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14.Octave
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波の音が聞こえる。
穏やかな陽の光に誘われ、少しずつ意識が覚醒する。
『らーずりっ』
頬を軟らかいものですりすりと摩られ、ラズリはくすぐったさに身動いだ。
『ラズリ。可愛い可愛い俺のラズリ。世界で一番綺麗なラズリちゃん。もう起きてくれよ、俺にその青い目を見せてくれ。……おい。ラズリってば。ラズリ? らあぁぁずぅぅぅりいぃぃぃぃ? ……うーん、起きねえな。おいラズリ! お前はいつまでぐーすか寝てるんですかあ!? ねぼすけラズリさん、もう朝ですよおおおお! 起きろ! 起っきーろ! おーーーきーーーろーーー!!』
……喧しい。
そして随分と弾んだ声だ。
くぐもった笛のような音だが、ラズリはその音を喜びの声として認識した。
(ルブラ、とっても楽しそう)
頭の中に響く不可思議な人外の声は、脳に染み入り宇宙の彼方にある星や海底都市の景色を見せつけてくる。だがラズリはそれをちっとも怖ろしいとは思わなかった。愛しい男の記憶を垣間見ることができて嬉しかったのだ。
自分の頬を撫でたり、つついたりするルブラに愛おしさがこみ上げる。毎朝このように起こされては堪らないが、傍にルブラがいてくれる安心感にほっとする。ラズリは微笑み、自分を起こそうとする触腕に頬を擦り寄せた。
「るーぶらっ」
『っ!? ら、ラズリが俺に甘えてる……。ああああっ、すっげえ可愛いっ! ラズリ、俺の足はすべすべして気持ちいいだろ? こうやって毎日足ですっぽり抱きしめてやるからなあ! なあ、愛しのラズリ。美味い飯を作ってやるからさ、早く起きろよ。らーずりちゃん? ラズリってば。もう起床のお時間ですよーーー。愛しのルブラが待ってますよーーー。……おいラズリ、無視するな! 耳を塞ぐんじゃねえ! らずりいいいッッ!!!』
「うぅ、うるさい! 大声出さないでよ! まだねむいの、寝かせてよ……」
ラズリは欠伸をし、軟らかな蛸足に顔を埋めた。何時間もルブラと交わった疲労感がまだ身体に残っている。ラズリはおやすみと呟きすぐに寝入ろうとしたが、頬にぴたぴたと打ち付けられる触腕がそれを許さない。ラズリは呻きながら、ルブラの蛸足の上で何度も寝返りを打った。
『お前、ほんっとうに頑固だな!? こんなにほっぺたをぷにぷにつついてんのによ! ああもう、いい加減起きてくれよ。昼になっちまうぞ! 寝起きの悪ぃラズリちゃん、諦めてすっぱり起きましょうね。ほらほらぁ、起きねえと顔をくすぐっちまうぜ? くしゃみが止まらなくなっても知らねえぞ!』
鼻の頭をこちょこちょとくすぐられる。
そのまま穴に触腕の先端を挿し込まれそうになり、ラズリは勢いよく飛び起きた。
『あははははっ! おはよ、ラズリ!』
「馬鹿ルブラ、鼻に突っ込むことないじゃない! もう、まだ寝ていたかったのに……!」
ラズリはくしゃみをしながら鼻を擦った。
ルブラから離れたくない。自分を包む軟らかな蛸足はとにかく肌触りが良くて、ずっとずっと触れていたい。ラズリが仕方なく寝起きに霞む目を擦ると、大きな蛸の頭が視界に飛び込んできた。
「ここは?」
『お前を攫った浜辺だ。新生活を始めるために、陸に戻ってきたんだ』
六つの金眼がうっとりと細められる。
太陽のように輝くルブラの目が優しくて、ラズリは胸が幸福に満たされるのを感じた。
『なあ、空を見てみろよ。お前の目みたいな色してるぜ』
「本当だ。いい天気だね」
大蛸の頭に寄りかかりながら、澄み切った空を見上げる。陽光が七色に煌めいて、ラズリの目に淡い虹を見せた。
海鳥の群れが上空を旋回し、白い砂浜に色鮮やかな羽根を落としていく。赤、黄、橙、桃色。美しい羽根が花びらのようにひらひらと舞い落ちる。それは愛する男と結ばれた、天空神の化身への祝福のように思えた。
「これ、着せてくれたの?」
潮風に白いワンピースがひらひらと揺れる。花嫁衣装みたいとラズリが呟くと、ルブラは嬉しそうに蛸足をうねらせた。
『ああ。大事な大事な俺の女が風邪引いちまったら大変だからな』
俺の妻、俺の花嫁、俺だけの番。ルブラのうきうきとした声に、ラズリの胸が温かくなる。夫の頭にキスをしてから、ラズリはゆっくりと起き上がった。
水天一碧。
輝く海の美しさに、ラズリは目を眇めた。
(静かね……)
浜辺には、打ち寄せる波音と海鳥の鳴き声だけが響いている。狂乱の気配はもうどこにもない。
(ルブラは約束通り、何もかも元に戻してくれたんだね)
青い海、白い砂浜、見慣れた都市の景色。街を覆っていた魚のはらわたの臭いも、魚人の軍勢もすっかり消えている。かつての姿を取り戻した世界に、ラズリは胸を撫で下ろした。
『ラズリ、また一緒に暮らすのが楽しみだなあ! まずはお前の故郷に連れて行ってくれよ。結婚する時は家族に挨拶するんだろ? んで土産も持っていって、金やら宝石やらも全部差し出して、娘をくださいって毎日頭下げるんだろ? 獣を倒したり崖を飛び越えたり、厳しい試練を乗り越えた男だけが結婚できるんだ! どうだ、正解だろ。海に潜ってしっかり学んできたんだぜ!』
「うん……? まあ、それは家によるかな……。うちの場合はそんなに厳しくないよ。ふふっ、父さんと母さん、あなたを見たらどんなに喜ぶかしらね」
世界は破滅を迎えることなく、まだ続いていく。
そして自分とルブラは、この世界で新たな関係を築き上げていくのだ。
……ああ、幸せだ。
「大好き、ルブラ」
『……ふひひっ、俺も』
軟らかい蛸の頭に抱きつく。ルブラの蛸足がぐねぐねと歓喜に蠢いて、ラズリはその可愛らしさに顔を綻ばせた。
「ラズリくん!!」
静寂を男の声が切り裂く。
砂浜に駆けてきたマーシュは、破れた服を抑えながらラズリと大蛸を見据えた。
「マーシュ隊長……」
『っち、この野郎。まだ俺の邪魔をしようってのか!?』
ラズリの身体にしゅるしゅると触腕が絡みつく。
そしてラズリもまた、ルブラを守るようにマーシュに向き直った。
「邪魔だと? xxxxx、人間の邪魔をしてきたのは貴様だろうが! 醜い魚どもを陸にばら撒き、数多の同胞を海に引きずり込み、挙げ句ラズリくんを穢した! 僕は貴様が憎い。何よりも憎い! 貴様のせいで、僕は大切な人々を喪ったのだ!」
マーシュは吼え、大蛸を鋭く睨みつけた。柔和な顔は歪み、丸眼鏡の奥の瞳は強烈な憎しみに燃えている。拳をぎりぎりと握りしめながらも、マーシュは努めて冷静な声でラズリに命じた。
「ラズリくん、隊長命令だ。奴から離れなさい」
「嫌です。絶対に離れません」
ラズリはきっぱりと言い放ち首を横に振った。悍ましい霊気を滲ませるルブラに大丈夫だからと声を掛け、彼を落ち着かせる。するとマーシュは大きく息を吐いた後、静かな声で呟いた。
「あの怖ろしい邪神が、人間の言うことを素直に聞くとはな」
マーシュは血走った目でラズリの背後にいる大蛸を見た。
「矮小な人間の女と生きるために世界の支配を諦めただと? ……信じられない、何か裏があるはずだ。水神よ、貴様は一体何を企んでいる?」
『はっ、何も企んでねえよクソ眼鏡』
「どうだか。いくら人の真似事をしてもその歪さは隠せないぞ。貴様とラズリくんは本当の夫婦にはなれない、決して!」
『……っ!』
ルブラの身体がびくりと震える。ラズリは怯える彼の頭を撫で、絶対にあなたから離れないと囁いた。
「やめてください隊長。ルブラが何であっても、彼は私の夫です。私たちは夫婦としていつまでも幸せに過ごすんです!」
「ラズリくん、君を傷付けることばかり言って申し訳ないと思う。だが、奴は人間ではない。決して人間にはなれない邪悪な怪物だ。君は人の皮を被った悍ましい化物を夫に迎えようというのかね? ……正気か?」
「……酷い言い方をしないでください」
「事実だろう。僕はラズリくんを止めるためならいくらでも酷いことを言えるぞ」
マーシュはぶるぶると震える大蛸を傷付けるように鋭い言葉を重ねた。
「人が通常持ち得る善意も良識も、そやつは真に理解することはできまい。目を覚ませ、君はxxxxxといてはならないんだ。積もり積もった何十万年分の憎しみが、君と過ごした僅かな日々で消えるとは思えない。邪神の愛が本当だとしても、それはすぐにかき消えるまやかしのようなものだ。君は魚人たちから命を狙われるぞ……主を陥れた天空神の存在を、魚どもが許すはずがないのだから!」
マーシュの目から涙が溢れ出る。
必死に自分を止めようとする上司に、ラズリは眉を下げた。
「どうか、僕の言うことを聞いてくれ。僕はもう見たくない。大切な人々が死ぬのを見たくないんだ! 友も愛する人も血族に殺された! 君まで喪ったら、僕は……!」
「……マーシュ隊長。魚人に大切な人々を奪われたあなたの痛みも解ります。隊長は優しいから、妹のように世話をしてきた私が死なないか心配しているのでしょう」
「ああ、そうだ。だから考え直してくれ。奴といたら、君は破滅を迎えるのだぞ!」
「迎えません。私のことが気に入らない魚人が何人襲ってこようが、隊長譲りの体術で全て投げ飛ばしてみせます。それに、ルブラは私を守ってくれる。何からも誰からも私を守り抜いてくれる」
ラズリは微笑み、自分を抱きしめる大蛸に寄りかかった。
「私はルブラを信じている。私たちの愛は、決して消えない」
青い目を潤ませながらも、ラズリはまっすぐにマーシュを見つめ返した。大蛸に寄り添う彼女の目はきらきらと輝いている。どこまでも清らかなその瞳に、マーシュはくしゃりと顔を歪めた。
この女は狂気に侵されていない。
自分の意志で、邪神に寄り添っているのだ……。
「マーシュ隊長。天空神は水神の手に堕ち、骨は崩れ去りました。水神に対抗できるものはもう何も残されていません。世界の破滅も安寧も、全てルブラの思うがままだということです。そのルブラが私を求めている。彼の望みを邪魔すれば、どうなるかお分かりですね? ……ふふっ。ほら、ルブラはこんなにも私のことが好きなんですよ」
ルブラの触腕がラズリの全身に絡みつく。人外の声で囁かれるラズリへの愛が、マーシュの脳を埋め尽くす。
ラズリはマーシュを脅すように、にやりと笑った。
「私がルブラの傍にいなければ世界が破滅するのです。ですから隊長、もう何もしないでください。どうか、私たちをそのまま見送ってください。ルブラと私の愛が脅かされない限り、世界の安寧は続いていく。隊長は自分のせいで世界を滅ぼされたくないでしょう?」
「……ラズリ、くん……」
「今までお世話になりました。私たちは故郷の山に戻ろうと思います。あなたと働いた十年は私の礎でした。どうかあなたが、心穏やかに過ごせますように。……さよなら、マーシュ隊長」
行こう、ルブラ。
ラズリが触腕をしっかり握り返すと、ルブラは金の目を安堵に細めた。ラズリはそのまま砂浜を後にしようとしたが、マーシュにすぐさま引き止められた。
「待ってくれ! ……待ってくれ、ラズリくん」
マーシュは涙を拭い、ラズリに向けて敬礼をした。
「この世界を救った英雄に、心からの感謝と敬意を。ラズリくん、君を騙して済まなかった。そして本当にありがとう……」
ふわふわとした茶髪が風に靡き、その奥にある目をラズリにはっきりと見せる。マーシュの目にはもう憎しみの炎は無く、部下への労りと親愛が滲んでいた。
マーシュは世界の救世主に向けて柔らかく微笑んだ。
「君の幸せを、心から願っている」
……彼らの愛が本物であることは解っていた。
強い喜びの感情と共に、温かく寄り添う姿を見せられては信じるしかなかった。
だが、彼らが番うことに納得できなかった。自分の中で燃え盛る海の民への強烈な憎しみが、ふたりの幸福を許さなかった。
水神と関わった者は全て不幸になる。きっとラズリも例外ではない。あの邪神はいつか、怨敵であったラズリを陥れるだろう……。その恐怖が消えなかった。
だが。
――私はルブラを信じている。私たちの愛は、決して消えない。
ラズリのその言葉を聞いて、大蛸は嬉しそうに目を細めた。歓喜に潤む目、ラズリへの愛情が滲む目。人外の瞳を持ちながらも、その目に宿す感情はどこまでも人間らしかった。
ラズリは心からあの邪神を愛している。そして邪神もまた、深くラズリを愛している。
あのような目をする「ルブラ」ならば、己の妻をいつまでもいつまでも大切にしていく筈だ。
ラズリがこの先笑って過ごせるのならそれでいい。
自分がそうさせたとはいえ、ルブラを喪って泣き叫ぶ彼女を見るのは辛かった。
強烈な憎しみが、ラズリを前に和らいでいく。
この女は力を失っても、天空神の化身に変わりないのだ。
彼女の清らかさは、この魂に救いをもたらしてくれる……。
「ラズリくん。どうか元気で」
ラズリはマーシュに答礼し、頭を下げた後に背を向けた。彼女を守るようにして、大蛸がずるりずるりと砂浜を這う。おどろおどろしく、そして清らかなふたりの後ろ姿を、マーシュはいつまでも見つめ続けた。
(僕はやっと、人間として生きられるのだろうか)
頭の中に響く呼び声が消えた。
直感的に解る。自分は、海に還るという宿命から解放されたのだ。
古のものの血を引く者は永遠ともいえる時間を生きる。だが、自分がただの人間として生きられるのなら、この苦しみもやっと終わるかもしれない。人として、この生を全うできるかもしれない……。
「僕もいずれ、そちらに行けるかもしれないな」
マーシュは青空を見上げ、そこにいるかつての仲間を想った。
********
警備隊の仕事を辞めたラズリは、荷物をまとめすぐさま故郷へと向かった。
村に着くやいなや、ラズリは見知った住人たちに取り囲まれた。あのラズリが男を連れて帰ってきた。その話はあっという間に村中を駆け巡り、村の入口には多くの住人が集まった。誰もがラズリの隣に立つ男に興味津々で、自分よりも一回りも二回りも大きなルブラを見上げてきゃあきゃあと騒いだ。
この男は誰だ、どこで出会ったんだ、どうして刺青だらけなんだ、どうして変な髪型をしているんだと質問攻めにしてくる住人に、ラズリはひとつひとつ丁寧に説明をした。ルブラは自分の夫で、赴任先の島に漂着した異国出身の男なのだと。だが刺激に飢えた田舎村の者たちはそれでは収まらず、馴れ初めから契りの言葉、ルブラの職業までを聞き出そうとふたりの後をつけ回した。
「……はあ、おかしくなりそう。同じ話をしすぎて頭が痛くなってきた……」
年老いた村長を筆頭に、心配性の母親や野次馬たちがぞろぞろと後をついてくる。何も言わずにこちらを見守ってくれるのは寡黙な父親だけだ。鬱陶しさにラズリが天を仰ぐと、ルブラは面白そうににやにやと笑った。
「まあいいじゃねえか。俺は嬉しいぜ、ラズリは俺のものだって言いふらせるからよ」
小声で話しかけてくるルブラに、ラズリは頷きつつも溜息を吐いた。
「私もルブラを紹介できて嬉しいよ。でもね、限度ってものがあるでしょうが! ここの人たちは新婚のふたりを放っておくことも出来ないの!? ああもう、またうるさそうなのが来た……」
「ラーズリー!! おかえりなさい!」
かしましい女性の集団がふたりを取り囲む。小柄な女性たちはルブラを見て口々に感想を述べた。
「うわあぁぁ、おっきい! ラズリちゃんが小さく見える。こんなに逞しい人は初めて見たわ、うちの男よりも頭三つ分は大きいわぁ」
「ラズリ、あんたやるじゃないの! こんないい男を連れてくるなんてさ! 安心して力仕事を任せられるよ! うちの仕事も手伝ってくれないかなあ? 製材所まで丸太を運んでくれたら助かるんだけど! あははははははっ!」
「異国の人って聞いたけど、ルブラさんって綺麗な顔をしてるのね! それに目が光ってるわ」
(……なんか、もやもやする)
夫が女に取り囲まれるのはいい気がしない。ラズリがそっと唇を噛むと、ルブラはきらりと真白い歯を見せた。
「らーずりっ」
突然ラズリの身体が抱えあげられる。妻を姫抱きにし、ルブラは器用に片目を瞑った。
「はーい、こんにちは。ラズリちゃんの夫のルブラでーす! 愛しくて可愛くて綺麗なラズリにぞっこんです! これからよろしく頼むぜ!」
軽薄な口調で挨拶をしたルブラに黄色い声が上がる。
ラズリはうんざりとしつつも、ルブラの挨拶に照れ笑いを溢した。
*
ラズリは自分の夫が集団生活を営むことができるか心配していたが、それは杞憂に終わった。
ルブラはあっという間に村の人気者になった。丸太も石も軽々と持ち上げる彼は、率先して住人の仕事を手伝いに行く。荒々しくも精悍な顔立ちは人目を惹き、屈強な肉体に男たちは羨望の目を向ける。なおかつ快活で気がいい彼は、すぐに村人たちに受け入れられた。
やや不器用ながらも、ルブラは自分を気遣って良き夫であろうとしてくれている。ラズリは彼の優しさに浸りながら、毎日幸せに過ごした。
家族との生活も順調だった。
ラズリの母は最初、ルブラのことを海賊のような外見の男だと評した。粗野で刺青だらけの男を怖れ、娘は悪い男に騙されているのではないかと心配していた。だが、男が娘へと向ける真っ直ぐな愛を目にして、彼女はルブラを認めるようになった。半月後には、話をしながら共に料理をするまでになった。
猟師の父はルブラに対して特に何も言わなかったが、毎日獣肉を獲ってきては彼に食べるようにと勧めた。ラズリの好物であるそれを、ルブラは美味い美味いと言いながら笑顔で平らげた。テーブルに骨が積み上がる。豪快なルブラの食べっぷりを見て、ラズリの父は顔を綻ばせた。
木を加工したり、気ままに猟をしながら暮らす。ふたりは離れ家で、半年ほど穏やかな夫婦の時間を過ごした。
「ルブラ、今日もお疲れ」
「おう! 遅くなっちまって悪かったな」
夏の蒸し暑い夜。製材所での仕事を終えて帰ってきたルブラの背中を拭きながら、ラズリはそっと彼の刺青に触れた。
海の怪物、貝、泡、烏賊、蛸。そして奇怪で異様な海底神殿の姿。ルブラの全身には、海の徴が刻まれている。
――ラズリ、俺は海が大好きなんだ。
その言葉を思い出し、ラズリは眉を下げた。
「……ねえルブラ。海に帰りたいと思わない?」
「ん? 別にそんなことは思わねえけど。どうしたんだよ急に?」
周囲に誰もいないことを確認してから、ラズリは静かな声で話を切り出した。
「あのね、私たちほぼ毎日してるでしょ。だからルブラの変化に気が付いたんだけど、なんだかあなたの蛸足がしんなりしてる気がして」
「しんなり?」
「こう、元気がないというか。すぐ折れちゃうというか。前ほど硬さも無いし、なんだかかさかさして潤いが足りないというか……」
俯きながらもじもじと話すラズリを見つめた後、ルブラは衝撃に目を見開いた。
「……おい、それってつまり、俺の足が気持ちよくないってことか? 俺じゃもう満足できないってことか!? 嘘だろ、待ってくれよラズリ! 俺もっと頑張るからさあ! お前が好きな形の触手を何千本でも用意するから見捨てないでくれ! 俺を捨てるのは絶対に、ぜえっっったいに許さねえぞラズリいいいぃぃッッ!!」
「ちょっと静かにして! 父さんと母さんが起きちゃうでしょ!」
大声を出すルブラを慌てて落ち着かせ、ラズリはそういうことじゃないと首を横に振った。だがルブラの焦りと怒りは収まらない。彼の下半身が忽ち蛸のものに変貌し、触腕が一斉にラズリに襲いかかる。俺の本気を見せてやると叫ぶルブラを張り倒し、ラズリはうねる交接腕をぎゅっと掴んだ。
「やっぱりね、昨日よりも乾燥してる。あっ、ひび割れてるところもあるじゃない! 痛くないの?」
「別に痛くはねえよ、今お前に叩かれたところの方が痛え!」
「……ごめん。でも、これだけ足が乾いてたら不快な感じはするでしょう? ルブラが無理をしているのは分かっているの」
くたりとした触腕を摩りながら、ラズリは輝く金の瞳を見つめた。
「人間の姿を保つのも、漏れ出る霊気を無理やり抑え込むのも大変なはずよ。あなたは今まで海に潜って力を補給していたみたいだけど、山に来てからそれができなくなった。毎日水浴びしてるけど、この足は乾いていく一方じゃない」
「……んなもん、真水が合わなかっただけだ。塩水ぶっかけときゃ治るだろ」
「そういうことじゃないでしょ! 自分の領域に戻らなければ、あなたは決して回復しないのでしょう。ここに来てから半年が経った、そろそろ海に戻るべきなのよ。ねえ、村を出ましょ。いつでも海で泳げるような場所に住んだ方がいいわ」
ラズリは懸命に夫を説得したが、ルブラは中々頷かなかった。
目を閉じ、蛸足で己の耳をぴったり塞いでしまう。どうしてそんなに嫌がるんだとラズリが尋ねると、彼は悲しそうに足を下げた。
「お前、親に会いたかったんだろ。それに故郷の獣肉が食べたいっていつも言ってた。ラズリを海に連れていったら、親とも獣肉とも離れ離れじゃねえか! 俺のせいで、お前に苦しい思いをさせるのはもう嫌なんだよ」
「……そんなことを心配していたの?」
ルブラの目からぽろりと涙が零れ落ちる。ラズリは夫を抱き寄せ、何の問題もないと力強く言い切った。
「父さんと母さんのことは大丈夫、これが今生の別れって訳じゃないんだから。彼らは私が元気でやっていれば安心してくれるし、私も定期的に挨拶できればいいのよ。それに、海には獣肉に似た味の魚がいるんでしょ? だから……」
あの島に行こう。
私たちの聖地に。私たちだけの聖地に。
ラズリの提案に、ルブラの目が輝く。
「あの島で暮らせば、霊気を無理やり抑え込む必要はなくなるわ。蛸でも何でも好きな姿で生活できる。すぐに海に戻れるし、何よりもあなたと私のふたりだけしかいない」
「……それは」
「魅力的でしょ? もう他の男に嫉妬することもなくなるわよ」
村の男と少し話しただけで蛸足を出しそうになる。己の霊気を植え付けようと、隙あらば料理に自分の肉を混ぜ込もうとしてくる。嫉妬にのたうち回るルブラを見るのも好きだけど、やっぱり愛する夫には笑っていてほしいし、安心感の中で過ごしてほしい。
「居心地が良くてしばらくここにいたけど、私たちはまだ式を挙げてないでしょ? ねえルブラ、私の願いを叶えてよ。青いドレスを着て、真珠の耳飾りと首飾りをつけて、花かんむりを頭に乗せて、綺麗な浜辺でふたりきりの式を挙げるの」
式を挙げるならあなたと出逢ったあの島がいい。
そこで私を世界一幸せにしてほしい。
「行きましょう、あの島へ」
妻の微笑みに、ルブラはゆっくりと頷きを返した。
「ああ。……ありがとう、俺のラズリ」
お互いの目を見つめ合う。ふたりは笑いあった後、そっと唇を重ねた。
*
一月後、ラズリとルブラは村を後にした。
彼らの出立を反対する者は誰もいなかった。寡黙な父も、心配性な母も、笑顔で娘のことを送り出した。隣にルブラがいるなら安心だ、いつまでも彼と健やかに過ごしなさい。両親はそう言って、娘に服やら保存食やら色々なものを手渡した。
刺激を求めて外の世界に旅立った日のことを思い出す。あの時と違うのは、隣にルブラがいることだ。村を出てから色々なことがあった。思い返すと、感慨深いものがある……。
「ラズリ。島に着いたら俺たちの家を建てよう。駐在所よりもずっとずっと大きい家を建てて、綺麗な花をたくさん庭に植えて、美味い果物をならす樹も植えて、二人だけの楽園を作るんだ! 部屋の真ん中には、俺たちふたりがゆったり寝転がれるくらいでっかいベッドを置こうぜ!」
「ふふっ、素敵な計画だね。考えるとわくわくしちゃう」
「島に行くまでに青いドレスを用意しねえとな。お前を綺麗に飾り立ててやらねえと!」
「嬉しいなあ。ねえルブラ、あなたも格好いい服を着てよ! 世界一いい男になってほしいわ」
邪教に塗れた地で暮らすことをあんなに嫌だと思っていたのに、今は違う。島での生活を思うと期待に胸が跳ねる。ルブラと心を通わせることができたから、自分はどこで暮らしたって幸せになれるのだ。
「楽しみだね、ルブラ!」
未来の計画を話しながら山を下りていく。
ラズリは夫の手をしっかりと握り込み、聖地への旅に出た。
********
それから、数年が経った。
ラズリはヤシの木の間に設けられた吊床に寝転がり、美しい夕暮れ時の海を眺めていた。
この島の景色は綺麗だ。輝く海と澄んだ空は毎日見ても飽きることがない。芳醇な果実に馥郁たる大輪の花々。七色の花びらが潮風に舞う様は本当に楽園のようだ。
広い家、頑張って耕した畑、大きな寝台、そして何よりも大切な夫がいる。
何も不満はない、この島には全てが揃っている。甘く優雅な南国の香りを胸に満たし、ラズリはにっこりと笑った。
「ああ……幸せ。最高の生活だわ」
海鳥がラズリの傍に降り立ち、二通の手紙を届ける。果物をかじりながら、ラズリは両親とマーシュからの便りに目を通した。
挨拶と共に、自分の身を案じる短い言葉が綴られている。両親もマーシュも特に問題なく過ごしているようだ。ルブラが戻ったら読ませてあげようと思い、ラズリは便りを胸元に仕舞った。
「……まあ、こんにちは。また来てくれたのね」
海から数人の魚人がやってくる。背の低い魚人たちはラズリの傍に己の主がいないことを確認し、魚がいっぱいに入ったかごをそそくさと差し出した。
「いつもありがとう」
ラズリが微笑むと、魚人たちはびくりと肩を震わせ海に戻ってしまった。俺たちに笑いかけるんじゃない、あの御方に見つかったらどうするんだと甲高い声で怒られる。彼らは嫉妬深い己の主を随分と怖れているようで、ルブラがいない時だけこうしてラズリの傍にやってくるのだった。
マーシュが心配していたことは何も起きなかった。天空神の化身であるラズリは、自分が魚人から命を狙われるのではないかと思っていたが、誰も彼女のことを害することはしなかった。
むしろ、主の望みは我らの望みと言わんばかりに親切に接してくる。定期的に届けられる魚や貝は美味で、ラズリは喜びながらそれを味わった。
「あら? 今日は素敵な贈り物が混じっているわね」
魚の下に、桃色の珊瑚や真珠貝が敷き詰められている。
ラズリは滑らかに光る真珠を見て、世界一幸せになった日のことを思い出した。
島に到着した翌日、ふたりは浜辺で式を挙げた。
ルブラが用意した真珠の装身具を身につけて、青いドレスを着て、頭には色とりどりの花で作られた冠を乗せた。そうして着飾ったラズリを、ルブラは大泣きしながら美しいと褒め称えた。
男の下半身から伸びる蛸足が喜びに蠢く。端正な顔をぐしゃぐしゃに濡らし、愛する妻を抱きかかえながらぐるぐると回る。そのまま目を回したルブラは砂浜に倒れ込んでしまい、彼が身につける白い新郎服も、ラズリの青いドレスも砂だらけになってしまった。
「あははっ! あの時のルブラ、面白かったなあ」
砂がついた唇で交わしたキスの感触は、今も覚えている。
少しじゃりじゃりとしていたけれど、愛しくて温かくてどこまでも幸せだった。
あの時に感じた幸福が、ずっとずっと続いている。
(……ルブラ、大好き。あなたと結ばれて本当に嬉しかった)
ラズリがうっとりとした気分で海を見つめていると、後ろからぎゅっと抱きしめられた。潤いのあるぷりぷりとした触腕がラズリの全身に絡みつく。
「らーずりちゃん」
微かに酒精の匂いが漂う。お気に入りのヤシ酒を飲んで程々に酔っ払ったルブラは、妻の頭の上に顎を乗せてけたけたと笑った。
「もう、ルブラ! また飲んだの? あなた酔いやすいんだから程々にしておきなさいよ」
「ふひひっ、俺を心配して怒ってるラズリはかわいいなあ! なあ、お前も一緒に飲むか?」
下半身から伸びる蛸足が、機嫌良さそうにくねくねと踊っている。紅潮した顔で酒を勧めてくる夫にやや苦笑しながら、ラズリもカップを手にした。
酒を飲みながら、手紙のことや魚人から届けられた土産のこと、その他生活のことを話す。特に変化のない暮らしも、ルブラがいるだけで楽しい。彼が見せる新たな一面は自分の心に刺激を与え、鮮やかな影響を残してくれる。
(ルブラがお酒に弱いなんて、今まで全然知らなかったしなあ)
夫のことをもっともっと知りたい。
そしてこれからも知っていけるのだと思うと、本当に嬉しい。
「おい、こっち向いてくれよラズリちゃん。ラズリってば。らーーずーーりーー」
「はいはい」
仕方なくルブラの方に顔を向けたラズリは、唇を優しく塞がれた。
柔らかな唇の感触、そして共に伝えられる果実と酒精の香りが、ラズリの脳をくらくらと酔わせる。力強い触腕に抱えられ、ラズリはそっと敷布の上に横たえられた。
薄暗い中でルブラの金眼が眩く輝き、ラズリの白い肌を煌々と照らす。情欲が宿る金の目。炎のように眩いそれに、ラズリは隷属の徴がぞくりと疼くのを感じた。
「幸せそうに笑うラズリを見てたら触れたくなった。……いいか?」
自分への愛情と欲望に溢れた目。本当にこの目は堪らない。夫からそんな目を向けられると身体の力が抜けて、ぼんやりとしてしまう。
「うん……。私もあなたに触れたい」
ラズリは愛しい夫に身を委ねた。赤褐色の蛸足がラズリの服を器用に脱がせていく。妻の胸元にキスを落とし、ルブラは下腹の徴を愛おしそうに摩った。
「大好きだ、ラズリ」
夫の顔が近づいてくる。
ラズリは男の太い首にしっかりと腕を回し、誘いの微笑みを浮かべた。
*
「ふあっ、んっ……ふ、ぅ……。はあっ、んんっ……」
舌先を柔らかく絡め合うだけのキスを繰り返す。穏やかな接触なのに、身体が蕩けてしまうほどに気持ちがいい。唾液を纏う舌先が、ひとつにくっついて溶け合う感覚がする。
甘い。触れ合う舌の先端から、痺れるような甘さを確かに感じる。奥底から切ない欲望が込み上げてきて、ラズリは夫の屈強な胸に擦り寄った。
「るぶ、ら……るぶらぁ……」
敷布の上に広がる黒髪から、熱帯の花の香りが漂う。指に艶やかなラズリの髪を絡めながら、ルブラはじっと彼女の顔を見つめた。
長い睫毛は力無く震え、頬はほんのりと紅潮している。今までに何度もキスをしてきたのに、いつまでも少女のように顔を赤らめるラズリが可愛くて仕方ない。目を瞑って口吻の快楽に溺れようとする妻に、ルブラは胸が締め付けられるような強い愛おしさを感じた。
「んん、んふっ、ふあっ……! ふっ、……ふふっ。き、もちいい……」
「ああ……。本当にかわいいなあ、ラズリ……」
「る、ぶらっ……はあ、っん、もっと……! るぶら……」
ラズリは堪らずルブラの唇にむしゃぶりついた。足りない、大好き、愛している、あなたが欲しい。伝えたい想いはたくさんあるのに、頭がぼうっとして男の名をひたすら呼ぶことしかできない。
「るぶらっ……るぶら、おねがい……」
「分かってるよ、ラズリ。お前の望みを叶えてやる」
ルブラはラズリの頬を摩りながら、彼女の乳房を触腕で愛撫した。下から掬いあげるように双丘を揉み、乳首を吸盤で優しく吸い上げる。女の白い胸に赤褐色の蛸足が絡みつく光景は淫猥で、ルブラは頭が興奮に熱くなるのを感じた。
「今日もぱんぱんに張ってる。今搾ってやるからな」
「きゃっ!? ふあっ、あはあっ、あっ、あああああぁぁぁっ……」
ぷちゅぷちゅと音を立てて、ラズリの乳首に圧力がかかる。ぬめり気のある軟らかい吸盤で乳首を揉み込まれた後、ゆっくりと剥がされる。そうして扱かれたラズリの胸の先端はぽってりと勃ち上がり、白いものをとくとくと零れさせた。
乳を出す度に胸の先がじくじくと疼く。触手に巻き付かれて搾乳されているという事実が酷くいやらしくて、ラズリは顔に熱が集まるのを感じた。
背徳感がラズリの快楽を増幅させる。ルブラは幼子の面倒を見るように妻の頭を撫で、とびきり甘い声で囁いた。
「ふふっ、気持ちいいな? ほら、もっと揉んでやるから全部出しちまえ。俺に乳を飲ませてくれよ」
「あっ、ひあっ、んふぅっ……! やあぁっ……ひあっ、ん、んんんぅっ!」
肌を濡らすまろやかなラズリの乳を、ルブラは一滴残らず舌で舐め取った。そして腫れ上がった乳首に舌を這わせ、胸の先端にたっぷりと唾液をまぶす。乳輪ごと口に含み、わざと音を立てて吸い上げる。ラズリは胸から伝わる切ない快楽に甘い吐息を漏らし、何度も上り詰めた。
「ひうっ! あっ、もういくっ、いっくぅ……。ふっ、ああっ……あっ、あっ……――っ、あっ、ああああぁぁぁぁぁぁっ……!」
絶頂の痙攣を屈強な肉体に抑え込まれる。そうされると無防備なこの身体を何もかもから守ってもらえるような気がして、ラズリは安心感に涙を流した。
ルブラの大きな手が、ラズリの手をしっかりと握り込む。指のひとつひとつを優しく絡め合いながら、ふたりはお互いの顔を見つめあった。
ラズリの青い瞳が、ルブラの金眼にきらきらと輝く。宝石のように美しい双眸を情欲に濡らし、ラズリは精一杯夫を求めた。
「……ルブラ、来て。おねがいっ……。も、おくがつらいの……はやく、はやくぅ……!」
ラズリは羞恥を堪えながら自分の足を開いた。胸に加えられた愛撫で、自分の中心はもうすっかり潤ってしまっている。徴を刻まれた下腹はきゅうきゅうと疼き、逞しい触腕に最奥を突かれることを待ち望んでいる。
期待に潤んだ目をルブラに向けると、彼は少しだけ加虐的な笑みを浮かべた。
「ラズリ、自分の膝裏を抱えてろ。俺が挿れやすいように足を広げるんだ。できるよな?」
「……えっ? ……む、むりよ、そんなの……」
ラズリは顔を真っ赤にし、弱々しく首を横に振った。そんな体勢をしたら、自分の恥ずかしいところが全部ルブラに見えてしまう。ひくひくと蠢く膣口からすぼまった後孔、それにいやらしく垂れる蜜まで、全て夫の金眼に照らされてしまうのだ。
ルブラはねちっこい男だ。自分のいやらしさを論っていつまでも虐めるに違いない。期待と甘い被虐感に、またとろりと愛液が溢れ出てしまう。
「やだ……るぶら、いじめないで……。おねがい、早くいれてよ……!」
「だーめ。それに俺は、お前の恥ずかしいところも何もかも全部知ってる。お前がどうなろうが全部受け止めてやる。だから安心して俺に身体を委ねてくれ。な? 可愛いラズリ……」
優しく微笑むルブラに緊張が解けていく。ラズリは頷き、ゆっくりと己の足を割り広げた。
「……ああ、堪らねえ」
眼前に晒されたラズリの秘部に、ルブラはこくりと唾を飲み込んだ。てらてらと光る赤い肉が、自分を誘うように淫らに蠢動している。ルブラは荒い息を吐きながら、ラズリの膣口に交接腕を伸ばした。
「はっ、はああっ、あ、あああぁぁぁ……」
ぐぷぐぷと音を立てて、蛸足がラズリの内に挿入されていく。自分を満たす触手の感覚に、ラズリは満ち足りた嬌声を上げた。
「はあっ、ラズリ……らず、り……お前の中、すげえとろとろしてるっ……気持ちいいな、ラズリ……」
「ひっ、うぁっ! あっ、ああぁっ……るぶらっ……やっ、ああぁんっ……!」
泥濘をゆっくりとかき回される。膨らんだ陰核の裏側を擦られると下腹に響くような快感が迫り上がってきて、生理的な涙がぶわりと溢れてしまう。ひ、ひ、と弱々しい声を漏らすラズリに、ルブラは労るような口付けをした。
「可愛い。かわいいな、ラズリ……。そうだ、そのまま膝を抱えていてくれ。うんと気持ちよくしてやるからな」
懸命に足を開こうとするラズリを触腕で抱きしめる。額に張り付いた髪を払うと、ラズリは嬉しそうに微笑んだ。
「んっ、んっ! んひっ、んあっ……はあんっ、ああぁぁぁぁああっ! ひあっ、あぁぁ……」
膝裏を抱えた状態で触腕を迎え入れているせいで、いつもとは違った場所にルブラの蛸足が当たる。羞恥心を煽るような姿勢も相まって、ラズリは溺れてしまいそうな肉の快楽に怖れを抱いた。気持ちいい。気持ちよすぎて溶けてしまう。ルブラに支えていてほしい……。
「あ、おかしく、なるぅ……るぶらっ、るぶらぁ……!」
「んっ、はあ、はあ……大丈夫だ、ラズリっ……、ここに、いるからな……」
涙を流しながら夫の名を呼ぶと、彼はラズリを支えるように両腿に触腕を絡みつかせた。
「ひぐっ、んああぁっ……も、だめっ……すぐにいっちゃう……! いっ、ひあっ! う、んうぅぅ……!」
ルブラが蛸足を動かす度に、粘液とラズリの愛液が混ざり合いねばねばとした水音が響く。後孔にも触腕が挿し込まれ、腫れ上がった陰核には細い触手の先端がぴとりと当てられる。陰核をこしゅこしゅと扱かれながら両穴を突かれる快楽に、ラズリは我を忘れて喘いだ。
「あはあっ、んひっ、んああっ! まって、まってぇ……! はあんっ、やうっ、あっあっ、はひっ、いっくうぅ……! あくぅッ、ああああああぁぁぁ……!」
絶頂する膣の痙攣が、ルブラの交接腕をぎゅうぎゅうと締め付ける。
ルブラは妻の最奥に触手を押し当て、勢いよく精莢を放った。
「んっ、お……はあ、あっ……! らずり、ラズリ……!」
「あっ!? あついっ……。くうっ、ああっ、はあああっ! ――ふっ、ふああああぁぁぁぁッ……!!」
自分のうつろを蠢くルブラの精で満たされる。ずっとずっと求めていたものだ。愛する夫に抱かれた充足感に、ラズリは柔らかく口角を上げた。
「はあっ、はあっ、は、ああぁっ……ルブラ、もっと……。もっとしよう、ねえ……いいでしょう?」
まだ足りないの。もっともっとあなたが欲しい。
ルブラは積極的に自分を求めてくる妻に、煮え滾る恋情をぶつけた。
「もちろんだ。俺も足りねえ……。愛するお前を何回だって抱きたい。何度も、何度も、いつまでも……!」
いつまでも抱いて、可愛がって、ずっと傍に置いておきたい。
大好きだ、俺のラズリ。
心からお前のことを愛している。
夫の言葉に、ラズリは満面の笑みを浮かべた。
*
いつの間にか夜の帳が下り、満天の星が淡い光を放っている。触腕を内に迎えたまま、ラズリは敷布に寝転がってルブラの肩越しに星空を眺めた。
「ラズリ。何見てるんだ?」
「空よ。今日は随分と星がよく見えると思ってね。……ふふ、あなたがくれた真珠みたいに光ってるわ」
ラズリは瞬く星を見上げながら、幻視で得た太古の星の景色を思った。
……天に煌めくあの星々よりも遥か遠くにある場所から、ルブラはこの地球にやってきたのだ。
人間では想像もできないほど永い時間を生き、世界を支配するという野望のために何十万年も海で眠った邪神。
星の巡り合わせとは本当に不思議だ、世界を脅かす邪神と夫婦になるなんて思わなかった。天空神としての記憶は全く残っていないが、かつての敵と結ばれたと思うと何だか運命的なものを感じる。
星辰は揃い、邪神は完全な復活を遂げた。
だがその神は野望を手放し、自分の夫として生きることを望んだ。
幸せな結末だ。
世界にとっても、自分にとっても。
「おいラズリ。どうしたんだ? 何で空見てにやにや笑ってんだよ?」
「……ふふ。何でもないの。明日は何をして過ごそうかと思ってね。海で泳ぐか、それとも頑張って畑を耕すか……」
「ああ、それならさ。俺と海に潜ろうぜ! お前に見せたいものがたくさんあるんだよ。真珠に珊瑚に海百合に、獣肉に似た味の深海魚! ついでに海底都市にも寄ってくか? 陸にはねえ建物がたくさんあるんだ!」
「へえ、楽しそうじゃない。それじゃ明日は海底旅行しようか。しっかり私を護衛してちょうだいね?」
「おうよ、任せろ。鮫が襲ってこようが烏賊が襲ってこようが全部喰ってやるからな!」
「あははははっ! 私の夫は頼もしいわね」
……ルブラと過ごす日々、全てが宝物だ。
彼との思い出は色褪せない。いつまでも鮮烈に輝き続けるだろう。
自分は人間として与えられた生を全うするのかもしれないし、水神の力でこの肉体のまま生き永らえるのかもしれない。いずれにしても、自分の魂はずっとこの男のものだ。寄り添い、くっつき合い、これからの時を過ごしていく。
私たちは永遠に一緒。
何度星が巡っても、ずっと、ずっと。
「明日の旅行が楽しみだわ。待ち望んだ獣肉にとうとう会えるのね!」
目を輝かせながら深海魚の味を想像するラズリに、ルブラは口を大きく開けて笑った。
幸せな時間が過ぎていく。
夏の暖かな夜。敷布の上で、ふたりは夜通し話をし続けた。
穏やかな陽の光に誘われ、少しずつ意識が覚醒する。
『らーずりっ』
頬を軟らかいものですりすりと摩られ、ラズリはくすぐったさに身動いだ。
『ラズリ。可愛い可愛い俺のラズリ。世界で一番綺麗なラズリちゃん。もう起きてくれよ、俺にその青い目を見せてくれ。……おい。ラズリってば。ラズリ? らあぁぁずぅぅぅりいぃぃぃぃ? ……うーん、起きねえな。おいラズリ! お前はいつまでぐーすか寝てるんですかあ!? ねぼすけラズリさん、もう朝ですよおおおお! 起きろ! 起っきーろ! おーーーきーーーろーーー!!』
……喧しい。
そして随分と弾んだ声だ。
くぐもった笛のような音だが、ラズリはその音を喜びの声として認識した。
(ルブラ、とっても楽しそう)
頭の中に響く不可思議な人外の声は、脳に染み入り宇宙の彼方にある星や海底都市の景色を見せつけてくる。だがラズリはそれをちっとも怖ろしいとは思わなかった。愛しい男の記憶を垣間見ることができて嬉しかったのだ。
自分の頬を撫でたり、つついたりするルブラに愛おしさがこみ上げる。毎朝このように起こされては堪らないが、傍にルブラがいてくれる安心感にほっとする。ラズリは微笑み、自分を起こそうとする触腕に頬を擦り寄せた。
「るーぶらっ」
『っ!? ら、ラズリが俺に甘えてる……。ああああっ、すっげえ可愛いっ! ラズリ、俺の足はすべすべして気持ちいいだろ? こうやって毎日足ですっぽり抱きしめてやるからなあ! なあ、愛しのラズリ。美味い飯を作ってやるからさ、早く起きろよ。らーずりちゃん? ラズリってば。もう起床のお時間ですよーーー。愛しのルブラが待ってますよーーー。……おいラズリ、無視するな! 耳を塞ぐんじゃねえ! らずりいいいッッ!!!』
「うぅ、うるさい! 大声出さないでよ! まだねむいの、寝かせてよ……」
ラズリは欠伸をし、軟らかな蛸足に顔を埋めた。何時間もルブラと交わった疲労感がまだ身体に残っている。ラズリはおやすみと呟きすぐに寝入ろうとしたが、頬にぴたぴたと打ち付けられる触腕がそれを許さない。ラズリは呻きながら、ルブラの蛸足の上で何度も寝返りを打った。
『お前、ほんっとうに頑固だな!? こんなにほっぺたをぷにぷにつついてんのによ! ああもう、いい加減起きてくれよ。昼になっちまうぞ! 寝起きの悪ぃラズリちゃん、諦めてすっぱり起きましょうね。ほらほらぁ、起きねえと顔をくすぐっちまうぜ? くしゃみが止まらなくなっても知らねえぞ!』
鼻の頭をこちょこちょとくすぐられる。
そのまま穴に触腕の先端を挿し込まれそうになり、ラズリは勢いよく飛び起きた。
『あははははっ! おはよ、ラズリ!』
「馬鹿ルブラ、鼻に突っ込むことないじゃない! もう、まだ寝ていたかったのに……!」
ラズリはくしゃみをしながら鼻を擦った。
ルブラから離れたくない。自分を包む軟らかな蛸足はとにかく肌触りが良くて、ずっとずっと触れていたい。ラズリが仕方なく寝起きに霞む目を擦ると、大きな蛸の頭が視界に飛び込んできた。
「ここは?」
『お前を攫った浜辺だ。新生活を始めるために、陸に戻ってきたんだ』
六つの金眼がうっとりと細められる。
太陽のように輝くルブラの目が優しくて、ラズリは胸が幸福に満たされるのを感じた。
『なあ、空を見てみろよ。お前の目みたいな色してるぜ』
「本当だ。いい天気だね」
大蛸の頭に寄りかかりながら、澄み切った空を見上げる。陽光が七色に煌めいて、ラズリの目に淡い虹を見せた。
海鳥の群れが上空を旋回し、白い砂浜に色鮮やかな羽根を落としていく。赤、黄、橙、桃色。美しい羽根が花びらのようにひらひらと舞い落ちる。それは愛する男と結ばれた、天空神の化身への祝福のように思えた。
「これ、着せてくれたの?」
潮風に白いワンピースがひらひらと揺れる。花嫁衣装みたいとラズリが呟くと、ルブラは嬉しそうに蛸足をうねらせた。
『ああ。大事な大事な俺の女が風邪引いちまったら大変だからな』
俺の妻、俺の花嫁、俺だけの番。ルブラのうきうきとした声に、ラズリの胸が温かくなる。夫の頭にキスをしてから、ラズリはゆっくりと起き上がった。
水天一碧。
輝く海の美しさに、ラズリは目を眇めた。
(静かね……)
浜辺には、打ち寄せる波音と海鳥の鳴き声だけが響いている。狂乱の気配はもうどこにもない。
(ルブラは約束通り、何もかも元に戻してくれたんだね)
青い海、白い砂浜、見慣れた都市の景色。街を覆っていた魚のはらわたの臭いも、魚人の軍勢もすっかり消えている。かつての姿を取り戻した世界に、ラズリは胸を撫で下ろした。
『ラズリ、また一緒に暮らすのが楽しみだなあ! まずはお前の故郷に連れて行ってくれよ。結婚する時は家族に挨拶するんだろ? んで土産も持っていって、金やら宝石やらも全部差し出して、娘をくださいって毎日頭下げるんだろ? 獣を倒したり崖を飛び越えたり、厳しい試練を乗り越えた男だけが結婚できるんだ! どうだ、正解だろ。海に潜ってしっかり学んできたんだぜ!』
「うん……? まあ、それは家によるかな……。うちの場合はそんなに厳しくないよ。ふふっ、父さんと母さん、あなたを見たらどんなに喜ぶかしらね」
世界は破滅を迎えることなく、まだ続いていく。
そして自分とルブラは、この世界で新たな関係を築き上げていくのだ。
……ああ、幸せだ。
「大好き、ルブラ」
『……ふひひっ、俺も』
軟らかい蛸の頭に抱きつく。ルブラの蛸足がぐねぐねと歓喜に蠢いて、ラズリはその可愛らしさに顔を綻ばせた。
「ラズリくん!!」
静寂を男の声が切り裂く。
砂浜に駆けてきたマーシュは、破れた服を抑えながらラズリと大蛸を見据えた。
「マーシュ隊長……」
『っち、この野郎。まだ俺の邪魔をしようってのか!?』
ラズリの身体にしゅるしゅると触腕が絡みつく。
そしてラズリもまた、ルブラを守るようにマーシュに向き直った。
「邪魔だと? xxxxx、人間の邪魔をしてきたのは貴様だろうが! 醜い魚どもを陸にばら撒き、数多の同胞を海に引きずり込み、挙げ句ラズリくんを穢した! 僕は貴様が憎い。何よりも憎い! 貴様のせいで、僕は大切な人々を喪ったのだ!」
マーシュは吼え、大蛸を鋭く睨みつけた。柔和な顔は歪み、丸眼鏡の奥の瞳は強烈な憎しみに燃えている。拳をぎりぎりと握りしめながらも、マーシュは努めて冷静な声でラズリに命じた。
「ラズリくん、隊長命令だ。奴から離れなさい」
「嫌です。絶対に離れません」
ラズリはきっぱりと言い放ち首を横に振った。悍ましい霊気を滲ませるルブラに大丈夫だからと声を掛け、彼を落ち着かせる。するとマーシュは大きく息を吐いた後、静かな声で呟いた。
「あの怖ろしい邪神が、人間の言うことを素直に聞くとはな」
マーシュは血走った目でラズリの背後にいる大蛸を見た。
「矮小な人間の女と生きるために世界の支配を諦めただと? ……信じられない、何か裏があるはずだ。水神よ、貴様は一体何を企んでいる?」
『はっ、何も企んでねえよクソ眼鏡』
「どうだか。いくら人の真似事をしてもその歪さは隠せないぞ。貴様とラズリくんは本当の夫婦にはなれない、決して!」
『……っ!』
ルブラの身体がびくりと震える。ラズリは怯える彼の頭を撫で、絶対にあなたから離れないと囁いた。
「やめてください隊長。ルブラが何であっても、彼は私の夫です。私たちは夫婦としていつまでも幸せに過ごすんです!」
「ラズリくん、君を傷付けることばかり言って申し訳ないと思う。だが、奴は人間ではない。決して人間にはなれない邪悪な怪物だ。君は人の皮を被った悍ましい化物を夫に迎えようというのかね? ……正気か?」
「……酷い言い方をしないでください」
「事実だろう。僕はラズリくんを止めるためならいくらでも酷いことを言えるぞ」
マーシュはぶるぶると震える大蛸を傷付けるように鋭い言葉を重ねた。
「人が通常持ち得る善意も良識も、そやつは真に理解することはできまい。目を覚ませ、君はxxxxxといてはならないんだ。積もり積もった何十万年分の憎しみが、君と過ごした僅かな日々で消えるとは思えない。邪神の愛が本当だとしても、それはすぐにかき消えるまやかしのようなものだ。君は魚人たちから命を狙われるぞ……主を陥れた天空神の存在を、魚どもが許すはずがないのだから!」
マーシュの目から涙が溢れ出る。
必死に自分を止めようとする上司に、ラズリは眉を下げた。
「どうか、僕の言うことを聞いてくれ。僕はもう見たくない。大切な人々が死ぬのを見たくないんだ! 友も愛する人も血族に殺された! 君まで喪ったら、僕は……!」
「……マーシュ隊長。魚人に大切な人々を奪われたあなたの痛みも解ります。隊長は優しいから、妹のように世話をしてきた私が死なないか心配しているのでしょう」
「ああ、そうだ。だから考え直してくれ。奴といたら、君は破滅を迎えるのだぞ!」
「迎えません。私のことが気に入らない魚人が何人襲ってこようが、隊長譲りの体術で全て投げ飛ばしてみせます。それに、ルブラは私を守ってくれる。何からも誰からも私を守り抜いてくれる」
ラズリは微笑み、自分を抱きしめる大蛸に寄りかかった。
「私はルブラを信じている。私たちの愛は、決して消えない」
青い目を潤ませながらも、ラズリはまっすぐにマーシュを見つめ返した。大蛸に寄り添う彼女の目はきらきらと輝いている。どこまでも清らかなその瞳に、マーシュはくしゃりと顔を歪めた。
この女は狂気に侵されていない。
自分の意志で、邪神に寄り添っているのだ……。
「マーシュ隊長。天空神は水神の手に堕ち、骨は崩れ去りました。水神に対抗できるものはもう何も残されていません。世界の破滅も安寧も、全てルブラの思うがままだということです。そのルブラが私を求めている。彼の望みを邪魔すれば、どうなるかお分かりですね? ……ふふっ。ほら、ルブラはこんなにも私のことが好きなんですよ」
ルブラの触腕がラズリの全身に絡みつく。人外の声で囁かれるラズリへの愛が、マーシュの脳を埋め尽くす。
ラズリはマーシュを脅すように、にやりと笑った。
「私がルブラの傍にいなければ世界が破滅するのです。ですから隊長、もう何もしないでください。どうか、私たちをそのまま見送ってください。ルブラと私の愛が脅かされない限り、世界の安寧は続いていく。隊長は自分のせいで世界を滅ぼされたくないでしょう?」
「……ラズリ、くん……」
「今までお世話になりました。私たちは故郷の山に戻ろうと思います。あなたと働いた十年は私の礎でした。どうかあなたが、心穏やかに過ごせますように。……さよなら、マーシュ隊長」
行こう、ルブラ。
ラズリが触腕をしっかり握り返すと、ルブラは金の目を安堵に細めた。ラズリはそのまま砂浜を後にしようとしたが、マーシュにすぐさま引き止められた。
「待ってくれ! ……待ってくれ、ラズリくん」
マーシュは涙を拭い、ラズリに向けて敬礼をした。
「この世界を救った英雄に、心からの感謝と敬意を。ラズリくん、君を騙して済まなかった。そして本当にありがとう……」
ふわふわとした茶髪が風に靡き、その奥にある目をラズリにはっきりと見せる。マーシュの目にはもう憎しみの炎は無く、部下への労りと親愛が滲んでいた。
マーシュは世界の救世主に向けて柔らかく微笑んだ。
「君の幸せを、心から願っている」
……彼らの愛が本物であることは解っていた。
強い喜びの感情と共に、温かく寄り添う姿を見せられては信じるしかなかった。
だが、彼らが番うことに納得できなかった。自分の中で燃え盛る海の民への強烈な憎しみが、ふたりの幸福を許さなかった。
水神と関わった者は全て不幸になる。きっとラズリも例外ではない。あの邪神はいつか、怨敵であったラズリを陥れるだろう……。その恐怖が消えなかった。
だが。
――私はルブラを信じている。私たちの愛は、決して消えない。
ラズリのその言葉を聞いて、大蛸は嬉しそうに目を細めた。歓喜に潤む目、ラズリへの愛情が滲む目。人外の瞳を持ちながらも、その目に宿す感情はどこまでも人間らしかった。
ラズリは心からあの邪神を愛している。そして邪神もまた、深くラズリを愛している。
あのような目をする「ルブラ」ならば、己の妻をいつまでもいつまでも大切にしていく筈だ。
ラズリがこの先笑って過ごせるのならそれでいい。
自分がそうさせたとはいえ、ルブラを喪って泣き叫ぶ彼女を見るのは辛かった。
強烈な憎しみが、ラズリを前に和らいでいく。
この女は力を失っても、天空神の化身に変わりないのだ。
彼女の清らかさは、この魂に救いをもたらしてくれる……。
「ラズリくん。どうか元気で」
ラズリはマーシュに答礼し、頭を下げた後に背を向けた。彼女を守るようにして、大蛸がずるりずるりと砂浜を這う。おどろおどろしく、そして清らかなふたりの後ろ姿を、マーシュはいつまでも見つめ続けた。
(僕はやっと、人間として生きられるのだろうか)
頭の中に響く呼び声が消えた。
直感的に解る。自分は、海に還るという宿命から解放されたのだ。
古のものの血を引く者は永遠ともいえる時間を生きる。だが、自分がただの人間として生きられるのなら、この苦しみもやっと終わるかもしれない。人として、この生を全うできるかもしれない……。
「僕もいずれ、そちらに行けるかもしれないな」
マーシュは青空を見上げ、そこにいるかつての仲間を想った。
********
警備隊の仕事を辞めたラズリは、荷物をまとめすぐさま故郷へと向かった。
村に着くやいなや、ラズリは見知った住人たちに取り囲まれた。あのラズリが男を連れて帰ってきた。その話はあっという間に村中を駆け巡り、村の入口には多くの住人が集まった。誰もがラズリの隣に立つ男に興味津々で、自分よりも一回りも二回りも大きなルブラを見上げてきゃあきゃあと騒いだ。
この男は誰だ、どこで出会ったんだ、どうして刺青だらけなんだ、どうして変な髪型をしているんだと質問攻めにしてくる住人に、ラズリはひとつひとつ丁寧に説明をした。ルブラは自分の夫で、赴任先の島に漂着した異国出身の男なのだと。だが刺激に飢えた田舎村の者たちはそれでは収まらず、馴れ初めから契りの言葉、ルブラの職業までを聞き出そうとふたりの後をつけ回した。
「……はあ、おかしくなりそう。同じ話をしすぎて頭が痛くなってきた……」
年老いた村長を筆頭に、心配性の母親や野次馬たちがぞろぞろと後をついてくる。何も言わずにこちらを見守ってくれるのは寡黙な父親だけだ。鬱陶しさにラズリが天を仰ぐと、ルブラは面白そうににやにやと笑った。
「まあいいじゃねえか。俺は嬉しいぜ、ラズリは俺のものだって言いふらせるからよ」
小声で話しかけてくるルブラに、ラズリは頷きつつも溜息を吐いた。
「私もルブラを紹介できて嬉しいよ。でもね、限度ってものがあるでしょうが! ここの人たちは新婚のふたりを放っておくことも出来ないの!? ああもう、またうるさそうなのが来た……」
「ラーズリー!! おかえりなさい!」
かしましい女性の集団がふたりを取り囲む。小柄な女性たちはルブラを見て口々に感想を述べた。
「うわあぁぁ、おっきい! ラズリちゃんが小さく見える。こんなに逞しい人は初めて見たわ、うちの男よりも頭三つ分は大きいわぁ」
「ラズリ、あんたやるじゃないの! こんないい男を連れてくるなんてさ! 安心して力仕事を任せられるよ! うちの仕事も手伝ってくれないかなあ? 製材所まで丸太を運んでくれたら助かるんだけど! あははははははっ!」
「異国の人って聞いたけど、ルブラさんって綺麗な顔をしてるのね! それに目が光ってるわ」
(……なんか、もやもやする)
夫が女に取り囲まれるのはいい気がしない。ラズリがそっと唇を噛むと、ルブラはきらりと真白い歯を見せた。
「らーずりっ」
突然ラズリの身体が抱えあげられる。妻を姫抱きにし、ルブラは器用に片目を瞑った。
「はーい、こんにちは。ラズリちゃんの夫のルブラでーす! 愛しくて可愛くて綺麗なラズリにぞっこんです! これからよろしく頼むぜ!」
軽薄な口調で挨拶をしたルブラに黄色い声が上がる。
ラズリはうんざりとしつつも、ルブラの挨拶に照れ笑いを溢した。
*
ラズリは自分の夫が集団生活を営むことができるか心配していたが、それは杞憂に終わった。
ルブラはあっという間に村の人気者になった。丸太も石も軽々と持ち上げる彼は、率先して住人の仕事を手伝いに行く。荒々しくも精悍な顔立ちは人目を惹き、屈強な肉体に男たちは羨望の目を向ける。なおかつ快活で気がいい彼は、すぐに村人たちに受け入れられた。
やや不器用ながらも、ルブラは自分を気遣って良き夫であろうとしてくれている。ラズリは彼の優しさに浸りながら、毎日幸せに過ごした。
家族との生活も順調だった。
ラズリの母は最初、ルブラのことを海賊のような外見の男だと評した。粗野で刺青だらけの男を怖れ、娘は悪い男に騙されているのではないかと心配していた。だが、男が娘へと向ける真っ直ぐな愛を目にして、彼女はルブラを認めるようになった。半月後には、話をしながら共に料理をするまでになった。
猟師の父はルブラに対して特に何も言わなかったが、毎日獣肉を獲ってきては彼に食べるようにと勧めた。ラズリの好物であるそれを、ルブラは美味い美味いと言いながら笑顔で平らげた。テーブルに骨が積み上がる。豪快なルブラの食べっぷりを見て、ラズリの父は顔を綻ばせた。
木を加工したり、気ままに猟をしながら暮らす。ふたりは離れ家で、半年ほど穏やかな夫婦の時間を過ごした。
「ルブラ、今日もお疲れ」
「おう! 遅くなっちまって悪かったな」
夏の蒸し暑い夜。製材所での仕事を終えて帰ってきたルブラの背中を拭きながら、ラズリはそっと彼の刺青に触れた。
海の怪物、貝、泡、烏賊、蛸。そして奇怪で異様な海底神殿の姿。ルブラの全身には、海の徴が刻まれている。
――ラズリ、俺は海が大好きなんだ。
その言葉を思い出し、ラズリは眉を下げた。
「……ねえルブラ。海に帰りたいと思わない?」
「ん? 別にそんなことは思わねえけど。どうしたんだよ急に?」
周囲に誰もいないことを確認してから、ラズリは静かな声で話を切り出した。
「あのね、私たちほぼ毎日してるでしょ。だからルブラの変化に気が付いたんだけど、なんだかあなたの蛸足がしんなりしてる気がして」
「しんなり?」
「こう、元気がないというか。すぐ折れちゃうというか。前ほど硬さも無いし、なんだかかさかさして潤いが足りないというか……」
俯きながらもじもじと話すラズリを見つめた後、ルブラは衝撃に目を見開いた。
「……おい、それってつまり、俺の足が気持ちよくないってことか? 俺じゃもう満足できないってことか!? 嘘だろ、待ってくれよラズリ! 俺もっと頑張るからさあ! お前が好きな形の触手を何千本でも用意するから見捨てないでくれ! 俺を捨てるのは絶対に、ぜえっっったいに許さねえぞラズリいいいぃぃッッ!!」
「ちょっと静かにして! 父さんと母さんが起きちゃうでしょ!」
大声を出すルブラを慌てて落ち着かせ、ラズリはそういうことじゃないと首を横に振った。だがルブラの焦りと怒りは収まらない。彼の下半身が忽ち蛸のものに変貌し、触腕が一斉にラズリに襲いかかる。俺の本気を見せてやると叫ぶルブラを張り倒し、ラズリはうねる交接腕をぎゅっと掴んだ。
「やっぱりね、昨日よりも乾燥してる。あっ、ひび割れてるところもあるじゃない! 痛くないの?」
「別に痛くはねえよ、今お前に叩かれたところの方が痛え!」
「……ごめん。でも、これだけ足が乾いてたら不快な感じはするでしょう? ルブラが無理をしているのは分かっているの」
くたりとした触腕を摩りながら、ラズリは輝く金の瞳を見つめた。
「人間の姿を保つのも、漏れ出る霊気を無理やり抑え込むのも大変なはずよ。あなたは今まで海に潜って力を補給していたみたいだけど、山に来てからそれができなくなった。毎日水浴びしてるけど、この足は乾いていく一方じゃない」
「……んなもん、真水が合わなかっただけだ。塩水ぶっかけときゃ治るだろ」
「そういうことじゃないでしょ! 自分の領域に戻らなければ、あなたは決して回復しないのでしょう。ここに来てから半年が経った、そろそろ海に戻るべきなのよ。ねえ、村を出ましょ。いつでも海で泳げるような場所に住んだ方がいいわ」
ラズリは懸命に夫を説得したが、ルブラは中々頷かなかった。
目を閉じ、蛸足で己の耳をぴったり塞いでしまう。どうしてそんなに嫌がるんだとラズリが尋ねると、彼は悲しそうに足を下げた。
「お前、親に会いたかったんだろ。それに故郷の獣肉が食べたいっていつも言ってた。ラズリを海に連れていったら、親とも獣肉とも離れ離れじゃねえか! 俺のせいで、お前に苦しい思いをさせるのはもう嫌なんだよ」
「……そんなことを心配していたの?」
ルブラの目からぽろりと涙が零れ落ちる。ラズリは夫を抱き寄せ、何の問題もないと力強く言い切った。
「父さんと母さんのことは大丈夫、これが今生の別れって訳じゃないんだから。彼らは私が元気でやっていれば安心してくれるし、私も定期的に挨拶できればいいのよ。それに、海には獣肉に似た味の魚がいるんでしょ? だから……」
あの島に行こう。
私たちの聖地に。私たちだけの聖地に。
ラズリの提案に、ルブラの目が輝く。
「あの島で暮らせば、霊気を無理やり抑え込む必要はなくなるわ。蛸でも何でも好きな姿で生活できる。すぐに海に戻れるし、何よりもあなたと私のふたりだけしかいない」
「……それは」
「魅力的でしょ? もう他の男に嫉妬することもなくなるわよ」
村の男と少し話しただけで蛸足を出しそうになる。己の霊気を植え付けようと、隙あらば料理に自分の肉を混ぜ込もうとしてくる。嫉妬にのたうち回るルブラを見るのも好きだけど、やっぱり愛する夫には笑っていてほしいし、安心感の中で過ごしてほしい。
「居心地が良くてしばらくここにいたけど、私たちはまだ式を挙げてないでしょ? ねえルブラ、私の願いを叶えてよ。青いドレスを着て、真珠の耳飾りと首飾りをつけて、花かんむりを頭に乗せて、綺麗な浜辺でふたりきりの式を挙げるの」
式を挙げるならあなたと出逢ったあの島がいい。
そこで私を世界一幸せにしてほしい。
「行きましょう、あの島へ」
妻の微笑みに、ルブラはゆっくりと頷きを返した。
「ああ。……ありがとう、俺のラズリ」
お互いの目を見つめ合う。ふたりは笑いあった後、そっと唇を重ねた。
*
一月後、ラズリとルブラは村を後にした。
彼らの出立を反対する者は誰もいなかった。寡黙な父も、心配性な母も、笑顔で娘のことを送り出した。隣にルブラがいるなら安心だ、いつまでも彼と健やかに過ごしなさい。両親はそう言って、娘に服やら保存食やら色々なものを手渡した。
刺激を求めて外の世界に旅立った日のことを思い出す。あの時と違うのは、隣にルブラがいることだ。村を出てから色々なことがあった。思い返すと、感慨深いものがある……。
「ラズリ。島に着いたら俺たちの家を建てよう。駐在所よりもずっとずっと大きい家を建てて、綺麗な花をたくさん庭に植えて、美味い果物をならす樹も植えて、二人だけの楽園を作るんだ! 部屋の真ん中には、俺たちふたりがゆったり寝転がれるくらいでっかいベッドを置こうぜ!」
「ふふっ、素敵な計画だね。考えるとわくわくしちゃう」
「島に行くまでに青いドレスを用意しねえとな。お前を綺麗に飾り立ててやらねえと!」
「嬉しいなあ。ねえルブラ、あなたも格好いい服を着てよ! 世界一いい男になってほしいわ」
邪教に塗れた地で暮らすことをあんなに嫌だと思っていたのに、今は違う。島での生活を思うと期待に胸が跳ねる。ルブラと心を通わせることができたから、自分はどこで暮らしたって幸せになれるのだ。
「楽しみだね、ルブラ!」
未来の計画を話しながら山を下りていく。
ラズリは夫の手をしっかりと握り込み、聖地への旅に出た。
********
それから、数年が経った。
ラズリはヤシの木の間に設けられた吊床に寝転がり、美しい夕暮れ時の海を眺めていた。
この島の景色は綺麗だ。輝く海と澄んだ空は毎日見ても飽きることがない。芳醇な果実に馥郁たる大輪の花々。七色の花びらが潮風に舞う様は本当に楽園のようだ。
広い家、頑張って耕した畑、大きな寝台、そして何よりも大切な夫がいる。
何も不満はない、この島には全てが揃っている。甘く優雅な南国の香りを胸に満たし、ラズリはにっこりと笑った。
「ああ……幸せ。最高の生活だわ」
海鳥がラズリの傍に降り立ち、二通の手紙を届ける。果物をかじりながら、ラズリは両親とマーシュからの便りに目を通した。
挨拶と共に、自分の身を案じる短い言葉が綴られている。両親もマーシュも特に問題なく過ごしているようだ。ルブラが戻ったら読ませてあげようと思い、ラズリは便りを胸元に仕舞った。
「……まあ、こんにちは。また来てくれたのね」
海から数人の魚人がやってくる。背の低い魚人たちはラズリの傍に己の主がいないことを確認し、魚がいっぱいに入ったかごをそそくさと差し出した。
「いつもありがとう」
ラズリが微笑むと、魚人たちはびくりと肩を震わせ海に戻ってしまった。俺たちに笑いかけるんじゃない、あの御方に見つかったらどうするんだと甲高い声で怒られる。彼らは嫉妬深い己の主を随分と怖れているようで、ルブラがいない時だけこうしてラズリの傍にやってくるのだった。
マーシュが心配していたことは何も起きなかった。天空神の化身であるラズリは、自分が魚人から命を狙われるのではないかと思っていたが、誰も彼女のことを害することはしなかった。
むしろ、主の望みは我らの望みと言わんばかりに親切に接してくる。定期的に届けられる魚や貝は美味で、ラズリは喜びながらそれを味わった。
「あら? 今日は素敵な贈り物が混じっているわね」
魚の下に、桃色の珊瑚や真珠貝が敷き詰められている。
ラズリは滑らかに光る真珠を見て、世界一幸せになった日のことを思い出した。
島に到着した翌日、ふたりは浜辺で式を挙げた。
ルブラが用意した真珠の装身具を身につけて、青いドレスを着て、頭には色とりどりの花で作られた冠を乗せた。そうして着飾ったラズリを、ルブラは大泣きしながら美しいと褒め称えた。
男の下半身から伸びる蛸足が喜びに蠢く。端正な顔をぐしゃぐしゃに濡らし、愛する妻を抱きかかえながらぐるぐると回る。そのまま目を回したルブラは砂浜に倒れ込んでしまい、彼が身につける白い新郎服も、ラズリの青いドレスも砂だらけになってしまった。
「あははっ! あの時のルブラ、面白かったなあ」
砂がついた唇で交わしたキスの感触は、今も覚えている。
少しじゃりじゃりとしていたけれど、愛しくて温かくてどこまでも幸せだった。
あの時に感じた幸福が、ずっとずっと続いている。
(……ルブラ、大好き。あなたと結ばれて本当に嬉しかった)
ラズリがうっとりとした気分で海を見つめていると、後ろからぎゅっと抱きしめられた。潤いのあるぷりぷりとした触腕がラズリの全身に絡みつく。
「らーずりちゃん」
微かに酒精の匂いが漂う。お気に入りのヤシ酒を飲んで程々に酔っ払ったルブラは、妻の頭の上に顎を乗せてけたけたと笑った。
「もう、ルブラ! また飲んだの? あなた酔いやすいんだから程々にしておきなさいよ」
「ふひひっ、俺を心配して怒ってるラズリはかわいいなあ! なあ、お前も一緒に飲むか?」
下半身から伸びる蛸足が、機嫌良さそうにくねくねと踊っている。紅潮した顔で酒を勧めてくる夫にやや苦笑しながら、ラズリもカップを手にした。
酒を飲みながら、手紙のことや魚人から届けられた土産のこと、その他生活のことを話す。特に変化のない暮らしも、ルブラがいるだけで楽しい。彼が見せる新たな一面は自分の心に刺激を与え、鮮やかな影響を残してくれる。
(ルブラがお酒に弱いなんて、今まで全然知らなかったしなあ)
夫のことをもっともっと知りたい。
そしてこれからも知っていけるのだと思うと、本当に嬉しい。
「おい、こっち向いてくれよラズリちゃん。ラズリってば。らーーずーーりーー」
「はいはい」
仕方なくルブラの方に顔を向けたラズリは、唇を優しく塞がれた。
柔らかな唇の感触、そして共に伝えられる果実と酒精の香りが、ラズリの脳をくらくらと酔わせる。力強い触腕に抱えられ、ラズリはそっと敷布の上に横たえられた。
薄暗い中でルブラの金眼が眩く輝き、ラズリの白い肌を煌々と照らす。情欲が宿る金の目。炎のように眩いそれに、ラズリは隷属の徴がぞくりと疼くのを感じた。
「幸せそうに笑うラズリを見てたら触れたくなった。……いいか?」
自分への愛情と欲望に溢れた目。本当にこの目は堪らない。夫からそんな目を向けられると身体の力が抜けて、ぼんやりとしてしまう。
「うん……。私もあなたに触れたい」
ラズリは愛しい夫に身を委ねた。赤褐色の蛸足がラズリの服を器用に脱がせていく。妻の胸元にキスを落とし、ルブラは下腹の徴を愛おしそうに摩った。
「大好きだ、ラズリ」
夫の顔が近づいてくる。
ラズリは男の太い首にしっかりと腕を回し、誘いの微笑みを浮かべた。
*
「ふあっ、んっ……ふ、ぅ……。はあっ、んんっ……」
舌先を柔らかく絡め合うだけのキスを繰り返す。穏やかな接触なのに、身体が蕩けてしまうほどに気持ちがいい。唾液を纏う舌先が、ひとつにくっついて溶け合う感覚がする。
甘い。触れ合う舌の先端から、痺れるような甘さを確かに感じる。奥底から切ない欲望が込み上げてきて、ラズリは夫の屈強な胸に擦り寄った。
「るぶ、ら……るぶらぁ……」
敷布の上に広がる黒髪から、熱帯の花の香りが漂う。指に艶やかなラズリの髪を絡めながら、ルブラはじっと彼女の顔を見つめた。
長い睫毛は力無く震え、頬はほんのりと紅潮している。今までに何度もキスをしてきたのに、いつまでも少女のように顔を赤らめるラズリが可愛くて仕方ない。目を瞑って口吻の快楽に溺れようとする妻に、ルブラは胸が締め付けられるような強い愛おしさを感じた。
「んん、んふっ、ふあっ……! ふっ、……ふふっ。き、もちいい……」
「ああ……。本当にかわいいなあ、ラズリ……」
「る、ぶらっ……はあ、っん、もっと……! るぶら……」
ラズリは堪らずルブラの唇にむしゃぶりついた。足りない、大好き、愛している、あなたが欲しい。伝えたい想いはたくさんあるのに、頭がぼうっとして男の名をひたすら呼ぶことしかできない。
「るぶらっ……るぶら、おねがい……」
「分かってるよ、ラズリ。お前の望みを叶えてやる」
ルブラはラズリの頬を摩りながら、彼女の乳房を触腕で愛撫した。下から掬いあげるように双丘を揉み、乳首を吸盤で優しく吸い上げる。女の白い胸に赤褐色の蛸足が絡みつく光景は淫猥で、ルブラは頭が興奮に熱くなるのを感じた。
「今日もぱんぱんに張ってる。今搾ってやるからな」
「きゃっ!? ふあっ、あはあっ、あっ、あああああぁぁぁっ……」
ぷちゅぷちゅと音を立てて、ラズリの乳首に圧力がかかる。ぬめり気のある軟らかい吸盤で乳首を揉み込まれた後、ゆっくりと剥がされる。そうして扱かれたラズリの胸の先端はぽってりと勃ち上がり、白いものをとくとくと零れさせた。
乳を出す度に胸の先がじくじくと疼く。触手に巻き付かれて搾乳されているという事実が酷くいやらしくて、ラズリは顔に熱が集まるのを感じた。
背徳感がラズリの快楽を増幅させる。ルブラは幼子の面倒を見るように妻の頭を撫で、とびきり甘い声で囁いた。
「ふふっ、気持ちいいな? ほら、もっと揉んでやるから全部出しちまえ。俺に乳を飲ませてくれよ」
「あっ、ひあっ、んふぅっ……! やあぁっ……ひあっ、ん、んんんぅっ!」
肌を濡らすまろやかなラズリの乳を、ルブラは一滴残らず舌で舐め取った。そして腫れ上がった乳首に舌を這わせ、胸の先端にたっぷりと唾液をまぶす。乳輪ごと口に含み、わざと音を立てて吸い上げる。ラズリは胸から伝わる切ない快楽に甘い吐息を漏らし、何度も上り詰めた。
「ひうっ! あっ、もういくっ、いっくぅ……。ふっ、ああっ……あっ、あっ……――っ、あっ、ああああぁぁぁぁぁぁっ……!」
絶頂の痙攣を屈強な肉体に抑え込まれる。そうされると無防備なこの身体を何もかもから守ってもらえるような気がして、ラズリは安心感に涙を流した。
ルブラの大きな手が、ラズリの手をしっかりと握り込む。指のひとつひとつを優しく絡め合いながら、ふたりはお互いの顔を見つめあった。
ラズリの青い瞳が、ルブラの金眼にきらきらと輝く。宝石のように美しい双眸を情欲に濡らし、ラズリは精一杯夫を求めた。
「……ルブラ、来て。おねがいっ……。も、おくがつらいの……はやく、はやくぅ……!」
ラズリは羞恥を堪えながら自分の足を開いた。胸に加えられた愛撫で、自分の中心はもうすっかり潤ってしまっている。徴を刻まれた下腹はきゅうきゅうと疼き、逞しい触腕に最奥を突かれることを待ち望んでいる。
期待に潤んだ目をルブラに向けると、彼は少しだけ加虐的な笑みを浮かべた。
「ラズリ、自分の膝裏を抱えてろ。俺が挿れやすいように足を広げるんだ。できるよな?」
「……えっ? ……む、むりよ、そんなの……」
ラズリは顔を真っ赤にし、弱々しく首を横に振った。そんな体勢をしたら、自分の恥ずかしいところが全部ルブラに見えてしまう。ひくひくと蠢く膣口からすぼまった後孔、それにいやらしく垂れる蜜まで、全て夫の金眼に照らされてしまうのだ。
ルブラはねちっこい男だ。自分のいやらしさを論っていつまでも虐めるに違いない。期待と甘い被虐感に、またとろりと愛液が溢れ出てしまう。
「やだ……るぶら、いじめないで……。おねがい、早くいれてよ……!」
「だーめ。それに俺は、お前の恥ずかしいところも何もかも全部知ってる。お前がどうなろうが全部受け止めてやる。だから安心して俺に身体を委ねてくれ。な? 可愛いラズリ……」
優しく微笑むルブラに緊張が解けていく。ラズリは頷き、ゆっくりと己の足を割り広げた。
「……ああ、堪らねえ」
眼前に晒されたラズリの秘部に、ルブラはこくりと唾を飲み込んだ。てらてらと光る赤い肉が、自分を誘うように淫らに蠢動している。ルブラは荒い息を吐きながら、ラズリの膣口に交接腕を伸ばした。
「はっ、はああっ、あ、あああぁぁぁ……」
ぐぷぐぷと音を立てて、蛸足がラズリの内に挿入されていく。自分を満たす触手の感覚に、ラズリは満ち足りた嬌声を上げた。
「はあっ、ラズリ……らず、り……お前の中、すげえとろとろしてるっ……気持ちいいな、ラズリ……」
「ひっ、うぁっ! あっ、ああぁっ……るぶらっ……やっ、ああぁんっ……!」
泥濘をゆっくりとかき回される。膨らんだ陰核の裏側を擦られると下腹に響くような快感が迫り上がってきて、生理的な涙がぶわりと溢れてしまう。ひ、ひ、と弱々しい声を漏らすラズリに、ルブラは労るような口付けをした。
「可愛い。かわいいな、ラズリ……。そうだ、そのまま膝を抱えていてくれ。うんと気持ちよくしてやるからな」
懸命に足を開こうとするラズリを触腕で抱きしめる。額に張り付いた髪を払うと、ラズリは嬉しそうに微笑んだ。
「んっ、んっ! んひっ、んあっ……はあんっ、ああぁぁぁぁああっ! ひあっ、あぁぁ……」
膝裏を抱えた状態で触腕を迎え入れているせいで、いつもとは違った場所にルブラの蛸足が当たる。羞恥心を煽るような姿勢も相まって、ラズリは溺れてしまいそうな肉の快楽に怖れを抱いた。気持ちいい。気持ちよすぎて溶けてしまう。ルブラに支えていてほしい……。
「あ、おかしく、なるぅ……るぶらっ、るぶらぁ……!」
「んっ、はあ、はあ……大丈夫だ、ラズリっ……、ここに、いるからな……」
涙を流しながら夫の名を呼ぶと、彼はラズリを支えるように両腿に触腕を絡みつかせた。
「ひぐっ、んああぁっ……も、だめっ……すぐにいっちゃう……! いっ、ひあっ! う、んうぅぅ……!」
ルブラが蛸足を動かす度に、粘液とラズリの愛液が混ざり合いねばねばとした水音が響く。後孔にも触腕が挿し込まれ、腫れ上がった陰核には細い触手の先端がぴとりと当てられる。陰核をこしゅこしゅと扱かれながら両穴を突かれる快楽に、ラズリは我を忘れて喘いだ。
「あはあっ、んひっ、んああっ! まって、まってぇ……! はあんっ、やうっ、あっあっ、はひっ、いっくうぅ……! あくぅッ、ああああああぁぁぁ……!」
絶頂する膣の痙攣が、ルブラの交接腕をぎゅうぎゅうと締め付ける。
ルブラは妻の最奥に触手を押し当て、勢いよく精莢を放った。
「んっ、お……はあ、あっ……! らずり、ラズリ……!」
「あっ!? あついっ……。くうっ、ああっ、はあああっ! ――ふっ、ふああああぁぁぁぁッ……!!」
自分のうつろを蠢くルブラの精で満たされる。ずっとずっと求めていたものだ。愛する夫に抱かれた充足感に、ラズリは柔らかく口角を上げた。
「はあっ、はあっ、は、ああぁっ……ルブラ、もっと……。もっとしよう、ねえ……いいでしょう?」
まだ足りないの。もっともっとあなたが欲しい。
ルブラは積極的に自分を求めてくる妻に、煮え滾る恋情をぶつけた。
「もちろんだ。俺も足りねえ……。愛するお前を何回だって抱きたい。何度も、何度も、いつまでも……!」
いつまでも抱いて、可愛がって、ずっと傍に置いておきたい。
大好きだ、俺のラズリ。
心からお前のことを愛している。
夫の言葉に、ラズリは満面の笑みを浮かべた。
*
いつの間にか夜の帳が下り、満天の星が淡い光を放っている。触腕を内に迎えたまま、ラズリは敷布に寝転がってルブラの肩越しに星空を眺めた。
「ラズリ。何見てるんだ?」
「空よ。今日は随分と星がよく見えると思ってね。……ふふ、あなたがくれた真珠みたいに光ってるわ」
ラズリは瞬く星を見上げながら、幻視で得た太古の星の景色を思った。
……天に煌めくあの星々よりも遥か遠くにある場所から、ルブラはこの地球にやってきたのだ。
人間では想像もできないほど永い時間を生き、世界を支配するという野望のために何十万年も海で眠った邪神。
星の巡り合わせとは本当に不思議だ、世界を脅かす邪神と夫婦になるなんて思わなかった。天空神としての記憶は全く残っていないが、かつての敵と結ばれたと思うと何だか運命的なものを感じる。
星辰は揃い、邪神は完全な復活を遂げた。
だがその神は野望を手放し、自分の夫として生きることを望んだ。
幸せな結末だ。
世界にとっても、自分にとっても。
「おいラズリ。どうしたんだ? 何で空見てにやにや笑ってんだよ?」
「……ふふ。何でもないの。明日は何をして過ごそうかと思ってね。海で泳ぐか、それとも頑張って畑を耕すか……」
「ああ、それならさ。俺と海に潜ろうぜ! お前に見せたいものがたくさんあるんだよ。真珠に珊瑚に海百合に、獣肉に似た味の深海魚! ついでに海底都市にも寄ってくか? 陸にはねえ建物がたくさんあるんだ!」
「へえ、楽しそうじゃない。それじゃ明日は海底旅行しようか。しっかり私を護衛してちょうだいね?」
「おうよ、任せろ。鮫が襲ってこようが烏賊が襲ってこようが全部喰ってやるからな!」
「あははははっ! 私の夫は頼もしいわね」
……ルブラと過ごす日々、全てが宝物だ。
彼との思い出は色褪せない。いつまでも鮮烈に輝き続けるだろう。
自分は人間として与えられた生を全うするのかもしれないし、水神の力でこの肉体のまま生き永らえるのかもしれない。いずれにしても、自分の魂はずっとこの男のものだ。寄り添い、くっつき合い、これからの時を過ごしていく。
私たちは永遠に一緒。
何度星が巡っても、ずっと、ずっと。
「明日の旅行が楽しみだわ。待ち望んだ獣肉にとうとう会えるのね!」
目を輝かせながら深海魚の味を想像するラズリに、ルブラは口を大きく開けて笑った。
幸せな時間が過ぎていく。
夏の暖かな夜。敷布の上で、ふたりは夜通し話をし続けた。
応援ありがとうございます!
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