62 / 80
第三章
62.花ことば
しおりを挟む
強い夕焼けの光に、辺り一面が赤く染まる。さらさらと穏やかな風がそよぐ音だけが聞こえる。
リアは高台にて草の上に座り込み、村の全景をぼんやりと眺めていた。
「……」
はずれの村は、少しずつ変わりつつある。
夕焼け時に赤く染まる峰々と清浄な水を湛えた湖は変わらないが、自警団の事務所はなお大きく拡張され、湖畔から事務所へと続く道は石畳で舗装された。道の両端には美しい薔薇が植えられ、はずれの村を訪れた人々の目を楽しませる。
住民の家は茅葺き屋根から煉瓦造りのものへと建て直されていき、鮮やかな屋根の色を高台から見ることができた。発展に伴い湖畔を訪れる船が増え、そしてこの田舎村に移住する人間も出てきた。
ゼルドリックと契りを交わしてから、およそ三十五年の時が経った。
長女のリリーと長男のウィローは独り立ちし、外の世界へと旅立っていった。次女のイリス、三女のヴィオラ、末っ子のセージ。彼らは学問を深めることを志し、オリヴァーの庇護の元、王都で暮らしている。リアは広い家の中で、ゼルドリックと二人きりで過ごしていた。
高台の景色もまた変わった。警鐘しかない高台だったというのに、今は美しい薔薇と、アカドクジシソウ――パルシファーが等間隔で植えられている。風に乗って、薔薇の芳香がほのかに漂う。リアは目を閉じ、深く息を吸ってその芳香を胸に満たした。
「リア、冷えるぞ」
夫の声が降ってくる。背後から優しく抱き締められ、リアは前に回された腕に自分の手を重ねた。
「今日もここから村の景色を眺めていたのか?」
「ええ。特に夕暮れ時に見る村の景色は綺麗ね。山が赤く染まって、水面が夕暮れの光を反射して輝いて……ずっと見ていられるわ」
リアはどこかぼんやりとした様子でそう言った。
「……ああ。綺麗だな」
ゼルドリックはリアの横に座り、共に村の全景を眺めた。リアは近頃、夕暮れ時にこうして高台から景色を眺めることが増えた。村の全景を眺めるリアの横顔にはどこか影が感じられる。ゼルドリックは己の妻が宿す影に近づきたくて、小さな手をそっと握った。
「君と見るから、特にそう感じる」
「…………」
リアは手を包む大きな手の温度を味わい、そしてゼルドリックの横顔を見上げた。
彼の黒い肌に強い夕日が当たり、きらきらと美しく煌めく。高い鷲鼻や柔らかい唇にまで、空から光の粒が降り注ぎ、彼を黄金色に彩る。優しさを宿した青い瞳が、慈しむように村を見つめている。
ゼルドリックは美しかった。ずっと美しいままだった。
夫の姿は一切変わらない。老いを感じさせない全盛期の二十半ばの姿から、何一つ変わらない。
リアには、それが哀しかった。
「リア……?」
頬に伝う雫に気が付き、ゼルドリックはリアの顔を己の方へと向かせた。妻の赤い瞳から、次々と涙が溢れ落ちていく。雫を指で掬い、慰めるように髪を撫でても、リアの涙は止まることはない。
「どうしたんだ……?」
眉を下げる夫の顔にリアはそっと手を伸ばした。感触を確かめるように、黒く光沢のある頬を撫でる。
「……ゼル。ゼルドリック。あなたはずっと若いままね」
(私は変わった。手にも顔にも、皺が浮き出るようになった)
「何一つ変わらないわ。ずっと、美しい王子様のまま。それが近頃悲しくて仕方ないの。あなたと私の生きる時間は違うんだって、強く思い知らされるから」
「リア……」
リアの身体が強く抱き締められる。さらさらとした黒髪を梳いて、リアは震える声で続けた。
「ねえ、ゼル。あなたはひどく怖れているわね。私の死を」
ゼルドリックの身体が強張る。彼はゆるゆると顔を上げ、リアの肩を掴んだ。
「ゼルの怖れが私の心に伝わってくるの。あなたは今も私を愛してくれている。時が経つほどに、尚深く愛してくれている。好きだと言ってくれたこの真っ赤な髪に白髪が混じり始めても、心から美しいと思ってくれている……」
リアは涙に潤む目で、ゼルドリックの貴石のような瞳を見つめた。
「ゼル。私の王子様……あなたは、どんな姿になっても私を愛してくれるのね。でも私の老いが、あなたに強い恐怖を与えている。ゼル、その首に着けられた罪人の枷を無理やり解いて、どんな罪に問われようとも、魔法を使って私の命を永らえさせようと考えているわね。駄目よ、そんなことをしては」
「……リア」
「私は死ぬわ。それは避けられない」
「やめてくれ、リア……」
「どんな魔法でも……人間とドワーフの血を引く者として生まれた限り、エルフであるあなたと同じだけの時間を生きることは叶わないわ。天から与えられた寿命は覆せない。ゼル、あなたも解っているでしょう?」
ゼルドリックの顔が悲痛に歪められる。胸を強く締め付ける痛みに、リアはまた涙を流した。
「私はいつまでもあなたの傍にはいられないの。そう遠くない未来に、あの空の向こうへ旅立たなければならない」
リアは雲間から差す光芒をぼんやりと見つめた。天へと登る梯子のように見えるそれを。
「ねえ、ゼル。あなたは私がいなくなった後も、生きていってくれる?」
「…………」
己の夫はその問いに答えず、ただ静かに涙を流した。自分を深く愛するゼルドリックが、自分の後を追ってしまわないか。それがリアの心を苦しめ続けていた。
「どうか、命を絶つだなんて言わないで。私があなたの隣からいなくなっても生きてちょうだい。苦しいの、心配なのよ。私の喪失に、あなたが耐えられるかどうか……」
リアはぼたぼたと涙を流し、力の抜けた夫の身体を強く抱き締めた。
「……俺、は」
震えた声が落ちる。
「考えたくない。考えただけで狂いそうになるんだ。俺の傍からリアが……いなくなるだなんて! そんなことは耐えられない!」
「…………ゼル」
「こんな夕暮れの日だったな、事務所の中で君と初めて顔を合わせたのは。君と会った時、俺が感じたのは歓喜と、……落胆だった。百年以上求め続けていた姫君の耳は長くなかった。同族ではないから、俺と同じ時間を生きることは叶わないと解っていたっ……」
リアの身体が、強く抱き締め返される。
「それでも、魔法でも何でも使って、君の命を無理やり永らえさせればいいと思っていた。だが今の俺は魔力を操れない。老いていく君を見つめることしか出来ない。それが、苦しくて仕方ないんだ……。君は俺の手をすり抜けて、もうすぐあの空へと旅立ってしまう……! 嫌だ、リア……俺を置いて、逝かないでくれ……!」
ゼルドリックは声を上げて泣き沈んだ。彼の震える背に手をやり、優しく摩る。
「ゼル。私が死んでも、私が生きた証は残り続けるわ。私たちには、子がいるでしょう? ふたりで慈しみながら育てた、かけがえのない宝物があるでしょう。リリー、ウィロー。そしてイリス、ヴィオラ、セージ。彼らは長く生きるわ。長く生きて、あなたを支えてくれる」
「……」
「あなたは独りじゃない。ミーミス様が、オリヴァー様が。メルローちゃんが、レントさんが、アンジェロ様が……あなたと子どもたちを見守ってくれる」
「リア……」
ぼろぼろと涙を流す青い瞳。その瞳に映る自分は老いていて、リアは無情な時の流れを苦く思った。
(時が止まってしまえばいいのに。そうしたら、ずっとあなたの傍にいられるのに)
「私も、契りの薔薇を創り出せたら良かったのにね。そしたら薔薇をゼルに捧げて、私がどんなにあなたを愛しているか、どんなにあなたを大切に想っているか、雲の向こうに旅立った後も伝え続けることができたのに」
ゼルドリックの胸に、リアは顔を埋めた。聞こえる鼓動の速さは同じなのに、彼はこれから気が遠くなるほどの時間を生きていく。残酷なことをするものだと、リアは少しだけ神を恨んだ。
(だけど、私が私だったから。リア=リローランとして生まれたから。だからあなたと出逢うことができた。だから、神様には感謝をしているわ)
リアは微笑み、涙に濡れる夫の顔を真っ直ぐに見つめた。
「ゼル、あなたの薔薇を受け入れた時に言ったわね。私の命が尽きた後も子を守り続けてと。その約束は、絶対に守ってちょうだい。あなたは生きるのよ」
「……」
「私の喪失は、私が遺したものが埋めてくれるはずよ。それはあなたとの子どもであったり、王都やこの村で過ごしてきた思い出であったり。私が作ってきたたくさんの装身具や道具であったり。私は思い出の中で生き続ける。私たちの思い出は、決して色褪せないわ」
「リア……」
「どうか、私の喪失に耐えられなくなった時は、私と共に過ごしてきた時間を思い出してね。そして遺されたものを慈しんで生きていってね。子どもたちを、この村にあるものを……」
ゼルドリックは唇を震わせながらも、ゆっくりと頷いた。リアは涙を流す夫に笑みを向け、彼の手に己の指を絡ませた。
「奇跡」
「……リア?」
「青い薔薇の花ことばよ。確か、奇跡だったと思って」
リアはサイドテーブルに飾られた契りの薔薇を思い出すように、ゆっくりと目を瞑った。
「ゼルは私を奇跡だと言ってくれたわね。私も、ゼルのことをそう思うわ。あなたは私の奇跡だった。そして運命だった。王子様、あなたに逢えて良かった……。ずっとずっと愛しているわ」
リアは顔を近づけ、涙に濡れる唇にそっと口付けた。
「あなたが私を望み、そして私はゼルの前に現れた。……もう一度、神様に奇跡を願いましょう」
ふわふわとした髪を風に靡かせ、リアは微笑んだ。
「どんな命も廻ると云うわ。私は生まれ変わったら、またゼルに会いに行く。あなたは長きを生きる中で私を待っていて。命が廻ると云うならば、私があなたの前にまた現れる可能性はゼロじゃない。何百年、何千年とかかるかもしれない。それでも必ず、あなたに会いに行くから……」
「リア……。……ああ、必ずだ。必ず、俺に会いに来てくれ。赤い髪の姫君。何よりも愛おしい姫君。……君を待っている。待ちながら生きていくよ。だからっ……。約束だ、必ず戻ってきてくれ……! そして逢えた時は、また契ろうな」
「ええ、約束よ」
お互いの小指を絡ませ合う。ゼルドリックは悲痛に心を震わせながらも、リアに向けて笑みを作った。
「ゼルと過ごした時間は夢のようだった。優しくて、穏やかで、幸せだった」
「ああ。俺もそう思う。君と過ごした時間は、何よりも心満たされた」
「これからも、そう過ごしていきたいわ。残された時間を大切にしましょう。笑って暮らしていきましょう。どこを切り取っても幸せで、愛おしくあるように」
「……ああ」
リアとゼルドリックは手を繋ぎ合わせ、夕焼けの中、ぴったりと身を寄せ合った。
お互いの胸に、約束を強く抱いて。
リアは高台にて草の上に座り込み、村の全景をぼんやりと眺めていた。
「……」
はずれの村は、少しずつ変わりつつある。
夕焼け時に赤く染まる峰々と清浄な水を湛えた湖は変わらないが、自警団の事務所はなお大きく拡張され、湖畔から事務所へと続く道は石畳で舗装された。道の両端には美しい薔薇が植えられ、はずれの村を訪れた人々の目を楽しませる。
住民の家は茅葺き屋根から煉瓦造りのものへと建て直されていき、鮮やかな屋根の色を高台から見ることができた。発展に伴い湖畔を訪れる船が増え、そしてこの田舎村に移住する人間も出てきた。
ゼルドリックと契りを交わしてから、およそ三十五年の時が経った。
長女のリリーと長男のウィローは独り立ちし、外の世界へと旅立っていった。次女のイリス、三女のヴィオラ、末っ子のセージ。彼らは学問を深めることを志し、オリヴァーの庇護の元、王都で暮らしている。リアは広い家の中で、ゼルドリックと二人きりで過ごしていた。
高台の景色もまた変わった。警鐘しかない高台だったというのに、今は美しい薔薇と、アカドクジシソウ――パルシファーが等間隔で植えられている。風に乗って、薔薇の芳香がほのかに漂う。リアは目を閉じ、深く息を吸ってその芳香を胸に満たした。
「リア、冷えるぞ」
夫の声が降ってくる。背後から優しく抱き締められ、リアは前に回された腕に自分の手を重ねた。
「今日もここから村の景色を眺めていたのか?」
「ええ。特に夕暮れ時に見る村の景色は綺麗ね。山が赤く染まって、水面が夕暮れの光を反射して輝いて……ずっと見ていられるわ」
リアはどこかぼんやりとした様子でそう言った。
「……ああ。綺麗だな」
ゼルドリックはリアの横に座り、共に村の全景を眺めた。リアは近頃、夕暮れ時にこうして高台から景色を眺めることが増えた。村の全景を眺めるリアの横顔にはどこか影が感じられる。ゼルドリックは己の妻が宿す影に近づきたくて、小さな手をそっと握った。
「君と見るから、特にそう感じる」
「…………」
リアは手を包む大きな手の温度を味わい、そしてゼルドリックの横顔を見上げた。
彼の黒い肌に強い夕日が当たり、きらきらと美しく煌めく。高い鷲鼻や柔らかい唇にまで、空から光の粒が降り注ぎ、彼を黄金色に彩る。優しさを宿した青い瞳が、慈しむように村を見つめている。
ゼルドリックは美しかった。ずっと美しいままだった。
夫の姿は一切変わらない。老いを感じさせない全盛期の二十半ばの姿から、何一つ変わらない。
リアには、それが哀しかった。
「リア……?」
頬に伝う雫に気が付き、ゼルドリックはリアの顔を己の方へと向かせた。妻の赤い瞳から、次々と涙が溢れ落ちていく。雫を指で掬い、慰めるように髪を撫でても、リアの涙は止まることはない。
「どうしたんだ……?」
眉を下げる夫の顔にリアはそっと手を伸ばした。感触を確かめるように、黒く光沢のある頬を撫でる。
「……ゼル。ゼルドリック。あなたはずっと若いままね」
(私は変わった。手にも顔にも、皺が浮き出るようになった)
「何一つ変わらないわ。ずっと、美しい王子様のまま。それが近頃悲しくて仕方ないの。あなたと私の生きる時間は違うんだって、強く思い知らされるから」
「リア……」
リアの身体が強く抱き締められる。さらさらとした黒髪を梳いて、リアは震える声で続けた。
「ねえ、ゼル。あなたはひどく怖れているわね。私の死を」
ゼルドリックの身体が強張る。彼はゆるゆると顔を上げ、リアの肩を掴んだ。
「ゼルの怖れが私の心に伝わってくるの。あなたは今も私を愛してくれている。時が経つほどに、尚深く愛してくれている。好きだと言ってくれたこの真っ赤な髪に白髪が混じり始めても、心から美しいと思ってくれている……」
リアは涙に潤む目で、ゼルドリックの貴石のような瞳を見つめた。
「ゼル。私の王子様……あなたは、どんな姿になっても私を愛してくれるのね。でも私の老いが、あなたに強い恐怖を与えている。ゼル、その首に着けられた罪人の枷を無理やり解いて、どんな罪に問われようとも、魔法を使って私の命を永らえさせようと考えているわね。駄目よ、そんなことをしては」
「……リア」
「私は死ぬわ。それは避けられない」
「やめてくれ、リア……」
「どんな魔法でも……人間とドワーフの血を引く者として生まれた限り、エルフであるあなたと同じだけの時間を生きることは叶わないわ。天から与えられた寿命は覆せない。ゼル、あなたも解っているでしょう?」
ゼルドリックの顔が悲痛に歪められる。胸を強く締め付ける痛みに、リアはまた涙を流した。
「私はいつまでもあなたの傍にはいられないの。そう遠くない未来に、あの空の向こうへ旅立たなければならない」
リアは雲間から差す光芒をぼんやりと見つめた。天へと登る梯子のように見えるそれを。
「ねえ、ゼル。あなたは私がいなくなった後も、生きていってくれる?」
「…………」
己の夫はその問いに答えず、ただ静かに涙を流した。自分を深く愛するゼルドリックが、自分の後を追ってしまわないか。それがリアの心を苦しめ続けていた。
「どうか、命を絶つだなんて言わないで。私があなたの隣からいなくなっても生きてちょうだい。苦しいの、心配なのよ。私の喪失に、あなたが耐えられるかどうか……」
リアはぼたぼたと涙を流し、力の抜けた夫の身体を強く抱き締めた。
「……俺、は」
震えた声が落ちる。
「考えたくない。考えただけで狂いそうになるんだ。俺の傍からリアが……いなくなるだなんて! そんなことは耐えられない!」
「…………ゼル」
「こんな夕暮れの日だったな、事務所の中で君と初めて顔を合わせたのは。君と会った時、俺が感じたのは歓喜と、……落胆だった。百年以上求め続けていた姫君の耳は長くなかった。同族ではないから、俺と同じ時間を生きることは叶わないと解っていたっ……」
リアの身体が、強く抱き締め返される。
「それでも、魔法でも何でも使って、君の命を無理やり永らえさせればいいと思っていた。だが今の俺は魔力を操れない。老いていく君を見つめることしか出来ない。それが、苦しくて仕方ないんだ……。君は俺の手をすり抜けて、もうすぐあの空へと旅立ってしまう……! 嫌だ、リア……俺を置いて、逝かないでくれ……!」
ゼルドリックは声を上げて泣き沈んだ。彼の震える背に手をやり、優しく摩る。
「ゼル。私が死んでも、私が生きた証は残り続けるわ。私たちには、子がいるでしょう? ふたりで慈しみながら育てた、かけがえのない宝物があるでしょう。リリー、ウィロー。そしてイリス、ヴィオラ、セージ。彼らは長く生きるわ。長く生きて、あなたを支えてくれる」
「……」
「あなたは独りじゃない。ミーミス様が、オリヴァー様が。メルローちゃんが、レントさんが、アンジェロ様が……あなたと子どもたちを見守ってくれる」
「リア……」
ぼろぼろと涙を流す青い瞳。その瞳に映る自分は老いていて、リアは無情な時の流れを苦く思った。
(時が止まってしまえばいいのに。そうしたら、ずっとあなたの傍にいられるのに)
「私も、契りの薔薇を創り出せたら良かったのにね。そしたら薔薇をゼルに捧げて、私がどんなにあなたを愛しているか、どんなにあなたを大切に想っているか、雲の向こうに旅立った後も伝え続けることができたのに」
ゼルドリックの胸に、リアは顔を埋めた。聞こえる鼓動の速さは同じなのに、彼はこれから気が遠くなるほどの時間を生きていく。残酷なことをするものだと、リアは少しだけ神を恨んだ。
(だけど、私が私だったから。リア=リローランとして生まれたから。だからあなたと出逢うことができた。だから、神様には感謝をしているわ)
リアは微笑み、涙に濡れる夫の顔を真っ直ぐに見つめた。
「ゼル、あなたの薔薇を受け入れた時に言ったわね。私の命が尽きた後も子を守り続けてと。その約束は、絶対に守ってちょうだい。あなたは生きるのよ」
「……」
「私の喪失は、私が遺したものが埋めてくれるはずよ。それはあなたとの子どもであったり、王都やこの村で過ごしてきた思い出であったり。私が作ってきたたくさんの装身具や道具であったり。私は思い出の中で生き続ける。私たちの思い出は、決して色褪せないわ」
「リア……」
「どうか、私の喪失に耐えられなくなった時は、私と共に過ごしてきた時間を思い出してね。そして遺されたものを慈しんで生きていってね。子どもたちを、この村にあるものを……」
ゼルドリックは唇を震わせながらも、ゆっくりと頷いた。リアは涙を流す夫に笑みを向け、彼の手に己の指を絡ませた。
「奇跡」
「……リア?」
「青い薔薇の花ことばよ。確か、奇跡だったと思って」
リアはサイドテーブルに飾られた契りの薔薇を思い出すように、ゆっくりと目を瞑った。
「ゼルは私を奇跡だと言ってくれたわね。私も、ゼルのことをそう思うわ。あなたは私の奇跡だった。そして運命だった。王子様、あなたに逢えて良かった……。ずっとずっと愛しているわ」
リアは顔を近づけ、涙に濡れる唇にそっと口付けた。
「あなたが私を望み、そして私はゼルの前に現れた。……もう一度、神様に奇跡を願いましょう」
ふわふわとした髪を風に靡かせ、リアは微笑んだ。
「どんな命も廻ると云うわ。私は生まれ変わったら、またゼルに会いに行く。あなたは長きを生きる中で私を待っていて。命が廻ると云うならば、私があなたの前にまた現れる可能性はゼロじゃない。何百年、何千年とかかるかもしれない。それでも必ず、あなたに会いに行くから……」
「リア……。……ああ、必ずだ。必ず、俺に会いに来てくれ。赤い髪の姫君。何よりも愛おしい姫君。……君を待っている。待ちながら生きていくよ。だからっ……。約束だ、必ず戻ってきてくれ……! そして逢えた時は、また契ろうな」
「ええ、約束よ」
お互いの小指を絡ませ合う。ゼルドリックは悲痛に心を震わせながらも、リアに向けて笑みを作った。
「ゼルと過ごした時間は夢のようだった。優しくて、穏やかで、幸せだった」
「ああ。俺もそう思う。君と過ごした時間は、何よりも心満たされた」
「これからも、そう過ごしていきたいわ。残された時間を大切にしましょう。笑って暮らしていきましょう。どこを切り取っても幸せで、愛おしくあるように」
「……ああ」
リアとゼルドリックは手を繋ぎ合わせ、夕焼けの中、ぴったりと身を寄せ合った。
お互いの胸に、約束を強く抱いて。
1
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。
そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。
相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。
トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。
あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。
ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。
そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが…
追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。
今更ですが、閲覧の際はご注意ください。
幼い頃に、大きくなったら結婚しようと約束した人は、英雄になりました。きっと彼はもう、わたしとの約束なんて覚えていない
ラム猫
恋愛
幼い頃に、セレフィアはシルヴァードと出会った。お互いがまだ世間を知らない中、二人は王城のパーティーで時折顔を合わせ、交流を深める。そしてある日、シルヴァードから「大きくなったら結婚しよう」と言われ、セレフィアはそれを喜んで受け入れた。
その後、十年以上彼と再会することはなかった。
三年間続いていた戦争が終わり、シルヴァードが王国を勝利に導いた英雄として帰ってきた。彼の隣には、聖女の姿が。彼は自分との約束をとっくに忘れているだろうと、セレフィアはその場を離れた。
しかし治療師として働いているセレフィアは、彼の後遺症治療のために彼と対面することになる。余計なことは言わず、ただ彼の治療をすることだけを考えていた。が、やけに彼との距離が近い。
それどころか、シルヴァードはセレフィアに甘く迫ってくる。これは治療者に対する依存に違いないのだが……。
「シルフィード様。全てをおひとりで抱え込もうとなさらないでください。わたしが、傍にいます」
「お願い、セレフィア。……君が傍にいてくれたら、僕はまともでいられる」
※糖度高め、勘違いが激しめ、主人公は鈍感です。ヒーローがとにかく拗れています。苦手な方はご注意ください。
※『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる