6 / 109
2.不機嫌な人
隣の席②
しおりを挟む
……どうしよう。
英語の教科書がないと気づいたのは、授業が始まってすぐのこと。
中庭から戻ってきたのがお昼休み終了ギリギリだったから、前もって準備する時間がなくて忘れたことに気づかなかった。
今さら借りにも行けないし、もちろん見せてほしいなんて頼めない。
とりあえずノートを開いて、先生に気づかれないように長谷くんの背中にかくれてやり過ごすしかない。
そう思っていたけれど、運の悪いことに今日は私の出席番号と同じ12日だった。
「じゃあ、次のページを……12番北野、読んで」
「は、はいっ」
当てられたことに動揺して、思わず大きな声で返事をしたけれど、もちろん読めるはずがない。
「どうしたの? 15ページだよ」
「あ、あの、すみません……教科書を忘れてしまって」
おずおずと申し出ると、先生は肩を竦めて、
「じゃあ、22番中村、代わりに読んで。ああ、えっと……隣の黒崎、机をつけて見せてあげて」
え、ええええ……!!!
机をくっつける?
黒崎くんに教科書を見せてもらう……!?
考えただけで息が止まりそうになる。けれど、断ろうにも、先生はすでに授業を再開してしまっている。
どうしよう、どうしたら……。
「北野」
突然低い声で名前を呼ばれて、心臓が口から出そうなくらいびっくりした。
「は、はいっ」
必死に絞り出した声がかすれて吐息みたいになる。怒っているような声が恐ろしくて、隣を見ることすらできなかった。
「バーカ、黒崎。北野ちゃん、怖がってんじゃん」
長谷くんが後ろを振り向いて、笑いながらからかう。
あああ、余計なこと言わないでっ。
心の中で叫びつつ実際は何も言えずに固まっていると、机の上にバサッと教科書が投げ置かれた。
「俺、寝るから」
「えっ」
驚いて思わず振り向いたけれど、黒崎くんはすでに机に突っ伏していた。
教科書を開くことも黒崎くんに声をかけることもできずにいると、やりとりを見ていた長谷くんが「いつも寝てるからいいよ」と代わりに許可をくれた。
申し訳なさを感じながら、まだ新しい教科書を折り目をつけないようにそっと開く。
何度か目だけを動かしてちらちらと黒崎くんを見たけれど、本当に寝てしまっているのか机に伏せたまま大きな岩みたいに動かなかった。
……また失敗した。
ズン、と自己嫌悪が心にのしかかる。何ひとつ普通に対応できない自分が恥ずかしい。
返す時には、ちゃんとお礼を言って謝ろう。私のせいで授業を聞けなかったのなら、ノートも取っておいた方がいいかな。
あれこれ考えて、私はルーズリーフに彼の分のノートを丁寧に書き記した。
授業が終わり、ルーズリーフを綺麗に折りたたんで今日の単元のページに挟む。そして、勇気をふりしぼって黒崎くんに話しかけた。
「あ、きょ、教科書、あの、ありがとう。めい、迷惑かけて、ごっごめんなさい」
これだけ言うのに、頭の中で何度もシミュレーションを繰り返した。それでも噛んでしまってしどろもどろになるし、目も合わせられなかった。
「ああ」
差し出した教科書を受け取って、黒崎くんが中を確認することなく机に入れる。それから、スポーツバッグを肩に背負うと、低い声で言った。
「なんで、そんなびびってんの? 何もしてねぇのに怖がられるの、気分悪ぃ」
鋭いナイフで切りつけられた気がした。
いつもの不機嫌そうな声じゃなく、不機嫌な声だ。彼の声には、明らかな嫌悪と怒りが滲んでいた。
「あ……」
すぐに謝ろうとしたけれど、唇が震えて声が出ない。怖くて彼の顔を見ることができなかった。まるで体中の血液が凍っていくみたいに、手足が冷たくなる。
何も言えずに固まっていると、黒崎くんはそのまま教室を出て行ってしまった。
身体の力が抜けて、ヘナヘナと椅子に座り込む。
由真ちゃんと夏梨ちゃんが駆け寄って来てくれたけれど、私はしばらく話すことも立ち上がることもできなかった。
英語の教科書がないと気づいたのは、授業が始まってすぐのこと。
中庭から戻ってきたのがお昼休み終了ギリギリだったから、前もって準備する時間がなくて忘れたことに気づかなかった。
今さら借りにも行けないし、もちろん見せてほしいなんて頼めない。
とりあえずノートを開いて、先生に気づかれないように長谷くんの背中にかくれてやり過ごすしかない。
そう思っていたけれど、運の悪いことに今日は私の出席番号と同じ12日だった。
「じゃあ、次のページを……12番北野、読んで」
「は、はいっ」
当てられたことに動揺して、思わず大きな声で返事をしたけれど、もちろん読めるはずがない。
「どうしたの? 15ページだよ」
「あ、あの、すみません……教科書を忘れてしまって」
おずおずと申し出ると、先生は肩を竦めて、
「じゃあ、22番中村、代わりに読んで。ああ、えっと……隣の黒崎、机をつけて見せてあげて」
え、ええええ……!!!
机をくっつける?
黒崎くんに教科書を見せてもらう……!?
考えただけで息が止まりそうになる。けれど、断ろうにも、先生はすでに授業を再開してしまっている。
どうしよう、どうしたら……。
「北野」
突然低い声で名前を呼ばれて、心臓が口から出そうなくらいびっくりした。
「は、はいっ」
必死に絞り出した声がかすれて吐息みたいになる。怒っているような声が恐ろしくて、隣を見ることすらできなかった。
「バーカ、黒崎。北野ちゃん、怖がってんじゃん」
長谷くんが後ろを振り向いて、笑いながらからかう。
あああ、余計なこと言わないでっ。
心の中で叫びつつ実際は何も言えずに固まっていると、机の上にバサッと教科書が投げ置かれた。
「俺、寝るから」
「えっ」
驚いて思わず振り向いたけれど、黒崎くんはすでに机に突っ伏していた。
教科書を開くことも黒崎くんに声をかけることもできずにいると、やりとりを見ていた長谷くんが「いつも寝てるからいいよ」と代わりに許可をくれた。
申し訳なさを感じながら、まだ新しい教科書を折り目をつけないようにそっと開く。
何度か目だけを動かしてちらちらと黒崎くんを見たけれど、本当に寝てしまっているのか机に伏せたまま大きな岩みたいに動かなかった。
……また失敗した。
ズン、と自己嫌悪が心にのしかかる。何ひとつ普通に対応できない自分が恥ずかしい。
返す時には、ちゃんとお礼を言って謝ろう。私のせいで授業を聞けなかったのなら、ノートも取っておいた方がいいかな。
あれこれ考えて、私はルーズリーフに彼の分のノートを丁寧に書き記した。
授業が終わり、ルーズリーフを綺麗に折りたたんで今日の単元のページに挟む。そして、勇気をふりしぼって黒崎くんに話しかけた。
「あ、きょ、教科書、あの、ありがとう。めい、迷惑かけて、ごっごめんなさい」
これだけ言うのに、頭の中で何度もシミュレーションを繰り返した。それでも噛んでしまってしどろもどろになるし、目も合わせられなかった。
「ああ」
差し出した教科書を受け取って、黒崎くんが中を確認することなく机に入れる。それから、スポーツバッグを肩に背負うと、低い声で言った。
「なんで、そんなびびってんの? 何もしてねぇのに怖がられるの、気分悪ぃ」
鋭いナイフで切りつけられた気がした。
いつもの不機嫌そうな声じゃなく、不機嫌な声だ。彼の声には、明らかな嫌悪と怒りが滲んでいた。
「あ……」
すぐに謝ろうとしたけれど、唇が震えて声が出ない。怖くて彼の顔を見ることができなかった。まるで体中の血液が凍っていくみたいに、手足が冷たくなる。
何も言えずに固まっていると、黒崎くんはそのまま教室を出て行ってしまった。
身体の力が抜けて、ヘナヘナと椅子に座り込む。
由真ちゃんと夏梨ちゃんが駆け寄って来てくれたけれど、私はしばらく話すことも立ち上がることもできなかった。
応援ありがとうございます!
11
お気に入りに追加
13
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる