リア=リローランと黒の鷹

橙乃紅瑚

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第三章

41.狂襲

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 辺りが静まり返った夜半過ぎ、リアはまだ起きていた。ベッドの上で何回も寝返りをうち身体を暖めるようにうずくまる。この石造りの部屋はとにかく冷える。昼間外に出た時は雲ひとつない青空だったのに、奇妙にもあっという間に雲が立ち込め夕方から大雨が降ってきた。冷たい冬の雨が、なおこの石造りの建物を冷やしているようだった。

(寒い。寒くて寝付けない)

 リアはゼルドリックと褥を共にした時のことを思い出した。彼は体温が高くて、どんなに寒くても黒い腕の中に抱かれればあっという間に温かくなった。込み上げる懐かしさと悲しみに、リアはひとつ涙を流す。

(ゼルのことが忘れられない。頭から消えない)

 全く寝付けなくなってしまったリアは溜息を吐き、ベッドから起き上がってランプを灯した。ランプの淡い光が、暗い石造りの部屋をぼんやりと照らす。リアは椅子に座り、その光を見ながら物思いに耽った。

(アンジェロ様は、ゼルが私を追っていると言った)

 はずれの村で見かけた渦を巻く黒い塊。あれは巨大で異様な光景だった。レントから手渡されたタリスマンを身に着けていれば見つからない、そう聞いていたのに震えが止まらなかった。アンジェロが機転を利かせて、自分とマルティンを守ってくれたのだとリアは判断し、必死に彼を追いかけた。彼と共にこの石造りの部屋に帰ってきた時は、心の底からほっとした。

(オリヴァー様は……私を連れ出したのがゼルドリックに露見したら、レントさんとオリヴァー様は殺されるかもしれないのだと言ったわ)

 ランプの炎がゆらゆらと揺れる。少し息を吹きかけるだけで容易く消えてしまいそうな炎。この炎のように、ゼルドリックの手によってあらゆる者の命が簡単に吹き飛ばされてしまいそうな気がした。

(ゼルは危険だ。はずれの村で見かけたあの黒い塊。私ひとりを見つけ出すためにあんなものを作り出すなんて……。何だか、あの魔法からは怒りのようなものを感じた。あの怒りのまま、誰かを手にかけてしまってもおかしくない)

「どうして、ゼル」

 口から思わず言葉が溢れ落ちる。

(どうして。どうして? あんなに怖ろしいものを作り上げてまで私に依存するなら、どうして私に向き合おうとしてくれなかったの? 私はあなたの依存を受け入れたかった。あなたを愛していた……あなたと別れることになるにしろ、きちんと向き合って話したかった)

(私が好きだと伝えたら、まだ違ったのかな。あなたの不安に触れることができたのかな)

 堂々巡りの思考。何度も自分自身に聞いてきた問い。
 彼との対話が上手くいかなかった後悔は、日毎に強くなるばかりだった。

「もう、いい加減諦めなくちゃ」

 終わったのだ。メルローの言う通り、彼とは上手くいかなかった、それで終わりなのだ。恋情も、後悔も、どんなに苦しくても捨てるしかない。彼への想いを断ち切るしかない。

 レントも、アンジェロも、オリヴァーも、メルローも、皆他の仕事がある中で自分を守ってくれている。命の危険があるにもかかわらず、必死でゼルドリックに見つからないように動いてくれている。マルティンにも随分と心配を掛けさせてしまった。

 自分がいつまでも悩んでいては、彼らに申し訳が立たない。自分はエルフのように戦う力を持たない。だからこそ、自分がしっかりしなければいけないのだ。

 メルローが言う通り、自分が最後の砦だ。もしゼルドリックが縋り付いてきたとしても、取り付く島もなく拒絶する。ゼルドリックが自分を諦め、興味を失くすようにしなければならない……。

 そうすれば、自分への執着を拗らせて殺しに手を染めることは避けられるかもしれない。両親、マルティン、アンジェロ、レント、オリヴァー、メルロー、村の住民たち。誰も死なせたくない。

 何より……。

(ゼル。私はあなたを死なせたくない……)

 優しいダークエルフの微笑みを思い出す。彼と過ごした思い出は宝物だ。あのダークエルフが狂気が追いやられ酷く死ぬなど、考えただけで耐えられなかった。彼には生きてほしい。生きて幸せに過ごしてほしい。その隣に自分がいられなくても……。

 ゼルドリックが自分に興味を持たなければあの悍ましい未来は訪れないはずなのだ。あの未来を避けるためなら、ゼルドリックにどんな酷い言葉もかけられる気がした。大好きで仕方がない彼を突き放せる気がした。

(ごめんなさい)

 リアは目を閉じて心の中で何度もゼルドリックに謝り、思考を打ち切った。

 明日も早く起きなければいけない。そろそろまた寝る努力をしなければと思った時、ふと下階からこつこつと石を叩くような音がした。小さくはあるが、リアはその音をしっかりと聞き取った。

 こつこつ。こつこつ。
 静まり返った夜半に、その音はやけに響いて聞こえた。

「……?」

 こつこつ、こつこつという石を叩くような音はまだ続いている。

(何だろう……?)

 こつこつ。こつこつ。二回ずつ規則的に叩かれる音。扉に近寄り注意深く聞けば、それは同じところを叩いているのではなく、移動しているように聞こえた。まるで、この建物の外周を回って、壁を叩くような――

(………まさか!)

 リアはすぐさまランプの火を消し、タリスマンをしっかりと首から提げた。そしてそっと自室の扉を開け、外に一番近い部屋に移動した。その部屋には唯一の窓がある。ここは二階だが、手を伸ばせば窓の側にある大きな樹の枝を掴み、外に出ることが出来そうな気がした。リアはここから逃げる算段を立てた。

 こつこつと石を叩くような音。リアはその音に心当たりがあった。リアも鉱山で同じようなことをしたことがある。あの音を出す者は、きっと衝撃に弱い箇所を探りそこから建物の壁を壊そうとしている。

 そして、そんなことをしようとするのはひとり。
 自分を追うあのダークエルフしかいない。

(ゼル……!)

 リアは歯を食いしばった。彼と離れて半月程も経っていない。こんなに早くこの場所を突き止められるとは思っていなかった。恐怖と緊張から心臓が早鐘を打つ。

(何でここが見つかったの!? ……いえ、考えるのは後。まずは逃げなくちゃ。落ち着いて。このタリスマンさえあれば、ゼルは私のことが見えないはず。ここには私ひとりしかいない。まずは外に出て、誰かに助けを求めなくては……)

 がん! がん!

「……!」

 リアが考えを巡らせていると、何かを叩きつけるような凄まじい音がした。建物が僅かに揺れ、リアは思わず衝撃に身を硬くする。ゼルドリックは丁度良い一点を見つけたのか、執拗にそこを叩き、厚い石壁を壊そうとしている。

(この建物に魔法が使えないからといって、直接壊そうとしてるの?)

 リアは音を出さないようにそっと窓を開けた。冷たい雨風が一気に吹き込み、リアの身体を震わせた。

 がん、がんという大きな音が続いた後、間もなく石の崩れる音がした。手慣れたやり方だった。エルフが厳重に魔法を施そうともああ壊されてしまっては何にもならない。リアはゼルドリックの怖ろしさを改めて感じた。

(……あっという間に壊された。急いで逃げなきゃ……!)

 リアは雨で滑らないように充分気をつけつつ、窓に足を掛け、そして勇気を出して樹の枝を掴んだ。階段を上ってくる足音が聞こえる。リアは焦る気持ちをぐっと落ちつけて、樹へ飛び移った。

 ゼルドリックはやがて窓が開いていることに気が付くはずだ。それまでに、なるべく遠くへ逃げなければ……。

 田舎育ちが幸いしたリアは、幹を伝い難なく地面に着地し駆け出した。冷たい雨水が寝衣を勢い良く濡らしていく。リアは靴を履かぬ足のまま、寒さを振り切るように勢い良く走る。

(私が外に出たことはまだ気付かれていないよね? ゼルは窓が開いていることにすぐ気が付くはず。そして逃げた私を追ってくる……。どこに行こう? とりあえず、近くの――)

「リローランさん!?」

 駆け出して間もなく、リアは突然呼び止められた。誰かと見れば、それは昼間自分に告白してきた行商人だった。彼は傘を差し、何事だという顔でリアに駆け寄ってきた。

「えっ、リローランさん! どうしたんですかこんな夜中に、靴も履かずに……!」

 行商人の男はリアに傘を押し付けようとしたが、リアは首を横に振って何でもないと繰り返した。ゼルドリックは自分に執着している。一緒にいるところを見られては、この行商人の男性が危ない。リアは彼から距離を取るが、行商人の男はしつこく追ってきた。

「何でもない訳ないじゃないですか、こんな格好していては危険ですよ!」

「い、いいえ、本当に大丈夫なのです。私のことは気にせずに……」

「駄目です、行かないで下さい! 放っておけない!」

「本当に何でもありません! ですから追ってこないで下さい!」

 リアは行商人の男から必死に逃れようとしたが、ふと気がついた。

(彼こそ、何でこんな時間にこんなところにいるの?)

 避難所は人目を避けるようにして建てられた。そもそもここは殆ど人通りがないはずだとリアが訝しげな視線を行商人に送れば、彼はにっこりとリアに笑いかけた。その笑みに、リアはぞっと身体が震えるのを感じた。

 瞳は濁り、口をわざとらしく曲げた空虚な笑み。何かに操られているような不気味な笑み。彼は素早くリアに近づき、勢い良く首の紐を引き千切った。

「う、あっ!? なにをっ……!」

 行商人は勢い良くタリスマンを放り投げた。タリスマンは弧を描き、どこかの茂みに落ちた。リアは首を引っ張られ前につんのめったが、行商人の男が地面に倒れ込む方が先だった。彼は糸が切れた人形のように頭から地面に倒れ伏し、そしてぴくりとも動かなくなった。リアは首元を押さえ、ぺたりとその場に座り込んでしまった。そして――

「ああ……。いけないな。俺からまだ逃げようとするなんて、この跳ねっ返りが……」

 聞き慣れた声がした。低く艶のある声。焦がれ続けた声。背中から両腕を回され、逃げられない状況で耳元に低い声を落とされる。後ろを振り向くことができないまま、雨音がざあざあと響く中、リアは彼の名を心の中で溢した。

(……ゼル)

「迎えに来たぞ、リア……」

 ゼルドリックはリアの背後に現れた。彼は冷えたリアの耳を優しく噛み、そしてねっとりと舌を這わせた後、穴に生温かい舌を差し込んでくる。耳からじわじわとした快楽が伝わり、雨で冷え切った身体が背中から温められていく。しっかりとした腕。焦がれて仕方がない男からの接触。心に巣食う寂しさが消えていく。

 だがリアは心に宿った喜びを打ち消し、躊躇いなく全力で彼を突き飛ばした。ゼルドリックはその衝撃を受け止めきれず、リアから勢い良く離れた。

 リアは立ち上がり、ゼルドリックに相対した。

「どういうつもり? あの建物を壊してまで……。なぜ私を追ってきたの?」

 ゼルドリックはリアの問いにしばらく答えなかったが、やがて身体を引き攣らせて愉快そうに笑った。リアは不気味に笑うゼルドリックを警戒しながら見つめた。

 彼は随分と雰囲気が変わった。いつも後ろに撫で付けられていた黒く癖のない髪は、いまや雨水に濡れ、前にだらりと垂れ下がり彼の目元を隠している。そして黒髪の隙間から見える青い目は爛々と輝き、笑いながらも獲物を見定めた猛禽類の瞳のようにリアを真っ直ぐ見据えた。落ち窪む目にはどろりとした狂気が宿っている。

 甘く優しかった彼の姿はすっかり失われている。彼がこれから何をしだすか分からない不安。リアは身の危険を感じ、冷や汗が背中を伝うのを感じた。

「笑わせるな……。なぜ追ってきただと? 俺は獲物を逃さない。どこに逃げようが、一度見定めた獲物はどこまでも追いかける。リア。君は俺のものだ。こそこそと隠れおって。俺から逃げようだなんて、そんなこと絶対に許さない!」

 ゼルドリックは大股でリアに近づき、正面から強くリアを抱き締めた。リアを潰してしまいそうなほど強く、強く。骨が軋む程の抱擁に、リアは苦しげな呻き声を上げた。

「もう放さない……。俺が君に会えなくてどれだけ心が痛かったか分かっているのか? 君は俺のもの、俺だけのものだ、他の男のものになるくらいなら、俺が全部奪ってやる! 俺ではなく、他の者の手を取るなんて、近頃の君は本当に俺を苛立たせる……」

「う、ぐっ……」

「リア、リア、リア……! 君だ、君が俺の腕の中にいる……。会いたかった、姿を見たかった、触れたかった、抱きしめたかった! 君がアンジェロの手を取って逃げることを選んだ時、気がおかしくなってしまいそうだった……。俺以外の誰かに触れられているかもしれない、そう考えただけで酷く苦しかった……」

 ゼルドリックはリアを強く抱き、リアに対する執着心を吐露した。粘りつくような言葉が心を絡め取っていく。心の中に咲く恋の花が綻び、また咲いてしまいそうになる。湧き上がる確かな喜びに、リアは泣いてしまいそうになった。恋焦がれる男からの執着は、痺れる程に甘かった。

「躾が足りなかったのか? 俺から逃げれば酷いことになると分かっていただろうに。あれだけ快楽を与えてやったのに、まだ逃げる元気があったとはな……。君はあのまま俺に心も身体も全て明け渡してしまえば良かったのだ! リア、帰るぞ。仕置きに今度こそ君のここを貫いて何度も達かせてやる。俺の精をたっぷりと放ってここを満たしてやる。閉じ込めて、君が俺を心から受け入れるまで、しつこく念入りにいじめてやるからな……」

「ふ、ああっ……」

 ゼルドリックはリアの下腹にそっと大きな手を当てた。リアは身体に与えられてきた強すぎる快楽を思い出し、目を潤ませた。

(だめ、それは、それだけは……)

 駄目だ。リアは必死でゼルドリックの腕から逃れようともがいた。

 自分は処女で、まだ誰にも純潔を捧げていない。だが秘所を貫かれ満たされる快楽はよく知っていた。夜な夜な黒の王子様から腹の裏側を擦られ、何度も何度も絶頂してきた。あの落ちてしまいそうな肉の快楽を自分の奥に叩き込まれたら、ゼルドリックに対抗できなくなってしまう気がした。悍ましい未来のことなんて忘れて、彼に溺れてしまう……。

(どうにかしないと、ゼルを拒絶しないと! 私を諦めさせないと……! でなければあの未来が訪れる、ゼルが死んでしまう……! レントさんだって、オリヴァー様だって、メルローちゃんだって! 私に言ったでしょう? この恋を諦めろって!)

(私が最後の砦なのよ! ゼルを守れるのは私なの……!)

 彼を失いたくない。彼が大切なのだ。彼を愛している。
 彼に生きてほしい。生きて幸せに過ごしてほしい。

(なら迷っている暇なんてないじゃない! あの未来を避けるためなら、ゼルにどんな酷い言葉もかけられる。大好きで仕方がないゼルを突き放せる。私はさっき、そう思ったでしょ? ゼルに嫌われなければ……!)

 ゼルドリックは傷付いている。支配を受け入れると言っておきながら逃げた自分を信じられず、なお縛り付けようとしている。

 彼は具合が悪そうだった。目が落ち窪み、頬がこけるまで彼は自分を探し続けたのだ。そんな彼に自分は酷い言葉を投げかけようとしている。心が痛い。酷く痛む。彼を抱きしめたい。でも出来ない。

 リアは血が出そうになるほど下唇を噛んで、心を鬼にしてゼルドリックの胸を勢い良く突き飛ばした。


 そして、彼に向けて鋭い言葉の引き金を引いた。

「さっきから聞いていれば、随分と偉そうに。私は別にあなたのものじゃない。あなたが私を縛り付ける権利なんてどこにもない。気持ち悪いのよ、あなた……」

 ゼルドリックを突き放すために吐いた言葉は自分でも驚くほど低く、冷たく、嫌悪が滲んで聞こえた。リアは心の中で嗤った。自分はこれほどまでに演技が得意だったのかと思った。

 ゼルドリックがぴたりと動かなくなる。リアは彼から顔を背けながら続けた。

「私がどうしてアンジェロ様の手を取ったか考えなかったの? あなたは私と取り合おうとしなかった。私が何度も何度も話し合おうって言っても無視し続けた。あなたは私を尊重してくれなかった。あなたへの信頼はとっくに壊れてるの。だから逃げたの。もうあなたに会いたくない。あなたの顔なんて見たくもない。あの屋敷なんかに戻らない。追ってこないで、今すぐに帰ってよ! 私の前から消えて!」

「……リア……?」

 ゼルドリックは呆然と呟いた。掠れた、不安が滲む細い声だった。彼を傷つけてしまったのだ、リアは思わず涙をひとつ流したが、ざあざあと降る強い雨がその涙を隠した。

「君に会えなくてどれだけ心が痛かったかですって? 頭がおかしいんじゃないの? 私をあれだけ苦しめておいて、よくもそんなことが言えるわね。……ねえ、私の熱の原因はあなたなんですってね」

 ひゅ、とゼルドリックが息を飲む音が聞こえた。
 リアはその反応で、オリヴァーの言っていたことは本当だったのだと実感した。

「リア、聞いてくれ、俺は……」

「聞きたくない! 私の話は聞いてくれなかったくせに、あなたの話は大人しく聞けって言うの? あなたは自分勝手よ。自分勝手で、どうしようもない小心者で、卑怯者で、愚か者だわ!」

「私と正面から向き合おうともしなかったくせに、魔法を使って私を縛り付けようとした!熱の治療をちらつかせて私の身体を貪った! 嫌よ、そんな男の話なんて絶対に聞きたくない! 何が嘘で何が本当か分かったものじゃない!」

(違う。小心者で、卑怯者で、愚か者なのは私。あなたに好きだって言う勇気が持てなかった私)

 リアは顔を背けたまま吐き捨てた。心がじくじくと痛む。涙が堪えきれずにリアは俯いた。垂れ下がる自分の赤い髪と強い雨が、涙をゼルドリックに見せないようにしてくれると信じて。

「あなたから離れてみておかしいって思ったの。段々と身体が楽になっていったのよ。あの悍ましい一方的な行為は治療なんかじゃなかった。むしろ私を苦しめるものだった! 私はずっと騙されてた、馬鹿だった、あなたなんか信用するべきじゃなかった!」

(ごめんなさい、ゼル、傷つけてごめんなさい……! どんな形でも、あなたから触れられることが嬉しかった。一方的な関係でも、切なくて悲しくて泣きたくなっても、それでも好きなあなたと肌を重ねられるのが嬉しかったの)

「あ……リア……」

 ゼルドリックは震える声でリアの名を呼び、手を伸ばした。リアは自分に伸びてきた手を勢い良く叩き落とした。

「触らないで! あなたに触られたくないの、気持ち悪い! 混ざり血の田舎者の女なら、飼うのに手頃だと思った? 簡単に丸め込めそうだと思った?」

「私の身体に魔力をたくさん注ぎ込んで、知らないうちに不気味な魔法をかけて、服だって化粧品だって、趣味の悪いものを無理やり身に着けるように言って! それらは全部、私が簡単に逃げられないようにする工作だったのでしょう!?」

「違う……聞いてくれ、リア!」

「あなたは一方的よ、最低よ、私の意思を尊重する気なんてさらさらなかった! 自分の思い通りに動く女がほしかっただけ……。私を懐柔するために、手頃な性奴隷を作るために色々な贈り物をしてきたのでしょう!?」

(嘘。嘘よ。そんなことは思っていないわ。あなたがくれたものは全部、私を想って贈ってくれたものだって分かってる。アンジェロ様から聞いたもの。ルージュだって、軟膏だって、時間をかけてあなたが選んでくれたのだと。嬉しかった。全部、全部、私の宝物……)

「私宛の手紙も、あなたが全部受け取ってたらしいわね。私は一枚も受け取ったことがなかったけれど、そのお手紙たちは一体どこに行ったのかしら?あなたに全部処分されてしまったのかしら? 本当に気味が悪いわ。あなたが何を考えているのかさっぱり分からない。気持ち悪い。手紙を捨ててまで私を独り占めしようとしたの?」

(気持ち悪いのは私も一緒よ。ゼルが手紙を捨てていたと知って、その執着心に確かに悦んだのだから……)

「何度か一緒に寝たくらいで私をものにしたと思わないで。私は自由なの。誰かの元に行く権利がある。あなたの元を去る権利がある。勘違いして、一方的な関係を強いてくるあなたには、もううんざりなのよ……」

(私の心はずっとゼルのもの。ゼル以外のひとを好きになることなんてない。どこにも行けない……)

「リア、リア……や、止めてくれ、お願いだっ……」

 ゼルドリックは悲痛に擦り切れた呻きを上げ、リアを抱き締めた。力の強いリアが容赦なく腕を叩いても、痛みを堪えてリアを抱き締め続けた。彼の身体は小刻みに震えている。

 冬の冷たい雨に打たれる寒さから来るものではない、精神的な震え。断罪を待つ囚人のように項垂れる。ゼルドリックはリアの言葉を心の底から怖れているようだった。

「た、のむ……リア。こっちを、向いてくれ……。俺と、目を見て話そう……なあ、お願いだ……」

 泣きそうな声だった。リアはゼルドリックから顔を背け続けた。心が血を流している、彼を傷付ける罪悪感に押し潰されそうになる。リアもまた悲痛を声に滲ませ、ゼルドリックに吐き捨てた。

「放してよ……。嫌いよ。嫌い。嫌い……。あなたなんて、大っ嫌い!」

(好き、大好き、ずっと愛してる……。ゼル、ごめんなさい……)

 リアはとうとうぼたぼたと涙を零した。いくら雨が降っても誤魔化せない程に赤い目から雫を滴らせる。肩を震わせ、声を上げてしゃくり上げるリアを前に、ゼルドリックはふらりと後ろに下がった。

「きら、い?」

 幼さを感じさせる呟き。言われたことの意味を分かっていないような声。リアは思わずゼルドリックを見た。

 硝子のような青い目がリアを見つめている。今にもひび割れてしまいそうな、危うい輝きだった。

(きらい、……きらい? ……嫌い? 俺は、今……リアに、嫌いと、言われたのか?)

 嫌い。

 リアからの言葉に、ゼルドリックは身体から力が抜けるのを感じた。立っていられなくなる程に足から力が抜け、その場にしゃがみ込んでしまいそうになる。ぞわぞわとした、感じたことのない強い不快感が迫り上がる。ぐらぐらと目の前の景色が歪む。

(リアに、拒絶された……? 俺は、リアに……)

 ゼルドリックの脳裏にリアの満面の笑みが蘇る。あの笑みが、自分の前から失われる? 
 百年以上恋い焦がれ続け、奇跡的に出逢うことが出来た運命の女が、自分を拒絶して離れていく……?

(……だめだ、そんなの)

「……なあ、リア、嘘だろ……? 取り消してくれ……。嫌いって、嫌いだなんて、そんな怖ろしいことを言わないでくれ……そんな言葉、一番聞きたくないんだ、君から言われるのが怖いんだ、君からの拒絶が一番怖いんだ……」

 硝子玉のような瞳をリアに向けたまま、ごっそりと表情が抜け落ちた顔でゼルドリックはリアに懇願した。

 立っていられなくなったのか、ゼルドリックは服が汚れるのにも構わずしゃがみこんだ。
 リアの濡れそぼる寝衣をぎゅっと握り締め、項垂れる。俯いた彼の黒髪からいくつも雨の雫が滴った。

「俺は、君が好きだ……愛しているんだ……」

(ゼ、ル……)

 愛している。

 リアの心が跳ねた。ゼルドリックの告白が胸を強く締め付ける。

 好きで好きで仕方のない男からの告白なのに、リアは酷く苦しかった。
 彼の言葉をそれ以上聞きたくないと思ってしまった。

「俺は君と友人のままでいたくなかった。俺は君とずっと恋仲になりたかった……。長い間、ずっとずっと好きだったんだ。君に会えたのは奇跡だと思った。リア、君が何よりも大切なんだ……」

 ゼルドリックはぽつりぽつりと俯きながらリアへ愛の言葉を溢した。

「……そうだ、俺は君の言う通りだ。俺は自分勝手で、どうしようもない小心者で、卑怯者で、愚か者だ。君は優しくて可愛いから、魔法でも何でも使って無理やり縛らなければ、俺の元から去ってしまうと思った……」

「俺の元を去って誰かと幸せになるだなんて、俺はこの恋を抱えながらひとりで生きていくだなんて、そんなの想像しただけで耐えられなかった……」

「やめて……やめてよ」

 リアは震えながらゼルドリックの告白を聞いた。彼は自分を好きでいてくれたのだ。彼は強い恋情を自分に向けてくれていたのだ。そんなことを言われたら突き放せなくなる。彼を抱き締めて、自分もそうだと言ってしまいたくなる。

「俺はいつも、嫉妬でおかしくなりそうだった。君が他の男と話す度に、君が離れていってしまうのではないかと思うと、胸を掻き毟りたくなった」

「だから手紙を捨てた。だから君にたっぷりと魔力を注ぎ込んだ。気付かれない内に、いくつもの魔法を掛けた。……君を苦しめたあの熱。あれは魔力酔いだ。俺が君に魔力を注いだせいだ。俺は君を苦しめてでも……君を繋ぎ止めておきたかった」

「いや、やだっ……やめてってば……」

「リア。愛しいリア……。俺は、中央政府の役人という立場など、どうでも良かった。生に飽いていた俺にとって、君以外に欲しいものなんてなかった。君さえ手に入れられればそれで良かった。心を通わせ、いつしか契りたかった。家族を持ちたかったんだ……」

「あ、あ……」

 ゼルドリックの宿願。嬉しそうに、だが切なく夢を語る顔。彼は自分が隣にいることを想像して、あんな顔をしたのだろうか?

(お願い、ゼル……それ以上はやめて、私、あなたを諦めなくちゃいけないの。苦しいの……。あなたを突き放せなくなる……!)

「君との暮らしが俺を満たした。幸せだった。ずっと一緒に暮らしていきたいと思った」

「いや、もう聞きたくない……!」

「君が好きなんだ」

 ゼルドリックはリアの白い手を取り、口元に寄せた。
 彼の閉じられた目から涙が流れるのをリアは見た。

「良い香りの髪、赤く大きな瞳、小さく柔らかい手、滑らかな白い肌、可愛い鼻、柔い腕。線の美しい背中、器用な手先、優しく誠実なところ、頑固なところ、花が好きなところ」

「甘い微笑み、高く落ち着いた声、桃色の唇、甘い桃のような香り。夕焼けに照らされて赤く染まる顔、満面の笑み。全部、全部好きだ」

「毎日共にした食事も、庭園での散歩も。大通りを歩いたことも、共に料理をしたことも。君が屋敷を直してくれたことも。一緒に菓子屋に行ったことも、共に書店に行ったことも、大樹を見たことも、雪の薔薇を君に贈ったことも、肌を寄せ合った夜も……全てかけがえのない思い出だ。リア。君さえいれば俺は幸せなんだ」

(ゼル……、ゼル……。お願い、そんなこと言わないで……! また、あなたを好きになってしまう、もう苦しみたくないの、お願い……)

 ゼルドリックの言葉に、恋の花が咲き誇っていく。何輪も何輪も咲いて、ゼルドリックになお強く焦がれてしまう。

 彼が欲しくて堪らない。彼の告白を受け入れてしまいたい。こんなに愛してもらえるなら、自分の何もかもを差し出せる……。リアは嬉しく、切なく、悲しく、苦しかった。

「対話しようとする君から逃げたのは、君を逃したくなかったから……。俺は、告白する勇気が持てなかった。この恋情を受け入れてもらえなかったら、嫌いだと言われてしまったら絶対に狂ってしまうと思った。曖昧な関係でも、君と一緒にいたかった……」

(ゼル、……どうして、今そんなことを言うのよ……)

「愛している。君が俺をどんなに嫌ったって、この気持ちは変わらない……」

「いやあっ! もうやだ、やめてよおっ!」

 リアはとうとう叫んだ。大きな声を上げて泣き、ゼルドリックの手を振り払った。耳を塞いで、彼からの告白を拒絶した。

「私はっ! あなたの気持ちなんて受け入れられない! 好きなら何をしてもいいの? 何をしたって許されると思っているの!? あなたなんて嫌いよ、ずっと私と向き合おうとしなかったくせに! 今こんなことを言うあなたが大嫌いよ!」

「あなたのことなんて信頼できない! 好きだなんて信じられない! だからお願い、それ以上何も言わないでっ……。私を放っておいてよおっ……」

 ざあざあと雨が降る中で、泣き沈むリアをゼルドリックは呆然と見た。

「俺は……俺は、……リア……」

「嫌い、嫌い、嫌い……! 私に近づかないで、もう私のことは忘れて……」

 リアは泣いた。苦しみのまま泣き叫んだ。

「きらい、……きらい……嫌いよ、大嫌い……」

 リアはそう呟き続けた。拒絶の言葉ばかり吐いたつまらない抵抗が、大雨の中で続けられた。
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