46 / 100
若き宰相殿
しおりを挟む
どれだけの積雪があろうとリアムには関係がない。
吹雪を蹴散らすように馬を走らせる。すぐ後ろにはジーン、リアムの横には白狼が並走する。十分ほど馬を走らせると、古風で趣のある立派な邸宅に着いた。
「な……んで、我が家なんですか? 陛下!」
アルベルト侯爵は、グレシャー帝国創建時から続く由緒ある一族だ。三十路手間のジーン・アルベルトが当主を務めているのにはわけがある。
「おじさん、ずっと危篤状態なんだろ。お見舞いをしようと思って」
彼の父、エルビィス・アルベルトはこの数年、ずっと病床についている。一昨年前、リアムが帝位に就くと同時に爵位をジーンに譲った。
アルベルト家は代々、宰相を務めてきた。クロフォード家の右腕的存在だ。リアムとジーンは歳が近いこともあり、物心つくころからの付き合いだった。
「父のことは、とうに覚悟をしております」
「俺を心配してくれるのは嬉しいけど、宮殿に詰めすぎだ。……会えるときに会っておけ」
リアムが馬を下りると、ジーンも下馬した。
「ですが……」
「火傷のある碧い瞳の男。この案件についての報告をしてきたのはアルベルト夫人だろ。……お見舞いはついでだ」
ジーンは臣下の鑑だ。いつもリアムを優先し、自分は後回しにする。
彼にはこれくらい強引に無理を通さなければならないと思って、黙って連れてきた。
難しい顔をしているジーンの背中を叩く。二人に気づいたアルベルトの侍従長があわてて外へ出てきた。リアムは愛馬を任せると、傍で待っている白狼に向き直った。
「国境のようす、見てきてもらってもいいか?」
雪の上で腹ばいになって寛いでいた白狼は、立ちあがるとすぐに西に向かって駆けだした。あっという間に吹雪の中へ消えてしまった。
白狼を見送ったあと、さっそく邸宅内へ入った。
寝室の前に着くと、侍従長が部屋の中へ声をかける。ほどなくして返事があった。
招かれた部屋の中は、治療のために焚かれた香油で満たされていた。
「い、偉大なる皇帝陛下、ごきげん麗しゅうございます。拝謁、誠に……」
「格式張った礼は抜きでいい、アルベルト夫人。突然の訪問、こちらこそお許しを」
彼女は最初、いきなり現われた息子と陛下に驚いていたが、今は弱々しく笑っている。
「わざわざお越しいただき、誠にありがとうございます」
アルベルト夫人は深く頭をさげた。
「エルビィス先生は?」
「ずっと、意識がないままですわ」
ベッドの傍に近寄り、眠っている恩師の顔を見る。
エルビィスとの付き合いも長い。幼少期、フルラ国に留学という『人質』になる前からだ。
クレア師匠がこの世を去り、国に戻ってからは学問を中心に帝王学について彼からたくさんのことを教わった。失いたくない大事な人だ。
呼吸は安定しているが、目はくぼみ、顔色はよくない。壮健だったころの彼の笑顔を思い出した瞬間、目頭が熱くなった。
「会話は、無理そうですね」
「最近は寝ていることが多くなりました。ですが、ずいぶん前に陛下への言伝は承っております」
「……母上、僕には?」
ジーンが割って入って訊いた。
「あなたには『陛下を支えよ。息災でがんばれ』だけですわね」
ジーンは「それだけ?」と言って、肩を落とした。
「……まあ、親父らしいけどね」
「それだけおまえを信じているんだろ」
肩に手を置いて励ますと、下を向いていたジーンは顔をあげた。
「……陛下との会話を中断して誠に失礼いたしました」
ジーンは父を前にした息子ではなく臣下の顔に戻ると、一礼のあと後ろへさがった。リアムもベッドから離れ、夫人が勧めてくれた椅子に座る。
「エルビィス先生の伝言を聞こう」
「はい。主人は、『親友オリバーを止められず、すまない』と謝っておりました」
リアムは夫人を見つめたまま、彼女に悟られないように奥歯を噛みしめた。
「先生は、なにも悪くありません」
夫人は一度目を泳がせたあと「陛下はご存じですか?」と話しはじめた。
「数ヶ月ほど前になりますが、陛下が禁止した本がまた量産され、国内外で流行しました」
「俺ばかり英雄視された間違った本だろ、もちろん知っている」
ミーシャも読んだと言っていた。
『悪いのは魔女だ。惑わされずにクレアを討て!』
あのときオリバーが吐いた『クレアは悪い魔女』が広く伝わり、一人歩きしていく。いくら当事者であるリアムが違うと否定しても止まってくれない。
「フルラ国へ向かった商人についても、ご存じですか?」
「知っている。腕に、ひどい火傷の傷がある碧い目をした男のことだろ。クレア師匠の命日の前に、イライジャから報告があった」
「イライジャのやつ、当時、僕にはその報告をしてこなかったんだ」
ジーンは「知っていたら陛下を一人にしなかった」と腕を組み、眉根を寄せた。
「碧い瞳の男と聞いて、師匠の石碑前にオリバーが現われるかもしれないと期待したが、刺客が二人襲ってきただけだった。それと……、」
ガーネット女公爵令嬢のミーシャが、炎の鳥を連れて突然現れた。
「それと?」
「いや、なんでもない。イライジャは近くで待機してくれていたし、敵は自分で対処できた。問題ない」
「問題大ありですよ。動けなくなっていたじゃないですか……」
ジーンは渋い顔で、ため息をついた。
リアムは適した環境にいれば、簡単に氷を操れる。魔力の消費も激しくない。しかし、温暖な気候のフルラ国ではそうはいかない。
遠く離れた母国の流氷の結界を維持したまま、適さない環境で魔力を無理やり解放した。
「久しぶりに、フルラ国で魔力を使ったから加減を間違えただけだ」
「今度から加減には気をつけてくださいね?」
心配が過ぎてうるさく詰め寄る彼に「わかった」と軽い調子で返すと、ますます詰め寄られた。
「……あの、陛下。もう一つ、よろしいですか。見て欲しいものがあります」
アルベルト夫人はおもむろに席を立ち、ベッド横の収納棚の引き出しから布で包んだ物を取り出した。大事に両手で持ちリアムの前まで来ると、そっと布を開いて見せた。
「サファイアの原石でできた、偽物の魔鉱石です」
リアムは息を?んだ。
目の前に、あってはならない物がある。信じられない気持ちで、夫人を見た。
「これを、どこで?」
「最近、主人を見舞う花と本と一緒に送られてきたのです。……オリバー大公殿下のお名前で」
吹雪を蹴散らすように馬を走らせる。すぐ後ろにはジーン、リアムの横には白狼が並走する。十分ほど馬を走らせると、古風で趣のある立派な邸宅に着いた。
「な……んで、我が家なんですか? 陛下!」
アルベルト侯爵は、グレシャー帝国創建時から続く由緒ある一族だ。三十路手間のジーン・アルベルトが当主を務めているのにはわけがある。
「おじさん、ずっと危篤状態なんだろ。お見舞いをしようと思って」
彼の父、エルビィス・アルベルトはこの数年、ずっと病床についている。一昨年前、リアムが帝位に就くと同時に爵位をジーンに譲った。
アルベルト家は代々、宰相を務めてきた。クロフォード家の右腕的存在だ。リアムとジーンは歳が近いこともあり、物心つくころからの付き合いだった。
「父のことは、とうに覚悟をしております」
「俺を心配してくれるのは嬉しいけど、宮殿に詰めすぎだ。……会えるときに会っておけ」
リアムが馬を下りると、ジーンも下馬した。
「ですが……」
「火傷のある碧い瞳の男。この案件についての報告をしてきたのはアルベルト夫人だろ。……お見舞いはついでだ」
ジーンは臣下の鑑だ。いつもリアムを優先し、自分は後回しにする。
彼にはこれくらい強引に無理を通さなければならないと思って、黙って連れてきた。
難しい顔をしているジーンの背中を叩く。二人に気づいたアルベルトの侍従長があわてて外へ出てきた。リアムは愛馬を任せると、傍で待っている白狼に向き直った。
「国境のようす、見てきてもらってもいいか?」
雪の上で腹ばいになって寛いでいた白狼は、立ちあがるとすぐに西に向かって駆けだした。あっという間に吹雪の中へ消えてしまった。
白狼を見送ったあと、さっそく邸宅内へ入った。
寝室の前に着くと、侍従長が部屋の中へ声をかける。ほどなくして返事があった。
招かれた部屋の中は、治療のために焚かれた香油で満たされていた。
「い、偉大なる皇帝陛下、ごきげん麗しゅうございます。拝謁、誠に……」
「格式張った礼は抜きでいい、アルベルト夫人。突然の訪問、こちらこそお許しを」
彼女は最初、いきなり現われた息子と陛下に驚いていたが、今は弱々しく笑っている。
「わざわざお越しいただき、誠にありがとうございます」
アルベルト夫人は深く頭をさげた。
「エルビィス先生は?」
「ずっと、意識がないままですわ」
ベッドの傍に近寄り、眠っている恩師の顔を見る。
エルビィスとの付き合いも長い。幼少期、フルラ国に留学という『人質』になる前からだ。
クレア師匠がこの世を去り、国に戻ってからは学問を中心に帝王学について彼からたくさんのことを教わった。失いたくない大事な人だ。
呼吸は安定しているが、目はくぼみ、顔色はよくない。壮健だったころの彼の笑顔を思い出した瞬間、目頭が熱くなった。
「会話は、無理そうですね」
「最近は寝ていることが多くなりました。ですが、ずいぶん前に陛下への言伝は承っております」
「……母上、僕には?」
ジーンが割って入って訊いた。
「あなたには『陛下を支えよ。息災でがんばれ』だけですわね」
ジーンは「それだけ?」と言って、肩を落とした。
「……まあ、親父らしいけどね」
「それだけおまえを信じているんだろ」
肩に手を置いて励ますと、下を向いていたジーンは顔をあげた。
「……陛下との会話を中断して誠に失礼いたしました」
ジーンは父を前にした息子ではなく臣下の顔に戻ると、一礼のあと後ろへさがった。リアムもベッドから離れ、夫人が勧めてくれた椅子に座る。
「エルビィス先生の伝言を聞こう」
「はい。主人は、『親友オリバーを止められず、すまない』と謝っておりました」
リアムは夫人を見つめたまま、彼女に悟られないように奥歯を噛みしめた。
「先生は、なにも悪くありません」
夫人は一度目を泳がせたあと「陛下はご存じですか?」と話しはじめた。
「数ヶ月ほど前になりますが、陛下が禁止した本がまた量産され、国内外で流行しました」
「俺ばかり英雄視された間違った本だろ、もちろん知っている」
ミーシャも読んだと言っていた。
『悪いのは魔女だ。惑わされずにクレアを討て!』
あのときオリバーが吐いた『クレアは悪い魔女』が広く伝わり、一人歩きしていく。いくら当事者であるリアムが違うと否定しても止まってくれない。
「フルラ国へ向かった商人についても、ご存じですか?」
「知っている。腕に、ひどい火傷の傷がある碧い目をした男のことだろ。クレア師匠の命日の前に、イライジャから報告があった」
「イライジャのやつ、当時、僕にはその報告をしてこなかったんだ」
ジーンは「知っていたら陛下を一人にしなかった」と腕を組み、眉根を寄せた。
「碧い瞳の男と聞いて、師匠の石碑前にオリバーが現われるかもしれないと期待したが、刺客が二人襲ってきただけだった。それと……、」
ガーネット女公爵令嬢のミーシャが、炎の鳥を連れて突然現れた。
「それと?」
「いや、なんでもない。イライジャは近くで待機してくれていたし、敵は自分で対処できた。問題ない」
「問題大ありですよ。動けなくなっていたじゃないですか……」
ジーンは渋い顔で、ため息をついた。
リアムは適した環境にいれば、簡単に氷を操れる。魔力の消費も激しくない。しかし、温暖な気候のフルラ国ではそうはいかない。
遠く離れた母国の流氷の結界を維持したまま、適さない環境で魔力を無理やり解放した。
「久しぶりに、フルラ国で魔力を使ったから加減を間違えただけだ」
「今度から加減には気をつけてくださいね?」
心配が過ぎてうるさく詰め寄る彼に「わかった」と軽い調子で返すと、ますます詰め寄られた。
「……あの、陛下。もう一つ、よろしいですか。見て欲しいものがあります」
アルベルト夫人はおもむろに席を立ち、ベッド横の収納棚の引き出しから布で包んだ物を取り出した。大事に両手で持ちリアムの前まで来ると、そっと布を開いて見せた。
「サファイアの原石でできた、偽物の魔鉱石です」
リアムは息を?んだ。
目の前に、あってはならない物がある。信じられない気持ちで、夫人を見た。
「これを、どこで?」
「最近、主人を見舞う花と本と一緒に送られてきたのです。……オリバー大公殿下のお名前で」
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
49
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる