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33 先生からのファンレター
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想像よりも暖かく、熱いくらいの舌の温度。舐めなかった箇所はないほどに夢中で味わい尽くしていたと思うが、どうやっても半端な気がした。それを補いたくて手でまさぐった。
全てほぼ無意識だった。彼の服を引っ張り出し、脇腹から手を突っ込んだ。すべすべした肌に似つかわしくない、古傷によるボコボコとした筋状の感触。
彼はその時抵抗こそしなかったがどういう気持ちになったのか、俺が無遠慮に手を滑らせている間、何度もくぐもった短い声を上げていた。
次に何をどうするか。何も考えていなかった。ただ目の前の人の感触や温度を感じ取り、頭にしっかり記憶させ、俺がしていることへの反応を真剣に観察していた。それだけだった。
「……ジルくん、……あのさ……」
「…………はい」
「じ、じかん……あ、…………今日、仕事が……」
「…………あっ!! やっべ、もうこんな時間!? すんません!!」
時間というのは無情である。一秒たりとも巻き戻せない。せめて二分ほどでも巻き戻せればもっときちんと謝れたのにという気分だったが、丁寧に謝罪している暇などなかった。
俺がやったことだからと勝手に乱した服を整えてあげようとすると、真っ赤になって俯くクラースさんに固辞され余計に申し訳ない気持ちが募り、それを気にしながらもかき込むように食事を済ませ、部屋履きから靴に履き替えて勢いよく扉を開けた。
外にある犬の置物にちょっと扉が当たってしまったが位置を変える余裕もなく、鍵をかけてから二人揃って足早に出発した。会話の余裕は全くない中、朝からなにやってんだ馬鹿野郎、イケるとでも思ったのか泣いてるからって、という反省を終える頃にはすでにお昼時になっていた。
「ジルくん今日元気なくない? ため息多すぎ。ハーハーうっさい」
「クラースさんいないからっしょ。恋煩いじゃん? コイワズライ」
「コイのヤマイ」
「違いない」
「うるせーなー。韻踏むなよ。食ったら休め」
「顔ヤバ。てかさあ、もうコクった? クラースさんだよ。他に誰がいんの。……は? なにその顔。マジ?」
「いやいやどんだけ経ってんだよ。するっしょ普通。あの人モテるよ。わかるっしょ?」
「わかってんよ。でももし断られたら同居終わるし……」
「えー、大丈夫っしょー。イケるイケる。なんだっけ、やさぶかじゃない? やぶしかじゃない? それじゃん」
「マンダラでもない? マンガカでもない? ムズい。わかんね。とにかく押しゃイケるからー」
「吝かではない、と満更でもない。辞書引いとけよ小娘共が」
立ち去った俺の背中に『顔こえー』という感想を投げつけた女共はすぐ話題を他のことへ移し、お喋りに花を咲かせていた。
女はいいなあ。自分から押して断られることなどないだろう。いや待てよ、確かあいつらのどっちかが振られてたぞ。ある男が将来有望そうだからと目を付けて、売り込み迫って誘惑して、結局『僕にはもったいないです』と丁重にお断りされて終わったと。
『隠れイケメンだったのにー。でもしっかり味見はしたからいっか』とニヤリと笑い、何かしらの収穫は匂わせていたが。哀れな男だ。派手な女を目の前にして臆病風に吹かれたな。
もし何の経験もなかった奴なら、絶対に性癖が歪んだはずだ。行っときゃ良かったと後悔するか、同等かそれ以上の女性を求めて婚期が遅れるかもしれない。
自分がもし女だったら。そもそも同居はできなさそうだ。クラースさんならそういうことはきっちり線引きするだろうから、もしこっちが誘ったとしても言い方は至極優しく、でもしっかりと断るだろう。ならこれで良かったのだ、一緒にいるなら。
いや一緒にいるだけではもう足りない。それにアレをなかったことには多分できない。最悪、彼との暮らしは終わってしまう。出る覚悟だけは一応決めておかなければ。そんなこと、ほんとは全然考えたくないけど。
──────
家に帰ると扉の前に小包があり、クラースさんはまだいなかった。そうだ、彼は今日仕事に間に合わなかったかもしれない。俺のせいで、とまたため息をつきながら小包の宛先を確認した。
俺宛てだ。何だろう、心当たりがない。差出人の名前を見て数秒停止し、なんとなくだが思い出した。これは教頭先生からじゃないか?
教頭先生にはここに越したことを知らせていない。元いた工房にも特には。思い当たることといえば、実家の母に尋ねたか。しかし母はもうそこにはいない。だったら次は近所の人に母を尋ねて、そういう流れか? え、わざわざ? そこまでして?
疑問符にまみれながらもとりあえずそれを開封してみると、中には金の装飾付きの木箱があり、その上には封筒が添えてあった。やけに分厚い手紙である。中身が端までギチギチに詰まっていて、取り出すのに苦労した。
──拝啓、ジルヴェスター先生。もう五十回、いや百回以上は読み返したかもしれません。ていうか結論から言っちゃうけど君天才じゃない?? 主人公のアルセニーが前の記憶と知識を活用、たまに悪用して理想世界の構築へと突っ走る中で、周りが心を撃ち落とされゆく描写が最高しかないよ。先生、何度も気絶しかけたね。その都度頬を何度も殴って意識を取り戻したけど。
……誰だこいつは。俺はあの感情がペラペラで、話しかけても日刊紙から目を離さず『ああ』しか言わなさそうな教頭先生の姿を頭に思い浮かべた。あの人が? 自分の頬をビンタしながら? あの製本すらしていない素の紙束を握りしめて?
──特筆すべきなのはカルロッタ先生ね。乳が揺れる描写のバリエーションが多すぎて震撼せざるを得なかった。喋ってるだけでぷるぷるするってどういうことなの。けしからん。濡れた服が張り付いて、頂点に皺ができてるところの描写とか、上からではなく横からチラッと見えたとこなんて至極斬新だと感心したし、うっかりそのたわわな果実に向かって飛び込んじゃったときの感触の、えも言われぬ表現とか。思わず類似してるものがないか街に探しにいっちゃった。枕とか。クッションとか。ほら先生は先生だから、変なお店に行けないじゃん。
じゃん、じゃねえよ。気軽に娼館へは行けない身だとしてもだよ、あんた奥様いるだろが。お願いしろよ。駄目なのか。もう互いにいい年だからさすがにそれは気まずいとか。
いや知らねえですし知りたくねえです。この感想文、個人的な無駄情報が多すぎる。
──先生は生徒にいいなーとか思ったことないけどさ、ほら先生年上好きでそういう趣味はないから。でも一緒に働く先生が美女ってめっちゃ滾るよね。士気が上がるよ。まあでもさー、主人公のアルセニーにも先生にもその気がなくても、生徒に告白されまくるのって気分いいね。そうだなー、生徒だったらあの黒髪ロングヘアーのキャサリンちゃんがいいかなー。桃色の髪のポリーナちゃんもドジっ娘で超可愛いよねー。
可愛いよねー、じゃねえですよ。書いた俺が覚えてねえです。誰だっけキャサリンちゃんて。黒髪の……あ、思い出した。あの病んだ女か。おいマジか。
あいつは確か、最初ポリーナが好きで好きで好き過ぎて、『どうやったら衛兵に見つからず人を食うことができるか』とかいう相談を主人公に持ちかけやがり、当たり前に叱られたのをきっかけになぜか執着相手を主人公に変えてきたド級の激ヤバ女だぞ。
そいつのあらゆる色仕掛けに対して主人公が、制服を着崩すなとか、風邪をひくぞとか言って、頬を染めるなどの色っぽい反応をしなかったのはそのせいだ。捕食者に対してしょうがないなあとか、可愛いなあとか正常だったら思えないから。
そこはちゃんと読んだのかよ。いや、受け取り方は個人の自由か? ていうかなんで俺そんな風に書いたんだろ。まっさらさらだ。記憶がない。
手紙にはさらに『読み過ぎて端がボロボロになってきたから状態保存魔術をかけてもらったよ』と記されており、そのいかにも凄そうな魔術にかかった料金はいくらするんだと気が遠くなり、締めに書かれた『先生の次回作に期待しております』の文字を見て見ぬふりして、夕食作りに取り掛かった。
材料は揃っていたので、なんとなくクラースさんの好物ばかり作ってしまった。謝罪の意味をミートボールと、さらに作ったデザートのプリンの中にたっぷり込めて。
「ただい……えっ、なにそのポーズっ」
「今朝は大変申し訳ございませんでした」
「今朝…………あっ、いえっ、こちらこそ??」
「夕食の支度はできております。お手を洗った後にこちらへどうぞ」
『ジルくんが執事化した』と笑いながら俺が引いた椅子に着席したクラースさんは、ちょっと寂しいくらいにいつも通りだった。謝罪は受け取ってほしいけど、もっと意識はしてほしい。ほしいばかりのワガママだ。恋は人を我儘にする。
「ううん、別に大丈夫。ちょっと遅れちゃってもああだこうだと言われない。上の人にはもう少し気楽に接してほしいくらい。偉い人ほどオレをお客さん扱いしてくるよ」
「噂は色々聞いてます。メイドの小娘なんかがよく、『クラースさんがスゲェのはウチらもわかってんだけどー、便乗して支配人が俺もウヤマエって求めてくんのマジウゼェ。あいつマジ小物』とか言ってます」
「あはは、小物! やけにペコペコしてくるあの人かなあ。あ、昇進の話もあったんだよ。でもそれを受けたら出張が当たり前になっちゃうから。せっかく素敵なお家にいるのに、いられなくなっちゃうのは嫌なんだー」
「そうですね、望まないならそれが良いと思います。なるべく家にいてください。心配になると俺の寿命が文字通りに縮みます」
「ふふ、そっかー。いや笑っちゃダメなんだろうけど。ところでそこにある箱は何? 装飾が綺麗だねえ」
「あ、これまだ中身はちゃんと見てないんです。今開けてみようかな。一緒に見ましょう」
食事中なので行儀は悪いが、好奇心が勝っていた。テーブルに乗せて箱を開ける。しっかり寸法を考えて作られた、無駄な隙間の見当たらぬ美しい木箱である。
開けたときは箱の本体と蓋が吸い付くような感触がし、中からはほんのりと新しい品物の香りがした。さらに縁の処理がきっちりと施された天鵞絨の布に包まれていたその中身は。
全てほぼ無意識だった。彼の服を引っ張り出し、脇腹から手を突っ込んだ。すべすべした肌に似つかわしくない、古傷によるボコボコとした筋状の感触。
彼はその時抵抗こそしなかったがどういう気持ちになったのか、俺が無遠慮に手を滑らせている間、何度もくぐもった短い声を上げていた。
次に何をどうするか。何も考えていなかった。ただ目の前の人の感触や温度を感じ取り、頭にしっかり記憶させ、俺がしていることへの反応を真剣に観察していた。それだけだった。
「……ジルくん、……あのさ……」
「…………はい」
「じ、じかん……あ、…………今日、仕事が……」
「…………あっ!! やっべ、もうこんな時間!? すんません!!」
時間というのは無情である。一秒たりとも巻き戻せない。せめて二分ほどでも巻き戻せればもっときちんと謝れたのにという気分だったが、丁寧に謝罪している暇などなかった。
俺がやったことだからと勝手に乱した服を整えてあげようとすると、真っ赤になって俯くクラースさんに固辞され余計に申し訳ない気持ちが募り、それを気にしながらもかき込むように食事を済ませ、部屋履きから靴に履き替えて勢いよく扉を開けた。
外にある犬の置物にちょっと扉が当たってしまったが位置を変える余裕もなく、鍵をかけてから二人揃って足早に出発した。会話の余裕は全くない中、朝からなにやってんだ馬鹿野郎、イケるとでも思ったのか泣いてるからって、という反省を終える頃にはすでにお昼時になっていた。
「ジルくん今日元気なくない? ため息多すぎ。ハーハーうっさい」
「クラースさんいないからっしょ。恋煩いじゃん? コイワズライ」
「コイのヤマイ」
「違いない」
「うるせーなー。韻踏むなよ。食ったら休め」
「顔ヤバ。てかさあ、もうコクった? クラースさんだよ。他に誰がいんの。……は? なにその顔。マジ?」
「いやいやどんだけ経ってんだよ。するっしょ普通。あの人モテるよ。わかるっしょ?」
「わかってんよ。でももし断られたら同居終わるし……」
「えー、大丈夫っしょー。イケるイケる。なんだっけ、やさぶかじゃない? やぶしかじゃない? それじゃん」
「マンダラでもない? マンガカでもない? ムズい。わかんね。とにかく押しゃイケるからー」
「吝かではない、と満更でもない。辞書引いとけよ小娘共が」
立ち去った俺の背中に『顔こえー』という感想を投げつけた女共はすぐ話題を他のことへ移し、お喋りに花を咲かせていた。
女はいいなあ。自分から押して断られることなどないだろう。いや待てよ、確かあいつらのどっちかが振られてたぞ。ある男が将来有望そうだからと目を付けて、売り込み迫って誘惑して、結局『僕にはもったいないです』と丁重にお断りされて終わったと。
『隠れイケメンだったのにー。でもしっかり味見はしたからいっか』とニヤリと笑い、何かしらの収穫は匂わせていたが。哀れな男だ。派手な女を目の前にして臆病風に吹かれたな。
もし何の経験もなかった奴なら、絶対に性癖が歪んだはずだ。行っときゃ良かったと後悔するか、同等かそれ以上の女性を求めて婚期が遅れるかもしれない。
自分がもし女だったら。そもそも同居はできなさそうだ。クラースさんならそういうことはきっちり線引きするだろうから、もしこっちが誘ったとしても言い方は至極優しく、でもしっかりと断るだろう。ならこれで良かったのだ、一緒にいるなら。
いや一緒にいるだけではもう足りない。それにアレをなかったことには多分できない。最悪、彼との暮らしは終わってしまう。出る覚悟だけは一応決めておかなければ。そんなこと、ほんとは全然考えたくないけど。
──────
家に帰ると扉の前に小包があり、クラースさんはまだいなかった。そうだ、彼は今日仕事に間に合わなかったかもしれない。俺のせいで、とまたため息をつきながら小包の宛先を確認した。
俺宛てだ。何だろう、心当たりがない。差出人の名前を見て数秒停止し、なんとなくだが思い出した。これは教頭先生からじゃないか?
教頭先生にはここに越したことを知らせていない。元いた工房にも特には。思い当たることといえば、実家の母に尋ねたか。しかし母はもうそこにはいない。だったら次は近所の人に母を尋ねて、そういう流れか? え、わざわざ? そこまでして?
疑問符にまみれながらもとりあえずそれを開封してみると、中には金の装飾付きの木箱があり、その上には封筒が添えてあった。やけに分厚い手紙である。中身が端までギチギチに詰まっていて、取り出すのに苦労した。
──拝啓、ジルヴェスター先生。もう五十回、いや百回以上は読み返したかもしれません。ていうか結論から言っちゃうけど君天才じゃない?? 主人公のアルセニーが前の記憶と知識を活用、たまに悪用して理想世界の構築へと突っ走る中で、周りが心を撃ち落とされゆく描写が最高しかないよ。先生、何度も気絶しかけたね。その都度頬を何度も殴って意識を取り戻したけど。
……誰だこいつは。俺はあの感情がペラペラで、話しかけても日刊紙から目を離さず『ああ』しか言わなさそうな教頭先生の姿を頭に思い浮かべた。あの人が? 自分の頬をビンタしながら? あの製本すらしていない素の紙束を握りしめて?
──特筆すべきなのはカルロッタ先生ね。乳が揺れる描写のバリエーションが多すぎて震撼せざるを得なかった。喋ってるだけでぷるぷるするってどういうことなの。けしからん。濡れた服が張り付いて、頂点に皺ができてるところの描写とか、上からではなく横からチラッと見えたとこなんて至極斬新だと感心したし、うっかりそのたわわな果実に向かって飛び込んじゃったときの感触の、えも言われぬ表現とか。思わず類似してるものがないか街に探しにいっちゃった。枕とか。クッションとか。ほら先生は先生だから、変なお店に行けないじゃん。
じゃん、じゃねえよ。気軽に娼館へは行けない身だとしてもだよ、あんた奥様いるだろが。お願いしろよ。駄目なのか。もう互いにいい年だからさすがにそれは気まずいとか。
いや知らねえですし知りたくねえです。この感想文、個人的な無駄情報が多すぎる。
──先生は生徒にいいなーとか思ったことないけどさ、ほら先生年上好きでそういう趣味はないから。でも一緒に働く先生が美女ってめっちゃ滾るよね。士気が上がるよ。まあでもさー、主人公のアルセニーにも先生にもその気がなくても、生徒に告白されまくるのって気分いいね。そうだなー、生徒だったらあの黒髪ロングヘアーのキャサリンちゃんがいいかなー。桃色の髪のポリーナちゃんもドジっ娘で超可愛いよねー。
可愛いよねー、じゃねえですよ。書いた俺が覚えてねえです。誰だっけキャサリンちゃんて。黒髪の……あ、思い出した。あの病んだ女か。おいマジか。
あいつは確か、最初ポリーナが好きで好きで好き過ぎて、『どうやったら衛兵に見つからず人を食うことができるか』とかいう相談を主人公に持ちかけやがり、当たり前に叱られたのをきっかけになぜか執着相手を主人公に変えてきたド級の激ヤバ女だぞ。
そいつのあらゆる色仕掛けに対して主人公が、制服を着崩すなとか、風邪をひくぞとか言って、頬を染めるなどの色っぽい反応をしなかったのはそのせいだ。捕食者に対してしょうがないなあとか、可愛いなあとか正常だったら思えないから。
そこはちゃんと読んだのかよ。いや、受け取り方は個人の自由か? ていうかなんで俺そんな風に書いたんだろ。まっさらさらだ。記憶がない。
手紙にはさらに『読み過ぎて端がボロボロになってきたから状態保存魔術をかけてもらったよ』と記されており、そのいかにも凄そうな魔術にかかった料金はいくらするんだと気が遠くなり、締めに書かれた『先生の次回作に期待しております』の文字を見て見ぬふりして、夕食作りに取り掛かった。
材料は揃っていたので、なんとなくクラースさんの好物ばかり作ってしまった。謝罪の意味をミートボールと、さらに作ったデザートのプリンの中にたっぷり込めて。
「ただい……えっ、なにそのポーズっ」
「今朝は大変申し訳ございませんでした」
「今朝…………あっ、いえっ、こちらこそ??」
「夕食の支度はできております。お手を洗った後にこちらへどうぞ」
『ジルくんが執事化した』と笑いながら俺が引いた椅子に着席したクラースさんは、ちょっと寂しいくらいにいつも通りだった。謝罪は受け取ってほしいけど、もっと意識はしてほしい。ほしいばかりのワガママだ。恋は人を我儘にする。
「ううん、別に大丈夫。ちょっと遅れちゃってもああだこうだと言われない。上の人にはもう少し気楽に接してほしいくらい。偉い人ほどオレをお客さん扱いしてくるよ」
「噂は色々聞いてます。メイドの小娘なんかがよく、『クラースさんがスゲェのはウチらもわかってんだけどー、便乗して支配人が俺もウヤマエって求めてくんのマジウゼェ。あいつマジ小物』とか言ってます」
「あはは、小物! やけにペコペコしてくるあの人かなあ。あ、昇進の話もあったんだよ。でもそれを受けたら出張が当たり前になっちゃうから。せっかく素敵なお家にいるのに、いられなくなっちゃうのは嫌なんだー」
「そうですね、望まないならそれが良いと思います。なるべく家にいてください。心配になると俺の寿命が文字通りに縮みます」
「ふふ、そっかー。いや笑っちゃダメなんだろうけど。ところでそこにある箱は何? 装飾が綺麗だねえ」
「あ、これまだ中身はちゃんと見てないんです。今開けてみようかな。一緒に見ましょう」
食事中なので行儀は悪いが、好奇心が勝っていた。テーブルに乗せて箱を開ける。しっかり寸法を考えて作られた、無駄な隙間の見当たらぬ美しい木箱である。
開けたときは箱の本体と蓋が吸い付くような感触がし、中からはほんのりと新しい品物の香りがした。さらに縁の処理がきっちりと施された天鵞絨の布に包まれていたその中身は。
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