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16.君は友達
7.
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(冷えるな)
バルコニーで風に当たりながら、アグライヤは一人苦笑した。のぼせ上がった頭を冷やすにはピッタリな夜だ。星が煌めき月明かりがアグライヤを優しく包み込む。
(落ち込むな……最初からこうなるかもしれないと思っていただろう?)
移り気なウェヌスのことだ。唐突にヴァルカヌスが恋しくなったのかもしれない。既に十年近くの婚約期間があるのだし、復縁が叶えば二度と覆ることは無いだろう。
(とはいえ、今夜のこの場をどうするつもりだ?)
今夜の婚約発表のために遠方の領地や外国から、多くの人が訪れている。ヴァルカヌスの両親の説得だって一筋縄ではいかないだろう。それら全てに折り合いをつける方法を、アグライヤには見つけらない。
(せめてそっち方面でヴァルカヌスを苦しめるのは止めて欲しいな)
婚約破棄について、ヴァルカヌスには何の落ち度もない。矢面に立つのはウェヌス自身であってほしいとアグライヤは切に願う。
「――――見つけた。そこに居たのか」
その時、背後からそんな声が聞こえた。けれどそれは、聞き慣れたヴァルカヌスの声ではない。
ゆっくりと振り返れば、そこには世にも美しい銀髪の貴公子が立っていた。
「アレス殿下……?」
間近で顔を合わせるのはこれが初めてだが、星色に輝く長髪に、碧い瞳、中性的な美しい顔立ちは間違いない。アレス殿下その人だろうと察しが付く。
「その通りだ。君がアグライヤだな」
そう言ってアレスはアグライヤの側へと歩み寄る。アグライヤはハッと居住まいを正し、優雅な所作で頭を垂れた。
「失礼を致しました。殿下の仰る通り、わたしがアグライヤと申します」
アグライヤのすぐ側まで来ると、アレスはピタリと立ち止まった。ビリビリと背筋が震えるような沈黙がバルコニーに流れる。アグライヤは頭を下げたまま、アレスの次の言葉を待ち続けた。
「ようやく君に直接会えた。君が――――私の求婚を断り続けた理由を教えてもらおうか」
その瞬間、アグライヤは小さく目を見開く。
「それは…………」
「さすがに『何も知らない』ということはあるまい。部下からは『王太子妃の器ではないから』と固辞されたと聞き及んでいる」
「――――――はい。わたしから付け加えるべきことは何もございません」
アレスはアグライヤの顎を掴み、半ば強引に顔を上げさせる。冷ややかだが燃えるような瞳がアグライヤを貫くように見つめた。
「私にはとても、そのようには見えない」
そう言ってアレスはアグライヤを己の方へ引寄せる。小さく首を横に振りつつ、アグライヤはゴクリと息を呑んだ。
「君が中々首を縦に振らないせいで、ウェヌスに白羽の矢が立った。あれ程美しい令嬢、そうは居ない。美貌だけで国民からの人気を集められるからな。
だが、共に過ごすうちにわかった。あの娘に妃としての適性は殆どない。このままでは政に支障をきたす――――そう伝えたら、ウェヌスは泣きながら逃げ出したよ。彼女の元婚約者――――君が婚約をしようとしている男の元にね」
その瞬間、アグライヤの胸がズキズキと激しく痛み始めた。アレスは不敵な笑みを浮かべつつアグライヤに向かってそっと片手を差し出す。
「あの娘には無理でも、君にはその資質がある。私の妃になって欲しい」
「ですが――――――わたしは……」
どうしたいのだろう――――そんなことを考える。
ウェヌスに泣きつかれた以上、ヴァルカヌスがアグライヤと結婚することは無いだろう。元婚約者と友達ならば元婚約者の方を優先させるに違いない。アグライヤたちの間にあるのはあくまで友情であって、愛情ではないからだ。
(わたしもいずれは誰かと結婚しなければならない)
それならば――――とアレスの手を取りかけたその時、「お待ちください!」と馴染み深い声が響いた。
「……え?」
振り返ると、そこにはヴァルカヌスと顔面蒼白のウェヌスが居る。ヴァルカヌスは眉間に皺を寄せ、つかつかとこちらに歩み寄った。
「アグライヤは俺の婚約者です。口説くのは止めていただきたい」
そう言ってヴァルカヌスはアグライヤを自分の元へ抱き寄せる。普段とは違い、どこか余裕のない声音。アグライヤは瞳を震わせつつ、ヴァルカヌスとアレスを交互に見遣った。
「正式な婚約は未だだろう? それに、君にはウェヌスがいるじゃないか」
言いながらアレスは眉間に皺を寄せる。アグライヤの心も小さく軋んだ。
「確かに正式な婚約は未だです。
けれど、俺が結婚したいのはウェヌスじゃない。アグライヤだけだ」
その瞬間、アグライヤは大きく目を見開いた。
(ヴァルカヌスがわたしと結婚したい……?)
彼がどうしてそう思うのかは分からない。けれど、ヴァルカヌスはアグライヤの元に帰って来てくれた。ウェヌスではなくアグライヤを選んでくれた。そのことがあまりにも有難く嬉しい。
「嘘でしょう……? わたくしはアグライヤ様の代わりでしたの」
その時、ウェヌスの声がアグライヤの耳に届いた。彼女は顔を真っ赤に染め、こちらに向かって歩いてくる。
(まずい)
そう思ったものの、ウェヌスはアグライヤ達を通り過ぎ、真っ直ぐにアレスの元へと向かっていく。
「このわたくしがアグライヤ様に劣ると――――殿下はそうお考えなのですか?」
言いながらウェヌスはアレスを睨みつける。アレスは平然とした表情で、ウェヌスのことを見下ろしていた。
「ああ、劣る。今のままでは、君にこの国の妃は務まらないだろう」
「そんなことはございませんわ!」
そう言ってウェヌスは凛と居住まいを正した。先程ヴァルカヌスの元へ来た時とは全く面構えが違う。そんな彼女のことを、アレスは満足そうに見下ろした。
「――――ならば言葉ではなく行動で示せ。もう二度と、私の前で泣き言を申すな」
「当然ですわ」
アレスとウェヌスはそんなやり取りをして、バルコニーから消えていく。後に残されたヴァルカヌスとアグライヤは、静かに顔を見合わせた。
バルコニーで風に当たりながら、アグライヤは一人苦笑した。のぼせ上がった頭を冷やすにはピッタリな夜だ。星が煌めき月明かりがアグライヤを優しく包み込む。
(落ち込むな……最初からこうなるかもしれないと思っていただろう?)
移り気なウェヌスのことだ。唐突にヴァルカヌスが恋しくなったのかもしれない。既に十年近くの婚約期間があるのだし、復縁が叶えば二度と覆ることは無いだろう。
(とはいえ、今夜のこの場をどうするつもりだ?)
今夜の婚約発表のために遠方の領地や外国から、多くの人が訪れている。ヴァルカヌスの両親の説得だって一筋縄ではいかないだろう。それら全てに折り合いをつける方法を、アグライヤには見つけらない。
(せめてそっち方面でヴァルカヌスを苦しめるのは止めて欲しいな)
婚約破棄について、ヴァルカヌスには何の落ち度もない。矢面に立つのはウェヌス自身であってほしいとアグライヤは切に願う。
「――――見つけた。そこに居たのか」
その時、背後からそんな声が聞こえた。けれどそれは、聞き慣れたヴァルカヌスの声ではない。
ゆっくりと振り返れば、そこには世にも美しい銀髪の貴公子が立っていた。
「アレス殿下……?」
間近で顔を合わせるのはこれが初めてだが、星色に輝く長髪に、碧い瞳、中性的な美しい顔立ちは間違いない。アレス殿下その人だろうと察しが付く。
「その通りだ。君がアグライヤだな」
そう言ってアレスはアグライヤの側へと歩み寄る。アグライヤはハッと居住まいを正し、優雅な所作で頭を垂れた。
「失礼を致しました。殿下の仰る通り、わたしがアグライヤと申します」
アグライヤのすぐ側まで来ると、アレスはピタリと立ち止まった。ビリビリと背筋が震えるような沈黙がバルコニーに流れる。アグライヤは頭を下げたまま、アレスの次の言葉を待ち続けた。
「ようやく君に直接会えた。君が――――私の求婚を断り続けた理由を教えてもらおうか」
その瞬間、アグライヤは小さく目を見開く。
「それは…………」
「さすがに『何も知らない』ということはあるまい。部下からは『王太子妃の器ではないから』と固辞されたと聞き及んでいる」
「――――――はい。わたしから付け加えるべきことは何もございません」
アレスはアグライヤの顎を掴み、半ば強引に顔を上げさせる。冷ややかだが燃えるような瞳がアグライヤを貫くように見つめた。
「私にはとても、そのようには見えない」
そう言ってアレスはアグライヤを己の方へ引寄せる。小さく首を横に振りつつ、アグライヤはゴクリと息を呑んだ。
「君が中々首を縦に振らないせいで、ウェヌスに白羽の矢が立った。あれ程美しい令嬢、そうは居ない。美貌だけで国民からの人気を集められるからな。
だが、共に過ごすうちにわかった。あの娘に妃としての適性は殆どない。このままでは政に支障をきたす――――そう伝えたら、ウェヌスは泣きながら逃げ出したよ。彼女の元婚約者――――君が婚約をしようとしている男の元にね」
その瞬間、アグライヤの胸がズキズキと激しく痛み始めた。アレスは不敵な笑みを浮かべつつアグライヤに向かってそっと片手を差し出す。
「あの娘には無理でも、君にはその資質がある。私の妃になって欲しい」
「ですが――――――わたしは……」
どうしたいのだろう――――そんなことを考える。
ウェヌスに泣きつかれた以上、ヴァルカヌスがアグライヤと結婚することは無いだろう。元婚約者と友達ならば元婚約者の方を優先させるに違いない。アグライヤたちの間にあるのはあくまで友情であって、愛情ではないからだ。
(わたしもいずれは誰かと結婚しなければならない)
それならば――――とアレスの手を取りかけたその時、「お待ちください!」と馴染み深い声が響いた。
「……え?」
振り返ると、そこにはヴァルカヌスと顔面蒼白のウェヌスが居る。ヴァルカヌスは眉間に皺を寄せ、つかつかとこちらに歩み寄った。
「アグライヤは俺の婚約者です。口説くのは止めていただきたい」
そう言ってヴァルカヌスはアグライヤを自分の元へ抱き寄せる。普段とは違い、どこか余裕のない声音。アグライヤは瞳を震わせつつ、ヴァルカヌスとアレスを交互に見遣った。
「正式な婚約は未だだろう? それに、君にはウェヌスがいるじゃないか」
言いながらアレスは眉間に皺を寄せる。アグライヤの心も小さく軋んだ。
「確かに正式な婚約は未だです。
けれど、俺が結婚したいのはウェヌスじゃない。アグライヤだけだ」
その瞬間、アグライヤは大きく目を見開いた。
(ヴァルカヌスがわたしと結婚したい……?)
彼がどうしてそう思うのかは分からない。けれど、ヴァルカヌスはアグライヤの元に帰って来てくれた。ウェヌスではなくアグライヤを選んでくれた。そのことがあまりにも有難く嬉しい。
「嘘でしょう……? わたくしはアグライヤ様の代わりでしたの」
その時、ウェヌスの声がアグライヤの耳に届いた。彼女は顔を真っ赤に染め、こちらに向かって歩いてくる。
(まずい)
そう思ったものの、ウェヌスはアグライヤ達を通り過ぎ、真っ直ぐにアレスの元へと向かっていく。
「このわたくしがアグライヤ様に劣ると――――殿下はそうお考えなのですか?」
言いながらウェヌスはアレスを睨みつける。アレスは平然とした表情で、ウェヌスのことを見下ろしていた。
「ああ、劣る。今のままでは、君にこの国の妃は務まらないだろう」
「そんなことはございませんわ!」
そう言ってウェヌスは凛と居住まいを正した。先程ヴァルカヌスの元へ来た時とは全く面構えが違う。そんな彼女のことを、アレスは満足そうに見下ろした。
「――――ならば言葉ではなく行動で示せ。もう二度と、私の前で泣き言を申すな」
「当然ですわ」
アレスとウェヌスはそんなやり取りをして、バルコニーから消えていく。後に残されたヴァルカヌスとアグライヤは、静かに顔を見合わせた。
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