この行く先に

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20 望まれるのは何か

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 街に着き子供を癒し、情けなくも倒れてから二日が経った。
 街の中央に小さな神殿が建てられていて、そこが私の居場所になった。礼拝堂にはオーステン神の像が祀られていて、窓には精緻な透かし彫りの装飾が施されていた。
 サフィーマラで一般的だった色硝子の細工窓は、材料が手に入らないのかもしれない。それでも精一杯、神の物語が彫り物で表現されていて、サフィーマラの伝統や美術を失わせないという強い意志を感じた。
 私が流されるままに生きていた間にも、彼らはもがき苦しみながら前に進んでいた。

 この街に着いた翌日は、まる一日寝込んでしまってずいぶん心配させてしまった。起きてからは、カイエが私から癒しの力の使い方を根掘り葉掘り聞いてきて、完全に彼の管理下に置かれることになった。
 主体的に動くことが苦手な私には有難く……しかし、それで良いのかという心の声もある。肉体の疲労を言い訳に休ませてもらっているが、すぐに癒えていくだろう。

 神への祈りを終えて立ち上がると、礼拝堂の入り口に女性の姿があった。初めて見る顔だ。私と目が合うと無言で頭を下げた。

「頭を上げてほしい。私はそんなに特別な人間じゃない」
「いいえ。リウス様。貴方様は最後の希望です」
「そんなことは」
「ニールズ様は最期までリウス様のご無事と、サフィーマラを救ってくださると信じていました」

 胸が苦しくなる。私を逃がしてくれたニールズ。墓に参らねばならないと思っていたのに、身体が辛いからと忘れてしまっていた。自分の薄情さに反吐が出そうだ。私のために苦しんだ人を忘れていいはずがないのに。

「貴女はニールズとどのような?」
「酷い火傷を負っていたニールズ様を見つけて手当てしたのが私です。その縁で、彼とオーステン神に誓いを立てました」

 ニールズは私よりも十ほど年上だったはずだ。私の世話をするために結婚の話が出ても断り続けていると聞いていた。彼が結婚したならば、苦しみの中で少しでも彼自身の幸せを見つけられたのだろうか。

「ニールズが結婚を……。その時には私が祭司を務めると話していたのけれど……間に合わず、申し訳ない。もう彼に償うことはできないけれど、代わりに貴女にできる限りのことを」

 私を逃しただに傷を受けたであろうニールズに、もうつぐなうことはできないけれど、彼女を残してくれたことが有難かった。どう生きていいかわからない私に贖罪という目標が与えられるから。彼女を代わりにできる。
 私は、この街に来てから己の不甲斐なさと、のうのうと生き延びて守られている自分が許せなくなっていた。だけど彼女は私に贖罪の機会を与えてくれなかった。ニールズが生きているうちに戻らなかった私を罵るどころか、乗り越えた者の強く優しい瞳で私に微笑みかけた。

「生きてください。命を粗末にしないでください。命を削ってまで人を癒さなくて良いんです。ニールズ様はリウス様が笑顔でいてくださるだけで皆が幸せになれると言っていました」

「そんなことは……そんなのはニールズだけだ……」

「いいえ。私もお会いするまでは意味が分かっておりませんでしたが、今ならわかります」

 ニールズが私に向けていた信仰にも似た感情を、彼女からも向けられてしまう。ニールズはわかる。私の綺麗なところしか知らなかった。だが、何故彼女まで。

「私など、外見だけだ。それも今は失われてしまった」

「私は、王族の方々を目にする機会のない人生でした。だから、ニールズ様の想いが理解できませんでした。むしろ反感を抱いていたほどです」

 そうだろう。サフィーマラは後継者以外は飾りのようなものだ。 ただ美しく清らかで、神の代弁者という人々のイメージを守るために存在する。中身に価値はない。

「でもリウス様があの子を癒して、明らかに具合が悪そうなのに皆のために立って下さっていました。私の想像では、もっと傲慢で鼻持ちならない方だと思っていたんです」

「ニールズの知る私はそんな人間だった」

「そうでしょうか。本当にそうならニールズ様があんなに傾倒していないと思うんです。それに……偶然ですが、リウス様の癒したあの子の名前はニールズと言うんです。何だかニールズ様が皆の前でリウス様を認めさせるために用意したような気がしてしまって」

 彼女に促されて二人で向かい合って座った。そして、手に持っていた小さな布のようなものを差し出してくれる。

「昨日、刺繍の得意な子が一生懸命作りました。リウス様に粗末な布を巻いただけなんてとんでもないって」

「眼帯……こんな見事な刺繍を一日で?」

 渡された布は、私の右目の上を走る傷を綺麗に覆い隠すだろう。布は小さいが、全体に精緻な刺繍が施されている。この仕事がそう簡単にできるようなものでないことは、私でもわかる。
 その見事な刺繍の眼帯を、立ち上がった彼女がつけてくれた。後ろで結ぶ作りだから、つけるときにもたついてかなり接近してしまった。妙齢の女性がここまで近いことが初めてで少し戸惑ってしまった。
 ぴったりですね、と微笑んで再び腰掛けた彼女が話しだした。

「皆、嬉しいんです。必死で逃げてきて、街を作って。でも頑張ってきたけれど、ここはサフィーマラじゃなかった。カイエ様もノーギス様も親身になって下さっているのは分かります。でも私達を導くのは、サフィーマラの人であって欲しい。王様のいる国で育った私達は、王様に従うのが楽なんです」

「ああ……それは何となくわかる。私も自分が果たすべき役割を見失ってしまったから」

「私達の望みは、リウス様に王様になって欲しいのです。カリッツォへの憎しみは消えないけれど、これ以上家族を失うのは耐えられません。だから、この安全な街で、新しいサフィーマラとしての幸せの形を見つけたいんです」

「それは……」

「王様でなくても、神官様としてでも良いんです。ここにいて下さい。お願いします」

「……ありがとう」

 覚悟していたつもりなのに、己よりもずっと強い人達を導くことができるのかと不安になる。彼女の背を見送り、座ったままため息をついていると入れ替わりにカイエが入ってきた。
 彼女と話す機会を設けてくれていたのかもしれない。心配そうな顔をしている。私が詰られたのではと思っているのだろうか。

「大丈夫ですか?」

 昔から兄のように慕っていた彼には、つい甘えが出てしまう。

「さあ? 私は大丈夫に見えるだろうか」
「疲れていらっしゃるように見えます。その眼帯、よくお似合いですよ」

 明るい金髪が目に優しい。冷たい銀とは真逆で、心が解れていく。

「少しは立派に見えるかな」
「リウス様は立派なお方です」

 何が立派なんだろう。神に背く行為で生き延びてきたことを、彼は知らない。 

「カイエは私を知らないからそう言えるんだ。私がカリッツォで何をしてきたか知れば、そんなことは言えるはずがない」

 男でありながら、男の欲望の捌け口となることで生き延びた。ただ苦痛なだけなら良いのに、私の身体はあの行為に悦びを見出していた。汚い身体だ。
 ふっとカイエが落ちるように膝をついた。祈りの姿勢だ。

「リウス様から見た俺は、どう見えていますか?」
「高潔で強く、義理堅い人だ」

 悩みようもなく即答をした。俯いたままのカイエが笑う気配がした。

「義理堅くなどありません。俺は貴方のことしか考えていないのです」
「それが、義理堅いということじゃないのか?」
「違います。俺は低俗な人間です。リウス様、俺は貴方を」

 カイエが最後まで言い切る前に、出入り口を塞ぐ大きな人影が現れた。

「あっ、もしかしていいところだったか?」
「ノーギス」

 カイエが地底から響くような声を出した。怒っているようだ。対するノーギスは「悪い悪い」と軽く笑っている。

「リウス様! カイエと二人っきりは危ないから気をつけてください。何か困ったことがあればミリアさんに聞けば大丈夫です」
「危ない?」
「危なくありません」

 意味が分からずに言葉をそのまま聞き返したが、すぐにカイエが否定した。彼が危ないの意味が分からない。憮然とした様子のカイエに、ノーギスが笑顔のまま釘を刺した。笑い顔なのに妙な迫力がある。

「その言葉たがえるなよ、カイエ」
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