エリュシオンでささやいて

奏多

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第7章 Staying Voice

 6.

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 三十三階――。

 入居者用のプールの女子更衣室で、あたしはフロントに一度寄った時に、フロントのお姉さんから借りた水着を出した。

――別に俺らふたりなんだから、一緒のところで着替えても……。

 聞いていないふりをしていた須王の文句を思い出しながら、出した水着は――黒にワインの色の花がついた生地で、フリルが上にも下にもふんだんに使われている。

 ちょっと色気を感じる大人テイスト。
 あのフロントのお姉さんなら似合うかねしれないけれど、普通顔のあたしに合うかしらなどと、とりあえず着て、姿見で見てみた。

「……あたしの胸がないの? それともこういうデザイン!?」

 紐で首の後ろに縛るタイプの上は、思ったより深いデザインをしていて、どんなに紐を引っ張りあげても、際どく……ぎりぎり乳輪が隠れるくらいの、胸の頂き部分を隠すような淫猥なもの。

 そのフリルの下はブラのようなカップになっているから位置をこれ以上ずらすことも出来ないし、だとしたら必要以上に寄らされた胸の谷間を見せるデザインなのか。

 さらに下と言えば思った以上に浅くて、いくらフリルが一段ついているといっても、茂みを申し訳程度に隠す感じで、フリルの下は紐で結ぶタイプだとはいえ、動いたら脱げてしまいそうだ。 

 これは色々やばい。

 相手が超絶イケメンの須王だからこそ、このあまりにも似合わなすぎる姿を見せるわけにはいかない。

 失望させてはいけない。

「柚、着替えた?」

 今にもがちゃりと開けて入って来そうな須王に危機感を感じて、あたしは慌ててパーカーよりも先に出ていた、身体拭き用の大きなバスタオルを巻くと、直後にドアが開く。

「お前、ここはプールだぞ?」

「わ、わかってるよ」

 間一髪セーフ!

「じゃあなんで、タオル巻いてるわけ?」

 訝る彼はパーカーを羽織っているが、逞しい胸板を覗かせる姿は非常に……セクシーを通り越して、歩く凶器だ。
  
 くそっ、美人さんはいいね、マッパでもうっとりするほど綺麗で。
 フェロモンただ漏れで。
 あたしは、歩く犯罪、環境汚染のような気がする。

 水着さんごめんね。
 あなたに罪はないんだけれど、脱ぐ時間がなかったから隠させて。

「さ、寒いからね」

「プール温水だぞ?」

「べ、別に泳がないし」

「そういうお前に……借りてきた」

 彼が横からひょいと手にしたのは、アヒルの顔がついた大きな浮き輪。

 ボートのようにも見えるが、ちゃんとしたドーナツ式だ。
 ……あたしのお尻は、あの穴には入らなさそう。

「うわ、なに可愛いアヒルさん!!」

 そう、愛らしいくりくりおめめをしたアヒルの顔に気を取られて、それを両手で受け取ろうとしたあたしは、にやりと笑う須王が迅速な速さで、脇ががらあきになったあたしのタオルを剥ぎ取るのを見た。

「ひっ!?」

「頂き」

 タオルがポトリと床に落ちた。

「ひぃぃぃぃっ!!」

 どこかを隠していいかわからず、両手で胸と股間を隠して……さながら即席ボッティチェルリの「ヴィーナス誕生」。巨大なホタテ貝は、足元に落とした浮き輪だ。

 しかし隠した両手は、須王に取られて上から下までまじまじと見られる。

「み、見ないで……っ」

 足をもぞもぞと動かして、とにかく彼の視線から色々隠そうとするのだが、須王は片足をあたしの足の間に割り込ませて、それを阻止。

「ねぇ、羞恥プレイやめて。似合わなくて恥ずかしいの、ねぇっ」

「………」

「須王、ねぇって。パーカー着るから、だからねぇ!」

「……っ、やべぇだろそれ」

 彼はあたしに抱きつくようにして、視界からあたしを消した。

 わかってはいたけれど、ショックで。

「ごめん……」
  
「は? なんで凹むんだよ、お前! 俺、褒めたのに」

「は? いつ褒めた? というか、気を遣わなくてもいいから。あたしは、こうしたお色気満々の水着は似合わないのわかったし……脱ぐわ」

「なんで脱ぐんだよ! なにお前、見せびらかし自慢? 焦らしプレイ?」

「え?」

 なんだか話がかみ合わず、須王の顔を見て話そうと思ったら、背中に回っている彼の手が強くて彼の顔を見れない。

「今は、こうしていて」

「なんで?」

「ぜってぇ俺の顔、真っ赤で……鼻の下伸ばしてデレデレして、気味悪いブサイクだと思うから」

「………」

「こうやって触ってるのも、違うところがヤバいとは思うけど、とりあえず顔だけでも、元に戻すから。はぁ……」

「………」

「今流行りの水着頼んだら、なんでこういう……お前の線を強調させるものを持ってくるのかな。お前、可愛い系のくせになんでこんなセクシー系を着こなすスキルがあるんだよ。やべぇな。これなら男の目がある海とかに連れて行けねぇじゃねぇか。俺、ひとに自慢するより、独占したいタイプなんだな」

「………」

「ああ、くっそ。ぶつぶつとなんだか俺、耄碌ジジイみたいじゃねぇか。はぁ……色々と静まらねぇ……」
  
「……ねぇ、まさか。あたしのこんな水着姿で興奮してるとか?」

「悪ぃかよ」

「美化しすぎじゃない?」

「いいや。お前が謙遜して卑屈になりすぎだ」

「いやいや。あなたの目の方がおかしいよ」

「おかしいのはお前だ」

「あなただって」

「お前だ」

 吐き捨てるように言うと、彼はあたしの両膝裏を掬うようにして、持ち上げた。

「ちょ、あたし着替え……」

「黙れ。お前が誘うなら、俺も乗ってやることにした」

「はあああ!?」

「アヒルと遊ぶんだろ? ほら、拾え」

 渋々と拾うと、須王はそのままスタスタとプールの方に歩いていった。

「普通の浮き輪とアヒルだったら、お前ならアヒルだろ?」

「……そうだけど、随分と子供扱いされてますね」

「子供がこんなにうまそうな身体晒すかよ」

「……なっ!」

 どうして、この男は!

「十二年もお前を女としてしか意識してねぇよ。その上でそんな格好して煽られたら、自制心なんてあってねぇようなものだ」

「……っ」

「それを必死に押し止めてる。いつ自制出来なくなるかわからねぇけど、それまでは遊んでやる」

「え、偉そうに……」

 プールサイドは、東京の遠景が取り囲んでいた。

 彼は、手すりのついた階段から水面にアヒルちゃんを浮かべ、そこに静かにあたしを乗せると、プールの中に入った。

 あたしは浮き輪の真ん中の穴におしりをいれて、両手と両足を投げ出すようにして座っている状況だ。

 一度彼は潜って、たくさんの飛沫と共に顔を出した。
 そのまま濡れた髪を片手で掻き上げ、水も滴る超絶イケメンは微笑みながら、浮き輪を片手に掴むと、そのままプールを歩き出した。

 まるで(アヒルと王様の)水上散歩。
 光が差し込んでキラキラ光る水面の上をゆらゆらと漂う。
   
「あれスカイツリー!? あっちは東京タワー!?」

 きゃっきゃ喜ぶあたしは、須王に一点を指さし……バシャッと片手で彼の顔に水を掻き上げた。結構水は温かかった。

「お前……っ」

「あはははは」

 須王はアヒルちゃんの首を掴むと、ぶんと遠くに放った。

「きゃああああ!!」

 浮き輪ごと宙を飛び、落下して水面を跳ねると、上下に揺れる。
 怖いあたしは、アヒルの首に両手で抱きついた。

「あたし泳げないのよ、落ちたら溺れるじゃない!」

「大丈夫、俺が死なない程度に助けてやるから」

「その前に助けて!」

「ははは」

 須王は、すぃ~と泳いできた。
 悔しいけど、泳いでも綺麗だ。

「いいね、お魚さんみたいに泳げて」

「泳ぐ? 教えてやるけど」

 いつも髪先が隠している彼の泣きぼくろが、髪が掻き上げられて陽光にあたっているせいでしっかりと見え、実はふたごちゃんであったことを発見。

 妙に艶めかしい。
 この男、どれくらいフェロモン度数をあげる気なんだろう?

「いや……、こっから見ていたい。泳いで見せて」

「お前、楽しくねぇだろ」

「楽しいよ。いつもプール見学常習犯だし、今とっても良い気分だもん」

 まるで、東京の地に浮いているような気分のあたし。

「須王が泳いでいるのなんて、滅多に見られないんだし。ここから応援してるよ」

「じゃあ……軽く流すか」

 あたしはぷかぷかと浮いたまま、一度上がった須王が飛び込み台に立つのを見た。

 彼のサーフパンツは黒とワインのグラテーション。
 もしかして、色合いがお揃いなのか。

 飛び込みから見れるとも思っていなかったあたしは、妙に興奮して、飛び込み台の上で手を伸ばしたり屈伸運動をしている、均整の取れた身体をしている須王を見つめた。
   
「お前が合図して」

「わかった。よ~い」

 須王が準備をする。

「スタート」

 しなやかな肉体はあまり飛沫をあげずに水の中に潜る。

 中々出てこないため心配になっていたが、ややしばらくして顔を出した須王はクロールを始めた。

「早……」

 そりゃあ早瀬だものね、なんだか泳ぐの早そうな感じだものね。
 などと、意味不明な納得をしながら、競泳を見ているように、あっという間に向こう側に行ってしまう須王の水圧に押されて、浮き輪が揺れ始める。

 高身長の早瀬の泳ぎは、中々にダイナミックなのに、飛沫があまり上がらない。泳ぐ姿も非常に優雅だ。

 もっと見たいのに浮き輪はくるくると回り続け、両手で水を掻いてもあさっての方向にいってしまう。
 
「い~や~っ!!」

 絶対あたし、海になんか行ったら漂流しちゃう。
 浮き輪って、制御不明の恐ろしいアイテムだ。

 あたしどこに行っちゃうの?
 どうすればこれ、止まるの?

「お前、ひとりでなに遊んでいるんだよ」

 そんなあたし(の浮き輪)を止めてくれたのは、折り返して行ったはずの須王で。

「浮き輪って、怖い道具だね……」

「お前だけだ」

「あなたには泳げないひとの気持ちがわからない!」

「俺、最初は溺れてたよ?」

 須王は浮き輪に両肘をつくようにして言う。

「嘘だ」

「嘘じゃねぇよ。俺、泳いだことがねぇのに、お袋が海に連れていってさ。最初で最後のたった一度だけの母親との思い出かな」

「……っ」

 地雷ふんじゃったかしら。

「連れて行っただけで後は放置でさ。海行けば、皆が泳いで遊んでいるだろう? だから簡単に泳げると思って、波を走って泳いだらぶくぶく沈むんだ。お袋はいなくなってるし、意識朦朧とした時、波が大きくなってそれに投げ出されて助かって。なんだか子供の泣き声で目を覚ましたら岩間にいてさ」

「子供って……水死した霊とか!?」

「そんなわけねぇだろ。俺と似たような小学生みてぇな女に、やたらガタイのいい金髪男が水泳を教えていてさ。女の子が怖がってびーびー泣いているのに、男は海に突き飛ばして怒鳴る。スパルタ……いや、あれは虐めだよ」

 可哀想。お兄さんかお父さんか、他人ということはないだろう。
 世にも酷い男がいるものだ。
 タチの悪い、不良かなにかだったのかしら。
  
「しかも教えてるのは、バタフライなんだよ」
 
「バタフライって、こういう奴?」

 あたしは両手の肩を回すような仕草をすると、頷いた。

「ああ。なんで泳げねぇ小さな子供に、バタフライ教えていたのか今でも謎なんだが、それを見て俺、溺れるよりその男に怒鳴られる方が恐ろしい気分になってきて、岩間でこっそり同じように練習したんだ。そしたら、泳げるようになったんだ。案外的確指導だったんだ、その金髪男」

 王様も怖れる男とはいかに。
 
「あなたも、バタフライを覚えたの?」

「まあ、即席だからもどきだがな。その時はどれが正しい泳ぎ方なんて知らねぇから、泳げるフォームで砂浜に戻って。それでそこで、遊泳者を目の前にして、見よう見まねでクロールらしきものと息継ぎを覚えたな」

 見よう見まねで泳げるようになるのなら、この世にカナヅチというものはない。水に入れば力を入れて硬直してしまうあたしも、密やかにその部類に入るのだろう。

「あの金髪男に助けられたようなもんだな。じゃねぇと、帰るに帰れなくて岩間で干からびていたかもしれねぇな。……まあ、そっちの方が平和的な人生だったかもしれねぇけど」

 須王は自嘲気に笑う。

 その端正な顔に、寂しげな翳りが落ちたのを見て、居ても立ってもいられない心地になったあたしは、須王の頭を抱きしめた。

「……誘ってるの?」

「違うわよ。こうしたい気分だったの」

「やっぱり誘ってるんじゃねぇかよ」

「違うってば」

 だけど須王も意味がわかっている。
 彼の手があたしの背中に回り、ぎゅっと抱きしめてきたから。

 心の傷は共鳴し合うんだ――。

 ……そう思っていたのに、彼は抱擁ではなく本当に抱き上げて、浮き輪から下ろしてしまう。

「ちょ……え!? あたし泳げないんだって! 溺れるっ!」

「溺れねぇって。ここは深さもねぇし、俺がいるんだから。手、俺の首に回して、足も俺にくっつけて」

 慌てるあたしは、彼の首にしがみつき足を折りたたみながら抱きつくと、そのまま彼は窓際に歩き始めた。
  
 怖いけれど浮力が手伝って、お風呂の中で足をぷらぷらさせているような気分となり、ちょっとだけ恐怖心が薄れた。

 確かに須王の上腕が出る高さなら、あたしも立てるかもしれないけれど、中学の時のプールが深くて溺れかけてしまってから、立つということも不安でたまらなかったりする。

「柚、大丈夫だから。ほら外を見ろ」

 びくびくしながら、顔だけ横を向くと高層ビルと縦横無尽の道路が見える。
 東京の縮図、四方に広がるパノラマ――。
  
「気分が沈んだ時、ここで見下ろせば、人間の形すら見えないちっぽけな自分の悩みなんて、大したことがないように思えて、不思議と元気が出た」

 須王の悩み――。

「逆に言えば、俺の命の尊さなんて蟻ほどのものもねぇのかもしれねぇな。俺が死んでも、きっと誰も気づかない。俺の音楽も小さなものだ……」

 陽光を浴びた彼は、眩しそうに目を細めて寂しげにぽつりと言う。

「そんなことないよ」

「ん……?」

 太陽の光を浴びてキラキラと海のように深い青色をした、彼の瞳。

「この東京には、須王の曲が溢れている。あたしひとりひとりは小さな蟻さんかもしれないけれど、蟻さん同士があなたの音楽で結びついて集団になれば、大きくなる。そうやってあなたは、支持されてきたんでしょう?」

「………」

「ひとりひとりの力を侮ること勿れ、だよ。小さいからって馬鹿にしちゃいけない。歴史を作ってきたのは、そうした蟻さん達なんだから。音楽だってそう。昔は楽器や音色なんて豊富ではないのに、今はこんなに進化しているのは、蟻さんのおかげだよ。須王なんて、熱狂的な信者がいるじゃない。蟻さんの軌跡は、ちゃんと皆が知っている」

 須王はあたしの胸に顔を埋めた。
  
「俺は、皆の共感はどうでもよくて、お前だけに伝わればいいと思って音楽を作ってきた。だから音楽家としては限定的で、失格だと思う」

「あたしはきっかけでしょう? あなたがどう思おうと、あなたが作った音楽に人々は共感した。あなたが人の心を打てる音楽を作れた証拠よ」

「……時々夢で見る。組織から抜け出せずに、両手を赤く染めている俺が、赤い鍵盤のピアノを弾いていると、音がうなって悲鳴の音しか出てこねぇ。だけど俺は狂ったようにピアノを弾いていて、悲鳴ばかりが合奏する」

「……っ」

「穢れた俺が作る音は、どこまで頑張っても穢れた音にしかならないんじゃねぇかって思う。俺自身、浄化出来ずにいまだ組織の悪夢から抜け出せねぇんだよ」

 あたしは彼の頭を撫でながら抱えた。

「もしかすると、いや恐らくは……朝霞が今縛られているところが、俺と棗が居た……元祖エリュシオンだ」

「え……」
 
 突如現実に返り、どきっとした。

「月曜に朝霞と食事した時、朝霞はそれを暗に訴えていた」

――そう。ひとの命すら認めないのが、冥府〝エリュシオン〟だ。

「冥府はエリュシオンではねぇだろ。エリュシオンは楽園と訳されている。元エリュシオンという名前の会社にいた奴なら、エリュシオンの意味を知っているはずだ」

 確かにそうだ。

「恐らく俺の素性もわかられている。解体したはずのエリュシオンが、AOPを伴って復活した……恐らく棗はそう睨んでいる」

「じゃああの黒服達は、エリュシオンのメンバーということ?」

「そこはもっと調べねぇと断定出来ねぇかも。黒服ともうひとつの勢力がお前を拉致しようとしている。朝霞がお前を守るために俺を使ったんだから、どちらかは間違いねぇだろう」

「組織のエリュシオンは、一体なにを目的に……」

「組織を支援出来る金持ちが、バックについていることは間違いねぇ。朝霞が柘榴を鬼子母神に例えたのなら、もしかすると……」

 彼は続きをなにも言わなかった。
  
「本当は、この件について今はなにも言いたくなかったが、時間が経つにつれ、なにか嫌な予感を感じている。慣れきった危険の予感が、強まっている」

「……っ」

 あたしも嫌な予感を感じている。

「今、幸せを感じればほど、これが夢ですぐ終わってしまうような、そんな儚さを感じている。恐らくお前を完全に手に入れるためには、組織と対峙してなんとかしねぇといけねぇ。……俺は、それをやるつもりだ」

「危ないことはっ」

「九年前、俺は逃げた。逃げたために九年もお前を苦しめた。だからもう逃げるわけにはいかねぇんだ。お前を苦しめたくねぇから」

 須王の語調には、既に覚悟を決めたような強い響きがあった。

「俺のためにお前が巻き込まれるのも、お前自身が標的になっているのも、どっちもごめんだ。もし俺の過去に意味があるのだとしたら、組織で培った地下世界の力だろう」

 須王は手のひらを見つめ、ぎゅっと握りしめた。

「俺、またこうして……お前と平和な東京を眺めてぇんだ。こうやって邪魔されることのない環境で、お前と愛し合いてぇんだよ」

 ……それはあたしも願う。
 ずっとこれが続きますようにと。

 それが続かないような不安を感じ取ればこそ、切迫感を胸に抱いて、永続の平和を乞い願う。
  
「俺、お前に普通な恋愛をさせてやれねぇかもしれねぇ。物騒な目に遭わせるかもしれねぇ。お前が見たことのねぇ、怖い顔をするかもしれねぇ。血の香りを漂わせるかもしれねぇ」

「………」

 須王は苦しげな顔で言った。

「だけど――、嫌わねぇでくれねぇか。他の男のところに行かねぇでくれねぇか。黙ってこうやって、俺を抱きしめていてくれねぇか。……わがままだとはわかっているけど、それでも……」

「いいよ」

 あたしは即答する。 

「わからないふりをして、こうやってあなたが生きていることに感謝したいと思う。あたしが出来ることをしようと思う。あなたみたいに強くはないけれど、根性だけはあるつもりだからへこたれないよ」

「……柚」

「須王に嫌われない限り、あたしは大丈夫。傍に居る。借金もあるし」

「俺が嫌うわけ、ねぇだろ?」

 陽光がタークブルーの瞳を煌めかせると同時に、彼の頬にある一筋の光を映し出す。

「それはありえねぇから。もし俺がお前を嫌って離そうとしたら、それはとち狂った時だ。その時は……俺を殺して」

「な……」

 須王の目は真剣だった。

「ふざけてねぇ。それくらいの想いでいるんだ」

「……ありがとう」

 痛いくらいの視線に、涙が出そう。

「お前、不安はある? 抱え込むなよ、ちゃんと言えよ?」

「不安なことは……ある」

「なんだ?」

 怖いくらいに見つめられた。

「あたし、この状況で……HADESプロジェクトのボーカルを探し出せるんだろうかって」

「……お前、今の流れでそれか?」

「だって……、あたしだって守りたいんだもの。あなたの大切なもの」

 凡人のあたしに出来ることは限られているのだから。

「俺は、すべてを諦める気はねぇ。ちゃんと環境を整えて、ボーカルを選んで貰う。恐らく今週……オリンピアが動くはずだから」

「え、朝霞さんが?」

「恐らくな。だから余計に気を引き締めなければならねぇ」

「………」

「お前に、平和をプレゼント出来るよう、全力を注ぐ」

「ありがとう……」

 前途多難な恋。
 それでもあたしは、やはり須王がいい。

 あたしのためにトラウマと対峙しようとする彼が。

 雲間に隠れていた太陽がまた顔を出して、見つめ合ったあたしと彼の顔を眩しく照らし出し、自然と唇が重なり、心まで濡れるような……情熱的なキスを貰った。
 
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