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6.雨の日の憂鬱
水泳部②
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マネージャーさんと話す夏梨ちゃんを待ちながら、キョロキョロとまわりを見まわす。
プールサイドには、黒崎くんの姿はない。泳いでる人はみんなキャップとゴーグルを着けているから、見分けがつかなくてどこにいるか見つけられなかった。
「詩ちゃん、マネさんが部室に来てって」
なるべく観覧スペースから見えないように隅っこで待っていると、夏梨ちゃんが戻ってきた。目をらんらんと輝かせて、ちょっと興奮気味だ。
「ね、今マネさんが言ってたんだけど、黒崎くん1年生なのに次の大会のリレーメンバーに選ばれたんだって!」
「リレーメンバー……」
夏梨ちゃんの言葉を繰り返して、写真撮影のときに見た黒崎くんのしなやかな泳ぎを思い出す。記憶の中でも、彼は誰も寄せつけないくらい速くて、力強かった。
「すごい……すごいね、黒崎くん。その大会っていつあるのかな」
「お、見に行っちゃう? 」
ふたりで盛り上がりながら水泳部の部室に向かっていると、私たちの声をかき消すくらい大きな声が通路に響いた。
「おまえ、調子に乗んなよ!」
同時に大きな音がして、ビクッと身体が竦む。
……な、何、今の。
驚いて夏梨ちゃんを見ると、彼女は忍者のように壁に張り付いたまま、声が聞こえてきた方に少し身を乗り出して聞き耳を立てていた。
素早い……さすがは好奇心旺盛な夏梨ちゃんだ。
こんなときだけれど、感心してしまう。
この先にあるのは更衣室だろうか。声は通路奥の部屋から聞こえてきていた。
「舐めた態度しやがって。メンバーに選ばれて当然って思ってんだろ」
「落ち着けって。殴ったのバレたら停部になるぞ」
ざわり、と心が波立つ。
これって、もしかして……。
さっき聞いたリレーの話が頭をよぎり、背中に嫌な汗が流れる。
「うるせぇ。ここらで締めて痛い目に遭わせねぇと、俺らナメられっぱなしだろ」
「確かに、ギャラリーがみんなこいつ目当てなのは気に食わないよな」
「だってさ。わりぃな、黒崎」
聞こえてきた黒崎くんの名前と物騒な話の流れに、ドクドクと鼓動が早鐘を打つ。瞬間、また何かを叩きつけるような大きな音がした。
どうしよう、どうしよう。
なんとかしなきゃ……。
でも、まわりを見ても誰もいない。ぐるぐる考えている暇はない。
私は震える足をぐっと踏ん張り、拳を握りしめて声を絞り出した。
「マ、マネージャーさぁんっ。いっ、いますかー?」
震えて裏返った情けない声だったけれど、私の考えは伝わったらしく夏梨ちゃんも大きな声でそれに続く。
「原稿取りに来ましたー!」
その声が届いたのか、怒号のような声も物音もしなくなってシンと静まり返った。
夏梨ちゃんと顔を見合わせてじっと待っていると、しばらくして勢いよく通路奥の部屋の扉が開いた。中からジャージ姿の人が数人出てきて、こちらに近づいてくる。
私は慌てて目を逸らして俯いた。
「こんなところにまで入って来んなよ」
「ファンに助けられるとか、恥ずかしいよなぁ」
口々に悪態をつきながら私たちの脇を通り過ぎていく。私は汗で湿った手のひらをぎゅっと握りしめて息をひそめた。怖くて顔を上げることはできなかった。
彼らがいなくなったのを確かめてから、おそるおそる部屋の中を覗く。ひっくり返った長椅子と床に散らばる鞄や服が目に入り、思わず息を呑んだ。
……あ。
その荒れた部屋の中に座り込む黒崎くんは、口の端に血を滲ませて、いつもより不機嫌そうな表情をしていた。
プールサイドには、黒崎くんの姿はない。泳いでる人はみんなキャップとゴーグルを着けているから、見分けがつかなくてどこにいるか見つけられなかった。
「詩ちゃん、マネさんが部室に来てって」
なるべく観覧スペースから見えないように隅っこで待っていると、夏梨ちゃんが戻ってきた。目をらんらんと輝かせて、ちょっと興奮気味だ。
「ね、今マネさんが言ってたんだけど、黒崎くん1年生なのに次の大会のリレーメンバーに選ばれたんだって!」
「リレーメンバー……」
夏梨ちゃんの言葉を繰り返して、写真撮影のときに見た黒崎くんのしなやかな泳ぎを思い出す。記憶の中でも、彼は誰も寄せつけないくらい速くて、力強かった。
「すごい……すごいね、黒崎くん。その大会っていつあるのかな」
「お、見に行っちゃう? 」
ふたりで盛り上がりながら水泳部の部室に向かっていると、私たちの声をかき消すくらい大きな声が通路に響いた。
「おまえ、調子に乗んなよ!」
同時に大きな音がして、ビクッと身体が竦む。
……な、何、今の。
驚いて夏梨ちゃんを見ると、彼女は忍者のように壁に張り付いたまま、声が聞こえてきた方に少し身を乗り出して聞き耳を立てていた。
素早い……さすがは好奇心旺盛な夏梨ちゃんだ。
こんなときだけれど、感心してしまう。
この先にあるのは更衣室だろうか。声は通路奥の部屋から聞こえてきていた。
「舐めた態度しやがって。メンバーに選ばれて当然って思ってんだろ」
「落ち着けって。殴ったのバレたら停部になるぞ」
ざわり、と心が波立つ。
これって、もしかして……。
さっき聞いたリレーの話が頭をよぎり、背中に嫌な汗が流れる。
「うるせぇ。ここらで締めて痛い目に遭わせねぇと、俺らナメられっぱなしだろ」
「確かに、ギャラリーがみんなこいつ目当てなのは気に食わないよな」
「だってさ。わりぃな、黒崎」
聞こえてきた黒崎くんの名前と物騒な話の流れに、ドクドクと鼓動が早鐘を打つ。瞬間、また何かを叩きつけるような大きな音がした。
どうしよう、どうしよう。
なんとかしなきゃ……。
でも、まわりを見ても誰もいない。ぐるぐる考えている暇はない。
私は震える足をぐっと踏ん張り、拳を握りしめて声を絞り出した。
「マ、マネージャーさぁんっ。いっ、いますかー?」
震えて裏返った情けない声だったけれど、私の考えは伝わったらしく夏梨ちゃんも大きな声でそれに続く。
「原稿取りに来ましたー!」
その声が届いたのか、怒号のような声も物音もしなくなってシンと静まり返った。
夏梨ちゃんと顔を見合わせてじっと待っていると、しばらくして勢いよく通路奥の部屋の扉が開いた。中からジャージ姿の人が数人出てきて、こちらに近づいてくる。
私は慌てて目を逸らして俯いた。
「こんなところにまで入って来んなよ」
「ファンに助けられるとか、恥ずかしいよなぁ」
口々に悪態をつきながら私たちの脇を通り過ぎていく。私は汗で湿った手のひらをぎゅっと握りしめて息をひそめた。怖くて顔を上げることはできなかった。
彼らがいなくなったのを確かめてから、おそるおそる部屋の中を覗く。ひっくり返った長椅子と床に散らばる鞄や服が目に入り、思わず息を呑んだ。
……あ。
その荒れた部屋の中に座り込む黒崎くんは、口の端に血を滲ませて、いつもより不機嫌そうな表情をしていた。
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