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三章 モンブロワ公国編

25話 初めてのお客さん

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 魔大陸のブルクハルト王国の領海に入って3日、ようやく陸地が見えて来て、モンブロワ公国より派遣されたイシュベルト・マインは安堵の息を吐く。

 国より賜われた船でブルクハルトの領海に入った瞬間、海が荒れ見た事の無い魔獣に乗った騎士の格好をした魔族に囲まれた時には死を覚悟したものだ。

 彼の国での爵位は男爵バロンに当たり、地方都市を納める歴とした貴族である。精悍な顔立ちで黒髪をポマードで後方に撫でつけ、立ち姿は長旅を感じさせない凛々しさがあった。

「あれが…ブルクハルト王国か」

 イシュベルトは前方に見える大きな港街に目を凝らす。多くの船が入り浸り、人々が盛んに行き交う活気のある街に見えた。

「ったく、何で俺が…」

 横から聞こえた投げやりな言葉に、イシュベルトは苦々しく口を開く。

「アラン伯爵、何時迄もそう仰られる事ないでしょう」

「しかしマイン男爵…俺は伯爵カウントなんだ。それなのに何故こんな遠方の、それも魔大陸なんかに…」

 イシュベルトは内心うんざりしながら、出港から付き合わされているもう何回目か数えるのも忘れた同じ愚痴に返答する。

「貴方様のお父上が良い勉強になるとご判断されたのでしょう。ご長男を亡くされた今、跡取りとなる貴方様に様々なご経験をさせたいのだと思います」

 ホーリー・アランはそれを聞き、面白く無さそうに舌打ちをして顔を顰めた。長めのブロンドの髪を掻き上げ、苛立ちを隠そうともせず煙草を咥える。

 イシュベルトは自らのマッチを擦り、彼の煙草に火を灯してやった。

 ホーリーはアラン伯爵家の次男、最近まで社交界でも霞んで居場所の無かった人物だった。そんな人物が由緒あるアラン伯爵家の正式な跡取りになるとは誰もが予想していなかった。
 長男が努力家で大体の事を卒無く熟す人物で、ホーリーはそれが小さい頃から面白くなかった。兄を可愛がる両親、褒める師範、家庭教師、もううんざりだった。
 彼は反発して授業をサボり、剣の稽古もろくにせず酒と女に溺れていた。

 そんな時、兄が不慮の事故で亡くなり彼の世界は一変したのだ。ホーリーが跡取りになった途端周りの態度が明らかに変わり、社交界でも世辞を言われる様になった。
 自らに媚び諂う連中を見ていると頗る気分が良かった。(全ては結局金…、権力)そんな絶頂の中で父から突然言い渡されたのは、国の代表として魔大陸のブルクハルト王国に行け、と言うものだ。

 大公アークデュークの署名がされた細々した書類を渡す事が彼の旅の目的で、その内容には全くこれっぽっちも興味が無かった。

 イシュベルトはそんなホーリーの世話を体良く押し付けられた可哀想な人物だと言えた。世間知らずで爵位にぶら下がってるだけの子供、これがホーリーの周囲の評価である。

 そんな彼が何故、魔大陸への使者に選ばれたのかと言えば、行き先がブルクハルト王国と言う恐ろしい国だったからに相違ない。

 魔大陸の中でも国交を行わない事で有名な未知の王国で、国王はあの【鮮血の魔帝】。

 曰く、彼は人間を生きたまま食べる。曰く、彼は逆らった者の見せしめの為に手段は選ばない。曰く、彼は膨大な魔力を秘めた世にも珍しいルビーアイの持ち主だ。

 人族の間では様々な噂が流れている。何が本当で、何が真か知りようも無いが、冷酷で狡猾、心など持ち合わせていない魔王の中の魔王なのだと人々に語られていた。

 そんな人物に会う国の代表者は、余りにも爵位が低いと侮られていると気分を害すかもしれないと伯爵位のホーリーに白羽の矢がたったのだ。

 イシュベルトは馴染みのある彼の父親に頼まれて、渋々参加したに過ぎ無い付き人の立ち位置だった。

「しかし、どんな人物なのでしょうね?」

「嗚呼、噂の魔王か?」

「……左様です」

「俺は醜い化け物の見た目だと聞いてる。キュプロクスに似ていて、目が赤く人間を丸呑みにするそうだ」

 イシュベルトは船の入港を直前に、急に不安に見舞われる。果たしてこの次男坊は、大国の王を前にして礼儀を尽くす事が出来るのだろうか、と。

 例えば魔王陛下がその様な風姿であった際、彼はモンブロワ公国の代表者として正しい立ち居振る舞いが出来るのか?

「彼方の騎士が我々を急に丁重に扱う様になったのは、陛下に御目通りをしたいと伝えて貰った直ぐ後でしたね…」

「フン、魔王め…最低限の知性はあるようだな」

「アラン伯爵、あまり…その、この国に居る間は陛下の事に対し軽はずみな貶める言動はお控え下さい。何処に耳があるか分かりませんよ」

 イシュベルトは声を潜めてホーリーに伝えるが、彼は悪怯れる様子も無く「嗚呼、嗚呼、そうだな」と煩わしげに言うだけだった。
























 海から船を案内してくれた騎士の1人が見た事も無い魔獣から降りて、港街へ到着したホーリーとイシュベルトの案内を申し出た。

 彼らの他にも3人、小間使いと護衛2人の冒険者を率いて真っ直ぐ巨大な城へ向かう。港街は市場が開かれているのか様々な人で賑わい、明るい活気に包まれていた。

「意外と、普通の街ですね…」

 小間使いの少年がコソッとイシュベルトに耳打ちする。

「嗚呼、こう見てると人間の街とそう変わらない様に見えるな…」

 イシュベルトも小さく同意した。小間使いの少年は前情報から、人間の頭蓋が散乱した地獄の様な街を想像して船の上で震えていたものだ。

 実際に着いてみると頭蓋骨どころかゴミ一つ落ちていないではないか。

 冒険者の2人は魔大陸へ来た事のある者を雇ったからか、周囲を警戒した様に見てるだけで新鮮な反応は無い。

 ユニオール大陸との明らかに違う所は獣人や角を持つ魔族が日常に溶け込んでいる事と、イシュベルト達が今までに見た事が無い程に街の規模が大きく、優れた発展を遂げている点だろう。

「此処はブルクハルト王国で最大の都市、王都で御座いますので」

 先頭を歩いていた竜騎士が人の良い笑みを浮かべて説明を挟んだ。

「いやはや、まさかこれ程美しい都だったとは」

「マイン男爵殿、お褒め頂き有り難う御座います。此方の港区画は水の都と呼ばれておりまして、その美しさは我が国の自慢の1つで御座います」

 街には比較的大きな用水路が網目状に流れており、覗き込めば様々な美しい魚が優雅に泳いでいるではないか。見ているだけで心躍る光景に、小間使いの少年は燥いで水路を辿り見詰めていた。

「おい、ちょっと待て」

 1番後ろから、不服そうな声が聞こえる。竜騎士は脚を止め、優しい目を向けて「如何かなされましたか?」と柔らかく聞いた。

「此方は長旅で疲れてる。もっと気遣って歩いて欲しいものだ」

 イシュベルトや他の者が息を呑んで、目を見張りながら竜騎士に視線を戻す。(何を言っているのだ…!)竜騎士の青年の歩幅は、街の様子を興味深く見れる程、十分此方に配慮しているものだった。
 それを、ダラダラ脚を引き摺る速度で気怠そうに歩いているホーリーに合わせろと言うのか。傲慢にも程がある発言だった。

「…大変申し訳御座いません、アラン伯爵殿。私も皆様を王陛下の元へ早くお連れしたいと、気が急いていたのかもしれません。お疲れの様で御座いましたら、暫し休息をとって頂ける様計らいますが、如何致しますか?」

「…っ、計らって貰おうか」

「アラン伯爵ッ!?」

「畏まりました。少々お待ち下さいませ」

 竜騎士の対応に、ホーリーは言葉を喉を詰まらせた。まさか此処まで傅いて対応してくれるなど、思っても見なかった為だ。自らの伯爵家のメイドにすら、こんな望んだままを叶えてくれる者など居なかった。

 途中イシュベルトが咎める様な声を発したが、そんなの関係ない。(伯爵とは、他国ではこれ程もてなされる立場なのか?素晴らしい!)彼の身体を駆け巡った感覚は正しく、絶大な快感であった。

 通信石で話していた竜騎士が戻って来て、港街の少し外れにある白い砂浜が美しいエリアに通された。

 南国の植物が品よく植えられていて、別世界の様な空間。組み木の橋を進むと、まるで海に浮かぶ大きな城が見えて来た。其処は何処に居ても視界に入ってしまう程に巨大だが、全く景観を損ねていない周囲との統一感がある。

「なんだ?こりゃぁ」

「綺麗な建物だな…」

 一階はほぼガラス張りの、大きな建物だ。これには冒険者の2人も感嘆を漏らす。品の良いレストランと高級そうなホテルのロビーが此方から見えた。一部はテラスの様になっていて、日光浴を楽しめる場所もある。

「此方はユートピアと言う施設で御座います。レストランが御座いますので、そちらで御ゆるりと御寛ぎ下さい」

 急な寄り道にも笑顔で対応する竜騎士に、イシュベルトは申し訳なく思い会釈をした。これは、完全に此方が悪い。

 恐らく先程魔王に連絡を取り、此方が到着すると伝えた時間に合わせて設定していたであろう御目通りの時間を調整してくれたに違いなかった。ただ1人の我儘を聞き入れ、早急に真摯に対応する王の度量が窺える。

 一同が席に着くと、可愛らしいウエトレスの女の子が礼儀正しく注文を取りに来てくれた。その接客の対応にも、ホーリーは密かに満足する。

 注文した飲み物が到着し始める頃、「アラン伯爵、これ以上勝手はしない方が良いぜ」と冒険者の1人が声を掛けてイシュベルトは心の中で何度も頷いた。

「多分、王様側も色々用意してた筈だからな」

「ハッ勝手に準備していたのは向こうだろう?」

「おいおい、こっちは謁見を申し立てた側なんだぜ?」

 不遜な態度に呆れながら、冒険者は頼んだ飲み物を口に含む。少しだけのつもりだったのか、しかし見る見る内にグラスが傾けられて一気に煽った。

「っかー!美味い!何だこりゃぁ!?」

 それを見ていた小間使いの少年もゴクリと唾を飲み込み、自らのグラスに口を付ける。

「美味しいです…っ」

「此処の果実水は最高級品か?」

「こんな美味しい珈琲、今まで飲んだ事がない…」

 驚きながら口々に感想を言い合った。何だか、この飲み物を飲めただけでもユニオール大陸から長旅をして来た甲斐があったのではないかと錯覚する程に美味だった。

「ぷはぁ、此処のエールは最高じゃないか!」

 突如アルコールの名が飛んでその場が現実に引き戻され静まり返った。

「まさかアラン伯爵…謁見前にエールを?」

「一杯くらい平気だろう?」

「…いや…、それは」

 平気な訳が無い。こうなってしまえば出来る事なら、頬が仄かに赤い彼を魔王陛下の御前へ出したくは無い。

 しかし、イシュベルトは所詮男爵だ。

 一国の王がそんな身分の者が公国の遣いだと言われて納得する訳がない。ましてや相手はあの【鮮血】と呼ばれる残虐な魔王なのだ。

 侮辱だと腹を立て、丸呑みにされるかもしれない。その為、ホーリーの爵位は必須であった。

「お前達も俺に感謝しろ?あのまま城へ行っていたら、こんな美味い物にありつけなかったんだ」

 尊大な態度に皆が何も言わずにいると、あろう事が彼は後方に控え美しい姿勢のまま起立して待っていた竜騎士に向かって「なぁ?」と同意を求めた。

「気に入って頂けた様で何よりで御座います、アラン伯爵殿」

 深いお辞儀をしてにっこり微笑む青年は、気分を害した様子は微塵もない。ホーリーはその様子に口角を上げ、鼻で笑った。

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