣にいることだけで、贅沢なんだけどな」

「……っ」

 いやだから、あなたこそ不意打ちをやめてよ。
 眩しいものを見ているように、距離を作った眼差しをやめて欲しい。

「俺達の貸し切りだ。お前の水着姿、すげぇ楽しみ」

 無邪気な笑みが、高校時代の須王とだぶる。

「き、期待されても……」

「別に俺、お前の裸、隅から隅……奥の奥まで見てるけどよ」

「ちょ!」

 奥の奥って、どこを覗いているのよ!

「……だからこそ、期待してる」

 須王は、あたしの頭をポンポンと軽く叩いて綺麗な笑みを浮かべた。

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