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九章 キシリスク魔導王国編

138話 生まれたものは

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◆◇◆◇◆◇

「――旦那ッ!」「アルバラードさんッ!」

『…   ……』

 目が覚めたら2人に覗き込まれていて、僕は飛び起きる。3人で頭を打ち合い、仲良く痛みに呻いた。

 僕が寝ていたのは細かな砂の上だ。照り付ける太陽が眩しくて、汗が滲む肌に気温が高い。見渡す限り砂漠が続き、陽炎が揺らめく。
 真横には魔導列車が横たわっていた。皆で力を合わせた一世一代の転移魔法は成功したみたいだ。

『ゲホッ…!』

 喉の辺りに違和感があり、咳くと血が溢れた。

「ご主人様!」

 列車の上に居たブルブルが駆け付ける。

「信っじらんねー!【月】!お前転移失敗して、旦那の内臓のどっかを置いて来たんじゃねーの!?」

「俺の優先順位は1にも2にもアルバラードさんだ。あるとしたら、イヴリース・ベルフェゴール・タタン、貴様の片足を転移し損ねるくらいだ!」

 気を失っている間にも吐血したらしく、話がややこしい事になっている。

『だ、大丈夫だよ!これは僕の体の問題だから…!』

「旦那、……病気ってこと?」

『そ、そだね…?』

 日頃のストレスによる胃潰瘍だ。
 イヴのただならない雰囲気に気圧される。

 転移が失敗した訳じゃないと、フォローしたかっただけなのに何だか重たい空気だ。

「だからご飯も食べなかったの?」

『うん…胃が受け付けなくて…はは、』

「何で…治ってないの?」

『?と、言われましても…』

 彼は真剣そのものだ。僕が一歩下がると、イヴが一歩踏み出すせいで距離が取れない。

「旦那、ずっと何処か悪いんじゃないの?」

『ま、まぁ、そうだね?』

 この会話は噛み合ってるのだろうか。

「何の為にブルブルをくれたのさ?」

『…え?』

「旦那は、ポラリスを手に入れる為にブルブルをオレにくれたんでしょ!?」

 ポラリス…?確か、ユーリが言っていた万能薬の元になる薬草だ。

 イヴは今にも泣きそうな顔をしている。
 
『分から、ない…。本当に、覚えてなくて…』

 刹那、先程の夢が頭の中を駆けた。

「やめろ!」

 ジュノが僕からイヴを引き離す。

「落ち着けイヴリース・ベルフェゴール・タタン!アルバラードさんは記憶が欠けた状態だ。お前の気持ちは分からんでもないが、順序立てて説明が必要だろう」

「だって…辛いなんて一言も…、言わなかったじゃん…っ!腕が吹っ飛んだ時も笑ってさぁッ!!」

 イヴが怒ってる意味が、やっと分かった。

 拳を握る彼を、両腕を広げて抱擁する。

『ごめんよ、イヴ。黙っててごめん。でも、本当に大丈夫だったんだ。君との旅は楽しかったし、体の痛みなんて忘れられた』

「…、」

『イヴが無事だったなら腕だって、大した事じゃないよ』

「…旦那は、ホント…お人好しすぎるよ」

 背中をポンポン叩いてイヴを落ち着ける。こうしていると本当に弟が出来たみたいだ。
 お互いに弟みたいって思ってる不思議な関係だけど、良いかなって思えてきた。だってお互いを大切に思ってるって事だもん。

 すると、突然足元が揺れた。砂丘の砂が零れて斜面を滑り落ちる。前方の地面が陥没して砂が舞う。
 バランスを崩すと一緒に転げ落ちてしまいそうだ。(地震?)

 大地から不思議な声と共に地響きがする。大気を揺らす甲高い鳴き声に、鼓膜を潰されそうになり耳を塞いだ。

「やべ、砂鯨だ…!」

「この時期は地下奥深くで眠っているんじゃないのか?」

 砂鯨は砂海《さかい》国お馴染みの魔物だ。内陸部の砂漠の深くに棲息して、砂の中を自由に泳いでいる。なので、タタン国に住む人々は砂丘の変化は風が原因ではなく、砂鯨が泳ぐからだと信じられていた。

 でも、ジュノが言った通り雨量が少ないこの時期は、砂鯨は深い眠りについてる筈だ。

「列車の転移の時、結構派手に着地したからなぁ…起こしちまったかも」

 横たわる列車は窓が破れて、外装も凹みがある。三分の一は砂に埋まり、転移の衝撃で砂を巻き上げたのだと分かった。

 地形があっという間に変わる。砂丘が谷へ、谷が砂丘へ。地下で蠢く魔物に掻き回される。
 広い範囲に及ぶ変化に、砂鯨の大きさはシロナガスクジラを超えるのではないかと思われる。

「でも、コイツら臆病な性格でヒトを襲う事はねぇから大丈ぶ――」

 僕たちから程近い場所の砂丘が瞬く間に湿った。突如、地下に蓄えられていた水が上空10mの高さまで勢い良く噴き出す。砂鯨が移動する際、地下にあった水脈に触れた可能性がある。

 当然、水柱は重力に従い、周囲へ雨のように降り注ぐだろう。

 しかし、それは未だ高温の魔導結晶には触れてはならないものだ。結晶の外殻へ触れた瞬間、爆発が起こる。(不運、ここに極まれり)

 突然の事に、体が動かない。そんな僕の胸に手が伸びた。

『!、ジュノ…っ』

 僕とイヴを突き飛ばしたのはジュノだ。爆発から遠去けようと、咄嗟に砂丘の溝に僕らを落とした。
 
「あの馬鹿…!」

 イヴが歯軋りをする。

 無情にも高々と登った水が雨のように降って来た。(待ってくれ、嫌だ)彼の最後の顔が頭にこびり付いて、喉がヒリつく。

『ジュノーーッ!!』

 僕の絶叫は轟音に掻き消された。

 助けに来た筈なのに、助けられてしまった。無力感と後悔に苛まれる。

 滑り落ちた谷から列車とジュノは見えない。覚束ない足取りで砂丘を登る。

『はぁ、はぁ…っ』

 足が砂に埋まり、思うように進めない。斜面を駆け上がり息が切れる。

 頂上には変わらずジュノが佇んでいた。(良かった…!)胸を撫で下ろした僕は堪らず、彼に抱き付いた。

「あ…その、アルバラードさん、突き飛ばしてしまい申し訳ありません。咄嗟に…」

 ジュノはワタワタと慌てて、僕の服に付いた砂を払う。彼が僕たちを助けようとしたのは火を見るより明らかだ。

 列車は完全に濡れている。破れた窓から運転ルームにも水が侵入していた。確実に魔導結晶にも触れているけど、それでいて変化はない。

『うーん…?』

 首を傾げてみる。

「あっちっち!」

 イヴが雨を避けるようにローブを広げて砂丘を登ってきた。言われてみれば、降り注ぐ雨は熱い。

 砂漠から噴き出し続けている水を見やる。僕が聞いた轟音の正体は水が突き上げられ砂漠の亀裂が広がる音か。
 噴き出す多量の水から湯気が立ち上り、熱気を感じた。

『温泉…?』

「そのよう、ですね…」

 すると、ズンズンと近付いてきた仏頂面のイヴがジュノの腹へ拳を放つ。それを軽々と受け止めたジュノは「何だ」と眉を歪めた。

「っんで、俺も助けようとしたんだよ…」
 
 ジュノは咄嗟に、僕とイヴを突き飛ばしている。その事に納得しきれない彼は、好敵手を睨んだ。

「…何故だろうな」

「分かんねーのかよ!」

「ああ。体が勝手に動いた」

 咄嗟の行動は自分でも説明出来ない時がある。(理屈じゃないよね)

「、ッ……」

 奥歯を噛んだイヴは俯き、拳を引っ込めた。犬猿の仲だったジュノに身を挺して庇われ、彼の行動に酷く戸惑っている。感謝するべきなのか、怒って良いのかあぐねていた。

 緊張の糸が切れた僕はその場にヘタリ込んだ。

「アルバラードさん!?」

「ちょ、旦那大丈夫!?医官呼ぶ!?」

『あはは…はは』

 気が抜けて、脚に力が入らない。そんな自分がおかしくて、嘘みたいな不運と幸運に思わず笑ってしまう。

 砂の上で笑う僕にブルブルが寄り添う。額を撫でていると、イヴとジュノも緊張が解けたように腰を下ろした。

「信じられない話だなぁ」

 未だ噴き出し続けて砂漠に川を作る膨大な水量を眺めて、イヴがぼやいた。
 これがただの地下水オアシスならば、今頃ジュノはこの世に居ない。

「地下水が地熱によって温められていた事で、魔導結晶の外殻へ触れても急激な温度変化が起こらなかったのでしょう。…運が良かったです」

 落ちてくるお湯を掌で受け止めながら、ジュノは晴天の空を見上げる。

「皆様、魔導列車の脱線事故を防いで下さり、有り難うございます」

 横に居たブルブルが、僕たちに頭を下げた。

「ホント、どうなる事かと思ったけどなぁ」

「アルバラードさんのお陰です」

 ジュノが英雄に憧れるキラキラした少年のような眼差しを向ける。
 僕は柔らかく笑って、ジュノ、イヴ、ブルブルを順番に見た。

『いいや、これは僕たち皆で掴んだ勝利だよ』

 魔導列車の転移は誰が欠けても、成し得なかった。
 それに誰1人怪我も無く、無事で本当に嬉しい。

『改めて、有り難う』

「よ、よせやい旦那!」

「礼を言うべきはこちらです、アルバラードさん」

 イヴは照れて頭を掻き、ジュノは優しく目を細める。

 清涼な達成感が胸の内を満たした。これでキシリスク魔導王国とタタン国の戦争のきっかけになった脱線事故は歴史上からなくなる。

「あーぁ、せっかく事故を防いだってのに、オレの活躍も大っぴらに出来ないなんてなぁ」

 イヴが両腕を頭の後ろに組んだ。
 
 (うん)確かにブルブルにも釘を刺されているし、僕たちの存在は公に出来ない。何たって、この時代には元々この時代を生きてる僕たちが居る。

 彼らが居るのに、タタン国の王子がキシリスクの列車事故を防いだなんて新聞にでも載ったら大変だ。

『ブルブル、この後はどうするの?』

「ご主人様とタタン様を未来に戻します」

 お役御免と言ったところかな。じゃぁ、この時代のジュノとはお別れという事。そう思うと、少し寂しい。

「…俺は、2人を覚えていられるのか?」

「…さすが、鋭い質問ですね。鬼族やこの一連の事件に深く関わった方々の記憶は私が預からせて頂きます」

『…、どうして…?』

 せっかくイヴとジュノが仲良くなれたのに。2人が協力して事故を未然に防いだ事実が無くなってしまうのは悲しい。

「ラブカ様は特異点で、未来を切り開く起点。お2人を既にご存知だと、数多の未来の中から我々が辿った未来を掴み損ねてしまう場合があるからです」

 確かに、ジュノならこの後直ぐにブルクハルトへ行きそうな雰囲気だ。5年前の僕はジュノを知っているだろうか。
 突然訪ねて来られたら、キシリスク魔導王という肩書きに身構えてしまう。

「…分かった……」

 しょんぼりと下を向いたジュノに犬耳の幻覚が見える。

「…あくまで、預からせて頂くだけです。今から5年後にはお返ししますよ」

 垂れた耳と尻尾がピンと立つ。(喜んでる)

「アルバラードさんにまたお会い出来るのは、2年後…ですか?」

『うん。その時はきっとお互い分からないけど、5年後…本当の再会をしようね』

「元の時代に戻るオレと旦那は直ぐだけどぉ、【月】は5年も経たないと分からない訳だなぁ?」

 良い気味だと楽しそうにクツクツ笑う。ジュノは「黙れ」と冷酷な顔をする。その後、僕に向ける表情は温かく、徹底された変わり身の早さに破顔した。

「その間にもっと、アルバラードさんのお役に立てるよう努力します」

『うん?無理はしないでね』

 ジュノが僕と出会った経緯については、彼から話してくれるのを待つ事にする。僕に親切にしてくれる最大の謎が気にならない訳じゃないけど、無理矢理聞くのは躊躇われる。

 立ち上がった僕たちは暫く他愛無い話をして、笑って、未来で会う約束をする。

『じゃぁ、5年後の未来で!』

 僕が手を出すと、すかさずイヴが手を乗せた。更にジュノも手を重ねて、最後にブルブルも尻尾を乗せてくれる。

 猟犬が亜空間を開き、僕とイヴに中に入るよう促した。

『じゃぁ、またねジュノ』

「はい…またお会いしましょう」

「5年後、ちゃんとこの件の礼をしろよな?金塊とかぁ~、犬のロボットとか!変な映像が映る機械でも良いけど」

「考えておこう」

 ジュノは穏やかに見送ってくれる。心なしか寂しそうに見える彼に手を振って、ブルブルが用意した空間に入る。
 亀裂が閉じると同時に、白い光に視界を奪われた。

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