魔の森の奥深く

咲木乃律

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終章

それぞれの

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 正午の時を告げる鐘の音とともに、普段は固く閉じられている王宮の大門が、衛士たちによって開かれ、一斉に人々が王宮内の広場へ向かって移動し始めた。
 その波に揉まれながら、ロザリアは頭から被った布をさらに深く引き寄せ、なるべく顔を隠した。
 広場までの道の両脇には等間隔で衛士が並んでおり、中にはロザリアを見知った者もいるかもしれない。足元を見つめ、人の影に隠れるように広場を目指した。
 歩みはゆっくりとしていた。ロザリアが広場に着く頃には、すでに多くの人々が集っており、前方の演壇両脇には貴族が居並んでいた。ロザリアのいる場所からは豆粒ほどにしか顔は見えない。あの中の何処かに父のリベリオ、母ジュリエッタ、それに姉のフランカと妹アーダも参列しているはずだ。

 演壇脇の貴族席よりも一段高い場所には、王族と思われる者たちが着座していた。そちらは遠目ながら人数も少ないこともあり、なんとなくウバルド殿下、それにベネデッタ王女の姿が認められる。一方玉座はまだ空席で、国王と王子は式典の開始とともに入場してくるものと思われる。

 ロザリアは顔を隠しながらいつでも人の列から抜け出せるようにと群衆の端へと移動した。セストは今頃、ラグーザ王国から連れてきた数名とともに魔の森監視局の地下牢から広場へ至る通りの途中で待機しているはずだ。

 トリエスタの政変にラグーザ王国の民を連れていくことを、長老たちは当然ながら反対したという。

「よそ様のことに首を突っ込んで、外交問題になりかねない」

 長老たちの危惧は最もなことだ。けれどセストはこの件には我が領土である魔の森を荒らされた経緯があること、未来の王妃の生国の一大事であること、何よりセスト自身、この一年オリンド国王に無理を言って魔法防衛局長の地位を用意してもらい、潜伏させてもらった恩があることを繰り返し訴えた。長老たちは、我が王国の犠牲者を一人も出すことなく帰還することを条件に、最後にはセストの主張を通したそうだ。

 打ち合わせでは、セスト達がまずは魔獣が広場へなだれ込むのを阻止し、制圧が終わった後ロザリアが魔獣を魔の森へ誘導する手はずだ。
 その際、どうしてもロザリアの足が必要となる。コルトが我こそはと申し出てくれたのだが、さすがに一角獣の立派な角は目立つ。そう言うと、コルトは、

『ならば我は捕まって一足先にトリエスタ王宮へ行っていよう』

 それは危険だと言ったのだが、コルトはその後姿を消し、魔の森監視局に侵入したセストから、コルトが地下牢に捕らえられていることを聞いた。

 もうこうなっては仕方がないと、セストは魔笛に操られないようコルトに魔笛返しの魔法をかけたそうだ。一角獣は本来魔笛に操られることはないが念のためと言って。今日は魔獣の先頭を切って走り出し、真っ先にロザリアのもとに向かうと約束してくれている。
 ロザリアは、魔獣暴走が起こった時点でいち早くコルトと合流し、魔獣を誘導する必要がある。そのためには騒ぎが起こったとき群衆からどれだけ早く抜け出せるかが鍵となる。

 かといってあまり端によりすぎると、周りで警護している衛士や魔法士の目に止まりやすくなる。特に魔法士は、一角獣の角刈りで顔を合わせた者も多く注意が必要だ。
 なにせロザリアは、魔の森で行方知れずとなっているはずなのだから。

 ロザリアは慎重に人の波をかき分け、王位継承権授与に沸き立つ群衆のなかを進んだ。おそらく魔獣は、国王と王子が登壇してから放たれるはずだ。それまでにコルトと合流しやすい場所まで移動しなければ―――。











***










 正午の鐘が鳴ると共に広場に大勢の国民がなだれ込んできた。王宮前の、いつもはだだっ広いだけの広場が人人人の群れだ。
 国民達は、前段に並ぶ、普段お目にかかれない王族や貴族の姿に興味津々といった様子だ。こちらを指さして大声で何事か隣の者と話している者もいる。

「……全く、見世物じゃないのよ」

 髪を高く結い上げ、一際艶やかなピンクのドレスをまとったベネデッタは、より多くの衆目を集めていた。自分について語られることのおおよそは賛辞であるとの自信はあるが、自分が見世物のように指を指されるのはいい気はしない。
 つい腕を組み、指先を苛立たし気に一定のリズムで動かしていると、隣のウバルドが苦笑した。

「ベネデッタ。気持ちはわかるがそういらいらするものではない」

 ベネデッタの気持ちをいつも誰よりもわかってくれる叔父のウバルドは、苦笑いしながらベネデッタを宥める。その顔をベネデッタは複雑な思いで見つめた。
 今日で叔父の王位継承権順位は第二位になる。失明しながらも王位継承権をもらえる長兄のことはもちろん誇りだが、叔父のことを思うと複雑だ。式典前、「嫌な気分ではないの?」と叔父に聞いたら、「始めからわかっていたことだし、何とも」と返された。完璧なポーカーフェイスで言われると、それ以上返す言葉もない。

 貴族席のほうへと視線を向けると、取り巻きのカーラ、エルダ、ジーナの姿がある。ベネデッタと視線が合うと、びくっとしたように反応し、慌てて三人とも目を伏せた。

 失礼しちゃうわね―――。

 ベネデッタは三人を一瞥し、また広場へと視線を戻した。

 ロザリア・カルテローニが魔の森で消息を絶ってはやふた月ほどが経つ。乙女の一人の証言によりロザリアは一人で魔の森へ入っていったということになっているが、ロザリアが姿を消す少し前、ベネデッタがロザリアの髪を掴み、廊下を引きずって歩いていた姿を多くの者に目撃されている。みな公に口に出しては言わないが、ロザリアの失踪にベネデッタが絡んでいると思っている。
 特に乙女たちは本気でそう信じているようで、神殿で黒妖犬の前へロザリアを突き飛ばしたところも目撃しているだけに、ロザリアを無理やり魔の森へ入らせたのはベネデッタだとまことしやかに囁かれた。
 そのせいで取り巻きで何かと便利に使っていたカーラ達まで怖がってベネデッタに近寄らなくなった。

 だけどそれならそれでいい。

 代わりはいくらでもいるのだし、何と言っても自分は王女だ。カーラ達がだめなら、他にも自分の側につきたいと望む者は大勢いるのだ。気にしてはいない。
 それよりもロザリアが姿を消してからセストが魔法防衛局長の任をおり、あまり王宮に顔を見せなくなったことのほうが問題だった。本来なら何の手続きも踏まず要職をいきなり退任するなんてありえない。けれどセストのこととなるとなぜかそんな無茶が通る。おかげで近頃はセストに会う機会がなくなった。今日はさすがに警護のため王宮に来ているようだが、ベネデッタはまだ姿を見ていない。この機会を逃せば次にいつ王宮に来るかわからない。今日は貴重な日なのだ。探し出して絶対にセストに会ってみせる。
 
「……あら?」

 広場へと視線を向けていたベネデッタは、広場の中ほどで一人移動をしている人の姿に目を留めた。
 広場に集まった国民のほとんどはその場に立ち止まり、式典の始まるのを今か今かと待ち受けている中、一人布を目深にかぶった者が人の波を縫うようにして移動している。どうやら群衆の隅へと移動しているようだ。小柄な女性だ。その目深にかぶった布の端から山吹色の髪がのぞいている。

―――あれって……。

 遠目であったし顔が見えたわけではない。でもあの歩き方といい、あの髪の色といい、体型といい、ロザリアの姿を彷彿とさせる。

 国王と王子入場のファンファーレが鳴り響き始めたが、ベネデッタはさっと席を立った。

「どうしたのだ? もう始まるぞ」

「ええ、叔父様。でもわたしちょっと…」

 ロザリアを見たかもしれないとは言わなかった。確信はなかったし、魔の森で消えた者が生きているはずがない。そうは思ったが。

「わたし、どうしてもこの髪留めをかえたくなってしまいましたの」

 実際、ピンクのドレスに合っていないと少し気に入らなかったのも事実だ。言い訳は何でもいい。見失う前に確かめなければ。

「よく似合っているよ」

 叔父のウバルドはそう言い着席するよう諭したが、ベネデッタは「いいえ、叔父様」と首を振った。
 
「やっぱりどうしても嫌なんです」

 適当に誤魔化して席を離れた。










***









 ベネデッタが席を離れると同時にひと際甲高くラッパの音が響き、国王オリンドと、次兄に手を引かれて長兄の王子が入場してきた。ウバルドは他の者同様、席を立ち胸に手をあて低頭して国王を出迎えた。広場からは割れんばかりの歓声が沸き起こる。魔鳥に目をつぶされた王子は先に用意された椅子へと着座し、国王が両手を挙げると広場はしんと静まった。

 ここから楽隊の音はしめやかな曲調へと変わり、王位継承権が授与される儀式へと移行していく。

 しかしウバルドの目線は授与式の行われる演壇ではなく、魔の森監視局の建物がある方向へと向けられていた。

 プラチドとの打ち合わせでは、国王と王子入場のファンファーレが檻の扉を開ける合図だった。魔の森監視局と広場までは王宮内の道を一本で、足の速い獣が駆ければそろそろ先陣となる魔獣が到達する頃だ。
 混乱が広がれば、広場は騒然とした状態に陥るだろう。自分はいち早くプラチドの用意した安全な場所へと逃げ込む手筈だ。ベネデッタが側にいれば、自分に懐いている姪っ子だ。一緒に連れて行ってやろうと思っていたが、髪留めというくだらない理由で席を離れた。
 こうなってはどうしようもない。あれがベネデッタの運命だ。

 滞りなく儀式が進んでいく中、ウバルドの意識は完全に魔獣が襲ってくるであろう方向へと向いていた。自分が逃げるタイミングを逸しては元も子もない。そのためどうしても意識はそちらに取られた。
 が、待てども待てども魔獣はやってこない。

 一体、何が起こったのだ?

 儀式は滞りなく進んでいく。一体プラチドは何をしているのだ。

 広場からは歓声が一斉に沸き起こった。王位継承権を得た証が王子へと渡されたのだ。ウバルドはにこやかな笑みを無理やり顔に貼り付け、周囲に合わせて祝福の手を叩いていたが、限界だった。

 プラチドが何らかの理由でしくじったのなら、自らが動くまでだ。
 今日はあのセストが護衛に来ている。配下の者たちにはあいつには十分気を付けるよう注意し、見張りを何人もつけている。しかしそれでもなお何かあったのかもしれない。これ以上ぐずぐずしていては全てが水泡に帰す。

 ウバルドは立ち上がり、怪訝そうな顔でこちらを見てくる他の者の視線をかわし、その場を離れた。



 
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