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16.君は友達
6.
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煌びやかな広間に、多くの貴族が集まっている。
(まさか本当に来ることになるとはな)
ヴァルカヌスの手を取り、アグライヤは小さくため息を吐く。
今夜この場所で、アレスとウェヌスの婚約が発表されることになっている。ウェヌスの誘いを断りきることが出来ず、ヴァルカヌスと共に登城することになったのだ。
「本当に良いのか? わたしだけで来ても良かったんだぞ?」
そう口にしてアグライヤは小さく首を傾げる。
ヴァルカヌスは元々、夜会や社交が好きなタイプではない。当然必要な時に必要な対応はできるのだが、幾ら招待を受けたからとはいえ、今夜の夜会を欠席したところで彼を責められる人間が何処に居よう。ヴァルカヌスが悲しむ顔を見たくは無いし、アグライヤは彼抜きで出席する覚悟をしていたのだ。
「いや、良い。――――俺の婚約者に変な虫がついたら困るからな」
そう言ってヴァルカヌスは、アグライヤのことをエスコートする。アグライヤの胸が大きく高鳴った。
「――――らしくないセリフだな。……いや、わたしが知らないだけで、ウェヌス様にはいつもこんな感じだったのか?」
動揺を誤魔化すために、アグライヤはそう言って笑って見せる。
(広間が薄暗くて助かった)
そうでなければ、頬が真っ赤だとバレてしまっていただろう。ホッと胸を撫で下ろしつつ、アグライヤはヴァルカヌスのことを覗き見る。
ヴァルカヌスは綺麗に髪を撫でつけ、漆黒の紳士服に身を包んでいた。元々大人っぽい雰囲気のヴァルカヌスだが、今夜の彼は更に洗練され、冴えた月のような印象を周囲に与える。深いすみれ色のクラバットは、アグライヤのドレスの色に合わせたものだ。彼の瞳の色にもよく似合っている。
(思えば一緒に夜会に来るのは初めてだ)
婚約者が居たのだから当然のことだが、何だか新鮮な気分だ。アグライヤはこっそり深呼吸を繰り返しつつ、平常心を装った。
「綺麗だな」
「……? 何がだ?」
「そんなの、アグライヤのことに決まっているだろう」
そう言ってヴァルカヌスは仄かに目を細める。アグライヤは目を見開きつつ、思わず顔を背けた。
(いや、決まっていない。決まっていないぞ、ヴァルカヌス)
これまでならば普通に言えたであろうそんな言葉を、アグライヤは素直に吐き出せずにいる。
そもそも、『綺麗』だなんて言葉をヴァルカヌスから言われたことがなかった。夜会仕様――――はたまた婚約者向けのリップサービスなのかもしれないが、少なくともアグライヤには耐性がない。
(心臓が馬鹿みたいに痛い)
ヴァルカヌスがアグライヤのことを『友達』としか思っていないのだと分かっているが、それでも胸が期待に躍る。友情が愛情に変わる日が来るかもしれないと思ってしまう。
その時だった。
「ヴァルカヌス様……!」
喧騒を掻き分ける様にして、鈴を転がすようなか細い声が聞こえてくる。二人が振り返ると、ベールを目深にかぶり、瞳を真っ赤に染めた今夜の主役――――ウェヌスがそこに佇んでいた。
「ウェヌス様?」
彼女が人目を忍んでいるのは見ればわかる。小声でそう問い掛けると、ウェヌスは瞳を潤ませつつ、ヴァルカヌスの胸へと飛び込んだ。
「わたくし、アレス様との婚約を取りやめたい! ヴァルカヌス様の元に戻りたいのです」
今にも消え入りそうなか細い声だったが、それはアグライヤの耳にやけにハッキリと届いた。胸がドクンドクンと大きく脈打ち、口いっぱいに苦みが広がる。
「アグライヤ……あちらで少しウェヌスと話をしてくる」
「ああ……分かった」
言いながら、心が張り裂けそうな心地を覚える。本当は行かないで、と引き止めたくて堪らない。
(だけど、ただの友達であるわたしにそんなことを言う資格は無い)
「頑張って来い」とそう言って、アグライヤはそっと踵を返した。
(まさか本当に来ることになるとはな)
ヴァルカヌスの手を取り、アグライヤは小さくため息を吐く。
今夜この場所で、アレスとウェヌスの婚約が発表されることになっている。ウェヌスの誘いを断りきることが出来ず、ヴァルカヌスと共に登城することになったのだ。
「本当に良いのか? わたしだけで来ても良かったんだぞ?」
そう口にしてアグライヤは小さく首を傾げる。
ヴァルカヌスは元々、夜会や社交が好きなタイプではない。当然必要な時に必要な対応はできるのだが、幾ら招待を受けたからとはいえ、今夜の夜会を欠席したところで彼を責められる人間が何処に居よう。ヴァルカヌスが悲しむ顔を見たくは無いし、アグライヤは彼抜きで出席する覚悟をしていたのだ。
「いや、良い。――――俺の婚約者に変な虫がついたら困るからな」
そう言ってヴァルカヌスは、アグライヤのことをエスコートする。アグライヤの胸が大きく高鳴った。
「――――らしくないセリフだな。……いや、わたしが知らないだけで、ウェヌス様にはいつもこんな感じだったのか?」
動揺を誤魔化すために、アグライヤはそう言って笑って見せる。
(広間が薄暗くて助かった)
そうでなければ、頬が真っ赤だとバレてしまっていただろう。ホッと胸を撫で下ろしつつ、アグライヤはヴァルカヌスのことを覗き見る。
ヴァルカヌスは綺麗に髪を撫でつけ、漆黒の紳士服に身を包んでいた。元々大人っぽい雰囲気のヴァルカヌスだが、今夜の彼は更に洗練され、冴えた月のような印象を周囲に与える。深いすみれ色のクラバットは、アグライヤのドレスの色に合わせたものだ。彼の瞳の色にもよく似合っている。
(思えば一緒に夜会に来るのは初めてだ)
婚約者が居たのだから当然のことだが、何だか新鮮な気分だ。アグライヤはこっそり深呼吸を繰り返しつつ、平常心を装った。
「綺麗だな」
「……? 何がだ?」
「そんなの、アグライヤのことに決まっているだろう」
そう言ってヴァルカヌスは仄かに目を細める。アグライヤは目を見開きつつ、思わず顔を背けた。
(いや、決まっていない。決まっていないぞ、ヴァルカヌス)
これまでならば普通に言えたであろうそんな言葉を、アグライヤは素直に吐き出せずにいる。
そもそも、『綺麗』だなんて言葉をヴァルカヌスから言われたことがなかった。夜会仕様――――はたまた婚約者向けのリップサービスなのかもしれないが、少なくともアグライヤには耐性がない。
(心臓が馬鹿みたいに痛い)
ヴァルカヌスがアグライヤのことを『友達』としか思っていないのだと分かっているが、それでも胸が期待に躍る。友情が愛情に変わる日が来るかもしれないと思ってしまう。
その時だった。
「ヴァルカヌス様……!」
喧騒を掻き分ける様にして、鈴を転がすようなか細い声が聞こえてくる。二人が振り返ると、ベールを目深にかぶり、瞳を真っ赤に染めた今夜の主役――――ウェヌスがそこに佇んでいた。
「ウェヌス様?」
彼女が人目を忍んでいるのは見ればわかる。小声でそう問い掛けると、ウェヌスは瞳を潤ませつつ、ヴァルカヌスの胸へと飛び込んだ。
「わたくし、アレス様との婚約を取りやめたい! ヴァルカヌス様の元に戻りたいのです」
今にも消え入りそうなか細い声だったが、それはアグライヤの耳にやけにハッキリと届いた。胸がドクンドクンと大きく脈打ち、口いっぱいに苦みが広がる。
「アグライヤ……あちらで少しウェヌスと話をしてくる」
「ああ……分かった」
言いながら、心が張り裂けそうな心地を覚える。本当は行かないで、と引き止めたくて堪らない。
(だけど、ただの友達であるわたしにそんなことを言う資格は無い)
「頑張って来い」とそう言って、アグライヤはそっと踵を返した。
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