リア=リローランと黒の鷹

橙乃紅瑚

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第三章

40.獲物

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「リア! どこだ、どこにいる!? リア、リア、リアっ……!」

 精神世界に建てた城。ゼルドリックは睡眠も取らずにその中にこもり、血眼でリアを探し続けていた。アンジェロによってリアを連れ去られてから数日が経った。鷹を何千羽も放ってリアを捜索しているのにもかかわらず、一向にリアは見つからない。

 鷹が見聞きした記録をどれだけ確認しても、そこにあるのは無意味な情報だけ。ゼルドリックは思わず壁に強く拳を打ち付けた。皮膚が破れ、鈍い痛みと共に血が滴る。ゼルドリックは怒りのまま低く唸った。

「おのれ……おのれえええっ!! よくも俺からリアを奪ったな!」

 ゼルドリックはリアに大量の魔力を注ぎ込み、何十もの魔法式を施した。魔力の流れを追えば、リアがどこに居ても追える自信がゼルドリックにはあった。だが、リアに纏わせたその魔力が検知できない。リアがすっかり消えてしまったようだった。

 王都、そして周辺都市、隣国、はずれの村。あらゆる場所に鷹を放っても、リアの姿は全く記録されていなかった。それはゼルドリックの心に大きな焦りを生じさせた。

(有象無象がいくら寄り集まったとて、俺に対抗できる訳がない、リアを俺から奪える訳がない! 俺は女一人くらい、どこに逃げてもすぐ見つけられる。つまらぬエルフがどれだけ束になろうが全員殺せる! 俺はそう言い切れるほどに己の力に自信がある! だが、その俺がここまで探しているのに見つからない……。なぜだ? リア、君は一体どこに逃げた!?)

 仕組まれた。ゼルドリックはそう感じた。

 アンジェロは突然やってきた訳ではない。おそらく、リアを連れ去る計画は随分前から進められていたのだ。そして自分は、リアが連れ去られてから直ぐに長期の国外任務に就くよう命じられた。ゼルドリックの心に、憎悪が湧き上がってくる。

(俺とリアは引き離されようとしている。これは全て仕組まれたものなのだ。用意周到に。俺に対抗するために……)

 ――魔力操作に長けた貴様と相対して勝てるほど私は強くない。しかし、方法はいくらでもあるのだよ。貴様を出し抜く方法はな。

 若草色のおかっぱ頭。背が高くひょろひょろとした同僚の言葉が脳裏を過る。

 ゼルドリックは思考を巡らせた。あの同僚は油断のならない奴だった。巧妙に隠しているにもかかわらず、リアの中に魔力の器があることを見抜いたようだった。図ったようにアンジェロが屋敷に訪ねてきたことを思い出す。

 あれはオリヴァーがレント=オルフィアンを通して、アンジェロにリアの様子を窺うように指示をしたのではないか? 権力のあるパルナパ家には逆らえないと知って、リアを連れ去ったのだ……。
 ゼルドリックはそう考えた。

「オリヴァー、お前なんだろう? 俺からリアを奪おうと考えたのは……!」

 あの非常に責任感の強い同僚は、中央政府の役人としての意識が薄れた自分に対し、リアを手放すよう繰り返し言った。ゼルドリックはオリヴァーの姿を思い出し、ぎりぎりと食いしばった。オリヴァーに対する憎悪が、物凄い勢いで膨れ上がっていく。

「違う、違う、あの男……。あの男こそ中央政府の役人という仮面を被っているのだ、本心はリアが欲しかったのだ、俺にリアを手放せと言ったのはリアが欲しかったからだ、俺に勝てたこともないくせに! お前がリアを得ようとするなんて、そんな烏滸がましい真似は許せぬ、許せぬ、絶対に許せぬ! 俺からリアを奪う者は、全て殺してやる!」

「ああそれから、アンジェロもだ。あやつも許せぬ。俺を気遣う真似をして、オリヴァーに協力していたのだ……念入りに教え込んでやらねば。俺とオリヴァー、どちらの言うことを聞くべきなのかと……!」

 ぶつぶつと繰り返した後、ゼルドリックは頭を抱えた。
 青い瞳は狂気に濁り、リアの写真が貼られた城の壁を食い入るように見つめる。

 一分の隙間もなく、壁に丁寧に貼られた何万枚もの、何十万枚もの写真。
 リアの赤い髪と白い肌が一斉にゼルドリックの目に飛び込んでくる。

 微笑み、泣き顔、情欲に塗れた淫らな顔、何かを憂う顔、眉を寄せる顔。
 リアの日常生活を食い入るように監視し、毎夜丹念に現像してきた写真たち。

 ゼルドリックはリアの姿を見て溜息を吐いた。

「美しい……。美しい。リアを、こんなに美しい赤い髪の姫君を。決して他の男に渡す訳にはいかない。俺は百年以上もリアに恋い焦がれ続けていたのだ。俺だけだ。俺だけなのだ、こんなにリアの色々な表情を、色々な姿を知っているのは俺だけなのだ! 決して奪われてなるものか!」

(オリヴァーも、レントも、アンジェロも、皆敵だ。紛うことなき敵だ。リアを俺から奪おうとする敵だ……)

 ゼルドリックは怒りのあまり自分の指を強く噛んだ。何度も何度も己の指を噛んだ。黒く長く美しい指は、犬歯に傷付けられ血を流す。ゼルドリックは傷だらけになった指を見て、かつてリアが自分の指を綺麗だと褒めてくれたことを思い出し、つうっとひとつ涙を流した。

「……リア。君も許せない。君が一番許せない」

 花の咲くような笑みを浮かべるリア。ゼルドリックはその写真を見て、呆然と呟いた。

「なあ、なぜ、俺から逃げたんだ……? ずっと共に過ごしてきたじゃないか。こんなに心を許した笑みを俺に向けて、俺の手であんなに感じてくれて、リアだって俺を受け入れてたじゃないか。夢だって……。君はただの夢だと思っているだろうが、それでも俺を自分から求めてくれたじゃないか……」

「あんなに睦みあったのに。あんなに愛を交わしたのに。あんなに俺の匂いを擦りつけたのに。あんなに強く感じさせてやったのに。君の隣にいるべきなのは俺なのに。なのにどうして……? どうして他の者の手を取ったんだ……? リア。君には俺しかいない……俺には、君しかいないのに……」

 狂気に濁る青い目から、ぼたぼたと涙が溢れる。ゼルドリックは瞬きもせず、流れ落ちる滂沱の涙を拭うこともせず、ひたすらリアの写真を見ながら愛と怨嗟の言葉を吐き続けた。

「……リア。君は俺のもの。俺の女だ。俺だけの姫君だ。俺に堕ちきった身体でどこへ行こうと言うのだ? 君は俺と契るしかない。ずっと一緒にいるんだ」

「逃げたことを後悔させてやる。助けを求めたことを後悔させてやる。君は思ったより馬鹿みたいだ。躾が足りなかった。俺が迂闊だった! リア、もっと君を縛り付けておくべきだった……。もう優しくしてやらない。次は、絶対に逃げられないようにしなければ……」

 ゼルドリックは血が流れる指でリアの写真に触れた。満面の笑みに赤が滴る。リアの目元に付着し、とろりと垂れたそれは涙のようだった。ゼルドリックのかけがえのない宝物であるリアの満面の笑み。それがくすんでいく。

「笑ってくれ。俺を受け入れてくれ。泣かないでくれ……」

 ゼルドリックは後悔に目を瞑った。

 気が付いていた。リアの自由を奪い屋敷に閉じ込めた後、リアはすっかり笑わなくなった。リアに溺れつつも、切なくてどうしようもなかった。リアが欲しくて欲しくて堪らない。強い衝動のまま何度も触れているのに、心の中に巣食う強烈な飢えはいつまでも満たされない。リアの心からの笑顔が欲しい。その笑顔のまま、自分に愛を囁いてほしい。

「君の話を聞いていれば……君は俺から逃げなかったのだろうか」

 胸がずきずきと痛む。だがリアの話を聞いたとて、そして己の罪を告白したとして、その時リアに拒絶されてしまったら……。それだけが怖くて怖くて仕方がない。だからリアと向き合わず、逃げ続けるような卑怯な真似しかできない。

 自分はリアを苦しめている。分かっている。なのに求めずにはいられない。手放せない……。

 ゼルドリックは契りの青い薔薇を胸から取り出し、まだ咲かぬそれをそっと握り締めた。

 この薔薇が咲き誇る時が、本当に来るのだろうか? 
 つぼみのまま、酷く散らされてしまわないだろうか?

「……苦しい」

 ゼルドリックは呟き、泣きながらリアの笑顔を見つめ続けた。


 ――――――――――


 ゼルドリックに与えられた任務。それは第七王女ファティアナの警護だった。彼女らは公務で隣国へと向かう必要があり、専用の騎士隊の他力の強いエルフが中央政府から何人か選出され、王女と同行することになった。力が強いから選ばれた。それはあくまで建前で、本当のところは自分とリアを引き離すために選ばれたのだとゼルドリックは分かっていた。

 王族絡みの断れない任務。断れば捕らわれ、リアを追えぬ身になることはゼルドリックも分かっていた。ゼルドリックはリアを全力で追えないことに対し強いもどかしさを感じながら、警護をしつつも裏で鷹を操り続け、リアの行方を探っていた。王女ひとりを警護するのに、百人以上もの人間やオーク、エルフや獣人がその道を共にする。ゼルドリックは顔を強くしかめた。

(これだけの人数がいれば、俺がいなくても構わないだろうに)

 ふと歩みが止まった。集団の先頭から休憩という言葉が届く。ゼルドリックは道の端で足を休めた。冬の厳しい寒さが頬を刺す。

 何千羽もの鷹を四六時中操り続け、睡眠も取っていない。体力のあるゼルドリックも流石に疲れを感じていた。目を閉じ、リアの姿を思い浮かべる。あの女を自分のもとに取り戻すためなら、どれだけ疲れていてもまだまだ頑張れる気がした。ゼルドリックが身体を休めていると、ふと可憐な少女の声が聞こえた。

「ゼルドリックよね?」

 目を開けると、そこにはファティアナの姿があった。桃色のファーコートを纏った彼女は、嬉しそうにゼルドリックに話しかけた。

「やっぱりゼルドリックだわ! とっても久しぶりね! あなたも来てくれていたのね、嬉しいわ!」

 ファティアナはゼルドリックの手を勢い良く掴むとぶんぶんと振り回し、強引な握手を自分から交わした。相変わらずこちらを気圧けおすような王女の行動に、ゼルドリックは苦笑した。

「お久しぶりですファティアナ様。なぜこちらに?」

「あなたによく似た姿が見えたのよ。それでもしかしたらゼルドリックかもしれないと思って来たの! あなたがいるなら今回の旅は安全ね!」

 ファティアナは可愛らしく、ぱちりと桃色の目を片方だけ閉じた。

「ねえ、ゼルドリック。あなたにもずっとお礼が言いたかったのよ。わたしの願いを聞いて、リアを王都に連れてきてくれたでしょう? リアはね、まるで魔法使いみたいよ! このわたしの耳に留められた薔薇石英の耳飾り……。デザインもさることながら、その裏に込められた感情は本当に素晴らしいものよ。嬉しくて、悲しくて、楽しくて、心が温かくなったり、時々締め付けられたり、どんな万華鏡にも劣らない複雑な輝きだわ!」

 ファティアナは口元に手を当て、耳飾りから伝わる感情をゆっくりと味わうように言葉を紡いだ。ゼルドリックは、ファティアナの耳元に留められた薔薇を形取った桃色のそれを見た。
 美しく輝き、揺れる耳飾り。それはゼルドリックに胸騒ぎを与えた。

(リアが、作品に込めた感情は……一体? まさか……)

「ねえ、ゼルドリック、あなたに聞きたいことがあるの。リアはね、訳あって工場こうばを変えたそうなのよ。体調が悪いからって、何か悪い病気だといけないからって、わたしがいくらリアに会いたいって言っても会わせてもらえないの。彼女はどうしているのかしら? あなた、何か知ってる?」

 ファティアナは心配そうにゼルドリックに尋ねた。リアの居場所は、こちらからファティアナに聞きたいくらいだった。無垢な顔には全く嘘が感じられない。その顔は彼女が本当にリアの居場所を知らないと物語っていた。ゼルドリックが落胆を隠しながら首を振って答えると、ファティアナは深く息を吐いた。

「そうなの。残念だわ。リアともう一度恋の話をしたかったのに」

「……恋でございますか?」

「そうよ! リアが作品に込めてきた感情は恋なのですって! リアには好きな男性ひとがいるのね。わたし、それを聞いて尚更惹かれてしまったわ。恋ってこんなに素晴らしいものなのね……」

 ゼルドリックは大きく目を見開いた。身体の力が抜け、心臓がどくどくと跳ねる。

(リアが、恋……? 誰に? まさか、俺に……? それとも他の男に……!?)

「作品から伝わる感情はなお強くなっていくわ。リアは本当に相手のことが好きなのね。こんな強い感情を抱いているなんて! リアともっと話がしたかっ――」

「ファティアナ様。リアは、リアは、恋心を寄せる相手について何か言っていましたか!?」

 ゼルドリックがファティアナの言葉を遮り口早に尋ねた。落ち窪み、不気味に輝く青い瞳が食い入るように耳飾りを見る。

 縋り付くような声。ぞわぞわと黒い魔力がゼルドリックから滲み出ている。途端に雰囲気が変わったダークエルフを前に、ファティアナは恐怖を感じ、思わずびくりと肩を震わせた。

「え、あ、えっと……その、好きな人の名前は聞いてないわ。でも、王子様のような人が好きだって言ってたわね。とても優しいのですって」

 ファティアナは強張った笑みを浮かべてゼルドリックを見た。

「王子……優しい……誰だ……誰のことだ?」

 ゼルドリックはぶつぶつと呟いた。ゼルドリックの異様さに、ファティアナは思わず後ずさった。

「あ、あのゼルドリック……。どうしたのかしら? 何か、気になることがあるの?」

「あ、いえ……。大変失礼いたしました」

 ファティアナの問いにゼルドリックは我に返ったようだった。滲み出た魔力がすっと霧散する。

「そう、それならいいの。リアの好きな人って誰かしらね!」

 ファティアナが空気を切り替えるように明るくゼルドリックに言った。

「王子様のようで、優しい男性ひと。もしかしたらレントかしら? 彼はとても顔が良くて、それでいて優しいわ。私の姉さまもレントのファンなのよ! リアと頻繁に会話をしてるのを見たし、二人の間には何かありそうよね? もしリアの好きな男性ひとがレントだったら、わたしとても嬉しいわ! あ、それともアンジェロかしら? 彼も実はリアと仲が良さそうなのよね。ああ、こんなことを想像していたら楽しくなってしまったわ。ねえゼルドリック、あなたはリアの好きな男性ひとって誰だと思う? …………あ、ゼルドリック? ねえ、どうしたの――」

 ぶわり、とゼルドリックの周囲に黒い魔力が渦巻いた。

 ファティアナも、周囲のオークや人間も、ただならぬ様子に驚き固唾を飲んで彼を見つめる。

 ゼルドリックは震え、荒い息を吐き、込み上げる吐き気や怒り、焦り、悲しみを必死に逃そうとした。

(レントだと? レント=オルフィアンだと? リアが奴に、恋を……恋をしているかもしれないだと? リアの理想の男は王子の様で優しい性格の男……。奴に合致する。……そんな、そんな馬鹿な!)

 金色の髪と灰色の瞳を持つ、物腰柔らかで美しいエルフ。王子と形容するにふさわしい外見。リアとレントはすぐに打ち解けた。自分の知らない内にファーストネームまで呼び合っていた。

 ゼルドリックの胸に悲痛が込み上げる。

(俺は、俺は……。王子ではない。王子の様な外見ではない。縦にも横にも大きくて、やたら筋肉が付いて、顔だって、険しいとよく言われて……。姫を攫う悪役と言った方がぴったりだろう)

(性格だって、捻くれて、そのくせ臆病者で、リアをたくさん傷付けた。だが、だが……駄目だ、そんなの……。リアが他の男に恋をして、付き合うだなんて……。そんなことになったら俺は、相手の男を殺して、リアの四肢を奪ってでも繋ぎ止めておく)

(リア、頼む、行かないでくれ、俺を置いていかないでくれ! 俺はこんな気持ちを抱えたままずっと生きていくのか? 嫌だ、君が欲しいんだ、誰かの手を取らないでくれ……頼む……)

「ゼルドリック? ねえ、ゼルドリック!」

 ファティアナが震えながらゼルドリックの裾を引っ張る。ゼルドリックは我を取り戻した。

「ゼルドリック、あなたどうしたの? 変だわ!」

「あ……いえ、ファティアナ様。疲れが出てしまったようです。……大変失礼いたしました」

「そ、そう? 仕事熱心なのもいいけど、程々にね?」

 その時、先頭から休憩終了の号令が出された。ファティアナはゼルドリックに労りの言葉をかけた後、急いで馬車の元へと駆けていった。

(……許せない)

 許せない。許せない。許せない。

 レント=オルフィアンの奴が許せない。
 オリヴァーも、アンジェロも、その他有象無象も全てが許せない。
 自分からリアを引き離そうとする全てを、決して許すことができない。

 狂気じみた殺意に支配されながら、ゼルドリックはふらふらと列に戻った。

(早く、早くリアを見つけなければ)

 ゼルドリックは魔力の鷹を限界まで放つことに決めた。自分の何を賭してもリアをこの手に得たかった。心が苦しい、血を流している。リアが自分以外の誰かの隣に立っていて、自分以外の誰かにあの満面の笑みを向けている。その想像が心をなお痛めつける。ゼルドリックは苦しそうに荒い息を吐いた。


 ――――――――――


 はずれの村へ帰省した日から十日程が経った。
 リアは穏やかに過ごしていた。アンジェロからゼルドリックが自分を追っていると聞いた時は背筋が冷えたが、あれから特に何もない。

 レントやオリヴァー、メルローが交互にやってきて、自分のことを何かと気遣ってくれる。レントはもちろん、オリヴァーとメルローも優しいエルフだった。

 オリヴァーは高慢ながらも、リアが菓子を好むと知って、どこで手に入れたのか宝石の様な飴袋をくれた。メルローはあけすけながらも内気な自分にしつこく話しかけ続け、たくさん笑わせてくれた。リアは飴をひとつ口に含んだ。透き通った甘さが心を癒やしていく。

(皆、私を気遣ってくれる。こうして穏やかに何事もなく暮らしていれば、いずれはゼルへの気持ちも整理できるかな。まだ、苦しくて仕方なくなる時はあるけど……)

 リアは自室の椅子に腰掛け、深く息を吐いた。その時ノックの音が聞こえた。どうぞと言えば、レントが穏やかな微笑みを浮かべながら部屋に入ってきた。

「リアさん。今日は天気も良い、僕と共に外に出ませんか? この石造りの部屋にいては鬱々としてしまうでしょうから」

「そうですね。ぜひ外に出たいです」

 リアは立ち上がり、手早く準備をした。リアの着る服は全てメルローが用意した。自分の趣味ではない派手な色のコートを着込み、首にはしっかりとタリスマンを提げた。

「さあ、行きましょうか」

 そしてリアは外に出た。厳しい寒さが体温を奪っていく。身体を震わせればレントが魔法で温めてくれた。その春の陽のような温もりに、リアはゼルドリックと共に歩いた大通りの道を思い出し、涙を滲ませた。




 リアはレントと共に市場へ向かい、何を買う訳でもなくその市場の景色を見て回った。喧騒が自分を通り過ぎていく。リアの心の悲痛が、雑音によって消されていく。

 レントは何も言わずにリアの隣に立ち続けた。リアにとって、踏み込んでこないレントの優しさはありがたいものだった。彼は自分の悲痛を理解している。理解して、自分の心の整理がつくまで落ち着いて見守ってくれている。ありがとう、と伝えれば、レントは眉を下げて微笑んだ。彼はその唐突な礼の意味も理解しているようだった。

「あれ、リローランさん?」

 リアは話しかけられ、声のする方を向いた。そこには週に一度はずれの村にやって来る行商人の男がいた。リアはこの男性から毎週よく鉱石や本を買っていた。馴染みのある顔が、リアを見てにこにこと笑っている。

「久しぶりです! いやあ、お元気そうで何よりだ! あなたの活躍はよく聞いていますよ、頑張っているそうですね!」

「あ、ありがとうございます」

「僕、リローランさんに手紙を何通か出したのです。お手元に届きましたか?」

「手紙? あ、いえ……。すみません、郵便の手違いがあったみたいで、王都に来てから手紙は受け取れていないのです……」

 リアは眉を下げた。ゼルドリックは相当数の手紙を処分したらしい。まさか行商人が自分に出した手紙まで処分しているとは思わなかった。

「そ、そうなのですか……。あ、ならえっと……、直接、伝えたいことがあるんです」

 行商人の男はリアを前に、何やらもじもじとし始めた。レントはリアの肩を叩き、少し離れたところで見守っていると言い、その場を後にした。

「僕。リローランさんのことが好きです。穏やかな働き者のあなたがずっと好きでした。僕と付き合ってくれませんか?」

「ええと……」

 リアは目を見開いた。これは告白だ。目の前の男性が自分に好意を寄せている。

(信じられない……。私を好きになる男の人って、いるんだ……)

「その……お返事は?」

 行商人がおそるおそるといった様子でリアに聞く。リアは目を閉じ、首を横に振った。

「ごめんなさい。私には好きな人がいるのです。その人以外は、考えられなくて……」

「あー……。そうなのですか。リローランさん、その……綺麗になりましたからね。誰かに恋をしているんじゃないかって、僕は薄々感じてたんですよ」

 行商人の男は困ったように笑った。リアは眉を下げ、再びごめんなさいと繰り返した。

「謝らないで下さい。あなたのことはすっぱり諦めます。あ、でも聞いてもいいですか? リローランさんが好きな人って、一体どんな人ですか?」

「あ、その……」

 自分が恋情を向けるのは、これまでもこれからもゼルドリックただひとりだけ。屈強なダークエルフの姿が頭から消えない。寒い中、ゼルドリックと共に大通りを歩いた時のことを思い出す。リアは切なさのまま彼に語った。

「王子様のような方です。瞳がきらきらしていて、長い耳が可愛らしくて、背が高くて、優しくて、甘い微笑みが素敵で、いつも私の名を呼んでくれて、話が合って、ロングコートがよく似合っていて、それで……」

「あ、も、もういいです! なんだ、その人のこと大好きなんじゃないですか……。僕、最初から望みなんてなかったんですね。リローランさん、あなたの恋を応援していますよ。王子様と幸せになれるといいですね」

「ふふ……ありがとうございます」

「あ、王子様ってもしかしてさっきの彼ですか? 特徴に合っている気が……」

「へ!? 嘘!? え、あ、ち、違います!」

「そんな焦らなくても。別に僕、誰にも言ったりしませんよ?」

「いえ、本当に、本当に違うんです!」

「はははっ! そういうことにしておきましょう」

 リアは必死に否定した。勘違いからレントに迷惑をかける訳にはいかなかった。焦り吃るリアを見て行商人の男は笑い、そしてリアと握手を交わした後去っていった。

「リアさん? どうしたんですか? そんな顔を真っ赤にして……」

 戻ってきたレントが不思議そうに訊ねる。リアは何でもないと首を横に振った。

(あの人……。本当に勘違いしてないといいなあ)

 自分が好きなのはゼルドリックなのだ。自分が好きになるのはゼルドリックしかいないのだ。
 リアは心の内でレントに謝り、そして祈った。

(どうかレントさんに、迷惑がかかりませんように……)











「見つけた」

 ゼルドリックはぼそりと呟いた。精神世界の城の中。彼の目の前には水晶の宝玉が置かれていて、リアとレントの姿がくっきりと写り込んでいる。ゼルドリックは拳をぎりぎりと握り締め、水晶球の中のリアを食い入るように見つめた。獲物を見定めた猛禽類のような青い瞳が、じっとリアを見据える。

「見つけた、見つけた、見つけた……! やっと見つけてやった! なるほどな、遮蔽しゃへい魔術か。リアの存在をすっかり覆い隠し、俺だけが認識できないようにしたという訳だ。だからいくら鷹を飛ばして記録を確認してもリアは見つからなかった。くくくっ……。やるじゃないか、オリヴァー。お前を見直したぞ。俺の戦い方をよく知っているお前らしい」

 ゼルドリックは身体を震わせ、愉快そうに笑った。落ち窪んだ青い目が爛々と輝く。ゼルドリックは両手でがっしりと水晶球を掴み、その中に映るリアを舐め回すように見た。

「いくら探してもリアが見つからなければ、いずれ俺が諦めるとでも考えていたのか? 甘い。それくらいでリアを諦める訳がないだろう? 俺の方が上手だ。オリヴァー、お前を出し抜く方法はいくらでもあるのだよ……」

 ゼルドリックはリアに送られた手紙を全て検分した。そして彼女に好意を寄せる者たちに対して、あらかじめ魔法を使ってマーキングを施していた。魔力操作に長けるゼルドリックはそのマーキングを伝って、操ることも、監視することも、知覚を奪うことも、転移することも出来る。

 行商人もまたそのマーキングの対象だった。ゼルドリックは、リアに告白した行商人の五感を自分に共有した。そしてその後彼の意識を乗っ取り、こっそりとリアとレントの後を付けた。

 自分の身体でなければリアの姿を認識できる。石壁で作られた無骨な建物の中に入っていくリアを見て、ゼルドリックは暗く笑った。

「あの石造りの建物、石壁全てに念入りに遮蔽魔術が施されていたな。オリヴァーの奴は数ヶ月掛けてあれを用意したと見える、俺とリアを引き離すために! それにしても……それにしても虫が多い。蛆虫が! あの行商人、よくもリアに近づいたな……!」

 ゼルドリックは拳を握り締め、行商人の男に強い幻惑魔法を掛けた。

 マーキング越しに耳障りな悲鳴が聞こえる。あの男は錯乱しもう二度とリアに近づくことが出来ないだろう。諦めるとは言っていたが、あの男はリアに対する淡い恋心を抱いたまま生きていくつもりなのかもしれない。そんなことは許さない。リアに恋情を向ける者は全て、この手で葬らなければ……。

「なあ、リア。どういうことだ? なぜレント=オルフィアンと共にいる? そして、君はやはり……。その男のことを好いているのか? そんなに顔を赤らめて? なぜ、どうしてだ!? あれほど俺が近くにいたのに、一体いつ……!?」

 ゼルドリックは頭を抱えながらリアの言葉を反芻した。

 ――王子様のような方です。瞳がきらきらしていて、長い耳が可愛らしくて、背が高くて、優しくて、甘い微笑みが素敵で、いつも私の名を呼んでくれて、話が合って、ロングコートがよく似合っていて、それで……。

 そうだ。行商人の男が言う通り、その特徴はぴったりとレントに合致する。レントは周囲から「王子」と評されていた。リアがその外見に惚れ、心を寄せてもおかしくはない……。

 歳も近い。仲も良い。同じ混ざり血。同じ田舎村の育ち。

 リアはあの男の手を取るのか? 百年以上恋い焦がれ続けた、自分を放って……? 
 自分はリアを求めて、こんなに苦しんでいるというのに。それを知らずにあの男のもとに行くのか!? ファティアナ王女を魅了するほどの、強い恋情を向けて!?

 ゼルドリックは込み上げる狂気のまま吼えた。

「そんなことっ……あってなるものか!!」

 ゼルドリックは叫び、怒りのまま腕を振り下ろし水晶球を床に叩きつけた。耳障りな音と共に、水晶のかけらが勢い良く辺りに飛び散る。ゼルドリックは荒く短い息を吐き、両手で顔を覆った。

「はあっ、はあっ……。リア、リアっ……駄目だ、君は俺と契るのだ、君はずっと、俺と共に……」

 ゼルドリックは濁った青い目を見開いた。狂気に塗れた目が、壁に貼られたリアの写真に強く強く注がれる。彼は絞り出すように怨嗟に塗れた声を出した。

「こんなにっ……、こんなに俺を狂わせておいて、おかしくさせておいて! 俺を置いてどこかに行こうだなんて、そんなの絶対に許さない!」

 リアが好きだ。リアが憎い。リアを愛している。リアを苦しめてやりたい。リアに笑ってほしい。リアに泣いてほしい。リアと契りたい。リアを縛り付けたい。リアと家族になりたい。リアを孕ませてやりたい。
 彼女は自分と共に色々な景色を見たいと言ってくれたのに。自分と過ごした時間が幸せだと言ってくれたのに! あれは嘘だったのか? 自分を欺く嘘だったのか? 

「リアを迎えに行かなければ」

 ゼルドリックは転移魔法を発動させた。

「レント=オルフィアンのもとになど、王子のもとになど絶対に行かせない。恋物語で例えるならば俺は悪なのだろうな。王子から姫を奪う悪役……。だが、それでいい。他の男に渡すくらいなら、遠慮なく姫を攫ってやる。奪って支配してやる。王子の元になど絶対に帰してやらない。どんなに恨まれても、どんなに憎まれても……リア、君を諦めることはできない。姫は俺のもの。赤い髪の姫君は俺だけのものだ。……二度と、逃さない」

 狂気に塗れた呟きが静かに落ちる。
 そして、ゼルドリックは黒い靄の中に沈んでいった。
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